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第六感は囁く

朝から先端技研には、そこはかとない緊張感が漂っていた。

社長に直接研究成果をデモするという栄誉を突然(・・)与えられた(振られた、ともいう)部署は、昨日から機材だのシステムだのの設定に追われていたようだが、真希の属する大デGのフロアはそれをちょっと遠くから傍観する、といった体である。


「結局、何をデモすることになったんですか?」


真希が尋ねると、岡戸が答えた。


「血流データを拾って、スマホに連動させるヤツ。健康家電は伸びしろがある分野だからね」

「なるほど。でも確か、センシングの精度が今ひとつって言ってませんでしたっけ?」


それは、その可能性と課題とで真希も耳にしたことがある研究だ。


「色々課題もあるけど、ここで一気にモノにしようって腹積もりだろう」

「でもこの間、単にモノにすればいいわけじゃないって……」

「まあ、単なるモノにするつもりはないってことでしょ。でなきゃ、社長の前でデモらせません」

「取り敢えずの目処は立っているってことですか?」

「さあ。そこまでは聞いてないけど、どうにかするってことなんでしょうよ」

「それはまた厳しい……」

「仕事だからね」


岡戸が事もなげに言う。


「荒療治ってやつかな。社長がGOを出したら、やるしかなくなるってハナシ」

「鬼ですね」

「そうはいってもさ。人材と資金を集中してやろうってんだから、期待されているってことでもあるわけ」


結果を出せというプレッシャーたるや、想像するだに恐ろしい――のだけれど。

やっぱりいつか、そういった最前線の研究に携われるようになりたい、とも思う。

ともあれ、まずは目の前の一歩から。

真希は手直しした英語論文にさっと目を通し、最終チェックのため添削者に送信した。

これでOKが出たら、体裁を整えて学会へ投稿するのだ。




「社食?」


ピリピリした空気が漂う廊下を歩いていると、樋川が横にすっと肩を並べた。


「うん。売店で買って済ませようと思ったけど、論文の方も一息ついたし、そういえば今日はスペシャルの日だって思い出して」


社員食堂では月に一度“スペシャルランチ”なるメニューを供する日があるのだ。

値段はそのまま、いつものランチメニューにコーヒーゼリーやクレームブリュレ、杏仁豆腐やマンゴープリンなど小さいながら本格的なスイーツか一皿つく。


「マジか。もう投稿したってこと?」

「まさか」


真希は笑った。


「まだ社内を滞留しているってば。英文添削の最終チェックにかけただけ」

「……そうはいっても、水をあけられてるよなぁ」


同じ学会に投稿予定の樋川は、はぁっとため息を吐く。


「僕は追加データがようやく揃ったとこだよ」

「そこまでが時間がかかる、しんどいところだったわけでしょ?」

「まあね」

「早ければいいってもんでもないし、そもそも査読で引っかかって不採択ってことの方が多いんだから、ちゃんと時間をかけてきちんと納得したもの出すのが正解だと思う」

「そうかもしれないけど」


社食に足を踏み入れながら樋川が「ところでさ」と声を顰めた。


「社長の存在感って凄いよね。全然その姿を見せていないのに、ただ先端技研(ここ)に来ているってだけでこの空気」


真希はトレーを手にしながら頷く。


「確かに。デモはもう終わっているんだよね?」

「じゃない? 午後からは所内を順次見学して回るって噂」

「ふぅん」


それぞれスペシャルランチを注文し、同期が集っているテーブルに着いた。

いつものように論文や実験の話、それに今日は社長の動向が話題に上る。


「俺、窓から所長たちがずらっと並んで出迎えしてるの見た」

「おお、やっぱそういうもんなのか」

「予定外の來所にも拘らず、万障繰り合わせてってやつ?」

「そうそう。繰り合わせられたのが俺の隣の課でさー。いきなりデモの話が下りてきたもんだから、まあ、昨日からとんでもなく殺気立ってて」

「だろうよ」


その時、廊下の方から声高な話し声が近付いてきて、集団が入り口に姿を現した。


「――おっと」

「まじか」

「社食も視察範囲内ってか?」


フロアがざわめく。

それは、社長を先導する所長と上層部たちだった。

何やら説明を受けてトレーを持った社長が、社員たちの方に身体を向ける。

笑みを浮かべ、何気ない風を装いながらゆっくり走らせる視線が、一瞬真希の上で留まった――ような気がした。

いや、まさかね。

結構距離があるし、人だってそれなりに多いし。


「なんか、急いでる?」


樋川がのんびりと箸を進めながら首を傾ける。


「別に」


そう返しつつ、真希は残りのランチをいつにないスピードで片付け始めた。

第六感が、早くここを離れた方がいいと囁く。

個人的な面識はないものの、社長とは父や柳瀬を通じて浅からぬ縁がある。

こんな所で万が一、その“縁”を披露することになったら?

ようやく最後のスイーツ、かぼちゃのプリンをスプーンで掬い口に運んだ時――


「美味しそうだね」


カタ、と隣のテーブルにスペシャルランチの載ったトレーが置かれ、椅子が音を立てて引かれた。

視線だけをそろりと向けると、社長が微笑みながらこちらを見下ろしている。

第六感の嬉しくない勝利、とか。

真希は、ごくっと濃厚な甘味を呑み下した。


「――美味しい、です」


同期たちのおしゃべりも動きもピタリと止まる。

フロア中の視線が一気に集中したが、当の社長はどこ吹く風だ。


「私は甘いものに目がなくてね」


そう言って腰を下ろし、言葉を続ける。


「君は――ああ、広田さんは――」


一応こちらのIDを覗き込む素振りを見せたものの、真希の顔も名前も予め承知していたような、確信犯的な眼差し。


「――何年目かな?」


周囲の目を気にして、敢えて口にされた質問なのだろう。


「私たち(・・)は、皆、二年目です」


個人的な会話にしたくなくて、真希は同期たちを巻き込むことにした。

遅れて所長たちも、次々と隣のテーブルに着く。


「二年目というと――」

「彼らはちょうど研究企画の発表を終えて、論文の投稿に励んでいるところです」


所長がすかさず口を挟むと、社長はこれみよがしにため息を吐いた。


「こうやって君たちが付いて回ると、いつもの視察と変わらないだろう? 今日は非公式な形で来ているんだから、もう少し自由にさせてもらえると嬉しいんだが」

「そうは仰られてもですね」

「私に直接見られちゃ不味い事でもあるのかね」

「いえ、そ、そんなことは」


おたおたする所長たちを尻目に、社長は「ちょっといいかな」と強引に席を移ってくる。


「で、君たちはどういった研究をしているんだね? ご存知かもしれないが、私もエンジニア出身なんだよ」


促されて、同期たちは緊張しながらも自分の研究内容を紹介し始めた。

豊かな経験の証を目尻に刻む、眼光鋭い切れ長な目。

すっと通った鼻筋。

引き結ばれた薄い唇。

彼らの話に熱心に耳を傾け、本質を突いた質問を挟む社長の顔を間近に眺めながら、真希はふっと誰かと面差しが被るのを感じた。

――そう。

それはもちろん広報の柳瀬明人のはずだ。

皇帝(カイザー)と称される長男には会ったことがないはずなのだから。

でも、もっとどこかで――……


『次男は先端研究所勤務だっていうから』


ふと、父の言葉が耳に甦る。

先端(・・)とつく研究所は先端技研だけではないが、もしかしたらここで目にしたことがある、ということなのだろうか――?

でも、“柳瀬”という名は耳にしたことがないと朝倉は言っていた――

とん、と樋川に肘で小突かれて、真希はハッとする。


「広田さんはどういったことを?」


社長が興味深げにこちらを見つめていた。

このシチュエーションで他のことに気を取られていたなんて。

真希が口を開きかけると、突然社長が人差し指を立てて止めた。


「折角だから、ちょっと見せてもらおう」

「――何を、でしょう?」

「若手研究員の日常。ランチの後、君のフロアと実験室を案内してもらっても構わないかね?」




というわけで、真希は社長と並んで廊下を歩いている。


「一緒に捕獲できると思ったんだが、なかなか上手くいかないもんだ……」

「はい?」

「いやいや、こちらの話」


社長は咳払いをすると、後ろに続く所長たちには届かないほどの声で切り出した。


「君が先端技研(ここ)にいるとお父さんから聞いていたが、遠目でもすぐにわかったよ。本当に有希さんにそっくりだ」


あの一瞬真希に留まったように思えた視線は、やはり気のせいではなかったということだ。


「母をご存知だったんですね」

「彼女は我々工学部のマドンナだったからね」


ちらりと真希に視線を投げ、社長はすっと口角を上げる。


「お父さんが色々と心配するのも当然だ」


その色々な心配――もとい、いらぬ心配が、真希の元へ柳瀬明人を向かわせることになったのだ。


「その節は、父がご迷惑をお掛けしました」

「迷惑? とんでもない。明人(アレ)は結構その気になっているようだがね」


行き先不明の話題を打ち切る口実を探して、真希は視線を彷徨わせる。


「あっ、あちらが私のチューターで……」


少し先の角を曲がろうとしている人物に助けを求めるべく呼び掛けた。


「朝倉さん!」


振り向いた朝倉が、こちらの集団を目にして顔を強張らせる。


「おやおや」


隣で面白そうに社長が呟く。

そして真希は、その面差しをどこで目にしたのか、ようやく理解した。


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