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とあるチューターの葛藤

――来る場所を間違えているんじゃないか。


上司に伴われて現れた人目を惹く容姿の人物を前に、朝倉は一瞬眉を顰めた。

ブラックスーツと、後ろにひと括りにされた髪。

画一化されたリクルートスタイルだからこそ素材そのものに目が向く、ということなのだろう。

透き通るような白い肌と大きな二重の目、それを取り囲む長い睫毛。

そして今は緊張のためか、少し引き結ばれた形の良い唇。

本社の受付あたりで目にしそうじゃないか。


「広田真希です。よろしくお願いします」


朝倉をチューターとする新人研究員は、こちらのそんな思いを見透かすかのように、凛とした強い視線を向けてきた。


「朝倉です。こちらこそよろしく」


だがしかし、それが何だというのだ?

担当する新人が女だろうと、やけに整った容姿をしていようと、朝倉は課せられたチューターの役目を粛々と果たすだけだ。

願わくば彼女が自分を煩わせることなく、己の本分を守った仕事をしてくれさえすればいい――

三か月後.

工場での実務研修を終え正式にAI基部大デGに配属された広田真希は、男所帯における己の立ち位置を瞬く間に確立してしまった。


「すんなり馴染むもんだな……」


傍らにちらりと視線を遣ると、広田は目をPCに向けたまま薄らと口許を緩める。


「理系男子は、過度なコミュニケーションを取ろうとはしないので楽勝です」

「――は?」

「最初にしっかり線引きさえ出来れば、後は公私共に煩わされることはまずないです、経験上。皆さん、プライドも高いですし」

「なるほど」


工学部電気工学専攻とくれば、大学時代も似たような環境にあったのだろう。そこから自然に身に付けた処世術、ということか。


「そういったことがまるで通用しないのは、勢いでどうとでもなると信じている体育会系男子です。無駄に自信と根性があるから性質(タチ)が悪いというか。集合研修では営業部配属の一部の人たちからエライ目にあわされました。理屈が通用しないのって、実に恐ろしことです」


何かを思い出したように、広田はぶるっと身を震わせる。


「時々日本語が通じていないのかと不安になることがあったんですが、私の日本語おかしくないですよね?」


朝倉はフッと思わず笑いを漏らした。


「理系の話す典型的な日本語なんじゃないか」

「理屈っぽいって言いたいんですか。それこそお互い様です」


肩を竦めてみせる広田の耳元で、小さな金の雫が揺れる。

人目を必要以上に惹きたくないという潜在意識が働くのか、彼女の服装は地味でカジュアルなものばかりだ。

それなのに、耳元だけはいつも繊細な細工のピアスで飾られている――

キーを叩く手が一瞬止まった。

そんなどうでもいいことを、自分はどうして認識しているのだろう。

らしくもない。

小さく首を振った朝倉は、再びPCに意識を集中した。




日常は緩やかに、そして密やかに心を侵食してゆく。

ふと気付いた時には、引き返せないほどに。




「あんたんとこの、エライ別嬪な新人はどう?」


テーマ企画の発表まで三カ月を切ったある日、朝倉の同期である安西桜咲(さらさ)が、社員食堂で断りもなく向かいの席に腰を下ろした。

大きな態度で大きな口を叩くが、身体は百五十センチ前半のミニマムサイズ、中学生もビックリの童顔である。

しかし、名の通った国際会議で論文発表をするほど研究者としては優秀だ。

彼女もまた今年、別の部署で新人研究員のチューターをしている。


「そうだな。結構センスがいい」


端的に言えば、問題抽出能力が高いのだ。

安西はチキンカツ定食を前に、深々とため息を吐いた。


「うちのボクちゃんはさ。能力的には問題なさそうなんだけど、石橋を叩きまくった挙句渡らないタイプなんじゃないかと思うわ」


朝倉が話を促すように片眉を上げると、彼女は箸を手にしたままぼやく。


「何ていうの? 理詰めで納得しないと先に進めないっていうか。取り敢えずこうしておいて、結果次第でそこんとこ見直すって融通がつかないのよ。いいじゃないよねぇ、失敗したってさ。そこで一つの結論が出るんだから」


細かい所を詰めて積み上げていくタイプは、得てして大局を見失いがちだ。


「思うに、これまでの人生で躓いたことがないんだわな。転び方を知らないから転ぶことを極端に嫌うわけよ……って、あれ。あんたもそういう意味では、膝小僧に傷ひとつ無さそうな」


安西がくいと首を傾け、目を眇める。


「膝に傷を負う前に手を付くからじゃないか」

「ぬ。あたしの膝小僧は自慢じゃないけど傷だらけよ。ただでは起きなかったけどね」

「おい待て」


それはいわゆる実質的な意味合いでか。

いきなりスカートをたくし上げようとする安西を押し止め、朝倉は言葉を継いだ。


「転んでもただで起きないお前が、その石橋を叩き壊してやればいいだろう?」

「えー。朝倉はボクちゃんのことを知らないからそんなこと言えるのよ」


再びチキンカツに向き合った安西が唸る。

朝倉もそばを啜った。


「ヤツはあたしがぶち壊した石橋の石を、恐ろしいことにもう一度、黙々と、ひたすらに、ひとつずつ積み上げていくタイプ」

「……それはまた」

「面倒くさいヤツでしょう? ――で、お宅の別嬪さんは問題なく?」


同じチューターとして進捗が気になるのか、食い下がる。

朝倉はスッと視線を(くだん)の新人研究員の所へと走らせた。

安西のところの“ボクちゃん”を含めた同期で、同じテーブルに座っているようだ。


「今は、シミュレーションの結果がひと通り出揃ったところなんだが」

「ほう」

「その解析に苦しんでるな」

「ほほう」

「でも、それを楽しんでもいるって感じか」

「ふうぅーん」

「……何だ」


チキンカツを頬張りながら思わせぶりな笑みを浮かべる安西を、朝倉は思い切り睨みつけた。


「朝倉もそんな顔するんだ」

「そんな顔ってどんな顔だ」

「え? そりゃ、懐に入れて大事に育ててます的な?」

「チューターとしての役目を果たしているだけだ。お前がボクちゃんを大事に育ててるのと同じにな」

「アレは大事に育ててるんじゃなくて、否も応もなく手が掛かっちゃってるだけなんですけどっ」


安西は「育成ゲームよろしくいつか大化けするのかしら」と何やら遠い目をしたものの、次の瞬間「いやいやいや、何言ってんの、あたし。ヤツには自力で(かえ)ってもらわないと!」と首を強く振る。

それから気を取り直したように、「ところでさ」と、目下取り組み中の自分の研究について話し始めた。

朝倉はそれに適当に相槌を打ちながら、男ばかりの同期の中に違和感なく交じる広田を眺める。

別に懐に入れたつもりはないし、大事に育てているわけでもない。

チューターとして、適度な距離を置き、適切な指導をしているというだけで。

広田真希は踏み込ませない絶対の(ライン)を、朝倉に対しても譲る様子がない。

つまるところ、以前願った通り、彼女はこれといって自分を煩わせることなく、きっちりその本分を守った仕事をしている――

そしてまた、(ライン)を引いたのは、朝倉も同じだ。

これは、広田個人に対してというよりも、入社以来周囲に貫いてきた態度でもある。

朝倉には朝倉の、プライベートに無暗に他人を立ち入らせたくない事情があった。




はずなのであるが――……




ここ数か月の己の振舞いを顧みてみれば、いつの間にかその(ライン)を踏み越えている自分がいる。

朝倉はため息を吐き、(あるじ)不在の隣の席をチラリと見遣った。

そう、今となってはもちろん自覚している。

自分は彼女にどうしようもなく興味を引かれているのだ。

だがしかし、チューターという肩書きを下げたままでは――

着信を知らせるスマートフォンに、朝倉は我に返った。

それから、表示された名前に眉を顰め席を立つ。


「なんだ」

『なんだはないだろう、浩兄(ひろにい)


フロアを後にし、廊下を歩きながら朝倉は不機嫌に応対する。


「仕事中だ」

『就業時間は過ぎてるよ』

「裁量労働制なもんでね」

『ああ、そういえばそうだった』


滅多に電話を寄越さない弟が、電話の向こうでクスクス笑った。


『でもこうやって出たし』

「メールやSNSじゃ済まない話なんだろう?」

『メールやSNSするほどの話でもないっていうか』

「……切るぞ」

『ちょっと待った。実は聞きたいことがあってさ――』


通話を切った後、朝倉は小さく毒づきながら苛立たし気に髪を掻き上げる。


「どういうことだ」


突然で強引な招聘には確かに違和感を覚えていた。


「ったく、どこであいつのセンサーに引っ掛かった」


“広田真希さんって、浩兄のグループだよね”

――肩書き。

どうやら、そんなものに躊躇している場合ではないらしい。



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