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またいずれ

柳瀬某の情報をどこで耳にしたのか。

真希に問い質したいが、機を逸してしまいそれを切り出せない――そんな雰囲気の朝倉に、気付かないふりをしたまま数日。


「広田さん」


真希はちょいちょいと服部に手招きされた。


「何でしょう」


デスクに肘を付き顔の前で手を組んで、服部が真希を見上げる。


「あのね。来週金曜の午後なんだけど、広田さん、予定空けられる?」

「――はい。特に急ぎの案件はないので」


スケジュールを軽く頭でなぞってから、真希は頷いた。


「実は広報から依頼があってね。就職情報誌に載せる、女性社員の座談会に参加してもらいたいそうなんだよ」


――きた。


「あの」


連絡を貰うことは了解したけど、それを受けるとは言ってないし。

屁理屈上等! な気分で、真希は服部の方に身を乗り出した。


「大変光栄なお話ですが、私はまだ研究者としては駆け出しですし、語るだけのものがないというか、もっと適任の方がいらっしゃるのではないかと」


ぱちぱちと目を瞬かせた服部が、首を傾ける。


「そんなことないでしょ。この一年と少し広田さんが経験したことは、語るに足ることだと思うけど。この間の成果発表に至る過程だってさ。それに」


くいと上がった服部の口角に、真希はとても嫌な予感がした。


「今回は企画からいって、ある程度キャリアを積んだ研究者よりも、ひとり立ちする過程にある新人研究者の方が相応しいだろうということでね。なんと広田さんをピンポイントでご指名なんだよ」


露骨であるが故に、逆に周囲には何の思惑も感じさせないという不思議。


「どこで広報のセンサーに引っ掛かったかねぇ」

「さ、さあ」


真希は口許を引き攣らせた。

殆ど外部と接触のない立場なのだから、その疑問は至極当然だ。

だが服部は、それを深追いすることなくあっさりとこう付け加えた。


「まあ、君は優秀なことだし。新卒向けで女性限定、こっちで適当にって言われたとしても、結局広田さんの所に話がまわってきたとは思うけどね」

「そうでしょうか……」

「じゃあ、来週金曜よろしく」


そりゃあ、逃れられるとは思っていなかったけど!

むっつりとデスクに戻った真希に、PCに目をやったまま朝倉が声を掛けてくる。


「服部さん、何だって」

「広報絡みのお仕事を言いつかりました」

「――広報?」


朝倉が眉を顰め、視線をさっと上げた。


「就職情報誌に掲載する座談会に呼ばれたんです」

「ふぅん」


探るようなその視線に、真希は思わず身構える。


「何ですか」

「――いや」


首を振りまさかなと呟いた後、朝倉は一転、面白がるような表情を浮かべた。


「それで? 写真も載るんだろう?」

「え゛」


固まる真希に、朝倉が片眉を跳ね上げる。


「楽しみだな」


――迂闊。

そんなオプションもついていたとは。

真希は椅子の背に身体を預けて天井を仰いだ。


 * * *


都内にある本社の雰囲気は研究所のそれと違って、行き交う人々には独特の緊張感と忙しなさがある。

真希は受付で指示されたエレベータに乗り込むと、ふう、と息を吐いた。

辞令の発令や先だっての成果発表などを除けば、カジュアル一辺倒の日々である。

スーツにはまだまだ着られている感じがして、落ち着かなかった。


「失礼します。先端技術研究所の広田です」


指定された会議室に足を踏み入れると、グレーのスーツをきっちりと着こなし、隙の無いメイクを施した女性がすっと進み出てくる。


「こんにちは。本日の座談会を担当する広報の稲垣です。まずはお席へどうぞ」


一瞬、値踏みするかのような鋭い視線が向けられたのは、気のせいだったかもしれない。

今、彼女が浮かべているのは如才ない笑みだ。

真希は会釈して室内に視線を巡らせた。

そこに柳瀬の姿はなく、密かに胸を撫で下ろす。

彼もそんなに暇なわけではない、ということだ。

ロの字型に設営された長机の上には名札が置かれており、既に何名かの女子社員が着席している。

彼女たちにも軽く会釈しながら、真希は自分の席へと足を向けた。


「――広田さん」


突然声を掛けられて振り向くと、そこには新人研修で同じグループだった岩崎真子(まこ)がにっこり笑って立っている。

百七十を超えるすらりとした身体にショートボブ、大きな目と大きな口が印象的な彼女は、本社の営業部に配属されていた。

スーツ姿もすっかり板についている。


「お久しぶり!」

「お久しぶり、岩崎さん。何か見るからに営業って感じになったわね」

「そう? 広田さんは相変わらず掴みどころのない雰囲気のままかな。バリバリ研究してますって言われても頷けるけど、受付嬢してますって言われてもなるほどって納得しちゃうような」

「何だそれ」


苦笑する真希に、岩崎は興味津々な表情で身を寄せてきた。


「で、どう? やっぱり並み居る男どもを、その鉄壁のスルースキルで蹴散らしているの?」

「やめてよ」

「だって新人研修の間、有象無象が、ほら」

「有象無象……岩崎さんて、何気に失礼よね」

「そういう広田さんだって彼らの固有名詞、まるっきり覚えていないでしょう?」

「そんなことはないわよ。ひとりかふたりくらいは思い出せる」

思い出せる(・・・・・)!」


くくくと笑った岩崎は、目をキラキラさせて真希を見る。


「それは、“申し訳ないけど、あなた自身よりもこっちの課題の方に興味があるの”ってぶった切った意識高い系の彼?」

「ううん。どちらかといえば、ライバル心剥き出しの岩崎さんをよそ目に、マイペースに課題をこなしていた古川君とか」


その彼は、真希に対しても単なる同期以上の関心を示さなかった。

であるがゆえに、記憶に残るというのも皮肉な話だと思うけれど。


「古川! 小憎らしいことに、ヤツは今も私の一歩先を飄々と行く……」

「彼も営業だった?」

「……名前を記憶しているとはいえ、広田さんのうっすい関心は、その程度の情報もスルーでしたか」


呆れ顔の岩崎に、真希はひょいと肩を竦める。


「悪かったわね」


そんな話をしているうちにどうやら全員が集まったらしく、真希たちも席に着く。

司会者は三十代半ばかと思われる女性で、就職情報誌『ナビゲーション』の川端と名乗った。


「通常文系と理系は採用基準が違うこともあり、就職情報誌での取り扱いは別になります。しかし今回は、そういった枠を超えた話をお伺いできるのではないかと思っております。本日はよろしくお願いします」


それぞれの自己紹介によれば、集まったのは入社五年目までの様々な部署の者たちだ。

川端は仕事内容、予め必要とされるスキル、その職に就いてからどんな資質が求められたか、やりがいを感じることは何か、あるいはどんなことに苦労しているかなどを次々と聞き出してゆく。

時々向けられるカメラのレンズを鬱陶しく感じたものの、気付くと真希はこの座談会をかなり楽しんでいた。


「実際にその業務に携わっている方からのお話を聞くと、費用の請求や交通費の締めはちゃんと守らなくちゃと思いますね」


岩崎が笑いながら言うと、総務の女性がにこりと笑う。


「是非、勤怠の方もお忘れなく」

「そうでしたっ!」


クスクスと笑い声が上がる中で、その女性が真希の方を見た。


「実は研究職って謎で……」

「確かに、どんな風に会社の役に立っているのか、わかりにくいかもしれませんね」


真希が答えると、その場の多くが頷いている。


「では、メーカーで研究を担う方の果たす役割を、広田さんはどのようなものと考えますか」


川端が改めて真希に尋ねた。


「ひとつには、いわゆる売れる製品、尚且つ、良い製品を作り出すことではないかと考えます。“売れる製品”は言葉の通りですね。開発部門が主に担っていますが、今販売されている製品の次のモデルチェンジで、こういった性能をこの程度上げる、といったようなことに取り組んでいます。あるいは、既存の技術を使って新しい製品を作り出すとか。では“良い製品”とはどういったものでしょう? そうですね……例えば電球で考えてみたら」

「長持ちするとか……」

「明るい」

「それはワット数とか色とかの問題じゃないの?」

「そっか」

「省電力であるとか?」


いくつか意見が出たところで、真希はにっこりと微笑む。


「もちろんスペックと価格との釣り合いも考慮しなければなりませんが、研究者の立場からしますと、良い電球とは“ある一定の条件の元、一定の時間で一律に切れるもの”なんです」


場が少しざわついたが、そのまま続ける。


「あるものは千時間持って、あるものは百時間しか持たない。あるいは五百時間だ、というような、バラつきがあるものは、良い製品とは言えないんです。良い製品とは、均質であることが大前提です。そういう均質であることを“信頼性”というのですが、そのような研究することも大事な役割です」

「なるほど」

「こういった開発寄りの研究は、目標が割と具体的かつ現実的といえますね」

「では先端技研で扱うような研究は、目標が具体的でも現実的でもないんでしょうか?」


どこからか上がった声に、真希は少し考えつつ答えた。


「営利企業に属している研究所ですから、いずれ会社の作る製品の役に立つような研究を目指しています。でも、それがいつ役に立つのか、どんな風に役に立つのか、漠然としているものもあります」

「必要になるかどうかもわからない技術を研究している、ということですか?」


先程の質問と同じ、何となく棘のある発言は稲垣と名乗った広報の女性のものだ。


「いいえ。いずれ必要になると確信している技術を研究しています」


真希は真っ直ぐにそちらに視線を向ける。

研究には膨大な投資を必要とするが、そこから直接的な利益を生み出すことは殆どない。

だからといって、その投資を無駄と見做すならば、物を作る企業としての未来はない。


「しかし、結果に繋がらないこともあるんですよね?」


今度は川端が真希に尋ねる。


「もちろんです。でもそこで得られた結果が、別の形で活かされることもありますし、その結果を得るまでの研究(プロセス)が、別の何かを生み出すこともあります。結果が出ないことは必ずしも無駄にはなりません。何より、テクニカは物を作る企業です。私たち研究者には、時代の一歩二歩先を行く技術を常に追求する姿勢が求められていると考えます」

「営業も同じですね。時間と労力を掛けても、結果が得られないことだってあります。でも、そこで得たノウハウが別の営業活動で実を結ぶこともある」


そう言って、岩崎が口角を上げた。


「何もないところから何かを作り出したり得たりするには、ある程度の無駄も必要ということじゃないですか? 尤も、無駄を無駄のままに終わらせない努力が必要ですけど」


真希はくすっと笑う。


「営業との共通点なんて、考えたこともなかったわ」


でしょ? と頷いた岩崎は、「ところで」と切り出した。


「研究同様、広報も成果が見えにくい職種ですよね」


末席にいた稲垣が、少し怯む。


「成果ですか?」

「そうです。人、金、時間の投資に対する成果です。とある商品のプレスリリースをする。それに対してど程度の販促効果があったのか、なかなか掴みづらいんじゃないでしょうか」

「一応、メディアでの取り上げられ方と、その後の売り上げを目安にしていますが」

「では、プレスリリースを大々的に行い、メディアにも取り上げられたにもかかわらず、売り上げに直結しないことはないんですか?」

「……それは、ないわけではないですね」

「そういった場合、どうされるんですか?」

「プレスリリースの仕方に問題があったのか、そもそもその製品自体に問題があったのか、その辺りの分析をして、次回に活かします」

「つまり、研究や営業同様、無駄を無駄のまま終わらせないということなんですね」


真希が最後にそう付け加えると、稲垣が複雑な表情を浮かべ、岩崎が笑いを堪えるように唇を噛んだ。

それから、同期の友人はそれを誤魔化すかのように軽く咳払いして言葉を継ぐ。


「広報の仕事は、我が社の製品だけでなく、企業イメージをプロデュースすることでもあるんですよね? この座談会のように」

「――その通りです」

「記事を書いて下さる川端さんを通して、多くの方に我が社の女性社員の在り様を知っていただく」


岩崎が向けた視線に、川端がにこりと笑みそれを受ける。


「皆さんが、それぞれの部署で各々責任を負い奮闘している様子がとてもよくわかりました。こちらのテクニカさんは、女性が活躍できる場が十分に用意されているのですね。では、そろそろ時間も参りましたので――……」


その後、集合写真を何枚か撮り、座談会は解散となった。

集まった者たちはそれぞれ席を立ち、会議室を後にする。


「なに絡まれてるのよ、広田さん」


廊下で真希の隣に並んだ岩崎が、肩をトンとぶつけてくる。


「さあ」

「さあって……」

「マキさん」


――はて、今日の出席者に“マキさん”とやらはいただろうか。

などと軽く現実逃避してみる。

真希は背後からの声を無視して、エレベーターを目指して足を速めた。


「え? あれ?」


振り返ろうとする岩崎の腕をぐいと引き、更に足を速める。

これは空耳。

たぶん、空耳。


「ねぇ、ちょっと、マキさんて……」

「ほら、エレベーター来ちゃう」

「いや、私は上で広田さんは下でしょ。一緒に乗らないし、私急いでないし、それに……」

「いいから」

「真希さんっ――」


背後を仰け反って確認した岩崎が、「ほ?」と間抜けな声を出した。


「じゃなくて、広田さん!」


そう呼びながら回りこんで来たきた人物に前を塞がれて、真希は仕方なく足を止める。


「――柳瀬さん、こんにちは」

「良かった、間に合わないかと思った」

「すみません、おしゃべりしていて気付きませんでした」


そろり、とこの場を抜け出そうとする岩崎のジャケットの裾をむんずと掴み、真希は取って付けたような笑みを浮かべた。


「座談会はどうでしたか?」

「そうですね……。日頃接する機会のない部署の方たちのお話が伺えて、大変有意義でした。研究所のことも、ほんの一端ですがお話し出来ましたし。記事は次号に掲載されるそうです。どんな風にまとまるのか楽しみよね、岩崎さん?」

「え? ええ、そうね」


突然話を振られた岩崎が、カクカクと頷く。


「それで、この後は――」


手許の時計にチラリと目を向け、柳瀬が首を傾けた。


「久々に同期に会えましたので、一緒に食事でもしようかと。ね、岩崎さん!」

「……え! ええ、そんな話があったりなかったり」


しどろもどろの岩崎と真希を見比べると、柳瀬は「それは残念」と苦笑する。


「ということで、これで失礼します」


真希は強引に話を切り上げ、「おっどろいた」と呟く岩崎の腕を取ってエレベータにそそくさと向かう。


「――つまりそういう理由(わけ)でしたか」


むっつりと黙り込む真希を、岩崎は面白そうに横目で眺めた。


「名前で呼ばれるほど親しいとは」

「親しいわけじゃないのよ、ちょっとした経緯(いきさつ)があっただけで」

「ふぅん。でもまあ、殿下はなかなか手強いということらしいし」

「殿下?」


岩崎は上りのボタンをピッと押して頷く。


「そ、殿下。社長の息子ってだけでそう呼ばれてるわけじゃないのよ。あんな柔らかな物腰にもかかわらず、実はかなりのやり手だという話だから」

「仕事がね」

「仕事()ね」

「……やめてよ」


真希は岩崎と一緒にエレベーターに乗り込んだ。


「上でよろしいんでしょうか」

「上でよろしいんですのよ。頃合いを見計らって下に降りますから」


岩崎はくくくと笑う。


「まぁまぁ、そう言わずに。久々に同期と食事って言ってたじゃない。せっかくだから、古川君も誘って食べに行かない? ちょっと待ってもらうようだけど」


閉まりかけたドアの向こうで、柳瀬がすっと手を上げ微笑むのが見えた。

真希は軽く会釈を返す。

――またいずれ。

柳瀬の口許が、そう動いたように見えた。



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