罠、分析、そして初撃破
俺は戻ってきた。さっき通った主街の脇道、左側の一角。
そこには——倒壊したフェンスと、破損した広告灯のフレーム、瓦礫が押し寄せて自然に形成された「U字型のデッドスペース」があった。
隠れるには適していない。だが、罠を張るには、これ以上ない地形だった。
手にはまだ、あの金属棒を持っている。俺はそれを右側の崩れた煉瓦の隙間に差し込み、角度と高さを調整した。
——敵が直進で突っ込んできた時、確実に側腹に突き刺さる。
瓦礫の中から、さっき使わなかった割れたレンガを拾い上げる。分厚く、不規則な形状をしている。
俺はそれを足元の下に滑り込ませ、鋭利な端を瓦礫で隠した。
——「止めを刺すため」の補助具。
さらに、露出したケーブルの残骸があった。それを破損したフェンスに結びつけ、もう一方の端を道路の反対側へ引っ張り、2つのブロックの間に固定した。
ちょうど敵の視界死角に位置するように。
魔法じゃない。
ハイテク装置でもない。
ただの、瓦礫と鉄片と布と石だ。
だが——組み合わせ次第で、それは「命を奪う構造」に変わる。
元々は「倒すつもり」などなかった。
だが——さっきの一撃。
あの一回で、俺は気付いた。
俺はただ「死なないだけ」ではない。
俺は——「殺せる」。
そのとき、再びシステムが表示された。
淡い青のピクセル調フレームが視界に浮かび、縁が微かに発光している。
【使用可能ポイント:5】
【推奨パス:スピード × 技術 × 状態反応】
【現在の推奨ランク:戦闘構造最適化(Lv.1)】
【ポイントを使用しますか?】
【はい/いいえ】
——俺の選択は、変わらない。
「いいえ。」
固執ではない。
これは、経験から導いた「判断」だ。
参照フレームが整っていない段階でポイントを使えば、失敗を拡大させるだけ。
「勝率」など、むしろ下がる。
だからこの戦闘で、俺は俺自身と奴との「本当の差」を見極める。
足音が聞こえてきた。
——誘いに、乗ってきた。
さっき、俺は廃材のパイプで壁を叩き、足跡をわざと残した。誘導ルートはあまりにも明確だったはずだ。
怪物は瓦礫の坂を踏みしめながら、俺の仕掛けたU字角へと進んでくる。
十メートル——
七メートル——
五メートル——
俺は息を止める。
三メートル——
足元を這うケーブルを踏みつけたその瞬間、怪物のバランスが崩れた。
重心の乱れ。奴は雄叫びを上げるでもなく、ただ機械的に体をねじって体勢を立て直そうとした。
——その瞬間、俺は動いた。
斜め上から飛び降りる。金属棒の後端を両手で掴み、自身の体重ごと一気に叩きつける。
ドガァアアッ——!!
命中したのは、奴の胸部——装甲のない、柔らかい部位。
角度と重力を利用して、棒は左下から突き刺さるように滑り込み、内臓を貫いた。
内部圧が崩壊し、血肉の音が空気を震わせる。
奴は反撃しようと、腕を上げかけた。
だが——
俺はすでに地面の横に隠しておいたあのレンガを手にしていた。
全力で、奴の頭部へと叩きつける。
バキィッ——!!
割れる音。
ひび割れたその裂け目からは、歯のような構造の奥に、泡立った暗紅の液体が浮き出た。
口は開きかけたが、声は出なかった。
俺の足が、奴の喉元を踏みつける。
——それ以上は、もう動かない。
……死んだ。
俺はその場で五秒間、見続けた。
体表を漂っていた淡く光る「何か」が消えたのを確認し、ようやく視界に再びシステムの提示が現れる。
【敵対ユニット:撃破済】
【判定:単独戦闘 × システム未強化 × 環境ツール使用 × クリーンキル】
【戦術行動評価:Aランク】
【新機能解放:動作軌道解析 × 反応遅延フィードバック × 異常応答演算】
手はまだレンガの角に添えたまま。掌を伝った汗が、指の背に落ちていく。
——これは、「楽」じゃない。
だが、俺には「無理」でもなかった。
俺はゆっくりと息を吐き、レンガをその場に放った。
戦闘、終了。
——だが、テストは始まったばかりだ。
俺は倒壊した庇の下、崩れた壁の影に身を沈める。
背には剥き出しの鉄骨。裂けた暗闇。風が横から吹き抜ける。埃と錆の匂いが混ざっていた。
俺はさっき倒した怪物の死体を、一旦脇へと引きずって移動させた。
膝を立て、肘をその上に乗せて、頭を低くし——深く息を吸う。
……これは休息ではない。
——戦闘の再解析だ。
▼【戦闘分析開始】
敵の形態:
・外骨格の硬度は中〜高程度
・機動力はあるが、方向転換に弱い
・主な攻撃手段は「直線型突進」
・予測行動や思考型判断の傾向は見られない
致命部位:
・胴体接合部、特に首の後ろと肩甲部に軽度の装甲不備
・咆哮直前の裂口構造は攻撃トリガーと推定
行動パターン:
・極めて「パターン化された高頻度アタック」
・自律AIではなく、制御ルーチンに従う指向が強い
戦闘力評価(人類基準に換算):
・「武器を持たない訓練兵」以上
・「特殊部隊レベル」未満
そして、俺自身の解析はこうだ:
【速度:不足】
地形補助を用いた「回転軌道からの柔道式転身」で回避できたが、平地での緊急回避力は限定的
【筋力:適正限界】
一撃必殺はできたが、道具なしの直接制圧は不可能
【技術:十分】
格闘 × 投げ × 体捌き、全て意図通りに機能。
接近から角度処理、壁反射の合わせ技までノーミス
【観察と判断:精度高】
敵の動作テンポ、弱点部位、風向き、地形の活用……
すべて事前計算通りに操作できた
だが——最大の問題は「手段」だ。
俺には、武器がない。
魔法も使えない。
この世界に、どれだけの「種別」の怪物が存在するのかすら、知らない。
今回のが「巡回型」なら——
その上に「狩猟型」や「迎撃型」が存在していると考えるのが自然だ。
そしてそのタイミングで、またしてもシステムが表示された:
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【非依存型ルート観測中】
【確認:自律戦術構築 × 敵性ユニット対応 × スキル非使用での撃破】
【該当戦闘パターン、記録完了】
【新機能開放:軌道予測解析 × 行動傾向予測 × 環境連動演算】
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……見てるな。
システムは受動的じゃない。
俺の判断を「観測し、記録し、模倣している」。
それは「学習している」ということだ。
俺はインターフェースを消し、目を閉じた。
疲労ではない。
次の戦闘に備えて、反応のテンポや地形の使い方、スキルをどう組み立てるかを頭の中で整理しているだけだ。
——俺の最大の武器は、「理性」だ。
ポイントはまだある。
だが、今の俺は「まだその5ポイントに値しない」。
俺はゆっくりと立ち上がり、再び怪物の死体へと歩み寄る。
これは夢じゃない。
ならば——使える情報は、すべて活用する。
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▼【敵死体の検証】
体長:約1.8メートル
全身:漆黒の外骨格。表面に赤黒い焼け痕のような文様あり
→ 耐熱 or 腐食系の高エネルギー環境に適応?
まずは四肢を確認。
・関節にはある程度の可動域があるが、スムーズな挙動はしない
・筋肉組織は非常に浅く、内部動力は「神経牽引」または「エネルギー導通」か?
俺は指で首後ろから肩甲骨の連結部にかけて触れていく。
そこには裂け目がある。
——さっき俺が金属棒で突き刺したのは、この部位だ。
穿孔から覗くと、薄く層状の組織と粘膜様の構造が見える。
道具はない。
だが、「記録」はできる。
関節を叩く。音は低く鈍い。
割れたレンガで表面を擦る。火花は小さいが、削れ跡が残る。
つまり:
これは純粋な金属ではない。
むしろ、強靭な弾性を持つ非金属系合成装甲と判断できる。
試しに外脚の「爪」を折ろうとしたが——無理だった。
これは人間がそのまま使える武器じゃない。
だが逆に言えば、特定部位は加工すれば再利用できる可能性がある。
——例えば、装甲表皮の断片を「矢じり」や「防具の補強材」として。
それには道具が要る。
火と刃と「時間」。
つまり、次に探すべきは「加工可能な拠点」だ。
敵を倒すのは通過点。
問題は、「どう生き延びるか」だ。
俺は一度、深く息を吸い、背筋を伸ばした。
思考は止めない。
何よりも——この世界は、まだ俺のことを知らない。
ならば、これから俺が、「名乗る」番だ。
視線を落とし、俺は今まさに怪物の下顎構造を解体しようとしていた——その瞬間だった。
システムパネルが、音もなく視界に現れる。
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【遺骸検出:敵性ユニット × ランク:E】
【部位損傷率:33%/完全度:67%】
【処理オプション選択可能:資料採取 / 標本保存 / 自動収容】
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俺は手を止めた。声も出さず、思考のみで状況を静観する。
だが、返答を待たずにパネルは更新される。
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【対象ユニット:非システム体 × 非敵性】
【用途分類:解析 / 生態調査 / 構造抽出】
【新機能開放:空間収容モード】
【実行中:空間収容 → 編番号登録】
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次の瞬間、黒い外骨格を纏った怪物の死体が、輪郭から順に「赤と白」の粒子に分解され始めた。
見えない線で縁取りされるように、崩れ、収束し、回転し——
そして、音もなく消えた。
地面には、何も残っていない。
まるでそこに最初から「何もなかった」かのように。
俺はその場に立ったまま、最後の行を読み上げる。
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【敵性ユニット:「巡回型-E」】
【収容番号:No.0001】
【空間ストレージに封入完了】
【解析許可待機中】
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「……ただの数値表示じゃないってことか。」
低く呟きながら、俺は改めて理解する。
このシステムは、俺の行動を「記録」している。
そして、俺がこの世界で「何をしたか」を監視している。
ただのインターフェースでも、数値を映す画面でもない。
——これは「観察者」そのものだ。
俺はパネルを一時的に閉じ、先ほど身を潜めていた倒壊屋根の陰に戻る。
今日の戦闘は、戦いではなく——情報収集だ。
その情報を、俺は「勝ち取った」。
崩れた壁の下、微風が鉄と塵を巻き込んで漂い、赤黒い空の下で世界はなおも静かに沈んでいる。
俺は呼吸を整え、システムを呼び出した。
呼び出し方法にジェスチャーは不要。
「意識で思考する」だけで、画面は立ち上がる。
半透明のUIが視野中央に浮かび、薄紅のラインが情報セクションを縁取る。
戦闘ログがすでに再生され始めていた。
次の瞬間、システムが再び通知を表示する。
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【システム解析:想定外行動を検知】
【該当行動:戦闘テンプレート未使用 × 独自戦術構築】
【適応カテゴリ:非テンプレート系プレイヤー】
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視線をわずかに沈める。
……「想定外」。
つまり、このシステムは「俺の戦い方」を「基準外」と判定したということだ。
それもそのはず。
俺はスキルを使っていない。
ポイントも使っていない。
援護申請も一切していない。
ただ現実世界で積んできた訓練と知識で——
「誘導し」「観察し」「構造を崩し」「トドメを刺した」。
システムが続けて出力する。
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【戦術的思考:深度チェック 合格】
【評価ランク:A】
【新機能解放】
・戦闘軌道解析
・動作遅延フィードバックチャート
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その直後、視界に現れたのは——
俺自身の全身モデルだった。
戦闘時のあらゆる動きが帧単位で分解され、
足の位置、投擲角度、肢体の慣性、反応時間、力場の波動まで、
【時間軸 × 精度比 × 物理挙動】として、可視化された。
これはもはや、「戦術解析AI」の域だ。
俺は無言でその映像を見つめ、冷静に判断を下す。
——このシステムは、「俺の行動を見ている」。
数値や好感度を映すだけではない。
行動そのものをログとして記録し、そこから機能を「解除」している。
つまりこれは、俺がシステムを操作しているようでいて、
実際は「俺の行動が、システムを進化させている」。
俺はパネルを閉じなかった。
むしろ、意図的に可視化したままにした。
なぜなら、このシステムはただのツールではない。
俺が「行動すればするほど」、それに呼応して進化する。
そしてそれを、「俺は見逃さない」。
夜は、深まりつつある。
なぜか、この世界の空は、目を覚ました瞬間から一切変化がない。
血のように赤い光が天頂に張りついたまま、傾くことも、陰ることもない。
まるで「時間」が凍りついた一片の破片のように。
俺は、倒壊した民家の縁の残骸に腰を下ろした。
周囲に巡回型の気配がないことを確認した上での判断だった。
背に当たる瓦礫は冷たく、肩を軋ませ、空気には金属の錆と粉塵の臭いが混じっている。
だが、そんなことはもはや俺の注意の対象ではない。
今、俺が注視すべきは――
先ほどの戦闘、その全行動と結果だ。
敵の移動形式は「不規則ステップ型」。
接近時には急加速を伴い、突撃は左寄りの弧を描くパターンが多い。
防御動作は乏しく、一度慣性を崩されると停止が困難になるため、地形誘導には極めて脆い。
牙は上下非対称の二列構造。
噛みつきの主動力は下顎に集中し、上顎の固定は遅い。
咬合点は正面に限られ、側面からの回避が成立する設計だ。
反応速度は約0.2秒遅れ。
こちらがある程度の距離まで近づいた段階で攻撃を開始する。
感知は「視覚トリガー」による。聴覚は補助的に過ぎない。
結論:弱点あり。
それも、「予測可能な」構造的欠陥だ。
視線を落とすと、足元には戦闘後に残された破片が転がっていた。
システムに回収されなかった残骸だ。
怪物の本体はすでに存在しない。
例の「空間」に封じられたのだ。
……その空間に「質量」はあるのか。
限界容量はあるのか。
その答えは今は不要だ。
今、処理すべきは——
俺自身。
俺はシステムパネルを呼び出した。
画面左に浮かぶ、能力値の一覧。
【Mind:42】
【Skill:35】
【Analysis:50】
【Perception:34】
【Reflex:33】
静かに見つめながら、内心で呟いた。
「俺が処理すべきは、自分の「差」だ。」
---
遅い。
近接も、回避も、再接敵のスピードも。
全体的に遅い。
そして脆い。
攻撃手段が、その場しのぎの構築物に依存している。
あの鉄棒がなければ、倒しきれなかった可能性は高い。
魔力はゼロ。
スキルはない。
スキルツリーもなければ、遠距離攻撃手段もない。
すべてが、経験と推論に頼った「素手の戦闘」。
肉体、動き、思考、戦術――それらが唯一の武器。
だが、それだけでは圧倒的に足りない。
それでも——
「……それでも、今はポイントを使うつもりはない。」
俺はパネルを閉じた。
視線は残骸の隙間に差し込む影へ。
深く、静かに目を向けた。
限界を知らぬまま、成長には踏み込まない。
敵の限界。
自分の限界。
環境の限界。
それらを見極めるまでは、俺は一ポイントすら消費しない。
もしポイントが「代償によって得られたもの」ならば、
その価値は最大効率で使われなければならない。
俺は残骸にもたれ、そっと目を閉じる。
眠ることはできない。
この場所では、システムが「睡眠」を許さない。
だが、「待機」はできる。
いずれ戻ると、俺は知っている。
この現実ではない、もう一つの現実へ。
---
耳元で、鋭い電子音が響いた。
俺は目を開ける。
見慣れた天井。
グレーのカーテン。
青いLEDの電子時計。
一瞬にして、すべてが「戻ってきた」。
時計の表示は、【06:30】。
俺はゆっくりと起き上がる。
部屋は昨夜と何も変わらない。
だが、体には異世界で受けた傷一つ、残っていない。
夢か?
それとも現実か?
俺は、手のひらに滲む汗を見つめた。
感触は、乾いた金属のようにわずかにざらついている。
視線をまっすぐに据えたまま、確信する。
——これは、夢じゃない。