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Episode1-1 最悪の出会い

 標高高い絶壁の岩山の、人一人がなんとか通ることのできる細い山道。

 一歩足を踏み外すと崖下真っ逆様待ったなしのそこを、一人の青年が自分の体躯よりも大きな荷物を背負って黙々と登っていた。

 頑丈そうな布地で編まれた黒套を纏い、やたらと多く巻かれたベルトには長剣やら巾着袋やらが繋がれている。背負っている荷物は円筒形をしており、麻布を被せられているため中身は本人にしか知りようがない。

 闇のように深い黒い髪に、同じく黒い瞳。大荷物を背負って険しい山道を登っているにも関わらず、対称的な白い肌には汗の玉一つたりとも掻いていなかった。

「ようやく半分ってとこだな。そろそろ岩蜥蜴ロックリザードの生息地帯だが……ま、邪魔されても夕方までには終わるか」

 青年――ジーク・ドラグランジュはまだ遥か頭上の山頂を一瞥すると、変わらない足取りで山道を登り続ける。

 すると――

「いやあああああああああああああぁあっ!?」

 閑かだった山中に、突如として女の子の悲鳴が響く。

「なんだ? 人がいるのか?」

 ジークは眉を顰めた。この岩山に人は住んでいない。街から街への通り道でも近道でもなく、凶暴な魔獣まで住みついている。人が来ることなんて稀中の稀。ジークのような『山の主』に用がある物好きでもなければ、まず絶対に立ち寄ることのない場所だ。

「や、やめなさい!? それだけはダメ!? 絶対ダメ!? ねえ、お願いだから――ああっ」

 だが、悲鳴は確かに聞こえる。近い。

 ふと、上を向く。

 ひらり。ひらり。

 なにやら白い物体が舞い落ち、視界を遮るように覆い被さった。ジークがそれを掴み取ってみると、可愛らしいリボンがあしらわれた純白の三角形の布だった。

 ――女性物の下着?

「嘘、なんでこんなところに人が……? でも助かったわ。そこのあんた――ってそれわたしのパンツ!?」

「ああ?」

 もう一度ジークが上を見上げると――いた。断崖絶壁の山肌。そこに一本だけ生えた枯れ木に女の子がしがみついている。

 美少女だった。それもジークが今まで出会った中でもかなり可愛い。

 炎を櫛で梳いて形を整えたような深紅の髪に、小振りな輪郭に収まる涙で潤んだ大きな紅玉の瞳。健康的で輝くような白い肌に、形のいい桜色の唇。小柄な体は妖精と言われたら信じてしまいそうで、出会いがもっと普通ならばもう少し見惚れていたかもしれない。

 枯れ木にしがみつき、野鳥に馬鹿にされるようにつつかれている様は、美少女ではあるのだが非常に残念に見えた。

 野鳥に漁られたのだろう。着ている服も可哀想なくらい乱れていた。明るいベージュ色に黒いライン、胸元と腰にチェック柄のリボンをつけた独特な衣装。ボタンが取れたせいか胸元が開き、ところどころが破れたりほつれたり、さらにはスカートまで僅かにずらされている。

 ――アレは……ラザリュス魔道学園の制服か? おいおい、ここから歩いて三日はかかる場所だぞ。

 ジークが彼女の服装から何者なのかを分析していると――

「そ、そそそそこのヘンタイッ!? なんでもいいから早くそれを返して!? あとわたしも助けなさい!?」

 端整な顔を自分の髪と同じように真っ赤させた少女が涙目で怒鳴ってきた。どうやらジークの握っている三角の布はあの少女がさっきまで佩いていた下着らしい。恐らく野鳥に奪われたのだろう。

「おいこら、拾ってやったのにヘンタイはないだろ?」

「うるさいヘンタイ!? いいから返しなさいよ!?」

「それとも俺をヘンタイにしたいだけか? 匂いを嗅いで頭に被れば満足か?」

「へ、ヘヘヘヘヘンタイだわ!? 本物のヘンタイだわ!? ヘンタイヘンタイ色情魔!?」

「悪いな、生憎と子供に興奮したり罵られて興奮したりする性癖じゃないんだ。助けてもらう気がないならそれでいい。こいつはその辺に置いとくから、自力で下りて穿き直せ、お嬢ちゃん」

 少女の態度に誠実さが微塵も感じられなかったので、ジークは見捨てて先に進むことにした。あれだけ元気なら自分でどうにかしてもらおう。帰りにまだしがみついているようなら、その時にまた考えることにする。

「わー!? わー!? ちょっと待ちなさい!? いえ待ってください!? お願いします助けてください!?」

 手を振ってさよならをするジークに、ようやく立場を理解したらしい少女は全力で懇願してきた。

 と――バキリ。

「え?」

 少女が暴れたせいだろう、脆くなっていた枯れ木は根本から嫌な音を立てて折れてしまった。

 あとは自然の摂理。少女の体がその場に浮遊するようなことはなく、もちろん重力に従って真っ逆様に落下する。

「いやぁああああああああああああああああああああああああああああっ!?」

 この世の終わりのように大絶叫する少女はしかし、地面に叩きつけられることはなかった。

「世話が焼けるお嬢ちゃんだ」

 間一髪のところでジークが彼女の体をキャッチしたのだ。お姫様抱っこをされる形になった少女は、閉じていた瞼をゆっくりと開いて状況を理解する。

「わっ! わっ! は、放しなさいこのヘンタイ!?」

 顔を真っ赤にし、ポコポコとジークの胸を叩きながら足をバタつかせる少女。ジークは鬱陶しそうに顔を顰め、

「暴れるな。下ろすから大人しくしてろ。放り捨てるぞ」

 溜息混じりに告げた。この山道から崖下に放り投げられては今度こそ助からない。それを悟って青ざめた少女はようやく静かになった。

 少女を地面に下ろすと、命を救われた安堵で足の力が抜けたのか、ペタンとその場にへたり込んでしまった。

「あ、ありがと……誰だか知らないけど、助かったわ」

 言い難そうに目を逸らして少女は礼を口にする。ジークはそんな彼女に手を差し伸べ――

「ほら。さっさと穿け」

「~~~~~~~ッ!?」

 可愛らしい下着を手渡した。少女はまたも赤面するが、叫びそうになるのをぐっと堪えてジークが後ろを向いている間にそれを穿き直す。ここでまたヘンタイがどうとか騒がない辺り、どうやら完全に冷静さを取り戻したらしい。

「んで、なんでまたあんなところに引っかかってたんだ? というか、この山はお嬢ちゃんみたいな子供が来るところじゃないぞ?」

「お嬢ちゃんじゃないわ。わたしはアリスフィーナ・フランヴェリエ。あと、これでも十六だから」

「は? 一個下かよ。いやまあ、その学園の制服を着てるってことはそのぐらいの年齢だろうが……それにしちゃ発育悪いぞ。ちゃんとしたもん食ってんのか?」

「う、うるさいうるさいうるさい!? マナイタで悪かったわね!?」

 別に胸のことをピンポイントで言ったわけではないのだが、アリスフィーナは自分自身を抱き締めるようにして身じろぎした。

「フランヴェリエ……ああ、そうか」

「なによ?」

 ジークがファミリーネームに心当たりがあることを思い出すと、アリスフィーナがジト目で睨んできた。


「始祖竜の加護を失った没落貴族だから、貧乏で可哀想だとでも言いたいの?」


 フランヴェリエ公爵家。

 この国――ランベール王国の六大貴族に数えられた名家は、十年前、何者かの襲撃を受けて崩壊した。正確には崩壊したのは本家ではなかったが、その襲撃によりフランヴェリエ公爵家は六大貴族たる証を失った。貴族の称号こそ剥奪されることはなかったが、下級貴族以下の扱いになったことは想像に難くない。

 古よりランベール王国の貴族とは、ドラゴンの加護があってこそなのだ。

「いや、この国もけっこう薄情だよなぁって思っただけだ」

 王国に伝わる古き伝承によると、かつて暗黒大陸と呼ばれる異形の者たち――魔族が暮らす大陸があった。魔族は凶暴で残忍で支配欲が強く、各国を征服せんと侵略活動を開始した。

 その侵攻を食い止めたのが、人類に加担した七柱の女神だった。

 美しい女神たちは強大なドラゴンへと姿を変え、配下の高位ドラゴンたちと力を与えた人々と共に押し寄せる魔族を蹴散らし、暗黒大陸を海中深くに沈めたとされる。その女神だったドラゴンたちは始祖竜と呼ばれ、今でもランベール王国の象徴として崇められている。

 特に力を与えられた七人のうち一人は王に、六人は王族を支える大貴族としてランベールの礎を築いた。故に高位のドラゴンに認められ、加護を得ることはこの国にとって大変な名誉となる。

「だからこの山に来たってわけか」

「そうよ。この山にドラゴンが住んでるって噂で聞いたの。だからそのドラゴンに挑んで、力を認められて、わたしはわたしの力でフランヴェリエを復興させるのよ。……いつ、クリム姉様が戻ってきてもいいように」

 最後の方に紡がれた言葉は消え入りそうなほど小さかった。

 ドラゴンの加護を失ったのならば、もう一度取り戻せばいい。なるほど、理に適ったやり方ではあるが――

「やめとけ、危険すぎる」

 ドラゴンの試練を受け、無事に加護を得て生還した者は、ランベールの歴史の中でも百年前に一人だけだ。

「あんたにどうこう言われる筋合いはないわ」

「あるな。俺はお前を助けたんだ。助けた命をすぐ捨てられちゃ寝覚めがわる――ッ!?」

 言いかけた時、ジークは不穏な気配を察知した。

 バッ! と天を仰ぐ。

 断崖絶壁の一部が不自然に盛り上がっているのを発見する。それは岩肌に擬態した巨大なトカゲだった。

「あ、あいつ!? わたしを突き落とした魔獣!?」

 アリスフィーナがトカゲを指差して叫んだ。彼女が枯れ木にしがみついていた理由はあの魔獣にやられたせいらしい。

「おいおい、ロックリザードに負けてる奴がドラゴンに挑むのかよ。笑うぞ?」

「うるさい!?」

 魔獣――ロックリザードはジークたちに気づかれたことを悟ったのか、一気に崖を這って襲いかかってきた。

 ジークは背負っていた大荷物を地面に置く。

「アリス、ちょっと荷物見てろ」

「気安く呼ばないで! ――って、あんた、どうするつもり?」

「蹴散らすんだよ。雑魚相手に逃げる意味はない」

 そう言ってジークは腰に佩いていた剣を鞘から抜いた。それは美しく反り曲がった漆黒の刃を持つ、連結部から静かな駆動音が漏れ聞こえる機械仕掛けの片刃剣だった。

「ま、魔巧剣……?」

 アリスフィーナが息を呑む。

「マジでその荷物ちゃんと見とけよ。もしちょっとでも零れたりすると殺され兼ねないからな」

「え? ころ……え?」

 困惑するアリスフィーナを背後に、魔巧剣を構えたジークは迫るロックリザードに向かって跳躍する。

 ロックリザードが長い舌を伸ばして絡め取ろうとするが、ジークは紙一重でかわして刃を一薙ぎ。伸びてきた舌を容赦なく切断する。

 悲鳴を上げ、苦しそうにもがくロックリザードとの間合いが詰まる。

 魔巧剣の鍔辺りから一瞬だけ蒸気が噴出し、その刃に黒い輝きを纏った。

「ウォーミングアップにもならなかったな」

 斬ッ!

 剣はロックリザードの硬い表皮を物ともせず両断した。真っ二つになったロックリザードは崖から落ちて下の森の中へと消えていく。

「嘘……でしょ? 魔獣を、あんなにあっさり倒すなんて……」

 アリスフィーナはポカンと口を開けていた。ジークは剣についた汚れを払って鞘に収め、アリスフィーナと荷物の下へと戻ってくる。

 そこでアリスフィーナは正気づいた。

「あ、あんた! その剣といい、一体何者なの!?」

「ん? あー、そういやこっちは名乗ってなかったな」

 ジークは荷物を背負い直しながら――


「俺はジーク・ドラグランジュ。ただのしがない魔巧技師だ」


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