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一応、部外者ということで

社長からも朝倉からも反応を窺われていることがわかったが、突然明らかになった事実につかの間言葉を失う。

――でも、その事実を吟味するのは後だ。

真希は気を取り直して朝倉に駆け寄った。


「樋川君に先触れをお願いしてあるんですが、急遽社長をうちのフロアと実験室に案内することになりました。部長と服部さんがちゃんと捕まっているかわからないので、申し訳ないですがフロアを先に確認して頂けますか?」

「わかった」


一瞬探るような視線を真希に向けたものの、朝倉は背後の一行に軽く会釈してこの場を後にする。

正直に言えば、気付いてしまった事実にもこの状況にも少し混乱していた。

とはいえ、意図的に伏せているのであろう事柄に、わざわざ気付いた素振りを見せるほど愚かではない。

世の中には、知らないままでいた方が楽にやり過ごせることが沢山あるのだ。

あるいは、知らないふりをしたままの方が。


「どうぞこちらです」


にこりと微笑む真希に並ぶと、社長はゆるりと口角を上げた。


「逃げたか。いや――」


似ている。

この笑い方、そうと知れば朝倉にそっくりだ。


「逃がしてもらったのか」


何のことやらと顔を取り繕う真希と肩を並べながら、社長は語るともなしに語り始める。


「私には息子が三人いるだろう? 本社にいる長男も三男もなかなか優秀なのだが――ああ、明人には会っているんだったね」


これは完全に、友人の娘相手の世間話モードになっているのではないだろうか。


「ええ、はい」


そう頷きつつ、真希はこっそり背後を窺う。

所長たちは所長たちで何やら慌ただしく打ち合わせをしているらしく、どうやらこちらの会話は耳に入っていないようだ。

社長との個人的な繋がりなんぞ知られた暁には、面倒なことこの上ない。

気を揉む真希を他所に、社長の世間話は続く。


「彼らの視点はどうしても結果としての数字に向きがちでね。もちろんそれは組織を運営する上で大変重要なことだ。だがね。そもそもその数字が何から成り立っているのかを決して忘れてはいけないのだよ」

「数字を成り立たせているもの、ということですか?」

「そうだ。数字は大きくなればなるだけ、その実体を捉えにくくなるとでもいうのかな。本社(あそこ)にいると、ただ単に実体のない数字をやり取りしている錯覚に陥りがちになるんだよ。そもそも我々は物を作りそれを売っているのだという本質的なことを忘れてね」

「なるほど」

「エンジニアだった私や私の父がごく自然に身に着けていたその辺りの感覚が、残念ながら彼らには欠けている。そこで次男だ」


社長はさらりと言葉を継いだ。


「何といっても、彼は現役のエンジニアだからね」


――どういうこと?

思わず振り向くと、社長と目が合った。


「気になるかね?」


それはもちろん――なのだけれど。


「何のことだか、私にはさっぱり」


あくまでもシラを切る真希に、社長がふっふと笑う。


「なるほど。もちろん君は誰のことかも何のことかもわからない。まあ、そういうことにしておいてもいい」




フロアの入り口では、緊張した面持ちの部長といつもと変わらぬ穏やかな笑みを浮かべた服部が一行を待ち受けていた。

それを社長はうんざりしたように手で払う。


「そういうのは今日は無しにしてくれたまえ。目についた社員にお願いして気の向くまま色々見せてもらうから」


慌てて口を挟もうとする所長を、社長は遮る。


「午前中、君たちは私に見せたいものを見せたんだろう? だったら、午後は私が見たいものを見る。それに、君たちだって自分の仕事があるだろう。私に付き合って、時間を無駄にすることはない」


言葉に詰まった所長が、目に色々読み解けないものを浮かべて真希を見据えた。

何となく目を逸らしたくなるんですけど。


「頼んだよ、広田さん」

「――はい」


それ以外答えようもなく、真希は頷く。

すると隣にいた社長が、わざとらしく咳払いをした。


「ああ……広田さんひとりでなんだったら、先程のチューター……確か、朝倉君だったかな? 彼をつけてくれたらいい」


服部がすっとフロアに姿を消す。

恐らく朝倉に、声を掛けに行ったのだ。

真希は一瞬目を閉じ、それから“私は何も気づいていないし何も知らない”と自分に言い聞かせる。

社長が何を企んでいるにせよ、巻き込まれるつもりはこれっぽっちもない。


足を踏み入れたフロアには、常になく張りつめた空気が漂っていた。

まあ、他人事に過ぎなかった社長の視察ルートに突然乗ってしまったのだから、当然と言えば当然なのだけれど。

そして真希のデスクの所には、朝倉が無表情で立っている。


「やあ、朝倉君。悪いが暫くお付き合い願うよ」


上機嫌な社長に、朝倉は無言のまま軽く頭を下げた。


「じゃあ広田さん、この間の成果発表のスライドお見せして」

「はい」


事務的にPCを立ち上げながら、真希は忙しく考えを巡らせる。

“朝倉”と名乗っている以上、朝倉自身はその出自を明らかにしたいとは思っていないのだろう――少なくとも今は。

しかし先程の言動を鑑みるに、社長は全てつまびらかにした上で彼を本社に呼び寄せようとしているのではないだろうか。

だとしたら、真希はどう振る舞うべきなのだろう。

いや、そもそも“何のことだかさっぱり”のスタンスで通すつもりなのだ。

どう振る舞うもなにも、通常運転、これしかないでしょう。

社長と朝倉の間に漂う緊張感をヒシヒシと感じつつ、真希はスライドを呼び出した。


「今回私が取り組んだのは――」


研究内容を説明し始めると、エンジニアを自認するだけあって社長は要所要所で的確な質問を挟んでくる。

そこに工学を学んだ者同士に通じるシンパシーのようなものを感じて、真希の応答にもいつしか熱が籠った。


「なかなか面白い。で? これはどこに出すのかね?」


学会名を挙げると、社長は納得したように頷く。


「ハードルは高いだろうが、挑戦する価値はあるだろう」


それから、ふと周囲を見回して呟いた。


「それにしても、案外人が少ないね。昼間の営業部みたいだな」

「我々の主たる仕事場は、実験室ですから。パソコンの中に答えがあるわけじゃありません」


それまで押し黙っていた朝倉が、いち社員が社長に対するにしては余りにも素っ気なく口にする。

社長は眉を跳ね上げた。


「では、その主たる仕事場を見せていただこうかね」


別棟にある実験室にに向かう道すがら、他人を装う二人は真希の左右で静かに言葉を戦わせ始めた。


「それで朝倉君。君はどんな研究を?」


ざっくりと手がけている研究について説明した後、朝倉は付け加える。


「この研究と並行して、部をまたいでの新しいプロジェクトの方にも、広田さんと一緒に加わることになっています」

「ほう、もちろんそういった研究もやり甲斐があることだろう」

「自分の手で何かを作り出している実感と達成感がありますから」

「しかしその作り上げるものは、何も実体を伴ったものでなくてもいいのではないかね。例えば組織であっても結局は同じことだ。エンジニアだった私が請け負おう」

「その手のものを扱うのが得意な人間なら、他にも沢山いるでしょう。現にあなたの元に二人控えているじゃありませんか」


ここに私がいるのに、そんな立ち入った話をしてしまって大丈夫なんでしょうか。

真希の存在を忘れたかのような会話の行方に、何とも居たたまれない気分になる。

一応“一般論”として聞き流せる範囲でお願いしたいんですけど。


「その二人に見えていないものを見ることが出来る人間が必要だと言ったら?」

「客観的な実績を積むこともなく他所に移ったところで、何かを成し遂げられるとは思えません」

「客観的な実績? そんなものを振りかざさないとやっていく自信がないということか」

「何を仰ることやら。あなたが他社から誰かをヘッドハントする時に、その実績を検討しないとでも? それとどう違うというんです」


不服そうな社長に向かって、朝倉がきっぱりと言い放つ。


「適材適所と言うじゃないですか。私は研究開発の分野から我が社を支えていきたいと真摯に考えているんです」


そうこうするうち実験室に辿り着き、エスカレートしつつあった二人の会話はそれ以上続くことはなかった。

ドアを開け、あちこちに置かれた装置やPCから溢れ出る機械音の中に足を踏み入れる。

絶え間なく音はするのに、どことなく静謐――真希は実験室のこういった雰囲気が好きだ。

そこで立ち働く人たちの真剣な眼差しも。

先程見せた不機嫌はどこへやら、社長は暫らく懐かしそうに周囲を眺める。

それから、そこにいた研究者に声を掛けながらゆっくりと時間を掛けて見て回り、最後に真希と朝倉に向き直った。


「なかなか有意義だったよ。お付き合いありがとう」


そう言い残すと、いつの間にか入り口に控えていた所長を案内に、あっさりと次なる場所へと去って行く。

その後ろ姿を見送りながら真希は首を傾けた。

この訪問の目的は一体何だったのだろう。

朝倉から何らかの言質を取るでもなく、朝倉の存在を自ら周知したわけでもない。


「――ちょっといいかな」


傍らに立った朝倉がそう口にした時、真希はうっかり逃げる機を逸したことに気が付いた。


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