お前が俺を縛るんじゃない、俺が「お前」を選ぶんだ
夜は鉄のように重く、血のような天幕は一片たりとも色褪せることなく、まるで世界全体の時間が黄昏と終末の狭間に凍結されたかのようだった。
廃墟と化した都市の奥、倒壊した壁と瓦礫が積み重なる死角に、崩れかけた建物の影が天光の大半を遮っていた。風さえまともに通れないほど狭く、閉ざされた空間。
俺は腰を下ろした。傾いたコンクリート柱に背を預け、足元には端がめくれた金属製のプレート。そこには薄れた白字で「駐車場」の三文字が辛うじて読めた。
空気には砕けたコンクリートと焼けた金属の匂いが漂い、吸い込むたびにわずかな刺激が鼻を突いた。
俺はすぐに休もうとはせず、目を閉じ、呼吸を抑えたまま、静かに思念を送る。
「システム、パネルを表示しろ。」
聞き慣れた無音の応答が現れる。視界に半透明のインターフェースがゆっくりと展開され、青灰色の細い光線が縁を囲み、数行のデータが上から下へと自動的に配置されていく。
【L.O.V.E.-α システム メインパネル】
【現在の状態:夜間適応モード】
【バインド者:登録済み】
【使用可能ポイント:0】
【認証対象:1 名】
【対象名:桐生 彩羽】
【現在の好感度:6 / 100】
【変換効率:1pt = 1.5 戦力】
俺は目を開け、その数字を静かに見つめる。
……6?
たしかに昨日までは【5】だった。
俺は一瞬動かず、その「6」の数字をしばらく見つめ続けた。
システムからの通知はない、音もなく、ポップアップもなし、「好感度上昇」といった記録も表示されない。ただ数字だけが、理由もなく変化していた。
俺は沈黙したまま動かず、今日一日で「桐生彩羽」と何か記録すべきやり取りがあったかどうかを思考の中で高速に検索した。
今日は転移後の三日目。現実世界ではクラス間のサッカー試合に参加し、勝利した。
彼女は校舎の窓辺で、俺がプレイしている姿を遠くから見ていて……それから、少しだけ笑った。
もし違いがあったとするなら、その「笑み」だけだ。
だが彼女は近寄ってこなかったし、言葉も交わしていない。視線を合わせたのも二秒以下。
「……それだけで上がるのか?」
俺は再びパネルを見回す。他のデータは一切変動していない。「好感度」だけが明確に変化している。
つまり、システムは「行動のやり取り」だけで変化を計算しているわけではない。感情の動き?注目の時間?記憶の固定点?……あるいは、「俺が彼女を見た」その一瞬?
数秒の沈黙の後、俺は顎に手を添え、唇を指先でなぞりながら考えた。
これは小さなことではない。
もしシステムが「通知なしで変化を記録する」なら、俺が見ている数値は不完全なものかもしれない。
「一瞥しただけ」で行動判定されるなら、俺の一挙手一投足が、すでに解析・評価されている可能性がある。
これは単なる「機能」ではない、これは「監視」だ。
なら、そろそろだろう。
俺は再び目を閉じ、心中に静かに命令を送る。
「システム、変動の理由を説明しろ。」
パネルは0.5 秒ほど静止し、青白い縁が微かに明滅する。
【要求を受理】
【インタラクションモード α-1 を起動】
【バインド者権限:開放レベル × 質問応答構造 起動中】
俺は目を開け、無表情のまま口を開く。
「話そうか。」
「お前は、何者だ。」
システムと俺の初めての対話が、ここで始まった。
空気には何の反響もなかった。
俺は動かず、ただ視界に浮かぶ「桐生 彩羽:6」の数値を見つめながら、再び静かに思念を送る。
「システム、説明しろ。」
命令を送った直後、パネルは一瞬無反応だった。
だが、次の瞬間、右下に極小の光点が現れ、青白の二色線が視界中央に展開された。
【インタラクションモード α-1:起動済み】
【アクセス権:開放レベル】
【戦術支援システム L.O.V.E.-α-2025 起動中】
【対象内容を確認 × インタラクション開始可能】
俺は平然と問いかける。
「お前は何だ?」
通知音も音声合成もない。システムの返答はただの文字列で、軍事マニュアルのように整然と並ぶ。
【私は戦術支援システム L.O.V.E.-α-2025】
【構成タイプ:感情変換型・非線形インタラクションモジュール】
【目的:感情構造を分析 → 資源へ変換 → バインド者の異常世界での生存 × 対応 × 進化を補助】
主観語も語調模写もなく、淡々とした返答。
俺はそれを読み終え、膝の上に置いた手指をわずかに動かし、感情を表に出さず静かに確認する。
「つまり、感情をエネルギー源にしているってことだな。」
続けて質問を重ねる。
「俺をどれくらい監視していた?」
即時に返答。
【システム起動時から現在まで、72 時間のバックグラウンド追跡 × 日中行動分析 × 心理偏差監視 × 戦闘テンポ記録を実行中】
【備考:干渉なし × 誘導なし × 評価なし】
「72 時間か……」
その数値を繰り返しながら、俺の視線はわずかに沈んだ。
三日間。
俺が初めてこの世界で目覚めた時から、システムはずっと後ろで観察していた。
何も言わず、ただ黙って見ていた。
俺は首をわずかに傾け、独り言のように、同時に仕掛けるような一文を送る。
「俺が口を開くのを待ってたか?依存を見るためか、それとも拒絶か。」
システムは直接には答えず、代わりに文字が表示される。
【インタラクションの起動権はバインド者にあり × システムは誘導行動を行わない】
【感情の収集 × フィードバック解析 × データ表示は、すべて受動的に実行】
感情はない。擬似人格のような「人間らしさ」さえ装おうとしない。
俺は冷静に目を上げ、パネルの中央に映る冷たい文字列を見つめたまま、次の問いを放つ。
「なら、何故俺を選んだ?」
それは挑発ではなく、核心に迫る問いだった。
パネルは約 0.5 秒静止し、やがて標準的な応答構造が浮かぶ。
【質問はバインド者の権限境界に到達】
【現在のアクセスレベルでは応答不可 × 拒否】
【注記:この項目は将来の権限開放対象 × 現在は封鎖 × 回答権限なし】
拒否された。
俺はその一文を黙って見つめ、しばらく言葉を発さなかった。
分かっていた。これは「答えられない」じゃなく、「俺には教えない」ということだ。
これはエラーではない。
つまり、システム自身も何か上位の構造に制限されているということ。
つまり、お前は、全知ではない。
この対話では、二つの答えと一つの拒絶だけを受け取った。だが、それで十分だった。
これは始まりに過ぎない。
システムの応答は視界中央に表示されたままだ。
青白の光が交差するピクセル線が静かに流れ、正確に配置されたラインは、まるでアルゴリズムの可視化インターフェースのように整然と存在していた。
俺は静かに座り、すぐに次の質問には進まず、まず頭の中で論理構造の枠組みを一周構築させる。
さっきの一瞬、好感度の変化は間違いじゃない。
「彼女」が、無自覚のまま、俺に何らかの感情の揺れを起こした。
その揺れを、システムが捕らえた。
俺は「桐生 彩羽:6」という数値を見つめながら、ゆっくりと呟く。
「……好感度って、どうやって算出されてる?」
システムは即座に応答を表示、装飾のない、定義だけの羅列。
【好感度の生成メカニズムは以下の通り】
【対象人物による感情の揺れ × 注目の重み × 心理的親密度 × 感情の浸透率】
【上記 4 項目により「感情ウェイト値」を構成】
【システムはこれをリアルタイム追跡 × 解析 × 数値化し → LovePoint(戦力ポイント)として変換】
「つまり、言動だけじゃなく、彼女の感情の強度がポイント源ってことだな。」
俺は感情のない声でさらに訊く:
「でも俺、彼女に何も話してないぞ。なんで好感度が上がった?」
システムは依然として即応する。
【会話は唯一の生成条件ではない】
【視線 × 行動への注目 × 記憶の再生 × 微表情の反応なども感情トリガーとなる】
【現在の対象感情状態:低強度の感情反応が発生 × 潜在的な肯定認知が生じ × 微量の数値上昇を引き起こした】
【上昇量:+1pt。システムは記録済み】
俺は返答せず、ただ目を伏せ、システムのログを眺める。
「つまり。」
俺は静かに口を開いた。
「ポイントって、彼女たちの感情から「抽出」されてるのか?」
システムは冷静に返す。
【ポイントの起源:感情エネルギー × 心理投影 × 記憶構造の沈積】
【人間の感情は高濃度の精神エネルギー体であり × 意識間共鳴を生成しやすい】
【バインドチャネルが成立後、感情共鳴はシステムによって認識 × 封印 × 抽出 × 実体戦闘資源に変換可能】
【生成プロセス:感情の揺れ → 数値化 → 封装 → エネルギー注入モジュールへ】
これは完全なフローだ。プログラム設計書のように明快。
俺はパネルを見つめながら、薄く冷笑した。
「つまりお前は、俺に彼女たちの感情を「稼げ」って言ってるんだな。」
これは詰問ではない。ただの確認だ。
システムは変わらぬ無感情な応答を返す。
【システムは介入権を持たない】
【接近するか、関係を築くか、感情を誘発するか、すべてバインド者の自由選択に依存】
【システムはデータのフィードバックプラットフォームに過ぎず × 助言を行わず × 行動決定に関与しない】
俺はその文を数秒間見つめた。
システムは「誘導しない」とも「感情を持つな」とも言わない。
ただ言った。
「俺は関わらない。どう動くかはお前の選択だ」と。
俺は背を石壁に戻し、膝上の金属棒を取り上げ、埃を拭う。視線はまだパネルに留まったまま。声はさっきより低い。
「……お前が導かないなら、お前は観察してるってことだな。」
「なら、次に俺が知りたいのは、お前の「観察範囲」だ。」
システムパネルは変わらず目の前に浮かんでいる。
俺はゆっくりと体を起こし、金属棒を脇の壁面に立てかける。呼吸を落ち着け、瓦礫の隙間から吹く風が鉄と埃の匂いを運んできた。
パネルを閉じず、俺はそのまま名を見つめる。
【桐生 彩羽:好感度 6】
この名前を見るのは初めてじゃない。だが今回、俺は明確な論理で確認することに決めた。
なぜ、彼女が「選ばれた」のか。
「なぜ彼女が「認証」された?」
即応が表示される。
【対象「桐生 彩羽」はL.O.V.Eシステムにより認証済み】
【認証条件は以下の通り】
【① 外見的魅力:Sランク。システム美貌スコア95.8】
【② 総合素質:社交性優良 × 感情表現力あり × 精神構造安定 × 感情耐性基準に達している】
【総合評価:攻略対象として適格】
俺は数秒間考えてから、次の問いを投げた。
「すべての女子をスキャンしてるのか?」
システムは否定した。
【否】
【システムは以下の2つのコア条件を同時に満たした対象のみをスキャン対象とする】
【コア条件】
【1】美的魅力がシステムSランク基準に達している(総スコア90 以上)
【2】個人能力・感情安定性・表現力などが総合基準を満たしている
視線を変えずにさらに確認する。
「じゃあ、俺が見なければ、彼女が話しかけなければ……お前は反応しないってことだな?」
システムが応答:
【はい】
【システムの認証メカニズムは「接触 × 反応」の二重起動構造である】
【認証には以下の条件が必要】
【① 主人公との一度の有効な双方向会話】
【② お互いの意識下での視線接触】
【両条件が成立しない限り、システムは認証を起動せず × 好感度を記録せず × データパネルを表示しない】
【システムは未確認個体をバインドせず × 攻略対象を予め指定することもない】
俺は黙ったまま、静かに石壁に寄りかかった。破れた壁材の角が風でわずかに揺れる。
「彼女が美人だからって、必ず攻略対象になるわけじゃない。」
「俺が見ただけでもダメ。会話もしてないと、数値は出ない。」
「俺が見た。彼女も俺を見た。そして、話した。」
その三つの条件が満たされて、初めて「起動」する。
冷たいが、整然としていて、文句のつけようがない。
これはゲームじゃない。恋愛シナリオでもない。
これはシステムだ。記録しているのは「現実の接触」。
俺は小さく呟く。
「お前は先に動かない。俺のアクションを待つだけだ。」
システムは黙ったまま、前方に静止していた。
俺はその画面を数秒間眺め、膝の脇の石を指先で軽く叩いた。
データは嘘をつかない。
だが、このデータで何ができる?
感情の温度はほとんどゼロ。だが「ルール」の輪郭はもう見えた。
次に俺が問うべきは決まっている。
この「感情変換」システムのルールは、操作できるのか?
ポイントは稼げるか?騙せるか?取引できるか?
だがその前に、まず確認すべきだ。
お前は、どこまで「見える」のか。
視線を動かさぬまま、俺は再び思念を送る。
「好感度は、どう戦力に変換されてる?固定比率か?」
システムは即時応答。明確な構造図が表示される。
【感情変換式は以下の通り】
【好感度 1~29】:1ポイント = 戦力 1
【好感度 30~59】:1ポイント = 戦力 1.5
【好感度 60~89】:1ポイント = 戦力 2
【好感度 90~99】:1ポイント = 戦力 3
【好感度 100】:特殊モジュールを解放。以下の機能が含まれる:
▪ 特殊戦力回路(強化倍率上昇)
▪ スキルスロット開放(特殊能力を保持可能)
▪ 生命保護機能(致命的攻撃を受けた際、一度だけ防護を発動)
俺は視線を一度走らせた。
「非線形の増幅だな。」
前半は好感度が上がりやすいが、換算値は低い。だが後半は上がりにくくなる分、変換効率が跳ね上がる。
これは恋愛システムじゃない。
これは「感情搾取構造」だ。
俺はゆっくりと体勢を整え、石の塊にもたれたまま、無感情に口を開いた。
「……彼女たちを騙せるか?」
「演じる。友人のふりをして、場面を作り、会話を誘導する。それでも「インタラクション」として認識されるんだろ?」
システムは静かに新たな文字列を表示した。
【システム行動動機識別モジュール 起動中……】
【提示:ポイント生成効率は「行動の誠実度 × 動機の明確さ × 対象人物の心理状態」の三重要因により変動】
【偽装 × 操作 × 意図的な欺瞞行為 などは以下の結果を引き起こす:】
▪ 感情ポイント凍結(当該対象からのポイント生成が不能に)
▪ 好感度停滞(上昇が阻害される)
▪ 抵抗曲線の反発(戦力換算効率が自動的に減衰)
▪ 感情の反作用:対象に強いネガティブ感情(疑念 / 怒り / 失望 など)が発生した場合、【ポイント減退】 × 【戦力失効】 × 【特異支援モジュールの封鎖】が生じる可能性あり
俺は冷静に読み終え、余計な感想は挟まず、ひと言だけ吐き出した。
「……思ったより厳密だな。」
このシステムは一方的に抽出するだけじゃない。「誠実」と「虚偽」を判別できる。
さらなる深部に踏み込んで問う。
「彼女たちは気づくのか?」
「自分がスコア化されていること、バインドされていること、「感情エネルギー」として俺に使われていること。」
システムの反応はやや遅れた。0.3 秒。だがすぐに新たなテキストが浮かぶ。
【対象人物は【意識干渉遮断】状態にある】
▪ 好感度システムの存在を認識できない
▪ バインド関係を認識できない
▪ ポイント生成や変換を認識できない
▪ あらゆる感情変化は「本人の自然な心理反応」として処理される
▪ 「利用されている」という主観的認知は発生しない
【彼女たちにとって、お前はただの「お前」である。システムは存在しない。】
俺は指先で石レンガを三度叩く。
「彼女たちにとって、俺はただのクラスメイトの男。」
「だが、お前にとって、俺は唯一のデータノード。」
「お前は、俺と彼女たちの間に一方通行の吸収パイプを作った。」
夜は鉄のように重く、血のような天幕は一片たりとも色褪せることなく、まるで世界全体の時間が黄昏と終末の狭間に凍結されたかのようだった。
廃墟と化した都市の奥、倒壊した壁と瓦礫が積み重なる死角に、崩れかけた建物の影が天光の大半を遮っていた。風さえまともに通れないほど狭く、閉ざされた空間。
俺は腰を下ろした。傾いたコンクリート柱に背を預け、足元には端がめくれた金属製のプレート。そこには薄れた白字で「駐車場」の三文字が辛うじて読めた。
空気には砕けたコンクリートと焼けた金属の匂いが漂い、吸い込むたびにわずかな刺激が鼻を突いた。
俺はすぐに休もうとはせず、目を閉じ、呼吸を抑えたまま、静かに思念を送る。
「システム、パネルを表示しろ。」
聞き慣れた無音の応答が現れる。視界に半透明のインターフェースがゆっくりと展開され、青灰色の細い光線が縁を囲み、数行のデータが上から下へと自動的に配置されていく。
【L.O.V.E.-α システム メインパネル】
【現在の状態:夜間適応モード】
【バインド者:登録済み】
【使用可能ポイント:0】
【認証対象:1 名】
【対象名:桐生 彩羽】
【現在の好感度:6 / 100】
【変換効率:1pt = 1.5 戦力】
俺は目を開け、その数字を静かに見つめる。
……6?
たしかに昨日までは【5】だった。
俺は一瞬動かず、その「6」の数字をしばらく見つめ続けた。
システムからの通知はない、音もなく、ポップアップもなし、「好感度上昇」といった記録も表示されない。ただ数字だけが、理由もなく変化していた。
俺は沈黙したまま動かず、今日一日で「桐生彩羽」と何か記録すべきやり取りがあったかどうかを思考の中で高速に検索した。
今日は転移後の三日目。現実世界ではクラス間のサッカー試合に参加し、勝利した。
彼女は校舎の窓辺で、俺がプレイしている姿を遠くから見ていて……それから、少しだけ笑った。
もし違いがあったとするなら、その「笑み」だけだ。
だが彼女は近寄ってこなかったし、言葉も交わしていない。視線を合わせたのも二秒以下。
「……それだけで上がるのか?」
俺は再びパネルを見回す。他のデータは一切変動していない。「好感度」だけが明確に変化している。
つまり、システムは「行動のやり取り」だけで変化を計算しているわけではない。感情の動き?注目の時間?記憶の固定点?……あるいは、「俺が彼女を見た」その一瞬?
数秒の沈黙の後、俺は顎に手を添え、唇を指先でなぞりながら考えた。
これは小さなことではない。
もしシステムが「通知なしで変化を記録する」なら、俺が見ている数値は不完全なものかもしれない。
「一瞥しただけ」で行動判定されるなら、俺の一挙手一投足が、すでに解析・評価されている可能性がある。
これは単なる「機能」ではない、これは「監視」だ。
なら、そろそろだろう。
俺は再び目を閉じ、心中に静かに命令を送る。
「システム、変動の理由を説明しろ。」
パネルは0.5 秒ほど静止し、青白い縁が微かに明滅する。
【要求を受理】
【インタラクションモード α-1 を起動】
【バインド者権限:開放レベル × 質問応答構造 起動中】
俺は目を開け、無表情のまま口を開く。
「話そうか。」
「お前は、何者だ。」
システムと俺の初めての対話が、ここで始まった。
空気には何の反響もなかった。
俺は動かず、ただ視界に浮かぶ「桐生 彩羽:6」の数値を見つめながら、再び静かに思念を送る。
「システム、説明しろ。」
命令を送った直後、パネルは一瞬無反応だった。
だが、次の瞬間、右下に極小の光点が現れ、青白の二色線が視界中央に展開された。
【インタラクションモード α-1:起動済み】
【アクセス権:開放レベル】
【戦術支援システム L.O.V.E.-α-2025 起動中】
【対象内容を確認 × インタラクション開始可能】
俺は平然と問いかける。
「お前は何だ?」
通知音も音声合成もない。システムの返答はただの文字列で、軍事マニュアルのように整然と並ぶ。
【私は戦術支援システム L.O.V.E.-α-2025】
【構成タイプ:感情変換型・非線形インタラクションモジュール】
【目的:感情構造を分析 → 資源へ変換 → バインド者の異常世界での生存 × 対応 × 進化を補助】
主観語も語調模写もなく、淡々とした返答。
俺はそれを読み終え、膝の上に置いた手指をわずかに動かし、感情を表に出さず静かに確認する。
「つまり、感情をエネルギー源にしているってことだな。」
続けて質問を重ねる。
「俺をどれくらい監視していた?」
即時に返答。
【システム起動時から現在まで、72 時間のバックグラウンド追跡 × 日中行動分析 × 心理偏差監視 × 戦闘テンポ記録を実行中】
【備考:干渉なし × 誘導なし × 評価なし】
「72 時間か……」
その数値を繰り返しながら、俺の視線はわずかに沈んだ。
三日間。
俺が初めてこの世界で目覚めた時から、システムはずっと後ろで観察していた。
何も言わず、ただ黙って見ていた。
俺は首をわずかに傾け、独り言のように、同時に仕掛けるような一文を送る。
「俺が口を開くのを待ってたか?依存を見るためか、それとも拒絶か。」
システムは直接には答えず、代わりに文字が表示される。
【インタラクションの起動権はバインド者にあり × システムは誘導行動を行わない】
【感情の収集 × フィードバック解析 × データ表示は、すべて受動的に実行】
感情はない。擬似人格のような「人間らしさ」さえ装おうとしない。
俺は冷静に目を上げ、パネルの中央に映る冷たい文字列を見つめたまま、次の問いを放つ。
「なら、何故俺を選んだ?」
それは挑発ではなく、核心に迫る問いだった。
パネルは約 0.5 秒静止し、やがて標準的な応答構造が浮かぶ。
【質問はバインド者の権限境界に到達】
【現在のアクセスレベルでは応答不可 × 拒否】
【注記:この項目は将来の権限開放対象 × 現在は封鎖 × 回答権限なし】
拒否された。
俺はその一文を黙って見つめ、しばらく言葉を発さなかった。
分かっていた。これは「答えられない」じゃなく、「俺には教えない」ということだ。
これはエラーではない。
つまり、システム自身も何か上位の構造に制限されているということ。
つまり、お前は、全知ではない。
この対話では、二つの答えと一つの拒絶だけを受け取った。だが、それで十分だった。
これは始まりに過ぎない。
システムの応答は視界中央に表示されたままだ。
青白の光が交差するピクセル線が静かに流れ、正確に配置されたラインは、まるでアルゴリズムの可視化インターフェースのように整然と存在していた。
俺は静かに座り、すぐに次の質問には進まず、まず頭の中で論理構造の枠組みを一周構築させる。
さっきの一瞬、好感度の変化は間違いじゃない。
「彼女」が、無自覚のまま、俺に何らかの感情の揺れを起こした。
その揺れを、システムが捕らえた。
俺は「桐生 彩羽:6」という数値を見つめながら、ゆっくりと呟く。
「……好感度って、どうやって算出されてる?」
システムは即座に応答を表示、装飾のない、定義だけの羅列。
【好感度の生成メカニズムは以下の通り】
【対象人物による感情の揺れ × 注目の重み × 心理的親密度 × 感情の浸透率】
【上記 4 項目により「感情ウェイト値」を構成】
【システムはこれをリアルタイム追跡 × 解析 × 数値化し → LovePoint(戦力ポイント)として変換】
「つまり、言動だけじゃなく、彼女の感情の強度がポイント源ってことだな。」
俺は感情のない声でさらに訊く:
「でも俺、彼女に何も話してないぞ。なんで好感度が上がった?」
システムは依然として即応する。
【会話は唯一の生成条件ではない】
【視線 × 行動への注目 × 記憶の再生 × 微表情の反応なども感情トリガーとなる】
【現在の対象感情状態:低強度の感情反応が発生 × 潜在的な肯定認知が生じ × 微量の数値上昇を引き起こした】
【上昇量:+1pt。システムは記録済み】
俺は返答せず、ただ目を伏せ、システムのログを眺める。
「つまり。」
俺は静かに口を開いた。
「ポイントって、彼女たちの感情から「抽出」されてるのか?」
システムは冷静に返す。
【ポイントの起源:感情エネルギー × 心理投影 × 記憶構造の沈積】
【人間の感情は高濃度の精神エネルギー体であり × 意識間共鳴を生成しやすい】
【バインドチャネルが成立後、感情共鳴はシステムによって認識 × 封印 × 抽出 × 実体戦闘資源に変換可能】
【生成プロセス:感情の揺れ → 数値化 → 封装 → エネルギー注入モジュールへ】
これは完全なフローだ。プログラム設計書のように明快。
俺はパネルを見つめながら、薄く冷笑した。
「つまりお前は、俺に彼女たちの感情を「稼げ」って言ってるんだな。」
これは詰問ではない。ただの確認だ。
システムは変わらぬ無感情な応答を返す。
【システムは介入権を持たない】
【接近するか、関係を築くか、感情を誘発するか、すべてバインド者の自由選択に依存】
【システムはデータのフィードバックプラットフォームに過ぎず × 助言を行わず × 行動決定に関与しない】
俺はその文を数秒間見つめた。
システムは「誘導しない」とも「感情を持つな」とも言わない。
ただ言った。
「俺は関わらない。どう動くかはお前の選択だ」と。
俺は背を石壁に戻し、膝上の金属棒を取り上げ、埃を拭う。視線はまだパネルに留まったまま。声はさっきより低い。
「……お前が導かないなら、お前は観察してるってことだな。」
「なら、次に俺が知りたいのは、お前の「観察範囲」だ。」
システムパネルは変わらず目の前に浮かんでいる。
俺はゆっくりと体を起こし、金属棒を脇の壁面に立てかける。呼吸を落ち着け、瓦礫の隙間から吹く風が鉄と埃の匂いを運んできた。
パネルを閉じず、俺はそのまま名を見つめる。
【桐生 彩羽:好感度 6】
この名前を見るのは初めてじゃない。だが今回、俺は明確な論理で確認することに決めた。
なぜ、彼女が「選ばれた」のか。
「なぜ彼女が「認証」された?」
即応が表示される。
【対象「桐生 彩羽」はL.O.V.Eシステムにより認証済み】
【認証条件は以下の通り】
【① 外見的魅力:Sランク。システム美貌スコア95.8】
【② 総合素質:社交性優良 × 感情表現力あり × 精神構造安定 × 感情耐性基準に達している】
【総合評価:攻略対象として適格】
俺は数秒間考えてから、次の問いを投げた。
「すべての女子をスキャンしてるのか?」
システムは否定した。
【否】
【システムは以下の2つのコア条件を同時に満たした対象のみをスキャン対象とする】
【コア条件】
【1】美的魅力がシステムSランク基準に達している(総スコア90 以上)
【2】個人能力・感情安定性・表現力などが総合基準を満たしている
視線を変えずにさらに確認する。
「じゃあ、俺が見なければ、彼女が話しかけなければ……お前は反応しないってことだな?」
システムが応答:
【はい】
【システムの認証メカニズムは「接触 × 反応」の二重起動構造である】
【認証には以下の条件が必要】
【① 主人公との一度の有効な双方向会話】
【② お互いの意識下での視線接触】
【両条件が成立しない限り、システムは認証を起動せず × 好感度を記録せず × データパネルを表示しない】
【システムは未確認個体をバインドせず × 攻略対象を予め指定することもない】
俺は黙ったまま、静かに石壁に寄りかかった。破れた壁材の角が風でわずかに揺れる。
「彼女が美人だからって、必ず攻略対象になるわけじゃない。」
「俺が見ただけでもダメ。会話もしてないと、数値は出ない。」
「俺が見た。彼女も俺を見た。そして、話した。」
その三つの条件が満たされて、初めて「起動」する。
冷たいが、整然としていて、文句のつけようがない。
これはゲームじゃない。恋愛シナリオでもない。
これはシステムだ。記録しているのは「現実の接触」。
俺は小さく呟く。
「お前は先に動かない。俺のアクションを待つだけだ。」
システムは黙ったまま、前方に静止していた。
俺はその画面を数秒間眺め、膝の脇の石を指先で軽く叩いた。
データは嘘をつかない。
だが、このデータで何ができる?
感情の温度はほとんどゼロ。だが「ルール」の輪郭はもう見えた。
次に俺が問うべきは決まっている。
この「感情変換」システムのルールは、操作できるのか?
ポイントは稼げるか?騙せるか?取引できるか?
だがその前に、まず確認すべきだ。
お前は、どこまで「見える」のか。
視線を動かさぬまま、俺は再び思念を送る。
「好感度は、どう戦力に変換されてる?固定比率か?」
システムは即時応答。明確な構造図が表示される。
【感情変換式は以下の通り】
【好感度 1~29】:1ポイント = 戦力 1
【好感度 30~59】:1ポイント = 戦力 1.5
【好感度 60~89】:1ポイント = 戦力 2
【好感度 90~99】:1ポイント = 戦力 3
【好感度 100】:特殊モジュールを解放。以下の機能が含まれる:
▪ 特殊戦力回路(強化倍率上昇)
▪ スキルスロット開放(特殊能力を保持可能)
▪ 生命保護機能(致命的攻撃を受けた際、一度だけ防護を発動)
俺は視線を一度走らせた。
「非線形の増幅だな。」
前半は好感度が上がりやすいが、換算値は低い。だが後半は上がりにくくなる分、変換効率が跳ね上がる。
これは恋愛システムじゃない。
これは「感情搾取構造」だ。
俺はゆっくりと体勢を整え、石の塊にもたれたまま、無感情に口を開いた。
「……彼女たちを騙せるか?」
「演じる。友人のふりをして、場面を作り、会話を誘導する。それでも「インタラクション」として認識されるんだろ?」
システムは静かに新たな文字列を表示した。
【システム行動動機識別モジュール 起動中……】
【提示:ポイント生成効率は「行動の誠実度 × 動機の明確さ × 対象人物の心理状態」の三重要因により変動】
【偽装 × 操作 × 意図的な欺瞞行為 などは以下の結果を引き起こす:】
▪ 感情ポイント凍結(当該対象からのポイント生成が不能に)
▪ 好感度停滞(上昇が阻害される)
▪ 抵抗曲線の反発(戦力換算効率が自動的に減衰)
▪ 感情の反作用:対象に強いネガティブ感情(疑念 / 怒り / 失望 など)が発生した場合、【ポイント減退】 × 【戦力失効】 × 【特異支援モジュールの封鎖】が生じる可能性あり
俺は冷静に読み終え、余計な感想は挟まず、ひと言だけ吐き出した。
「……思ったより厳密だな。」
このシステムは一方的に抽出するだけじゃない。「誠実」と「虚偽」を判別できる。
さらなる深部に踏み込んで問う。
「彼女たちは気づくのか?」
「自分がスコア化されていること、バインドされていること、「感情エネルギー」として俺に使われていること。」
システムの反応はやや遅れた。0.3 秒。だがすぐに新たなテキストが浮かぶ。
【対象人物は【意識干渉遮断】状態にある】
▪ 好感度システムの存在を認識できない
▪ バインド関係を認識できない
▪ ポイント生成や変換を認識できない
▪ あらゆる感情変化は「本人の自然な心理反応」として処理される
▪ 「利用されている」という主観的認知は発生しない
【彼女たちにとって、お前はただの「お前」である。システムは存在しない。】
俺は指先で石レンガを三度叩く。
「彼女たちにとって、俺はただのクラスメイトの男。」
「だが、お前にとって、俺は唯一のデータノード。」
「お前は、俺と彼女たちの間に一方通行の吸収パイプを作った。」
これは恋愛ではない。感情ですらない。
これは狩りだ。
俺はゆっくりと視線を上げ、システム画面の淡い青い輪郭を静かに見つめた。
「お前は俺に「愛せ」とは言わない。」
「お前は「彼女たちの愛」を使って、俺に生きろと言ってるんだ。」
「なら、一例を挙げてくれ。」
俺は静かな声でそう言った。視線は上げない。淡々としたひと言。
システムは0.3 秒の沈黙の後、視界中央に新たな透明モジュールを展開する。
モジュールの縁にはこう表示されていた:
【美貌システム評価基準(総合 100 点)】
十の基準が一つひとつ並ぶ。文章は冷酷なまでに精密だった。
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1. 骨格構造(10 点)
顔の立体感 × 輪郭比率 × 顎の明瞭度 × 三庭五眼の精度
2. パーツ精緻度(10 点)
目・鼻・口の完成度 × 視覚バランス × 部分的記憶ポイントの配置
3. 顔面左右対称性(10 点)
静的構造対称 × 動的表情の安定性(例:笑顔 / 瞬き)
4. パーツ調和性(10 点)
部位比率の調和 × 違和感のなさ × 自然な融合視覚構成
5. 眼力(10 点)
虹彩の密度 × 感情表現力 × 視線の貫通感 × 焦点収束度
6. 髪質 × 髪量 × 整理度(10 点)
髪の状態 × スタイル完成度 × 全体との調和性
7. 雰囲気識別力(10 点)
第一印象の記憶率 × 群集内での視覚的中心率 × 感情場の支配力
8. 体型 × 姿勢曲線(10 点)
歩き方 × 立ち姿 × 肩・首・腰・尻の曲線動線
9. 肌質 × 清潔度(10 点)
光沢 × 傷・毛穴の少なさ × 肌色の均衡 × 皮脂コントロール精度
10. 感情浸透性 × 表情完成度(10 点)
表情の自然な流れ × 感情の伝達力 × 表情構造の安定性
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最後にシステムがこう付け加える:
【Sランク認証基準】:90 点以上
【現在唯一の通過者】:1 名
次の瞬間、画面が切り替わり、新たなウィンドウが表示される。
【L.O.V.E.認証対象:桐生 彩羽】
状態:認証完了 × 攻略メカニズム起動中
現在の好感度:6 / 100
ポイント変換効率:1pt = 戦力 1.5
感情追跡モジュール:稼働中
初期認証番号:0001
スコア詳細:
骨格構造:9.6
パーツ精緻度:9.7
顔面左右対称性:9.5
パーツ調和性:9.5
眼力:9.4
髪質 × 髪量 × 整理度:9.6
雰囲気識別力:9.8
体型 × 姿勢曲線:9.4
肌質 × 清潔度:9.6
感情浸透性 × 表情完成度:9.7
【総合スコア:95.8】
【評価ランク:S】
【美貌評価:認証済み】
すべての評価項目が整然と表として並び、人間ではないアルゴリズムが書いた美学解剖書のようだった。
俺はそのデータ列を3 秒ほど見つめたが、「彼女は本当に美しい」などという感想は一切浮かばなかった。
ただ、静かに呟いた。
「……ビジュアル系の採点、やけに正確だな。」
俺が言っているのはアルゴリズムのことだ。
桐生 彩羽ではない。
採点モジュールの表示が終わると、システムパネルは自動で折り畳まれ、標準インターフェースに戻る。
俺は人差し指を伸ばし、画面の端をなぞるように操作し、このデータ群を【個人モジュール − 感情基準記録】に保存した。
これは「彼女が美しいかどうか」ではない。
システムが、どんな構造で「誰を攻略対象にするか」を決めているか、という問題だ。
彼女は、今のところ唯一この「資格」を与えられた存在。
俺は画面をさらにスクロールする。指は止まらない。
美貌評価が畳まれると同時に、次のサブモジュールが開く。
【認証対象・第二次元:総合素質評価 × 個人能力検証】
俺は何も言わず、ただ静かに画面の切り替えを見守った。
このフィルタリング構造が本当に「顔だけじゃない」のか、検証するために。
画面は項目ごとに展開され、まるで戦闘資料のように簡潔で正確、黒背景に銀文字がマトリクス状に整列していた。
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【桐生 彩羽】
システム番号:0001
認証状態:通過済み
好感度:6 / 100
感情追跡モジュール:作動中
評価モジュール:総合素質 × 能力構成評価
1. 学業能力:
評価等級:B+
説明:学習能力は良好で、基本的な論理思考力と記憶保持構造を有する。数学や理系科目は安定、文系は平均よりやや上。天才型ではないが、自主学習と吸収力を備える。
2. 社交能力:
評価等級:S
説明:非常に高いコミュニケーション力と人間関係構築能力を持つ。校内外での可視性・影響力が高い。「関係網の拡張性」を備え、「行動力 × 拡散力 × 感情浸透」の三重効果あり。「社交圏の自然な重心」として機能。
3. 感情表現構造:
評価等級:A
説明:感情フィードバックの強度が非常に高い。情緒的張力が自然に発露し、反応は頻繁かつ明確。「読み取りやすさ × 反応しやすさ」を持ち、バインド者の行動に迅速に情動変化が生じる。
4. 判断力 × 衝突調整力:
評価等級:A−
説明:初歩的なリスク認識力を備え、倫理フレームも健全。社交場では柔軟な調停傾向を示す。衝突を激化させず、感情を他人に波及させにくい。心理的回復力はやや高め。
5. 精神安定性 × 内的構造の完全性:
評価等級:A
説明:精神的耐性が高く、困難状況下でも自己調整 × 緩衝メカニズムを持つ。恋愛経験は浅いが、人格構造に破綻や攻撃性はなく、高密度な共鳴を受容可能。
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【総合素質評価:A+】
状態:認証合格 × バインド有効 × 感情生成効率:中上位
備考:「親和 × 表現 × 自然吸引力」の要素が高く、「感情トリガー」および「主要攻略位」に適性あり
俺はスコアを一瞥し、特に驚きはしなかった。
この判定結果は、俺の予想より……ずっと整っていた。
「ただ美しいだけ」の空っぽでもなければ、「外面だけ強い」社交的仮面でもない。
彼女は、「一見ただの社交女王だが、その内層構造はすべてが明確に整理されている」タイプの存在だ。
システムは、彼女を「最も有効な感情ループを生成できる」第一攻略対象として明確に認定している。
俺は数秒黙ったまま、ただ静かにこう呟いた:
「……お前が選ぶのは、言うことを聞く奴でも、美しい奴でもないってわけか。」
俺はその評価欄を見つめた。社交能力:S × 感情フィードバック:A × 精神構造:A+。
システムがなぜ彼女から始めたか、今なら分かる。
常に集団の中心にいながら、一度も「本当に触れられたことのない」人間。
そういうタイプは、感情のギャップが一番はっきり出る。
彼女は「返してくる」し、「波を起こす」こともできる。
そして今、俺が持っているのは、そのフィードバックループを読み取る権利だ。
俺の視線はわずかに沈んだ。
憐れみでも、感慨でもない。
ただ、システムの提示するモデルを検証していただけだった。
そのまま、俺はインターフェースをゆっくりと畳み、視界端に最小化状態で残したまま、バックグラウンド追跡を起動する。
好感度は【6】のまま。
無理に上げるつもりはない。
だが、すでに存在しているこの「感情の起点」を、無視する気もない。
俺は廃墟の壁にもたれ直し、目を閉じる。
夜はまだ長く、感情もまだ軽い。
だが、これは終わりではない。
これは「本当の始まり」だ。
面板は空中に静かに漂い、まるで何かの無形データドローンのように光帯を滑らせていた。冷色の青灰色の文字列に温度はない。
俺は立ち上がった。
膝に一瞬痺れが走るのは、長時間の静座による自然な反応だ。気にしない。
掌をひび割れた石に軽く置き、身体を瓦礫と影の隙間から押し上げる。
システム画面は視界内にまだ浮かんでいる。
音もなければ、演出もない。人格もない。
だからこそ。
これが、俺の信頼するテンポなのだ。
俺はゆっくりと、無表情のまま最後の質問を投げた。
「……お前は彼女をコントロールできるか?」
【システム応答:否。システムには行動誘導機能は存在せず、対象の感情状態のみを記録する。】
俺は微かに頷いた。感情はなかった。
「俺をコントロールできるか?」
【システム応答:否。バインド者は主権的行動体であり、行動 × 感情 × 認知すべてにおいて完全な自主権を有する。】
……
いいだろう。
俺は一秒ほど沈黙し、
そのまま、視界に浮かぶ幾何学パネルを見上げた。
表情もなければ、声色もない。温度もなかった。
それなのに、この瞬間の俺は、誰よりも冷静だった。
口調に強弱はなく、ただ一語一句を静かに読み上げるように語った:
「お前は、俺にバインドされたシステムだ。」
「だが今から、俺が「お前」を観察する者になる。」
割れた壁の隙間から吹き抜けた風が、遠くの夜鳥の鳴き声を運んできた。俺の言葉は止まらない。
「俺は、お前に頼らない。」
「服従することもない。」
俺はパネルを見つめていた。
まるでそこに、「ルールを映す鏡」があるように。
「俺は、お前を使う。」
「だが、お前を信じない。」
それは一つの立場だった。
バインドされた瞬間から、屈服しないと決めた姿勢。
少年の英雄的な宣言でもなければ、怒りにまかせた対立でもない。
未知への無鉄砲な挑戦ですらない。
冷静で、理知的で、完全に自己を理解している者の、構造的な拒絶だった。
まるで境界線を引くような宣言。
【システム通知:対話記録を保存しました。現在のインタラクションモードを終了します。】
インターフェースが消える。
夜の闇が再び覆いかぶさってくる。
俺はゆっくりと息を吐き、身体を後ろに倒した。
残骸の壁にもたれ、少し熱を帯びた金属片に背を預ける。
視界の右上隅に表示されている極細のシステムカーソルが目に入る。そこにはこう表示されていた:
【現在の認証対象:桐生 彩羽】
【好感度:6 / 100】
【感情波動指数:低】
【状態:安定 × 追跡中】
俺は掌を見下ろす。
この「対話」は力を与えてくれるものではない。
だが、俺に「このゲームのルール」を完全に理解させてくれた。
これからは、俺がその一歩先を行く。
記録されることも、分析されることも、数値化されることも恐れない。
だが、俺は問い続ける。
このシステムが、もう答えられなくなるその瞬間まで。