保証書付きの男
「どうして気付いた」
研究棟へ戻る渡り廊下の手前で、真希は人目につかない隅の方へと追い込まれた。
「何のことですか、とか白々しく口にするなよ」
まさしくそう言おうとして開きかけていた口を閉じる。
“知らないふり”も“気付かないふり”も、どうやら許されないらしい。
「どうしてと言われましても。そもそも私に違和感を抱かせたのは朝倉さんですから」
「俺が?」
「やけに広報に拘っていたじゃないですか。広報の何に拘っているんだろうって、そりゃあ思いますよ」
「別に拘っていたわけじゃない」
「じゃあ、必要以上にナーバスになっていた」
「……かもしれない」
「まあ、わからないではないですけど。弟さんから情報が洩れることを危惧したんですよね」
「それもあるが」
そう言って、朝倉が一歩踏み込んでくる。
近いんですけど。
思わず後退ると、背中が壁にトンとぶつかった。
「どこで広報と――明人と繋がった」
「っえ?」
「あの座談会も指名できただろう」
「ああ……」
真希は愛想笑いを浮かべつつ、言葉を濁す。
「こちらにも色々と事情がありまして。でも、この件に関してはご心配には及びません、口は堅いですから」
ヘンな騒動に巻き込まれるのは願い下げである。
じりじりと朝倉を回りこんでこの場から逃れようとしたが、ずいと道を塞がれた。
「まだ話は終わっていない」
OK。了解。言質が取りたいということですね。
「諸々の不幸な巡り合わせでうっかりとんでもないことに気付いてしまいましたが、天に誓って口外することはありません」
「それに関しては、心配していない」
「はい?」
真希は目を瞬かせる。
「騒ぎになれば、俺をチューターとしている広田さんも当然部外者ではいられない。そんな面倒な状況は避けこそすれ、自ら招くわけがないだろう」
「ええ、まあ、仰る通りですけど。でしたら何の話……」
「俺としては」
思わせぶりに朝倉は腕を組んだ。
「その“事情”だの“不幸な巡り合わせ”だのに、えらく興味をそそられるんだが」
「……そこはスルーして頂いて構わない所なんですけど」
わかってないな、というように朝倉が眉を跳ね上げる。
「今後の対策を考えるにあたって、俺は今、自分が置かれている状況を正確に把握する必要がある」
「私が口外しなければそれで済む問題じゃないですか?」
「何故事が露見したのかの原因もはっきりさせずに? 次がないとは言えないだろう」
「今回のことは非常にレアな偶然が重なった末の予想外の展開と考えていただけませんか? 次はきっとないです」
「ほう? 何がレアでどんな偶然が重なったというんだ?」
納得しないことには、この場を離れることは許されないのだろう。
真希は観念してため息を吐いた。
「……ずっと引っ掛かってはいたんですけど、何に対してなのかははっきりしなかったんです。でも、今考えれば“声”だったんですよね」
「声?」
「電話口の声。背後から呼び掛けられた声。日常的に耳にする声」
視線を向けると、朝倉は眉を顰めている。
「朝倉さん、弟さんと声が似ているって言われません?」
「……そうだな」
「柳瀬さんに『広田さん』と呼び掛けられて、たぶん、あれっ? って思ったんです」
「だが、それだけではいくら何でも根拠に薄いだろう」
「確かに。でも私は“柳瀬社長の次男が先端研究所に勤めている”という話を小耳に挟んでおりまして」
「そんな情報が流れているはずがない。かなり徹底して伏せてきたんだ」
「私も研究所では、全く耳にしたことがありませんでした」
だからあの時、目の前にいるのがまさか当の本人とは思いもせず、朝倉に真偽を尋ねたのだ。
「……“次男”だの“先端研究所”だの、詳細がいちいち具体的でしかも事実だというのが気になるな。一体どこでそんな情報を手に入れた」
朝倉がぐいと迫る。
「実は、社長と父は大学の先輩後輩にあたるらしいんです」
「つまり、親父か」
ったく、と朝倉は眉間を指で押さえた。
「それでも今日お二人揃ったところを見るまでは、そんなこと考えもしませんでした」
「お袋の旧姓を使っているし、俺の顔はどちらかといえば母方の系統だからな」
そう。
本当に運悪く気付いてしまったに過ぎないのだ。
真希は少しばかり視線を遠くして呟く。
「バラバラだったピースが納まる所に納まって、スッキリしたと言えばスッキリしましたけど、正直な話、こういうスッキリは求めていませんでした」
朝倉はふっと笑ったが、俄かにその笑みを消した。
「しかし、それがどうしてあいつに繋がるんだ」
う゛。
父の親バカな発想を、ここで口にするのは何だか憚られる。
“ある日突然、娘が自分の全く知らない男に掻っ攫われていくかもしれない”という不安に駆られた父が、いわゆる保証書付きの男を宛がおうとした、とか――
そういえば、目の前にいるのも保証書付きの男であった。
真希は不意にこみ上げた笑いを噛み殺す。
そんな話に自分の名が上がりかけていたと知ったら、朝倉は間違いなく憤慨するだろう。
ので、真希は事実を端的に述べるにとどめた。
「社長から、父の研究室に産学協同プロジェクトを提案していただきまして」
「産学協同? 親父さんは大学関係者か」
「ええ。私が父を訪ねた時に、偶々柳瀬さんがいらしていて、その打ち合わせをしていたんです」
「……打ち合わせ? 産学協同プロジェクトに、何で広報が?」
「さ、さあ」
目が少し泳ぐ。
「ともかく! そういう理由で一度面識を得たにすぎません」
「座談会に呼ぶくらいにな」
「その通りです」
朝倉の探るような視線を感じながら、真希は手元の時計を覗き込む。
そろそろフロアへ戻らないとアピールだ。
「どうもそればっかりの話じゃないような気もするが……」
朝倉がようやく身体を引いたので、真希は慌ててその横をすり抜ける。
余計なことに気付かれる前に、一刻も早くこの話題から逃れる必要があった。
しかし、足早に歩く真希にあっさりと追い付いた朝倉はやがて。
「……つまり、広報じゃないんだな」
そう言って真希をぎくりとさせた。
「明人だったから、広報なわけだ。成程、事情が読めてきた」
いや参っちゃいますよね、と笑い飛ばしたいところではあるけれど、朝倉は眉間に皺をよせて何やら考え込んでいる。
気まずい沈黙のまま、フロアまであと少し。
“日常”に足を踏み入れたら、こんな話題は雲散霧消と願いたい。
ところが。
「そういうことなら、広田さん」
徐に沈黙を破って朝倉が切り出した。
接続詞が間違っているような気がするんですけど。
そういうことならって、どういうことならなんでしょう?
「俺であっても問題ないだろう」
「……ええと、すみません。それはどういう……」
真希はぴたと足を止めた。
「言葉の通りだ。寧ろ俺でないことが大問題だ」
「そこに俺が出てくる方が大問題だと思いますけど!」
思わず切り返してしまった後、真希は目を閉じ深呼吸する。
いやいやいや、ちょっと待て。
私は何か意味を取り違えたのかも。
それから目を開き、前に立つ朝倉を見上げた。
「……ええと、なんでそこに俺が出てくるんでしょう」
朝倉がくいと口角を上げる。
「理解できない? それとも理解したくない?」
言葉を失う真希に、朝倉は更に言葉を重ねた。
「まあ、どっちにしろ理解してもらうけど」




