第六話 ヘンタイな教師はいかがですか?
「みなさん今年度もよろしくお願いします。ではこれで始業式を終わります」
長ったらしい校長先生の話が終わり、始業式が終わった。
俺はというもの、列の一番前にいた伊香賀ちゃんのことが気になって仕方なく、始業式での先生の話が全く耳に入ってこなかった。
背が低いから最前列にいたも関わらず、長い髪が逆立っているからどこにいるかよくわかる。
そりゃもうみんなから注目を浴びる存在になっていた。
というか、なんで伊香賀ちゃんがここにいるのか?
転校生……?
何かのドッキリなのか?
確かに包丁を向けられたときからおかしいとは思っていたが……。
教室に戻るクラスメイト達の間を縫って、俺は伊香賀ちゃんのところに駆けつけた。
「おいッ――!!!」
「ど、どうしたんですか……」
俺は伊香賀ちゃんの肩をガシッと捕まえると、伊香賀ちゃんは不機嫌そうに振り向いた。
「どうしたもこうしたもないだろッ!なんで伊香賀ちゃんがここにいるんだよ!」
「先生がさっき言ってたじゃないですか。私、転校生ですよ?」
「転校生って……。ここは高校だぞ!小学校じゃないんだぞ!」
「私、あなたと同い年ですけど……」
「……………、いやあ!またまたご冗談を!」
「いや、本当ですけど」
「……………」
俺は驚きのあまり、返事を返すことができなかった。
伊香賀ちゃんが高校生……?
なんなら俺と同い年……?
伊香賀ちゃんを何度見ても小学生にしか見えない。
逆立った髪を合わせてやっと高二女子の平均身長くらいだというのに……。
ただ、これ以上伊香賀ちゃんを疑ったところで話は進まない。
実際に先生が伊香賀ちゃんを転校生と紹介したわけだし。
とりあえず、事実として飲み込むとしよう。
「そんなことより、私の包丁どこにあるか知りません?あれ結構大事なものなんですけど……」
「おいッ!そういう話はここでするなッ……!」
「ん?なんでですか?」
「いや、なんとなくまずいってことぐらいわかるだろ……。とにかく、昨日のことは学校の人には一切しゃべるなよ!包丁の場所はあとで教えるから!ほら、教室いくぞ」
「わ、わかりました……」
ヒソヒソ声で話す俺に、伊香賀ちゃんは疑問しかない様子だった。
どうにかして伊香賀ちゃんを黙らせないと、俺の学生生活が幕を閉じることになる。
俺はため息をつきながら、教室の扉を開けると。
「よお、お二人さん。転校生がまさか満の知り合いだったとはな」
時人が俺たちに向かって手を振り話しかけてきた。
一瞬、額に冷や汗が流れるのを感じた。
「ああ、そうなんだよ。昨日たまたま会って友達になったんだよ……。まさか転校生だったとは知らなくて本当にびっくりしたよ!」
「いえ、ちがいます。満さんは昨日私を買っ――。むぐッ――」
俺は伊香賀ちゃんがやばいことを言おうとしていることを瞬時に察し、伊香賀ちゃんの口を塞いだ。
うがいちゃんにカミングアウトしたときもこんな感じだったし、なんとなく予想はついたが……。
さっき俺、伊香賀ちゃんに忠告したばかりだよな……。
「『かっ』?『かっ』ってなんだ?」
時人は眉間にしわを寄せ、俺に尋ねてきた。
「いッ、いやそのお……。ほら!飼っているうさぎの話で意気投合したんだよ!あははははッ!なあ、伊香賀ちゃん!?」
「むぐッ――!」
俺は手で強引に伊香賀ちゃんの首を縦に振らせた。
「ほえー、そうなのか。なんか二人すっごい仲良さそうだもんな!羨ましいぜ!」
時人は俺たちにウインクし、グーサインを見せた。
こいつがバカで本当に助かった……。
「おーい、お前らー。席に戻れー」
そうこうしていると、一組の教室に夏夜先生が入ってきた。
クラスメイト達は雑談を止め、ぞろぞろと自分の席に戻っていく。
「今日はとりあえずこれで終わりだが、明日からは授業が始まるからな。気を引き締めるように。以上!」
クラスメイトがまばらにはーい、と応えた。
夏夜先生はそれと、と言って話を付け加える。
「きとッ……。鬼灯はこの後私のところに来てくれ。わかったな?」
「はッ、はい……!」
「おいおい、満ぅ。何かやらかしたのかよッ!」
時人に後ろから肘でグイグイと押された。
やらかした覚えはないが……。
何かイヤな予感がする……。
◇ ◇ ◇
「おい、きとうまん。ちょっとこっちに来い。話がある」
一組の教室。
他のクラスメイトが去って行ったことを確認した夏夜先生は俺を呼んだ。
つまり、教室には夏夜先生と俺、二人きりである。
俺はポケットに手を突っ込み、不機嫌な顔をして教卓のところまで行った。
「いい加減、俺のこと『きとうまん』って呼ぶのやめてください……」
「なに、お前の名前をただ音読みしているだけじゃないか」
「それが問題だって言ってるんだよッ!変な意味で捉えられるだろうがッ!」
俺の名前、「鬼灯満」をすべて音読みして「きとうまん」というあだ名をつけたのだろうが……。
さっきこの先生、クラスメイトの前でも『きとうまん』って言いかけてたよな……。
十八禁マスコットキャラみたいな、最悪のあだ名が広がるのだけは本当に勘弁してほしい。
「変な意味っていうのはよくわからないが……。お前の苗字は『ほおずき』だったか?漢字からは想定できんから普通に言いづらいんだ」
「あなた国語教師ですよねッ!?」
「失礼な。私はすべての常用漢字を音読みすることができるぞ」
「知らねーよ、あんたの特技なんてッ!」
そんなに記憶力に長けているのでしたら是非とも訓読みや特殊な読み方のほうも覚えていただきたい。
「はあ……。これだから先生は結婚できないんですよ……」
「なんだと……」
俺がボソッと呟いた一言に、夏夜先生は表情を曇らせた。
「だってそうでしょう?相手の嫌がる呼び方をしつこくしてきて……。しかも、『きとうまん』だなんて……。乙女としてどうなんですかッ!」
教卓をバンバンと叩きながら満は言い放った。
「だから前にも言っただろう?そういうことだったらお前が私と結婚しろと」
「なんでそうなるんだよ……」
確かに、同じような会話を去年もしたような気がする。
それから俺は夏夜先生のことが怖くて仕方がない。
二人きりになるたびに、「きとうまん、私と結婚してくれ」と言ってくるもんだから、そろそろノイローゼになりそうだ。
「私をもらってくれるのはお前しかいない。それに、乙女の心を傷つけたんだ。責任をとれ」
「えぇ……」
夏夜先生は二十九歳とは思えない肌つやと、スーツからこぼれ出る抜群のスタイルで男子生徒、ひいては男性教師もその美貌にメロメロになっている。
にもかかわらず、未だに結婚できていないということはつまり性格に難があるに違いない。
まあ、なんとなくわかるけど……。
あだ名で「きとうまん」と呼ばれる新婚生活を想像しただけで鳥肌が立つ。
「大丈夫だ。私と婚約した暁には、『きとうまん』ではなく名前のほうで呼ぶことを約束しよう。どうだ、お得だろう?」
「別にお得じゃねえよッ!プラマイゼロだよッ!」
「なぜだ……。超絶美少女であるこの私が求婚しているのだぞ……。プラスでしかないだろ」
「そもそも、俺まだ結婚できる年齢じゃねーよ!」
三十路女が自分のこと超絶美少女とか言うなよ、と付け加えようとしたがさすがに怒られそうなのでやめておこう。
「大丈夫だ……。あと二年くらい待ってやる」
「そういう問題じゃないんだが……。はあ、もういいですよ。じゃあほっぺたを揉ませてください。話はそれからです」
「なら、婚姻届けにハンコを押せ。話はそれからだ。乙女の体に触れるんだ、覚悟を持て」
「チッ……!」
生徒に求婚する割に、貞操観念だけは一丁前だ。
「そんなことより、きとうまん」
「はあ……」
手をパンと叩き、話題を変える夏夜先生。
先生の何も変わらない俺への対応にため息がこぼれる。
「今日お前を呼んだのはこのことについてだ……」
そう言って夏夜先生は俺に何枚かの写真を手渡した。
そこに写っていたのは――。
「なんじゃこりゃ……」
「そこに写っているの、きとうまんだよな……?」
昨夜の校門前での出来事。
俺と伊香賀ちゃんとのいざこざがバッチリと写された写真だった。
バッチリと……?
いや、どの写真も伊香賀ちゃんの姿は暗くて見えなかったが、俺の姿だけはバッチリと写っていた、というのが正しい言い方だろう。
俺が校門の前で幼女と話している写真、俺が幼女に土下座をしている写真、俺が幼女を介抱している写真、そして俺が幼女を家に持ち帰っている写真……。
社会的に死ぬには十分な代物だった。
「これは今朝、私の机に置かれていたんだ。もちろん、心当たりはあるよな?」
「先生ッ!こ、これは誤解なんですッ!」
「いいんだよ、きとうまん……。もうこれ以上喋るな。人間誰だって欲望を抑えられないときがある……」
「だから違うんですって……!俺の話をきいてくださッ――」
ここで俺の話を遮るように、教室にチャイムの音が鳴り響いた。
「まあいい。ただ私はきとうまんの担任教師であり、生活指導の先生でもある。いくらお前に好意を持っているからといって、この事態を見過ごすわけにはいかない」
「そ、それは……」
サラッと言った夏夜先生の告白に俺は頬を赤らめる。
「だから、一週間やる。一週間以内に私の納得のいく説明ができれば、このことは不問としよう。もちろん、証拠も忘れずにな」
「で、できなかったら……」
「そりゃもちろん、学校に報告だ。保護者にも話がいくだろう」
「くッ――」
当たり前だ。
むしろ、猶予を与えてくれるだけ教師としてはすごい甘い対応だと思う。
しかし、未来を想像するとどうしても顔がこわばってしまう。
俺の様子を見て、夏夜先生はフッと笑って見せた。
「大丈夫だ。たとえきとうまんがロリコン性犯罪者だったとしても、私はお前の味方だ。いざとなったら私がもらってやるから。きとうまん、お前信じているよ……」
「夏夜先生……」
そう言って夏夜先生は俺に軽く手を振り、教室を出ていった。
「俺は一体、これからどうすればいいんだ……」
俺は遠い目をしたまま、教卓の前で立ち尽くすのだった。