『装甲』の魔法は人類を変える
知事と別れた後、ダンジョン丸で淀川を下っても良かったけど、久しぶりに都会に来たので、しばらく歩く事にした。
この辺は来た事がなかったけど、横浜と大差ないだろうなと思っていたが、どういう訳かどこの公園や小学校にも、サンドバッグが吊り下げられ、子供達がサンドバッグに集団で殴りかかっていたり、タックルしたりしていた。
住宅地のど真ん中にキックボクシングのジムがあったり、普通の家の庭にサンドバッグが吊り下げられていて、おっちゃんがバシバシ殴っている光景が散見さてたりした。
何だこの殺伐とした光景は。
「あの、すいません。
この町は何で殺伐としてるんですか?」
俺は思わずゴミ掃除をしていたおばちゃんに聞いてみた。
「あれかい?
みんな『装甲』の魔法を使えるようになったから、暴力の意味がのうなってんで。
そやけど、暴れたい人はおるから、一時期標識とか壊す人とかがいてね。」
「それで、サンドバッグを用意したと。
でも、それにしても多くないですか?」
「みんな抑えてただけで、暴れたい人はぎょうさんいたみたいや。」
この現象は大阪だけでなく、和歌山を除く日本全国の都市部に広がっているそうだ。
ダンジョン荘は通信環境が壊滅的に悪いから、全く気がつかなかった。
香川県の豊島に向かう途中、俺はなんでこうなったのか考えてみた。
『装甲』の魔法の登場で、小学生のパンチもプロボクサーのパンチも、ダメージと言う点では大差がなくなってしまった。
人間の力では、相手に最低限のダメージを与える事もできない、つまり暴力で優劣はつかないのだ。
なので最近の紛争地域では、どこの最前線も兵士が無駄飯を食うだけで何も進展しない場所に成り下がり、いつの間にか大半が停戦状態になっているらしい。
中には完全に両指導者の頭が冷えて、紛争が終結した所もあるのだとか。
戦っても消耗するだけで、得られる物が一切ないからだ。
特に今更後には引けないと思っていた指導者は、内心喜んでいる事だろう。
遺恨は残るだろうが、戦争やら紛争やらは、それで済んだ。
では、一般社会ではどうだろうか。
強さに憧れていた人達は、強くなっても意味がなくなった現実を認めず、自分の輝ける場を守ろうとするだろう。
IOCがオリンピックでスキルの使用を禁止したのも当然と言えた。
警察のホームページを見ると、暴力事件が減少し、器物損壊と陰湿なイジメ、それと性犯罪が増加傾向にあるそうだが、イジメはカルマがすぐ減少するので、発見は比較的容易になったそうだ。
元太は考察した。
なぜ人は暴力やらイジメに走るのか。
それは、生物の生存本能が根底にあるからだろう。
自分が強ければ、危機を脱する可能性が高くなる、自分より弱い者がいれば、いざという時に、そいつを切り捨てれば、自分が助かる。
この太古の現実が暴力やイジメの根本にあるのではないのか。
人間がまだ微生物だった原始の地球から繰り返された生存競争の必勝法が、人間の遺伝子に刻まれているのだろう。
だとすると、防御力が攻撃力を大幅に上回る『装甲』の魔法は、46億年かけてきた生命の大原則を全否定するかも知れない。
だんじょん荘で暴力沙汰にならないのも、イジメらしきものがないのも、白浜ダンジョンに潜って弱い魔物相手に無双してるからだろうか。
これは、激しくヤっちまった気がする。
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