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テディベアに抱かれて

作者: ぽてと
掲載日:2026/02/28

 ある日の公園のこと。幼稚園の年長、もしくは小学校低学年の女の子がブランコに揺られる。ブランコに飽きると鉄棒にまたがり、腕が疲れると滑り台に上る。それが松本心々愛(ここあ)のルーティーンであった。

 心々愛は今日もその変わらないサイクルを繰り返す。だがその日、公園の木の陰に気配を感じ取った。

 冷え切った乾いた風が吹く冬の午後だった。


「あなただあれ?」


 心々愛は独り言のように呟いた。

「我は悪魔」

「あくま?」

 心々愛はしゃがみ込み、両手を頬につけて覗き込む。


「悪魔さんって悪い人だよね? 」

 悪魔はふっふっふっと低い声で笑う。

「人間にとっては、そうであろう。さあその魂頂こうか」

 悪魔は心々愛の影に手を伸ばす。


「きゃっ」

 影を掴まれると同時に、苦しそうに胸を押さえる。

「むっ、これは__」

 悪魔はパッと手を放す。


「あれ、食べないの?」

 心々愛は恐怖を示さず、興味本位といった感じで悪魔に質問する。


「つまらん。魂は純粋なものでなければ旨くないのだ」

 ポカンとした表情で空を見つめる。


「興が冷めた。命拾いしたな、小娘よ」

 悪魔は闇へと沈もうとする。

「待って__!」


 心々愛が叫んだ。今までとは比べ物にならない、通る声だった。

「なんだ?」

 悪魔は横目で心々愛を見る。


「ねえ。明日もここに来る?」

 悪魔に言った。

「我は忙しい。お前のような小娘に構っている暇などない」

 悪魔は言い捨てた。

「そっか」

 しゅんとして俯いた。だがその感情の動向が、悪魔にとっては食欲をそそられるものだった。

「明日も、同じ時間だな」

 心々愛の顔がパッと晴れる。

「うん! 」


 長い影が夕日に照らされ伸びてゆく。西日はもうすぐ落ちる。




「悪魔さん! 見て!」

 心々愛は公園に自分の背丈より大きいぬいぐるみを持ってきた。

「なんだ、その滑稽な綿の塊は」

 悪魔は初めて見るテディベアに目を丸くする。


「この子はオレオ! 男の子なの! 」

 オレオ? 男の子?悪魔は理解の範疇を超えるそのクマのぬいぐるみに困惑する。だがそれと同時に、魂に質量が生じてきていることを感じ取った。

「そうか。どこで作ったのだ。その__オレオとかいうやつは」


 心々愛は自慢げな表情を浮かべる。

「えへへ。お父さんに買ってもらったの、コストコで!」

 心々愛はぎゅっとテディベアを抱く。

「そうか。よくしてもらっているのだな」

 悪魔は慣れない表面上の言葉を放つ。だが効果は悪魔の意志の反対に作用した。


「お母さんとお父さんは心々愛のこと好きじゃないよ」

 心々愛は公園の木に寄りかかるようにぬいぐるみを置き、その隣に自分も座った。軽くなる魂。


「悪魔さんはお母さんとかお父さんいないの?」

「悪魔は人間とは違う」

「ふうん」

 足を投げ出して地面に座る。アウトソールの一部は禿げ、踵を踏んでスリッパのようになった運動靴が目に留まった。


「じゃあ、好きな食べ物は?私はチョコが好き! 」

「我は人間の魂。特に子供の魂が好きだ」


「悪魔さんはそればっかりだね」

 退屈そうに言う。

「悪魔はそれ以外にやることがない」


 沈黙。月と太陽が同じ空に浮かぶ。橙色の空が黒に覆いかぶさる。

「娘、お前は何か欲する行動__やりたいことはないのか? 」

「んー。わかんない。お母さんには、早く好きな人見つけなさいって言われてるけど。心々愛そういうの分からないし」


「人間は集団を形成して社会性を学ぶのだろう。学校法人というやつには友達はいないのか?」

 首を振る。

「みんな私のことを『ぜいきんどろぼー』とか『チンパンジー』とか言って話してくれないの」

 少女はテディベアの手を握る。


「一人ぼっち、ということか」

 こくりと頷く。

「心々愛はみんなと違うんだって」

「否定はしない」




「悪魔さんはモテなさそうだね。そういう時は『そんなことないよ』って言わなきゃ」

 くすっと笑ってからかう。

「恋愛は分からないのではなかったのか?」

「うん。でもお母さんがしてるの見てるから」

「父親との会話で学んだわけか」

「ううん。知らない男の人」

 立ち上がって泥を払い落とす。


「またね」

 少女はテディベアの手を振った。








「おい田中、お前も西澤にしてもらったんか? 」

 サッカー部の生徒が野球部の生徒と話す。

「あんなビッチ興味ねえよ。病気とか持ってるかもしれねえだろ」

 サッカー部は手を振って否定する。

「大丈夫だよ。お前もしてもらえって。たった千円だぜ?」


「ねえ、きもーい」

 スカートを切ったギャルが会話に割り込む。

「お、篠崎、妬いてんのか?」

 サッカー部はギャルに返す。

「何言ってんの。まじありえない」

 ノートでサッカー部を叩く。


「でもさ、あいつがめっちゃ上手いんだって。そう言うお前はしたことないだろ」

 歪に口角の上がった笑顔。

「さあ?どうだろうね。ね?田中」

 ギャルは野球部と目を合わせる。

「あ、ああ、そうだな」

 野球部は目を逸らす。


「え、なになに。お前らそう言う関係だったの!? やば! おいみんな聞けよ、田中とこいつが__」

 サッカー部が喚きだす。






『高等学校__何とも低俗な』

 教室の隅。








「明日で十八歳か」

 装飾のない質素な部屋で少女は呟いた。


『成人女性にしては随分と幼いものを部屋に置いている』

 少女は声を辿る。視線の先。枕元に薄汚れたテディベア。


 小さく鼻をすする音。

『またね。と言ったな』

 テディベアはひとりでに手を振った。

『ここが施設というものか。他の家と何ら変わりない場所だ』

 西日が窓から指す。


「うん、ごめんね。私__勝手に居なくなって」

 震える声で少女は言った。

『構わん。我の目的は__』


「魂、でしょ?」

 少女は笑った。


「来て」

 上目遣いをしながら悪魔の手を引く。テディベアは彼女の上に覆いかぶさる。綿の塊は、少女に人肌以上の温かみを与えた。テディベアは少しぎこちなく、彼女の首元を撫でる。甘い声が漏れ出る。


「私、させなかったよ。悪魔さんにもう一回会えると思って」

 悪魔は何も答えない。大きく描いた涙袋がにじむ。


「だけど心々愛ね、お母さんに似てきちゃった。ちょっと我慢するだけでいいからさ。ほんと、汚いよね」

『そんなことはない』


「ふふっ。ありがとう」

 テディベアに抱かれて、女性の影は照明とともに闇へ消えた。



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