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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

ワズ・キラー。イズ・キラー?

作者: udakuda


He Was a Killer. Is He a Killer?

――彼は殺人鬼でした。ならば、今も殺人鬼なのでしょうか?


彼は五歳の頃、その小さな手を血に染めました。

彼は十歳の頃、村を皆殺しにして旅に出ました。

しかし、彼は自分が恐ろしくてたまりません。

自分は獣じゃない、そう言い聞かせていました。


自分はどちらなのか。果たしてどちら側にいるのか。

自分がわからずに、誰がわかるというのでしょう。



ワズ・キラー。イズ・キラー?



 アキラエという男がいました。小さな村に生を受け、凡庸な父母に育てられたその男は、なかなかどうして凡庸ではない特殊な男に育ちました。

 アキラエはまず、五歳になって間もない頃に幼なじみの男を殺しました。遊びに行こうと言って近所の裏山に連れ出し、幼なじみが崖の近くで遊んでいたところを突き落としました。【墜落殺】

 それから、男は十歳になるまでに合計四人の男女を殺してきました。【絞殺】【毒殺】【扼殺】【誘殺】

 男が十歳になってから、数日たった夜、アキラエは小さな一家を皆殺しにしようと計画していました。その当日男はその家に忍び込み、女子供を殺すことに成功しましたが、ただ一人、家主をうっかり逃してしまいました。【襲殺】【刺殺】【斬殺】【牲殺】

 家主は村長のところへ行き、アキラエが自分の家族を殺してしまったと伝えました。村長は村中の男を全員起こし、アキラエを捕まえに行きました。数の暴力にはかなわず、アキラエは捕まってしまいます。アキラエは村の広場の真ん中に縄で縛られ転がされていました。

 小一時間話し合った結果、アキラエは明日の朝、皆が起きてきた時刻に火あぶりにして殺してしまおうという結論に達しました。明日の準備に備えて早く寝ようと、村の男衆は見張りを三人残して寝床に入ってしまいました。

 ホー、ホーと裏山でふくろうのなく声が聞こえます。月は鮮やかな満月が、西の方の空で雲に隠れかけていました。かがり火が風に煽られてチラチラと揺れていました。

 突発的に風が強く吹きました。雲が満月を覆い、少しだけあたりが暗くなりました。機会を狙っていたアキラエは、隠し持っていたナイフで縄を切って立ち上がりました。アキラエは見張りをしていた男たちに刃を向けます。【暗殺】【擲殺】【抉殺】

 そして、男は寝静まっている家の中に侵入して、次々と住人を殺していきました。【縊殺】【活殺】【串殺】【賊殺】【他殺】【斬殺】【尊属殺】【殴殺】【虐殺】【捕殺】【闘殺】【封殺】【劫殺】【撃殺】【畜殺】【屠殺】【椎殺】【即殺】【惨殺】【鏖殺】


 赤く染まった満月が沈み、紫に朝焼けした太陽が東の空から登ってきました。男は最後の一軒の住人を殺し終わったところでした。村のあちこちに血の池ができていました。村の中に立っている生物はアキラエしかいません。村で飼われていた牛や羊、馬さえも赤黒い地面に横たわっていました。

 アキラエは朝日を背に浴びながら、大きな声で村中に響くように高笑いしました。【笑殺】

 いつまで笑っていたのでしょうか、太陽はかなり上のほうまで登っていました。男の声は枯れています。しかし、今も笑い続けていました。

 太陽がかなり上のほうにまで登ってきました。男は生まれ育った村を後にしました。背中に村中の貯蓄と、数日分の保存食と、替えの衣服数枚に追加して地図などの便利な道具を背負って。もう、村には戻らないつもりでした。二度と村には戻るまいと思っていました。

 アキラエはたったの百四十センチしかない、やせぎすの十歳の少年でした。




 死者の町ネルモラと港町ベイスを結ぶ街道に、アキラエは二日かけてたどり着きました。先ほど出たばかりだったはずの太陽は、すでに頂上に手を掛けかけています。

 アキラエは一人で行動していましたので野宿をするには大変危険でしたが、それでも覚悟を決めて眠っていました。すでに食料はそれほど残っていませんでしたが、地図でここから五キロばかりいったところで宿場があるとわかっていたのでなにも心配していませんでした。普通に歩けば一時間、アキラエの疲弊した足でも二時間あればたどり着ける距離でした。

 昼食を抜いてようやく辿り着いた宿場は、アキラエが住んでいたあの村よりも規模が大きく、賑わっていました。宿屋や食堂、酒場も幾つもある大きな村です。この村はここのあたりの要となる役割を果たしていて、アキラエはこの村から乗合馬車に乗り港町ベイスに行き、また人を殺そうと目論んでいました。

 それをするにしてもまずは、腹ごしらえが必要だと村の手前の方にある食堂に入りました。奥の方にいる店員に日替わり定食を頼み、空いている席に座りました。お昼の時間帯もやや過ぎたあたりで店内は閑散としていて、広めの店内には三人ほどしかいませんでした。

 アキラエは店員が日替わりランチを持ってきた店員に乗合馬車の次の便はいつになるのかと尋ねました。すると店員は明日の午前八時に出ると答えました。出発の十分前には馬車の近くにいなければならない、料金は小粒銀一個分、乗り場は村の入口にある掘っ立て小屋であると店員はアキラエに丁寧に教えました。アキラエはお礼を言って、日替わり定食の料金にほんの少しだけ色をつけて渡しました。

 アキラエは考えます。港町ベイスについてからどうするか。スラム街の住人を惨殺するのもいいでしょう。貴族を罠にはめて殺すのもいいでしょう。港町というからには、船に乗って他の国に行くのもなかなか悪くありません。

 考えているうちに、日替わり定食はスープが残り半分とサラダがほんのすこしだけになっていました。ここの日替わり定食はなかなか美味しかったと、アキラエは思いました。ごちそうさまと奥に引っ込んでいる店員に言い、食堂を後にしました。

 それから、アキラエは宿に泊まりました。村にある宿の三つの中で、一番グレードの低い宿です。明日からの予定を頭のなかで組み立てながら、アキラエは眠りにつきました。




 朝になって、アキラエは目を覚ましました。太陽は草原の向こうから昇ってこようとしている途中でした。およそ今は、だいたい六時ぐらいなのでしょう。爽やかな朝の光がアキラエを包みます。アキラエは、ベッドの上に座りながら、今まで住んでいた村との相違点を考えていました。

人の量が違う、家の数が違う、近くに森がなく草原と街道がある、ベッドの中にわらではなく綿が入っている、夜中に聞こえてくる音は獣の遠吠えではなくて馬車の音……。

今更ながらにアキラエに村を出てきたという事実を突きつけます。同時に、村人を皆殺しにしたということも。

 アキラエは後悔していました。たった数日前に聞いた、恨みのこもった声が頭の中で再生されました。絶命の直前の絶望に満ちた顔も脳裏をよぎりました。

皆殺しにしなくても良かったのではないか、殺すにしてもあれほど惨たらしく殺す必要はなかったのではないのかと、やめておけばよかったと、思考がめぐります。自分がこの世界中で一番の悪人だと考え、こんな自分なんか死ねばいいのにと考え、それでも人を殺したいと心の底で思う自分に心底腹が立ちました。この堂々巡りの思考は朝食を摂る間も、馬車に乗り込む間も、他の人としゃべっている間も、ずっと、続きました。

 夕方になり、アキラエが乗っていた乗り合い馬車もようやく港町ベイスにたどり着きました。降ろされた場所は、市場のあるメインストリートから一本裏の道幅の大きな通りで、歩いている人は多くはありませんでした。時折、馬車が通り掛かるのが見えたので、この通りは馬車に轢かれるおそれのある危険な通りであると認識されていたのでしょう。

 アキラエは見たこともない光景に驚いていました。少しばかりくすんだ白色の家に色とりどりの旗が並んでいる様子には、自分の生まれた村とはかけ離れていて、とても驚きました。そしてこんなに多くの人間と家を見たのは初めてでした。ここにいる人達を殺したい、と思いましたが、それはいけないことだと必死に我慢しました。ぐぅ、と腹の虫が鳴き出したので、アキラエは近くにあった宿屋に泊まりました。

 次の日、アキラエは外がうるさくて目が覚めました。外には多くの馬車や荷車がひしめいていました。それは朝市のために近隣の村から野菜と今朝獲れたての新鮮な魚を運び入れるためでした。

 アキラエは我慢できません。これだけ目の前に無防備な獲物が転がっているのですから。

 しかし、アキラエは耐えます。また、人間を殺してしまったら、自分がどうなるか、また獣のようになってしまうような気がして恐ろしかったからです。

 アキラエは宿を出て、気分転換のために街に出ました。宿の中にいると、同じ考えがめぐって気が変になってしまいそうでした。アキラエは人の多いメインストリートから離れるように細い路地に入って行きました。

 細い路地には生活感が漂っていました。洗濯物はロープにつりさげられるように干してありましたし、そのロープはアキラエの頭上を何層にも重なるように通してありました。窓が解放されている家が多く、目隠しのために色とりどりの薄い布で窓を覆ってある家もたくさんありました。アキラエはここで人を殺すのは少し無謀であると考えました。悲鳴や血の匂いですぐにきづかれてしまいそうだからここで殺すことはできない……、そんなことを考えてしまう自分に腹が立ちました。

 アキラエは空腹を感じ、食べ物屋を探していました。路地裏は近くの家から匂う昼食の匂いが充満していて、アキラエにとても空腹を感じさせました。路地裏を通る人は少なく、近くの家から出てきたおばさんと二回すれ違っただけで、ほかに誰ともすれちがっていません。ここはどこなのでしょうか?

 頼れる人がいない場所で、このまま消えてしまうのかと思うと、アキラエの心は強くきしみます。

 アキラエはまず、海の方に行くことにしました。昨日泊まった宿の近くの市場通りは港町ベイスの中で最も活気のある通りだと聞いていたので、海の方に行けば人の集まりでわかるだろうと思ったからです。海の方はなんとなくですがわかりました太陽のほうに行けば良いのです。

 アキラエはテクテクと路地を歩きました。太陽の方向からそれたと思ったら、少し曲がって南の方に行くように方向転換しました。周りに歩いている人はいません。腹の虫がこれ以上ないほど喚き散らし、お腹が空いたとしか考えられなくなってきました。

 それからいくばくか歩いた後、路地を一つ曲がったとき潮の香りを感じました。きっと、海の近くに辿り着いたのです!

 アキラエは疲れ果てている足に鞭を打って、路地の向こうに急ぎます。路地の向こうはとても開けていて、薄暗い路地の中にいるアキラエには向こう側が見えません。路地の向こうは――……

 海でした。アキラエの目に鮮やかな海と空の青が差し込んできます。アキラエにとって、こんなに青い景色は見たことがありませんでした。おとぎ話のようだ……。アキラエは息をのみました。一緒に唾も。

 アキラエは魚の香ばしい匂いを感じました。魚と魚醤が焼ける匂いです。近くで誰かが魚を焼いている、そしてもしかしたらわけてくれるかもしれない、そう思ったアキラエは魚の匂いの元を探しました。

 魚を焼いている場所は案外アキラエのいた場所に近く、すぐに見つけることが出来ました。魚を焼いていたのは四人の漁師のグループで、漁の終わったあとに市場に卸せない魚を焼いて食べている途中でした。アキラエが今自分の置かれている状況を説明すると、漁師たちは気前よく焼いた魚を分けてあげ、アキラエが昨日泊まった宿の場所もアキラエに教えました。アキラエがお金を払おうとすると、こんな小僧から金はとれないと頑なに拒み、結局アキラエはお金を払いませんでした。

 宿に戻るために漁師たちに教えてもらった道を通る間、アキラエはさっきの漁師たちがとても親切だったことに感動していました。そして、大きくなったらあんな大人になりたいと心のなかで決心しました。人を殺すような悪い大人にはなりたくないし、もう二度と人を殺さないと心の中で決心しました。

 太陽がだんだん西の方に移動してきました。まだ明るさは昼とほとんど変わりませんが、後一時間もすれば橙色の光が混じってくるでしょう。そして、夕飯のおかずを買いにでてくる人も増えるはずです。メインストリートにようやく入ったアキラエは、少し安心しながら歩いていました。少なくともこの道を真っすぐ行けば昨日泊まった宿屋に辿り着けると思っていたからです。小腹がすいたので、屋台に売っていたイカ焼きを食べながら人の増えてきた通りを歩いていきました。

 夕方になりました。まだ宿が見つからないなと思い、通りすがりの人に聞いたところ、うっかり通りすぎてしまったことがわかりました。しかも、結構な距離をです。アキラエは疲れていたので道路の端に座り込みました。後ちょっと、ちょっとたったら歩き出そうとしていたのですが、なかなか立ち上がる気力が起きません。そうこうしているうちに、夕暮れになってしまいました。オレンジ色の光が濃く、若干闇も混ざってきています。宿の夕飯は出る時間が決まっていて、日が沈んでから一時間までしか食べることが出来ません。夕飯を食べ損ねることはあってはならないと、アキラエは急いで宿に向かいました。

 メインストリートは朝からあった八百屋や魚屋のテントは片付けている途中でした。しかし、今の時間帯から新たに美味しそうな匂いを暴力的に撒き散らす屋台と、椅子を幾つか並べてあって落ち着いた雰囲気の居酒屋、何となく怪しげなものを売るような出店まで出てきて、昼とは雰囲気が変わってきていました。そして、その通りにいるのは大人が圧倒的に多く、まだ小さな少年であるアキラエは浮いた存在でした。

 後もう少しで宿につく、そう思ったとき、アキラエは道端に『占い』という文字を見つけました。占いを掲げたその屋台は他の店の屋台の半分ほどで、雨を凌ぐ屋根がなくただ『占い』と書かれた濃い赤紫色の布のかかった机と、その前にボロボロの椅子が二脚置かれていました。その占い屋の店主の顔はフードをかぶっていて半分ほど見えませんでしたが、露出している部分がしわくちゃなので老婆だろうと推測がつきました。その人物は冬でもないのに分厚い真っ黒のローブを着ていて、アキラエは一瞬誰も居ないかと錯覚しました。

「こいつは殺人鬼だ!」

 アキラエは一瞬、なんのことかわかりませんでした。

「皆の者、逃げろ! こいつは殺人鬼だ! 幼い顔に騙されてはならぬ! こいつは殺人鬼だ!」

 老婆が唾を飛ばす勢いで叫びます。フードの奥に見えた目は真っ赤に血走っていました。アキラエは周りの目が自分に集まっていることに気づいて初めて、この老婆がアキラエのことを殺人鬼だと行っていることに気づきました。老婆は叫び続けます。「アキラエが殺人鬼だ」と。

 周囲の目が険しい物になったことに気づきました。半数は老婆の戯言だと気にもとめていない様子でしたが、それでも残りはアキラエを避ける、もしくは捕まえようとしていました。アキラエは怯えました。

 アキラエはこの場から逃れようと、宿の方へ走りました。その場にいた人はアキラエを不審な目で見ていましたが、しかし幸いなことにアキラエを追ってくる人は誰もいませんでした。

 アキラエはなんとか宿につきました。しかし、アキラエは気が動転しています。預けていた荷物を全部引き取り、宿から出ました。頭の中には『殺人鬼』という言葉の剣が心をザクザクと傷つけます。この町にいる住人全員がアキラエのことを殺人鬼だと知っていると錯覚し、この街から早く出ようと必死にアキラエは足を動かしました。しかし日中酷使した足は上手く動かず、疲れもあって、アキラエは子供しか入ることが出来なさそうな、誰もこんなところまでこなさそうな路地の一角に座り込んで眠ることにしました。

 次の朝、流れている水の感触に気づいて目を覚ましました。雨……ではありません。アキラエの目から流れていました。涙です。なぜ、泣いているのだろうと考えました。しかし、アキラエはわかりません。なぜ寝ている時に泣いていていたのか、なぜ今も泣きたいのかわかりません。よくわからないのに、涙がポロポロと流れて落ちていきます。なぜだかわかりません。でも泣きたいんです、本当に。

 ひとしきり泣いて、アキラエはまず何をすべきか考えました。考えることは後にして、まずは迫害されないためにまずは何をすればよいか考えました。まず、この港町ベイスにはいてはいけません。今日中に出ていかないと、後々大変なことになるでしょう。まずはそれだけ、それだけを考えていれば大丈夫だとアキラエは思いました。アキラエは地図を広げ、次はどこに出かけようかと考えました。一番初めに目についたのが王都レーグでした。王都レーグはこの首都なだけあって、広くて追手がかかりにくいでしょうし、乗合馬車も多くの数が出ているはずだと思ったからです。アキラエは王都レーグを目指すことにしました。

 乗合馬車のりばに行くと、偶然にも、二十分後に発車する王都レーグ行きの馬車があったので、アキラエはそれに乗ることにしました。程なくして馬車は出発しました。十三人、それだけの人が同じ馬車に乗っていました。アキラエは昨日の騒ぎを見た人が必ずいて、誰かが自分を捕まえてしまうのではないかと思っていましたが、誰もアキラエに話しかける人はいませんでした。アキラエはほっとしました。港町ベイスから抜け出すことが出来たことと、殺人鬼だと知っている人がいなくなることに心底安心しました。

 荷物の整理も終わり、することが無くなったアキラエは、考えにふけることを始めました。普段の生活ではめまぐるしすぎて出来ない、じっくりと深く考えることを。

 まず、アキラエはなぜ五歳のときに人を殺したのか考えました。答えは単純、人を殺したらどうなるか知りたかったからです。突き落としたあいつは崖の下まで悲鳴をあげながら落ちて行ったっきり動かなか来ませんでした。相手を死に至らしめたこの征服感といったら! こんな恍惚感に浸ったときはありませんでした。その恍惚感に浸りたいがために、十歳になるまで毎年一人ずつ殺したのです。自らの手で人が苦しむ姿を見るととても楽しく感じました。

 もちろん、そんなのはおかしいのはわかっています。あの時は何かに憑かれていたかのように人を殺したかったのです。きっと、まだ、善悪の区別が、できていなかったのでしょう。たったの数日前に起こった出来事もありましたが、アキラエは今、自分が全く殺人衝動を持っていないような気持ちでいました。

 そして、十歳になったとき、アキラエは前よりお兄さんになったと慢心し、できるだろうと思い込んで一気に四人も殺そうとしました。それが村の住人を皆殺しにしてしまった原因の一つでした。

 アキラエは結局自らが生き残るために村の住民をすべて殺しました。すべてを殺す必要はなかったのではないかと、アキラエは思いました。皆殺しにするのは最終手段で、ただ単に無力化して逃げることも可能でした。しかし、アキラエはしませんでした。理由は……アキラエが思いつく限り一つでした。

 ――村全員を皆殺しにしたらどうなるのかな。両親も兄弟も隣人もお向かいさんも村長も、子供も大人も男も女も。すべて殺したらどうなるのだろうか?

 そんな疑問を解決してみた、そんな自分の発想が恐ろしい、おぞましいと感じました。こんな思考が自分の中で渦巻いていることに嫌悪感を感じました。いやだ。いやだ。自分が本当に嫌いになります。自分の汚さが嫌になります。あの漁師のおじさんはあんなにやさしかったのに。人間はどれだけでもやさしくできるのに。

 発狂したくなります。わーっと叫んでなかったことにしたくなります。でもしません。してはいけません。同じ馬車の同乗者がアキラエをどう思うか、もしかしたらアキラエが殺人鬼だと知っていながらも黙っていてくれた人がやはりこいつは殺人鬼で憲兵にひきわたそうだとか、こいつはおかしいから殺人鬼だとか、思われるかもしれません。そんなのは嫌です。アキラエは思いました。漁師のおじさんのような生き方をすると決めたのだから。だから、殺人鬼であってはいけないのです。

 答えの出ない問いを繰り返していたら、もう夜になっていました。港町ベイスから王都レーグまで馬車で大体二日かかります。宿泊のための村に停車してから大分時間がたっていました。アキラエは真っ暗になった馬車の中を出て、適当な宿に入り、眠ることにしました。昼食、夕食を食べていないのに、おなかは全然減っていませんでした。

 次の日の朝、宿で出た朝食を食べながらアキラエは、昨日とは違い、これからの身の振り方について考えていました。今日の夕方、王都レーグについた後は、誰もアキラエが殺人鬼とは知らないはずです。きっと、そのはずです。だから王都レーグでは普通に生活することが出来ます。ここに根をおろして、小さな店を営むのもいいでしょう。小さなカフェに雇われるのもいいかもしれません。この曖昧な将来の目標を考えるのが楽しくて、アキラエは暗い殺人のことなんか考えることなく、馬車に揺られていきました。




 昼もやや過ぎたところでアキラエを乗せた馬車は王都レーグの中に入りました。王都レーグに入る前は堂々とそびえ立つ城壁の荘厳さに驚いていましたが、入った後は四つの塔の美しさと王城の大きさに感動していました。港町ベイスなど、霞むような美しさです。昼のまばゆい光を浴びて、石造りの建物が輝いている様子は、村にいたあの頃では想像することが出来ませんでした。馬車がガラガラと石造りの通りを走っていると、なんだか自分が天国に似たどこかに来たような気分になりました。

 ゆっくりと流れ行く景色を見ていると、食料品、服、雑貨、武器など様々なお店が連なっていました。もちろん、美味しそうな匂いを出している食堂もたくさんありました。風格からすると、レストランといったほうが良いのかもしれません。それもたくさんありました。テラスで食事をしている人の皿の上を見ると、彩りにも気を使ってある料理がたくさんありました。今度、あそこに食べに行きたいと思う店もいくつもありました。馬車は歩みを続けます。

 太陽もいくぶんか落ちてきた頃、アキラエの乗った馬車は王都レーグにある馬車のりばに着きました。それは二つの塔の真ん中ぐらいの場所で、とても多くの馬車が止まっていました。アキラエの持っている地図には、ほとんど王都レーグの詳しい地図は載っていなかったので、周りの人に聞いて雑貨屋を探すことにしました。

 人に聞いて辿り着いた雑貨屋は、一番馬車のりばに近い雑貨屋でした。そこには何でも揃っているというのが自慢というだけあって、店内は広く品揃えは豊富でした。地図と当面必要になりそうな細々したものを買った後、アキラエは店員におすすめの宿を聞いてそこに泊まることにしました。

 次の日、アキラエは王都レーグの中をブラブラと歩きまわることにしました。昨日買った地図によると、ここは二ノ塔と三ノ塔の間で、やや二ノ塔よりの場所でした。この辺りは港町ベイスと学都フィリオの街道が交わっていることもあって王都レーグの中でも一番栄えている場所とのことでした。一緒に買った王都レーグのパンフレットもなかなか役に立ちます。大きくもなく、小さくもない、人通りの多い通りを歩いている時、アキラエは一つの張り紙を見つけました。

『奉公人募集――十二歳以上で真面目な人、求む』

 アキラエはその店を見てみました。そこは美味しそうな香りあふれるパン屋でした。アキラエはちょうど小腹も減っていたので、ここのパンを食べてみようと思いました。一つだけ買ってみて、店先で食べたパンはとても美味しくて、小腹がすいていただけなのに、もう一つ買って食べてしまいました。魅力はそれだけでなくこのパンの値段はけっこう安かったのです。アキラエはここで働きたいと思いました。

 アキラエは年齢をごまかして店主に働かせてくれと頼みました。店主はまんまるな赤ら顔にシワを寄せましたが、アキラエに親がいないことを伝えると店主はアキラエに同情したように雇ってあげることを伝えました。店主が、アキラエはどこから来たのかと聞いた時、アキラエは王都レーグと港町ベイスの間にある小さな村で名前は覚えていないというと、店主は目尻にキラリと光るものをつけて、なんだかうんうんと頷いていました。店主の好意に甘え、アキラエはパン屋の屋根裏部屋に住むことになり、パンの香りに包まれて働くことになりました。




 五年が経ちました。アキラエは十七歳ということになっていました。後一年で成人になります。アキラエは街を歩きながらこれからどうするかを考えていました。成人すれば就ける仕事も増えますし、体を酷使する仕事もできるようになります。パン屋の仕事は店主も優しくて仕事も楽しいのですが、給料が低くなかなかお金がたまりません。今のアキラエの全財産は村を出てきた時よりいくばくか増えたぐらいにとどまっていました。これはあまり良くありません。アキラエはどうしたものかと考えながら、休日に見知った王都レーグの中を歩いていました。

 通りを歩いているとアキラエは、一つの武具屋さんに目をつけました。国の騎士団に入るのも悪くはないなと思い、アキラエはなんの気もなくその店の中に入りました。店の中は薄暗く、そして鉄の臭いがしました。無愛想に挨拶し、興味がなさそうにカウンターに座っている店主の向こうに、アキラエは目を引きつけられてしまいました。くろぐろとした剣身に、ぎらぎらと光を反射している両刃の部分。若干剣の長さは短く、片手で使うのにちょうど良さそうだと思いました。特に使う場所がないのに、アキラエはあれがほしいと思いました。いえ、騎士団に入ったらあれを使うから大丈夫なのだと、思い込みました。成人したら騎士団に入るのだと思い込みました。

「それは、いくらですか?」

 アキラエは尋ねました。すると店主は答えました。

「あれは売り物じゃない」

 店員の説明を聞くには、あの剣はいわくつきで今までに何人もの持ち主の血をすすってきた魔剣であるのだと。それでもアキラエはあの剣がほしいと思いました。あれを手に入れることができるのなら、悪魔になんでも渡してやるとも、本気で思いました。

 アキラエは根気よく店員と交渉し続け、最終的にアキラエの全財産よりすこし少なめの金額で売ってくれることを約束しました。そして、アキラエは十八歳になる時に買いに来るまでとりおいてくれと頼みました。店員は了承しました。アキラエは手付金として、財布に入っていた小粒金一つを店員に渡しました。店員は、いつでも要らなくなったら言いにきて欲しいと言いました。アキラエはそんなことあるわけがないのにと思いながら店を出ました。

 アキラエはうきうきしながら帰途についていました。今まで貯めてきた貯金はなくなってしまいますが、とても欲しいと思った剣が買えたのですから。アキラエは十八歳になってからあの剣を持って騎士団に入ろうと思っていました。パン屋はもう十七歳でやめようと思っていました。

 アキラエは店主とその奥さんに、今までお世話になったこと、そして成人したら他の職場で働こうと決めていること、その職場は活躍した時に見て欲しいということ、を伝えました。店主もその奥さんもアキラエのことを引き留めようとしましたが、アキラエは自分の考えを変えませんでした。




 おそらく十八歳になった朝、アキラエはお世話になったパン屋の店主とその奥さんに別れを言い、パン屋を去りました。アキラエはそこはかとなく寂しい気持ちが心の奥底にあるような気がしましたが、しかし今日手に入れることのできるあの剣に心は惹きつけられていました。今日は、待ちに待った記念日です。アキラエは処分してかなり小さくなった全財産を背負って、武器屋に向かいました。

 らっしゃい、と無愛想にアキラエに声をかけた店員は、やや心配そうな眼差しでアキラエを見つめていた。店員はアキラエに、本当に買うことでいいのかとしつこいぐらいに念押ししていましたが、アキラエの強い願いはゆるぎません。

 アキラエはほぼ全財産を投じてその剣を買いました。アキラエの手元には小粒金が三個と小銭しかありませんでした。一週間暮らせるか暮らせないかの金額しかありません。しかし、アキラエは幸せを感じていました。あの念願の剣が手に入ったのです!

 ありがとうございましたー、と気だるげな声を後ろに、アキラエは武器屋から出てきました。今しがた買った剣は鞘ごと布の袋に入れられ、その全貌を露わにしていませんでした。今すぐその姿が見たいと思いましたが、人通りの多いところで剣を出すと騒ぎになります。なのでアキラエはほとんど人の通らない路地に入ることにしました。

 その路地は人一人が通るのが精一杯の場所で、アキラエの成長した体はそこをほとんど塞いでいました。しかし、ここには誰も来ないだろうと思い、大通りからかなり離れた十字路の近くで封をきることにしました。

 アキラエはまず、その剣を袋から出しました。つやつやと輝く鞘の黒はものすごく美しいと思いました。アキラエは鞘をひとしきり眺めた後、剣を鞘から抜きました。ぎらりと黒く光る刃がアキラエの顔を映します。久しぶりに見た自分の顔はなんだかあどけなさというものが抜け落ちていて、それでニタリと笑っていました。この剣を得て、嬉しくて笑っているのではなさそうでした。自分でも奇妙に思えるぐらいの不気味な笑いに見えました。

 アキラエはそれを見なかったことにして、鞘から剣身をすべて出しました。飾ってあった時よりもずっと綺麗に光を反射していました。武器屋の店員が研いでくれたのでしょう。とても綺麗だと思いました。アキラエの顔が剣身に映っていましたがアキラエは気にしませんでした。アキラエはこの剣を振ってみたいと考えました。騎士団に入るためには業物の剣を持っているだけでは不足です。きちんと使いこなせなくてはいけません。

 アキラエは今いる通路の中でも、少し広い十字路で剣を振ることにしました。自分に剣が刺さるといけないので、鞘はつけたままです。アキラエは店員が言っていた、『この剣は何人もの持ち主を傷つけてきている』ということを少し気にしていました。しかし、自分が気をつけていれば大丈夫だろうと考えていました。

 村にあった『王様とフォルク聖騎士団』という物語に載っていた挿絵の、剣の持ち方を真似して剣を構えました。前に剣を振り下ろそうと考えた瞬間、剣は振り下ろされていて、レンガの壁にのめり込んで止まりました。アキラエは手に伝わってきたその衝撃に驚き、剣を離しましたアキラエには何が起きたかわかりませんでした。レンガ造りの壁は衝撃で少し砕けてへこみができ、黒光りする漆塗りのような鞘にはヒビが入ってしましました。

 アキラエは驚きます。自分が意図したとおりに、いえそれ以上に動けたのですから。アキラエは通路の方に鞘を被った剣先を向け、一歩進みながら斬撃を繰り出すということをイメージしました。

 ぶおん。小気味よい、重厚な風切り音が若干遅れて聞こえました。剣先は下を向いており、立っている場所はさっきいた場所から一歩動いた場所です。イメージ通りに体は動いていました。

 八年前、あのとき、あれをしたことは脳裏の中にくっきりと残っています。あの、まるで悪魔に乗っ取られたような振る舞いをした時、アキラエは獣のような動きをしていました。成長前の軽く脆弱な肢体で飛び跳ねながら、猛獣が獲物をとらえた後に咀嚼するかのように執拗に無駄に攻撃して、本当に獣のように何も考えることなく虐殺という名の狩りをしていました。今は違います。突きをしようと思うと、最適な動作で突きを、なぎ払いをしようと思えばレンガの壁に当たらない限りでなぎ払いを、さすがに横薙ぎは自重しましたが、自分が思う限りの最高のパフォーマンスを見せています。アキラエは見たことはありませんでしたが、この動きは武芸にも通じる部分があると思いました。人間は戦うことすらも芸術に昇華させ、武芸という言葉を成立させました。アキラエは芸術という人間特有の感性をもつことで、自分の獣性を否定できたと感じたのでした。

 アキラエはずっと剣を持って練習していました。レンガとレンガに囲まれた狭い空は橙色に変化しつつありました。今日はそろそろ終わりにして、明日騎士団の門を叩こうと考えました。アキラエは今日はどの宿屋に泊まろうかと考えていました。残金が心もとない状態なので、とびっきり安い宿に泊まろうと考えて十字路を曲がろうとした、その時、アキラエは人とぶつかりそうになりました。考え事をしていて人の近づく音に気づいていなかったのです。

 アキラエは人にぶつからないように避けようと思いました。

 目の前が真っ赤になりました。目の中に何かが入ってきて、目はとても開けてられない状態です。何やら、体に生ぬるい液体がかかっていた様子でした。

 カーンと何かが落ちる音がして、向こう側に重いものが落ちる音がしました。

 アキラエは剣を手放し、目をこすって謎の液体をどうにか出そうとしました。涙が出て、液体を洗い流そうとします。

 ようやく目が開けられた時、まだ視界は薄く赤に染まっていました。そして、さっきまで混乱していて気付かなかった鉄の錆びたような匂いを鼻に感じました。前を見ると、さっきまでなかった真っ赤なペンキがぶちまけられていて、下にはアキラエより少し年上と思わしき青年が血を流しながら仰向けで倒れていました。青年は小さなうめき声をあげていました。しかし、このままでは数分もしないうちに死んでしまうでしょう。

 アキラエは青年が死亡するまでずっと眺めていました。【斬殺】

 アキラエが今日買った剣には血糊とアキラエの狂気的な笑顔がこびりついていました。全身に返り血を浴びたアキラエは嬉しそうに、楽しそうに笑っていました。

もうアキラエは考えることをやめていました。人を殺すのはどうのとか、人間か獣かとか、アキラエにとってはどうでもいいのです。ただ、自分の本能にしたがって生きることができればそれでいい、アキラエは思いました。

 青年の死体を観察しているうちに夜になりました。アキラエは飽きたように奥の暗い路地の方へ消えていきました。アキラエがいた場所には、茶色く乾いた血のペイントと、血まみれの服、そして血まみれの青年の死体の顔には、血を拭ったあとのある真っ白な手ぬぐいが綺麗に折りたたまれてかけてありました。





 アキラエは近くの家の中に窓から忍び込みました。そして、一家全員剣で皆殺しにしました。一家団らんの最中でした。【襲殺】【襲殺】【斬殺】【刺殺】

 アキラエはこの家に訪ねてきた人を殺しました。声を上げれば殺すと言いましたが、声をあげていないのに殺しました。【劫殺】

 アキラエはもっとたくさんの人を殺したいと思いました。アキラエは近隣の家を次々と襲います。【襲殺】【暗殺】【抹殺】【賊殺】【撲殺】【要殺】【密殺】【斬殺】【捕殺】【闘殺】【必殺】

 アキラエは人が集まってきたので逃げることにしました。その際、逃げる姿を見られたので、殺しておきました。【斬殺】

 アキラエは人が集まってくると憲兵に捕まる危険性があると考えました。なので、あまり一気に殺さないようにしようと考えた矢先、真っ赤な血のついた服を見られたので殺しました。【縊殺】

 殺した男から服を剥ぎ取り着用しました。アキラエは拠点となる場所を探しました。奥まった路地に住む、老夫婦を殺しました。そこを拠点として暮らすことにしました。【鴆殺】【薬殺】

 アキラエはたくさんの人を殺してきましたが、もっと大規模に殺したいと考えました。なので、人がたくさん集まっているところに爆弾を落としました。【爆殺】【焚殺】【焼殺】【圧殺】【烽殺】【謀殺】【専殺】【惨殺】

 アキラエは高いところでふんぞりかえっている貴族も殺したくなりました。アキラエは頭を捻って考えました。罠にはめてギロチン台に登らせることができました。【構殺】【矯殺】【蔑殺】【誅殺】【磔殺】




 アキラエがあの剣を得てから、何回目かの春が来ました。しかしアキラエは春ということを気にすることなく、誰を殺すか見定めていました。まだ、巷を騒がせる殺人鬼の正体がアキラエだということは気づかれていませんでした。アキラエはただの町人を装えていました。アキラエの殺人はばれることがないほど上手になっていました。

 アキラエはやや明るい路地を歩いていました。今までに何人もとすれ違っていたので、ここで殺人は無理だなと思い、違う場所に移ろうと考えていました。この路地には勝手口が多く、そのとなりにはたいていゴミ箱が置いてあります。アキラエはゴミ箱の隣に少女がうずくまって座っていることに気づきました。

 アキラエはあたりを見渡します。誰もいません。なんとなく殺してしまいたいという気持ちがでてきました。頭に血が上り、心臓がバクバクしてきました。アキラエはとても楽しい気分になりました。

「あれ? 誰?」

 少女はアキラエに気が付きました。アキラエは何も言わずに懐からダガーナイフを取り出しました。

「殺すの?」

 少女はアキラエに問いかけました。アキラエは何も返事をしないままダガーナイフを少女に近づけました。

「殺してもいいよ」

 アキラエはその返答のおかしさに少し固まってしまいました。アキラエが今まで殺してきた人間は、程度の差はあれ、必ず最初は『助けてくれ』、『殺さないでくれ』と言ったものでした。アキラエはこの少女が面白いと感じました。少なくとも、少女の話を聞き終えてから殺してもいいのではないかと思いました。

「私はね………」

 少女が淡々と言うには、少女は両親を殺したことがあるのだといいました。途中で泣き出してしまったので鮮明には聞き取れませんでしたが、少女が『親殺し』になってしまったこと、『親殺し』だから周りからはじき出されてしまったこと、『親殺し』である私は死んでしまっても構わないこと。

 泣きじゃくりながら話す少女を見て、心が動きました。いつも殺してきた人間とは違って、救ってあげたくなるような気持ちになりました。救ってあげたい。これはアキラエが初めて感じた感情でした。

 アキラエはダガーナイフをしまって少女にこう言いました。

「君が『親殺し』だということがわかったよ。でも、自分だって『親殺し』だし、その前に『殺人鬼』だ。君より先に死ぬべきはこの自分なんだよ」

 アキラエは自分が何を言っているのかわかりませんでした。でも、この少女に『死』以外の救済をなんでも与えてあげたいと思いました。アキラエは少女の返答を待ちます。少しの時間が経ちました。

 少女は嗚咽を抑えながら、アキラエに顔を上げて言いました。

「ありがとう。『殺人鬼』なのに、不器用なんだね、君は。いや、不器用だから『殺人鬼』なのかな?」

「どういう……」

 アキラエは自分ではわかっていない一面に気付かされました。目の前の少女の、涙に濡れたそばかすの浮いた頬と真っ赤になった目と鼻をみて、可愛らしいと感じました。アキラエは、さっきこの少女に対して生まれた感情が何かわかりました。アキラエはこの芽生えた感情を忘れないように、急いで言葉を紡ぎ出そうとします。

「お名前は何ですか?」

「はい?」

 嗚咽が止まらない少女はアキラエの声が聞こえなかったようで、アキラエに聞き返しました。

「お名前は、何ですか?」

 もう一度放たれた言葉。それは目の前の少女に届いたようでした。

「リリアといいます。あなたは?」

「アキラエです」

 リリアが珍しい名前ですね、といったその声がだんだんと心拍音にかき消されていきました。自分がこんなことを言ってもいいのか、そんな不安感がアキラエを前後不覚に陥らせます。バクバクとなる心臓が、今までのどんな時よりも激しくなりました。頭のなかが真っ白になりそうになりました。アキラエは覚悟を決めました。


「ぼくと、結婚してくださいませんか!」


 その声はとても大きく、路地裏一帯に響き渡りました。目の前に座っている少女はとても驚いたようで、目を丸くしていました。しかし、次の瞬間、少女の顔は満面の笑みを浮かべ、こう言いました。

「はい、よろこんで。こんな私でよいのなら」




 アキラエとリリアは結婚しました。そして、アキラエは人を殺すことをやめました。リリアと、お腹にいる子のためにも、親が殺人鬼では示しがつかないと考えたからです。アキラエはまっとうな仕事について働いていました。アキラエとリリアは幸せな暮らしをしていました。


【誤殺】

 アキラエとリリアの仲を切り裂いたのは、あの、禍々しい剣でした。アキラエがあの剣の管理をしていた時、リリアはうっかりアキラエの後ろに立ってしまいました。アキラエはそのままリリアを切り裂いてしまいました。リリアを殺そうとも、傷つけようとも、アキラエは思っていませんでした。リリアが後ろに立ったことすら気づいていませんでした。アキラエの体は勝手に動いていました。

アキラエは真っ赤な血を振り返りざまに浴びながら、また誰かを殺してしまったと思いました。アキラエは結婚してから人を殺したくなることはありましたし、ついうっかり手が動いて殺してしまったこともありました。しかし、最近は少なくなってきていたはずでした。リリアの腹が大きくなってきた現在、なおさらです。今月は誰も殺していませんでした。

 ほとばしる血潮をよけながら、アキラエはふと考えました。この家にいる人間は、自分とその妻であるリリアだけではないのかと。アキラエはそんなはずはないと考えました。最愛である妻を自分が殺すわけがない、そう思いこみました。

 吹き出る血の向こう側には、今日リリアが着ていたはずの若草色のワンピースが見えました。アキラエはそんなはずはないと思い、目をこすりました。しかし、若草色のワンピースは真っ赤な血をにじませて向こう側に倒れていました。

 アキラエは剣を捨てて、ワンピースに近寄りました。白く細い足がにょきりと出ている、若草色のワンピース。おなかがただの肥満とは説明がつかないほどにまん丸の若草色のワンピース。三つ編みにまとめた赤毛の髪の根元には、苦しそうに微笑んでいるリリアの顔がありました。

「リリア!」

 アキラエは今、無意識に切った人がリリアだったことに気づきました。最愛の人を切ってしまった罪悪感に心が押しつぶされそうでした。そして、百人単位で人を殺してきたアキラエは知っていました。もうこの人は助からないと。

 アキラエは自分が斬ってしまった罪悪感で、リリアに近づいて大丈夫かと言うことも、無駄とはわかっていながらも傷口を手で抑えて止血することも出来ませんでした。リリィにどんな恨み言を言われるかわからず、アキラエは動きだすことが出来ませんでした。

「ねえ」

 瀕死のリリアは口を開きました。口の端からは血が少したれていて、しかしとびきりの笑顔でアキラエに話しかけました。

「私はね、アキラエのそんなところが好きになったの。そんな不器用なところがね。アキラエはとてもやさしいから、でも不器用だから、殺すことしかできないんだよね」

 アキラエは妻の苦しそうな笑顔を見て、子供のように泣き始めました。

「私、知ってるよ。あなたの武勇伝の中で、貴族を殺したっていう話。あの貴族が死んで、税金は大幅に下がったんだよね」

 ふふふ、とリリアは小さく笑いました。アキラエは動いているはずのリリアに、冷たくなってしまったリリアの姿が重なりました。死ぬな、死ぬなとアキラエの頭の中で念じ続けていても、切り口からは止めどなく血が流れ出していました。

「ねえ、あなた」

 リリアがかすれた声でアキラエに笑いかけた。

「ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい……」

 アキラエは責められると思って、謝りました。しかし、リリアは最高級の笑みを、力を振り絞って、顔面に浮かべました。

「大好きでしたよ、アキラエ」

 その言葉を最後にリリアは息を引き取りました。




 アキラエは死んでしまったリリアの体を抱いていました。リリアの体はだんだんと冷たくなっていきます。アキラエはリリアの体が冷たくなるごとに、流す涙の量が増えていきました。

 アキラエは、完全に冷たくなってしまったリリアの体を拭いてやりました。眠ったように安らかに目を閉じているのに、血まみれというのはなんとも忍びなかったからです。アキラエはリリアが身重の体だったことを思い出しました。子供だけは生きているかも、と思いリリアの腹を丁寧に開きました。リリアの腹の中で、赤子はすくすくと育っていました。女の子でした。しかし、アキラエは見てしまいました。赤子は腰のあたりを斜めに切り裂かれていました。死んでいます。

 なんと、自分は馬鹿なのだろうと思いました。自分で手に入れて育てて、大切にしていたものを一瞬で失ってしまうなんて。本当に自分は情けないと思いました。

 しかし、今は嘆いている暇などありませんでした。やらねばいけないことがたくさんあります。まずは、この二人の弔いからです。アキラエは王都の葬儀屋で、二人分の遺体を火葬しました。参列者はアキラエしかいませんでした。

 アキラエは小さな骨壷を二つ持って、死者の町ネルモラ行きの馬車に乗りました。アキラエは十年ほど前、苦難と期待にあふれながら通った道を、悲しみで胸が張り裂けそうになりながら骨壷を持って通りました。涙は枯れてもう出ませんでした。

 死者の町ネルモラについたとき、この町は妻と娘が永眠するにはちょうどいいと思いました。住民は穏やかで、町並みも古風で素朴な感じで、王都レーグの冷酷さとアキラエの凶暴さにさらされてきた妻も、ここでなら穏やかに過ごせるだろうと思ったからです。

 アキラエは二人を死出の旅路に出させるために、埋葬する前に必要な特別な護符を二枚買いました。そして、アキラエは未だ生まれてきていない子供のために作る身代わりの人形を、この街一番の人形師に制作を依頼しました。生まれる娘のために貯めてきたお金ですから、何も惜しくはありませんでした。

 アキラエは人形師が人形の設計図を作るのを待っている間に、死者の町ネルモラの無縁墓地に二人を埋葬してきました。聖職者が二人を弔っている間も、涙は出てきません。これはすべて夢なのではないかと思いました。しかし、骨になった二人は声を上げることなど二度とありません。

 アキラエは人形師が書いたアキラエとリリアの子供は、とてもかわいらしいものでした。アキラエはリリアと一緒に決めていた『シーニュ』という名前をその人形につけました。アキラエは予算の金貨二十枚分を人形師に払い、アキラエは死者の町ネルモラを去りました。人形の完成は見ませんでした。自分の情けなさが心に突き刺さってくるからです。

 アキラエは死者の町ネルモラで数日分の食料と長めのコートを買い、リリアの写真以外はすべて捨てて近くの森に入りました。森のなかは暗く、そして獣の気配がずいぶんしました。アキラエは食われても良いと思いながら森の奥へと進みましたが、結局襲われることはありませんでした。

 アキラエが森の奥についた時、アキラエはアキラエのお気に入りの剣を用いて、自らの首を跳ね飛ばしました。【自殺】

その亡骸は食べられてしまったと聞きますが、顔はとても小気味良く笑っていたと伝わっています。














He Was a Killer.

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