1-3
昭がネットで見つけた産院は柔らかいピンクと黄色を基調とした温かい雰囲気で、かつ、受付のスタッフは皆丁寧で笑顔で接してくれて、二人の緊張は幾分和らいでいた。
事前に電話で予約していたのだが、人気の産院らしく予約時間に呼ばれることはなかった。しかし、たくさんの問診票と葛藤しているとあっという間に時間が過ぎていき、二人は待ちくたびれる暇もなく診察室へと呼ばれた。
担当の先生は自分の母親よりも少し年配のやさしそうな女医の村田紀子は、方言なのだろうか、語尾が柔らかくのびる話し方に親しみを感じ、優子はほっと一息ついた。問診票に沿って問診がはじまり、話もそこそこに村田は優子の方へと向くとにっこりと笑った。
「それじゃあ、赤ちゃんが子宮の中にいてくれてるか、エコーで見てみましょうねぇ」
その一言とともに、後ろで待ち構えていた看護師がすっと優子の前へ出てくると、すぐ隣にある診察室へと案内する。
所在なさげに昭がキョロキョロとしていると、看護師が「旦那さんはここでお待ちくださいね」と声をかける。看護師は優子と同世代か少し若いくらいだろうか。テキパキとした働きぶりは、優子の上司を連想させる頼もしさがあった。
そして、診察室のすぐ隣の部屋へ案内された優子はそこに鎮座しているものを認識して固まった。
そうだ、産婦人科にはこいつがいるのだった。
丸いフォルムと柔らかい色合いでは隠しきれない、その強烈な圧迫感に優子はごくりと唾を飲む。これから何度も乗ることになるであろう診察台。
優子がじっと凝視していると、看護師が「緊張しますよね」と前置きしながら説明を始めた。
説明を聞きながらも、優子の意識は診察台へと集中していた。婦人科の健診で経験したものよりかは機械感は少なく、比較的新しいものなのか遠目で見ればマッサージチェアに見えなくもない。
しかし、あれの動きを知っている身としては、緊張感が走るのは仕方がないと思う。防御も何もとれない、隙だらけの格好、カーテンの向こうから繰り広げられる心構えのできない内診に、健診のたび、羞恥心と恐怖で優子は冷や汗が止まらなかった。
「では、準備ができましたらこちらにお座りくださいね」
いつのまにか説明が終わっていたようで、看護師は処置台の横を通り抜けカーテンの向こう側へ姿を消した。優子は今にも飛びかかってきそうな敵を警戒するかのように、じとっと診察台を睨みながら更衣を始める。
赤ちゃんが産まれるまで、いったい何回この台にのぼることになるのだろうか。赤ちゃんが産まれる頃にはもう慣れてしまうのだろうか。いや、絶対に慣れないだろうし、慣れたくもない。
優子はスカートをたくし上げて診察台へ恐る恐る座った。事前にネットで調べてスカートで着ていたからか、いつもの健康健診の時の検査着よりかは安心感がある。
ほっと息をつく間も無く、カーテンの向こう側から村田が顔を出す。
「それじゃあ、今からこの機械を使って赤ちゃんが子宮の中にいるか確認しますねぇ。気分が悪くなったら教えてくださいねぇ」
村田はそう言うと、カーテンを閉めた。そして、看護師の「台あげますね」という声ののち、ウィーンとスムーズな機械音共に椅子がどんどん変形を始める。体がこわばり椅子の動きに逆らおうとするも、そんな躊躇は一瞬で重心が傾き優子の体は椅子にされるがままである。
「それじゃあ、診察しますねぇ。ごめんなさいねぇ、少し気持ち悪いですよぉ」
異物の侵入に優子は何度も浅い息を吐く。気持ちの悪い違和感が背筋を突き抜けるも、逃げる道はなく優子はただひたすら耐える。目を瞑り、進撃者が過ぎ去るのをただひたすら待つ。その時だった。
「天野さん、見えるかしら?」
村田の言葉にはっと目を開く。
いつのまにか目の前に小さなモニターがあり、画面には白と黒の何かを映し出していた。
「下の方にくろーい丸があるでしょう?」
「は、はい……」
モニターを凝視する。白っぽい画面の、真ん中よりやや下の方に真っ黒な楕円形の物体がある。
優子がその物体を認識したのがカーテン越しに伝わったのだろう。医師の声色が柔らかくなる。
「これが赤ちゃんのお部屋なの。赤ちゃん自身は……まだ小さくて見えないみたいねぇ」
医師はそう言い、カチカチと何やらボタンを操作すると、ウィーンと先ほどよりも大きな機械音が響いた。
「はい、じゃあ終わりますねぇ」
その声と共に機器が体内から出ていく。いつもの優子なら内診の終わりにほっと一息ついている頃だが、優子の意識はモニターの中。モニターにうつる画面をただ、一心に見つめていた。
モニターには、医師が声をかけた時の画像のまま、大きな白塊の中に黒いマルが映っている。
赤ちゃんのお部屋……。
白黒の無機質な画像、その中の小さな黒い丸。これが、赤ちゃんの部屋、この中に赤ちゃんがいるなんて……。その姿はまだ見えないのに、赤ちゃんがいると聞いただけで、特別な意味を持つ。
本当に、お腹の中にいるんだ……。
夢見たい。不思議すぎて心がふわふわと宙に浮く。優子は心ここに在らずな、曖昧な意識のまま看護師の更衣を促す声掛けに頷いていた。