テディベアに抱かれて
ある日の公園のこと。幼稚園の年長、もしくは小学校低学年の女の子がブランコに揺られる。ブランコに飽きると鉄棒にまたがり、腕が疲れると滑り台に上る。それが松本心々愛のルーティーンであった。
心々愛は今日もその変わらないサイクルを繰り返す。だがその日、公園の木の陰に気配を感じ取った。
冷え切った乾いた風が吹く冬の午後だった。
「あなただあれ?」
心々愛は独り言のように呟いた。
「我は悪魔」
「あくま?」
心々愛はしゃがみ込み、両手を頬につけて覗き込む。
「悪魔さんって悪い人だよね? 」
悪魔はふっふっふっと低い声で笑う。
「人間にとっては、そうであろう。さあその魂頂こうか」
悪魔は心々愛の影に手を伸ばす。
「きゃっ」
影を掴まれると同時に、苦しそうに胸を押さえる。
「むっ、これは__」
悪魔はパッと手を放す。
「あれ、食べないの?」
心々愛は恐怖を示さず、興味本位といった感じで悪魔に質問する。
「つまらん。魂は純粋なものでなければ旨くないのだ」
ポカンとした表情で空を見つめる。
「興が冷めた。命拾いしたな、小娘よ」
悪魔は闇へと沈もうとする。
「待って__!」
心々愛が叫んだ。今までとは比べ物にならない、通る声だった。
「なんだ?」
悪魔は横目で心々愛を見る。
「ねえ。明日もここに来る?」
悪魔に言った。
「我は忙しい。お前のような小娘に構っている暇などない」
悪魔は言い捨てた。
「そっか」
しゅんとして俯いた。だがその感情の動向が、悪魔にとっては食欲をそそられるものだった。
「明日も、同じ時間だな」
心々愛の顔がパッと晴れる。
「うん! 」
長い影が夕日に照らされ伸びてゆく。西日はもうすぐ落ちる。
「悪魔さん! 見て!」
心々愛は公園に自分の背丈より大きいぬいぐるみを持ってきた。
「なんだ、その滑稽な綿の塊は」
悪魔は初めて見るテディベアに目を丸くする。
「この子はオレオ! 男の子なの! 」
オレオ? 男の子?悪魔は理解の範疇を超えるそのクマのぬいぐるみに困惑する。だがそれと同時に、魂に質量が生じてきていることを感じ取った。
「そうか。どこで作ったのだ。その__オレオとかいうやつは」
心々愛は自慢げな表情を浮かべる。
「えへへ。お父さんに買ってもらったの、コストコで!」
心々愛はぎゅっとテディベアを抱く。
「そうか。よくしてもらっているのだな」
悪魔は慣れない表面上の言葉を放つ。だが効果は悪魔の意志の反対に作用した。
「お母さんとお父さんは心々愛のこと好きじゃないよ」
心々愛は公園の木に寄りかかるようにぬいぐるみを置き、その隣に自分も座った。軽くなる魂。
「悪魔さんはお母さんとかお父さんいないの?」
「悪魔は人間とは違う」
「ふうん」
足を投げ出して地面に座る。アウトソールの一部は禿げ、踵を踏んでスリッパのようになった運動靴が目に留まった。
「じゃあ、好きな食べ物は?私はチョコが好き! 」
「我は人間の魂。特に子供の魂が好きだ」
「悪魔さんはそればっかりだね」
退屈そうに言う。
「悪魔はそれ以外にやることがない」
沈黙。月と太陽が同じ空に浮かぶ。橙色の空が黒に覆いかぶさる。
「娘、お前は何か欲する行動__やりたいことはないのか? 」
「んー。わかんない。お母さんには、早く好きな人見つけなさいって言われてるけど。心々愛そういうの分からないし」
「人間は集団を形成して社会性を学ぶのだろう。学校法人というやつには友達はいないのか?」
首を振る。
「みんな私のことを『ぜいきんどろぼー』とか『チンパンジー』とか言って話してくれないの」
少女はテディベアの手を握る。
「一人ぼっち、ということか」
こくりと頷く。
「心々愛はみんなと違うんだって」
「否定はしない」
「悪魔さんはモテなさそうだね。そういう時は『そんなことないよ』って言わなきゃ」
くすっと笑ってからかう。
「恋愛は分からないのではなかったのか?」
「うん。でもお母さんがしてるの見てるから」
「父親との会話で学んだわけか」
「ううん。知らない男の人」
立ち上がって泥を払い落とす。
「またね」
少女はテディベアの手を振った。
「おい田中、お前も西澤にしてもらったんか? 」
サッカー部の生徒が野球部の生徒と話す。
「あんなビッチ興味ねえよ。病気とか持ってるかもしれねえだろ」
サッカー部は手を振って否定する。
「大丈夫だよ。お前もしてもらえって。たった千円だぜ?」
「ねえ、きもーい」
スカートを切ったギャルが会話に割り込む。
「お、篠崎、妬いてんのか?」
サッカー部はギャルに返す。
「何言ってんの。まじありえない」
ノートでサッカー部を叩く。
「でもさ、あいつがめっちゃ上手いんだって。そう言うお前はしたことないだろ」
歪に口角の上がった笑顔。
「さあ?どうだろうね。ね?田中」
ギャルは野球部と目を合わせる。
「あ、ああ、そうだな」
野球部は目を逸らす。
「え、なになに。お前らそう言う関係だったの!? やば! おいみんな聞けよ、田中とこいつが__」
サッカー部が喚きだす。
『高等学校__何とも低俗な』
教室の隅。
「明日で十八歳か」
装飾のない質素な部屋で少女は呟いた。
『成人女性にしては随分と幼いものを部屋に置いている』
少女は声を辿る。視線の先。枕元に薄汚れたテディベア。
小さく鼻をすする音。
『またね。と言ったな』
テディベアはひとりでに手を振った。
『ここが施設というものか。他の家と何ら変わりない場所だ』
西日が窓から指す。
「うん、ごめんね。私__勝手に居なくなって」
震える声で少女は言った。
『構わん。我の目的は__』
「魂、でしょ?」
少女は笑った。
「来て」
上目遣いをしながら悪魔の手を引く。テディベアは彼女の上に覆いかぶさる。綿の塊は、少女に人肌以上の温かみを与えた。テディベアは少しぎこちなく、彼女の首元を撫でる。甘い声が漏れ出る。
「私、させなかったよ。悪魔さんにもう一回会えると思って」
悪魔は何も答えない。大きく描いた涙袋がにじむ。
「だけど心々愛ね、お母さんに似てきちゃった。ちょっと我慢するだけでいいからさ。ほんと、汚いよね」
『そんなことはない』
「ふふっ。ありがとう」
テディベアに抱かれて、女性の影は照明とともに闇へ消えた。




