風を乞う人
本作には、まおゆう魔王勇者1~5巻のネタバレ要素が含まれております。ご了承ください。
光の塔。
それは、機構の中枢。
この世界を守る、大きな檻と長い鎖。その、始まりと終わりの集う場所。
目の前にたたずむのは、輝く衣に身を包む光の精霊。
これが、僕の冒険の果て。
実力を上げ。幾多の冒険を超え。数多の魔族の屍を越えて。
夢幻の魔王を打ち倒した末の、最終到達点。
血みどろの手で扉を押す。全ては、シンプルでひとりよがりな目的のために。
はかなくて一途で、一生懸命な、そんな少女と出会い。そして。
「やあ、光の精霊。僕は――君の邪魔をしたいんだ」
僕はそう、今まで暖めてきた言葉を口にした。
勇者という、運営のキーパーツであるが故に、僕のような異分子がここまで来ることができた。
木を隠すなら森。正しき歴代の勇者の系譜であるが故の通行権。
幾度となく恨んだこの力が、結局は僕の望みへの鍵だったというわけだ。
とある少女の行き違いからはじまった、出会い直しのための繰り返し。
たった一人で時系列を敵に回す少女の、声を嗄らし続ける終わり無き祈りの地平。
「……勇者。世界を、救ってはくださらないのですか?」
おどおどと声を返してくる、その華奢な体が、世界の支配者であると誰が信じるだろう。
それでも、彼女はこの世界の誰よりも強い。頑固で優しく、責任感の強すぎる最強の存在だ。
魔界の頂点たる魔王も。人間の頂点たる勇者も。全ては彼女の掌で踊るに過ぎないのだから。
そんな相手に、僕ができること。
それは、彼女の作り出した箱庭が教えてくれた意味。
強さだけが武器ではない。
勇者にただの老人が刻める記憶があるように。
魔王にただの少女が刺せる言葉があるように。
目の前の存在に比べれば無力な僕にも、できることがある。
「世界を救う……か」
彼女は心底この世界の平穏を望んでいる。それを実現することこそ救いと信じている。
安全で、居心地の良い檻で世界を括り、寄せては返す日常を繰り返す。
それを脅かすような「突破の萌芽」が生まれたら、全てを断ち切り、世界を”再起動”する。
これが彼女の選んだ「世界の救い方」だ。
繰り返し、繰り返し、同じ日常を回し続ける。
ほどほどの希望と、ほどほどの絶望と。御伽噺のような予定調和。終わらない物語。
でも。
「……僕は、見てみたいんだ。君の作った格子の向こう側を。そして、君にも見せたいんだ」
「そんな……っ」
精霊の感情の揺らぎにつられるかのように、崩壊の風が吹く。
中枢に鍵が接触したことで、世界を”再起動”するためのシステムが起動しはじめているのだ。
世界を焼き尽くし、吹き散らし、押し流し、また生み出しなおす、そんな機構が。
起動は簡単だ。彼女が僕に触れ、そう念じれば、世界は作りかえられる。
「……僕は、君と違って次の世へは飛べないんだ。”再起動”すれば、新しい世界に、君を邪魔する僕はいない。もし、君の孤独を分け合う相手に僕を選びたくて躊躇っているのなら、それは甘えでしかないよ。僕は”彼”ではないんだからね」
彼女より遥かに弱い僕が、一歩、踏み出す。
「この手を取るんだ。君が、その想いを貫くなら。……さあ」
僕より遥かに強い彼女が、一歩、後ずさる。
「僕は君の、向かい風になりたいんだから」
◇ ◇ ◇
彼女は、この手を取らなかった。
僕は放逐され、そして、勇者としての権能を失った。
世界は終わらなかった。
彼女は新たな次世代の勇者と魔王を生み出し、また日々を回転させ続けるのだろう。
やさしい世界を守るために。贖罪のため。世界の守護者として。
そしていつか。この檻を破壊する決定的な萌芽を見出したときには。
悲しそうな顔で、全てを終わらせるのだろう。
ひどい矛盾だ。
彼女は気づいているのだろうか。
”彼”との邂逅を求めるという目的と。世界を繰り返すという手段が、いつの間にか入れ違っているということに。
どこまでも優しくて悲しい枠組みの崩壊。
彼女は世界を観察し過ぎたのだろう。
ひしめく無数の気持ちを重んじるあまり、結末を望むことをやめた少女。
自らの涙をおきざりにしてしまった、世界の担い手。
絶対者になりきれぬ心の柔らかさを、彼女は忘却で越えているのだろうか。
そうであればいいと思う。
僕が抱いた、理屈めいた悲しみも。
悉無律に突き動かされた、愚かな勇者のことも。
全て忘れてしまえば、彼女は楽になるのだから。
だが、そうはならないだろうとも、僕は確信していた。
彼女の胸に咲く想いはまだ枯れていない。枯れることができていない。
そうできていたら、とっくに彼女は感情を殺した現象と化していたはずだからだ。
けれど、あのとき出会った彼女は、違った。悲しみ、恐れ、愛することのできる生の存在だった。
自らをつねり、抉り、傷を刻み。その深さだけ、自分を苛みながら、彼女は彼女であり続けている。
だからこそ、僕はこの機構に反逆すると決めたのだ。
世界に上書きされてしまっても構わないと。それでも彼女に睨まれておきたいのだと。
勇者を奪われた痛みが胸を吹き抜ける。
だが、それでいい。
僕の胸に芽吹いた種は、勇者の因子に預けた。
いつか、それはこの繰り返しのシステムの構成要素のうちに根を張り、花を咲かせるだろう。
幾代先かわからない。その頃には自分は消滅しているかもしれない。
だけれど。まみえることもできないかもしれない僕の後継よ。
さあ、いつか耳を澄ましてくれ。
僕の伝言に。君の裡からわきあがる、誘惑の声に。
そしていつか、彼女に伝えてほしいのだ。
答えが君を縛るなら、そんな鎖は忘れていいのだと。
この世界は長く君に依存しすぎた。
”再起動”をされても、その情報は様々な形で積み重なっていく。
君の慟哭と咆哮の傷跡を押し隠してきた土は、再生の度ごと、その厚さを減らしていっている。
僕だけじゃない。君のその悲しみに気づくものが、これからはきっと増えていく。
全てを君に任せるわけにはいかないと踏み出すお節介は、もっと多くなる。
強がりなんかじゃない。これは、予言だ。
魔王と勇者と精霊と。
そんな、役割を背負った者だけで全てが回る世界は、終わりを告げる。
君がどれだけ望んでも。君が優しすぎるからこそ。
◇ ◇ ◇
「……ずっと気になっていたけど、あなたは何者?」
追憶が醒めた。
そして、僕の前には今、一人の魔法使いの少女がいる。
魔王でも勇者でも精霊でもないものが回転させる世界。その可能性の一つが、立っている。
人工の勇者。友の魂を抱くもの。贋作から、名を得て真作と化したもの。
今代の勇者の傍に立つために、何者にも揺るがない力を求めて魔界をさまようもの。
かの魔法使いは偶然と必然の果てに、彼女の願いへの最短距離たる「外なる図書館」の鍵を知る僕のところまで辿りついたのだ。
眠たげな瞳のこの少女は彼女に似ている。似ていて、違いすぎる。
だからこそ、真実を知れば、檻を破り鎖を千切るための可能性となるだろう。
「魔族だよ。人間でもあるけどね」
「つまりあなたは人間で、魔族の氏族に迎え入れられたということ?」
「そうそう」
「なぜ?」
魔法使いの少女は、幼い。
それはそうだろう。人として積むべき経験を、ふれあいの時を、彼女は魔の研鑽に費やした。
真っ直ぐで、危うくて、だからこそ、美しい。
仮面に本心を隠した僕には、まぶしい在り方だった。
「どうしても知りたいことがあったから」
そんな雰囲気に、当てられてしまったからか。
この一言だけは、嘘つきな僕には珍しく、本心からのものだった。
光の精霊。
あの優しい少女が、何に思い悩んでいたのか。
彼女に、自分が何をできるのか。
僕はただ、そんなことが知りたかっただけなのだ。
外なる図書館で、様々な知識と歴史に触れて、僕が決めた答え。
僕の望み。それは今でも変わることがない。
僕は、ただ、彼女に見せたいのだ。
彼女の作った優しい檻の向こう側にあるものを。
繰り返された安息の子守唄には飽きてしまったから。
約束などない不安な夜闇に響く、根拠なき希望に胸躍らせるような、そんな新しい歌を聴かせてほしいのだ。
そこは、あの細い体で彼女が全てを支えなくてもいい世界。
口をつけることが許されない冷めきった幸せ越しの自戒に、彼女が視界を揺らがせなくてもよい未来。
「……もう一度きく。あなたは何者なの?」
「さあね。ずっと昔のことだから、覚えてないや」
さあ、仮面をかぶろう。嘘つきを始めよう。
美しい彼女を。悲しい少女を。優しい残酷を。恐ろしい絶対者を。広い慈悲を。大きい意思を。小さい背中を。古い概念を。よき倫理を。悪しき諦念を。温かい涙を。冷たい覚悟を。
およそあらゆる形容詞で縛られた光の精霊の魂に、希望という言葉を添えるため。
「まあ、僕と君は気が合うからね。もしかしたら昔の僕は、君に似た向こう見ずだったんじゃないかな?」
「……異議あり。ありえない。そこは訂正を要求する」
「いやあ、そこまであっさり言われると傷つくなあ」
目の前の魔法使いの少女。
そして、これまで糸を織り上げて少しずつ宿命を歪めてきた様々なものたち。
卑怯者と呼ばれようと。暗躍者と罵られようと。その全てを駆使し、いつか僕は風になろう。
彼女が悔悟の檻から出て羽ばたくとき、その翼を高く舞い上げるための風に。
「まあ、君もなれるといいね。勇者が飛びたつときのための、向かい風に」