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父の企み

二歩先で、肩越しにこちらを振り返る人物をマジマジと眺めた後、真希はハッと我に返った。

名前を紹介されただけで、名刺の交換もしていない。

お互いの所属も正確には知らない。

つまり彼は真希にとって、父の知人の息子である“ただの(・・・)柳瀬明人というサラリーマンらしき人物”以外の何者でもないわけで、彼にとっても真希は、父の娘である広田真希でしかないはずだ。

というわけで。


「……産学協同って、なかなか難しいと聞きますが」


柳瀬の隣に並ぶと、真希は何事もなかったかのように話を続けた。

一瞬戸惑った顔をした柳瀬も、卒なくそれに合わせて来る。


「そうですね。大学の方はどうしても学究的な方向に進みがちですから。我々企業はそこから利益なり価値なりを生み出したいと考える」


エレベーターで数階下の研究室まで案内する間、柳瀬は今回のプロジェクトについて語った。


「まだ企画の段階なんですよ。広田研究室の持っている研究成果と、僕たちの技術を合わせて商品化までもっていこうという」

「柳瀬さんはどういう立場で関わってらっしゃるんですか?」

「僕は広報なんです。実際のところ、こういったプロジェクトから、投資に見合う利益を生み出すものを作り上げるのは簡単ではないと言えるでしょう。ただやはり、企業としては最先端のものに取り組んでいるというイメージを対外的にアピールできる」

「それに、あわよくば、思いがけない商品の誕生につながるかもしれない」

「そう、その通り」


微笑む柳瀬を従えて、真希は研究室のドアを開け、顔を覗かせた。


「こんにちはー」


数人の院生がデスクや実験物から顔を上げ、「あれ! 真希さん!」と声を上げた。

父の研究室には度々顔を出しているので、古い院生とは顔見知りなのだ。

パーティション代わりの棚の向こうからも、何人か出てくる。


「うわ真希さん、お久しぶりです。お仕事やっぱりお忙しいんですか?」

「ええまあ、それなりに。はい、これ差し入れ」

「「「おおおーっ!」」」

「えっと、カップラーメンごときで毎回そんなに喜ばれると、何か申し訳ないというか」


真希はポリポリと頬を掻き、そうだ、と背後の人物を院生たちに紹介した。


「こちらは、産学協同のプロジェクトでこれからお世話になるかもしれない企業の方です。父の言いつけでこちらまでご案内しました」

「株式会社テクニカの柳瀬です。今日は皆さんの研究を少し見学させていただければと思いまして」


どうぞどうぞ、と奥に通され、院生たちがそれぞれの研究について簡単に説明し始める。

真希はその斜め後ろで、専門用語を少しかみ砕いて柳瀬に解説した。

彼らのどの研究をどんな形でどういった商品にするのかはまだ未知数であるが、柳瀬は熱心に耳を傾け質問をしている。


「こういったものは1と0でONとOFFを切り替えているんですが、その1と0をどうやって効率よく検出するかということを研究しているんです。例えば電圧の上下の波を使ったり、光の強弱を使ったり、あるいは人の拍動を使ったり」

「拍動?」

「そうです。ドキン、間、ドキン、間、ドキン。これも、1、0のある意味信号なんです」

「なるほど」

「効率良く検出できれば、高速化や小型化にもつながります。検出する物を何にするかによっては、健康に関する方向にも展開できる」

「健康家電か……」


暫くそうやって院生たちと研究内容を見て回り、真希たちは研究室を後にした。


「いかがでした?」

「僕は文系なんで全くの素人ですが、とても面白かったです。ご案内ありがとうございました。少しかみ砕いた解説もわかり易かったです」

「そう言っていただけると嬉しいです。私の勤める研究所にも、外部の方をお招きして研究内容を紹介するようなことが時々あるんです。そういった時、私の上司がよく“一般の人に向かって難解な専門用語を使ってどうする。誤魔化すな。誰にでも理解できる平易な言葉で語れ”と言っていて」

「“誤魔化すな”、ですか?」

「専門用語を使うとそれっぽく聞こえるというか。それに、理解していないのに理解したような気にさせてしまうこともあるんです。それで良しとせず、相手に理解してもらおうとする努力を怠るな、ということですね」

「だから、“例えば”なんですね」


真希は柳瀬に、例えを使って現象や仕組みを解説していた。


「そうです、そうです」


ふふ、と笑う真希の顔を柳瀬が覗き込む。


「ところで、広田さんはこちらの研究室出身なんですか?」

「まさか!」


真希は顔の前で手を振った。


「専攻こそ同じですが、大学も研究室も別の所ですし、研究テーマも父とは別のものを選びました。でも、同じ分野の研究なので、彼らのやっていることの意義も仕組みも、ある程度理解しているというだけです」

「そうでしたか。随分馴染んでいるので、もしかしたらそうなのかな、と」

「父に夕飯の差し入れを持ってきたり、用を言い付かったりして出入りしているうちに、何となく身内扱いしてくれるようになって」


建物の出入り口が見えてきた。

見送りはここまででいいだろう。

真希のミッションも無事終了だ。

ちょっと遅くなってしまったが、父と夕飯はどこに出掛けよう。

そんなふうに半ば気が逸れていたので――


「僕も“真希さん”と呼んでいいですか?」

「――っは?」


足を止め、思い切りビビットに反応してしまった。

ここは笑って誤魔化して、軽くスルーするところだったのに。


「研究室の人たちは、皆そう呼んでいましたよね」

「ええと、それは父と区別するためというか……」

「僕も、広田先生と区別して呼びたいです」


いやでも、もうあなたと会う機会はないと思うんですけど。

真希は目を瞬かせ、柳瀬の顔を見上げる。

そこには、断られることなど考えてもいないような、邪気のない笑顔があった。


「あの、では、次にお目にかかる機会がありましたら……」

「よかった。じゃあ、僕のことも名前で――」

「無理です」

「……」


一瞬の沈黙の後、柳瀬は愉快そうにアハハと声を上げて笑った。

それから、はあ、と大きくため息を吐き髪を掻き上げる。


「あー参った」


それは私のセリフですとも。


「僕は、自分がこんなに鼻持ちならないヤツだとは思っていませんでした」


意味をとりかねて怪訝な表情を浮かべる真希に、柳瀬はニヤッと笑いかけた。


「真希さん、僕がどんな立場の人間か気付いていましたよね」

「え゛」

「そういう場合、通常もう少し積極的かつ好意的に振る舞っていただけるものなんですが、気付いているのに気付いていないフリを押し通されて、あまつさえ距離を置こうとされると、ちょっと面白くないというか」


の割に面白がるような表情で、柳瀬はぐいと身を乗り出してくる。


「社長の息子ですが三男坊なので、立場的には気楽なものです。自分で言うのもなんですが、お勧め物件ですよ?」

「お勧めって……」

「先端技術研究所の広田真希さん」


真希は目を丸くして思わず仰け反った。


「――ご存知だったんですか?」


まあね、というように片眉を跳ね上げた柳瀬は、徐に身体を起こし、今度は爽やな笑みを浮かべる。


「今日はありがとうございました」

「――い、いいえ、お役に立てたのでしたら、嬉しいです」

「ではまた」


また(・・)、だなんて。

そんな機会、どこにあるんだか。

何やら思わせぶりなセリフを口にしながらも、あっさり去って行くその後ろ姿に向かって、真希はひょいと肩を竦めた。




「それで、どうだった?」


教授室に戻ると、待ちかねたようにに父が尋ねてきた。


「そうね、何だか楽しそうにひと通り見学していかれたけど」

「……そういうんじゃなくて、だね」

「そういうんじゃなくて?」


どういうんだっていうのよ。

真希は、はて、と首を傾ける。

沢村がケラケラと笑い出し、父が若干渋い顔をした。


「ほら先生、真希さんはこういう方なんですって」

「え? 何の話?」


真希は二人の顔をキョロキョロ見比べる。

何ともいえない顔をしている父に代わって、沢村が取り成すように言った。


「さあさあ、今日はお二人でお出かけなんでしょう? 鍵は私が締めますから、どうぞお先にお帰りくださいな」


教授室から追い立てられるように出てくると、父は「どっちが主かわからない」と笑う。

沢村は四十代半ば、大学の職員であるが、父の秘書としてもう十年以上勤めているのだ。

真希のことも十代の頃から知っていて、遠慮がない仲である。

父と二人で夜の構内を並んで歩きながら、真希は「それで」と切り出した。


「何が“どうだった”なのかしら?」


え? と父は少しバツが悪そうに視線を泳がせる。


「この間、ちょっと考えてしまったんだよね。真希はそんな予定はないって言っていたけれど、ある日突然、僕の全く知らない男に掻っ攫われていくこともあるんだろうなって」

「論文書いたり実験したり、仕事が忙しくて掻っ攫われている暇なんてないってば」

「真希の目を信用しないわけじゃないが、全く知らない男だと何となく不安だろう?」

「お父さん、聞いてる?」

「聞いてるよ。で、そんなことを、話のついでに柳瀬さんにちらっと零したんだよ」

「ちょっとやめてよ……」

「そうしたら、一番上の息子はもう決まった女性がいるけど、ウチの次男か三男はどうだろうって言われてね」

「はあぁあっ!?」

「次男は先端研究所勤務だっていうから、同じ職場だと何かと面倒だろう? それで、三男の彼が社長の名代という名目でここに寄越されたんだよ。取り敢えず会わせてみたらどうだろうって」


真希は、呆気に取られて声も出なかった。

我が父は、一体何を考えているのだろう。

そして、柳瀬明人は何をどう聞いてここにやって来たのだろう。

“ではまた”と微笑んだその表情(かお)を不意に思い出して、真希は頭を抱えた。



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