第三話 妹の手作り料理はいかがですか?
「もう遅いよお兄ちゃん!オムライス冷めちゃったじゃない……って――」
俺は空腹のあまり倒れた伊香賀ちゃんをそのままにすることはできず、おんぶして帰路についた。
ちなみに、包丁を持っていたらさすがに見た目最悪なので、校門のそばの歩道の植物のところに隠しておいた。
今は自宅に着き、玄関の前に腕組みして立っていたうがいちゃんが伊香賀ちゃんを見て目を丸くしていた。
「ああ、この娘は――」
「まさかお兄ちゃんが犯罪者予備軍じゃなくて、本当に犯罪者になってしまうなんて……。危険が危なすぎるよッ!」
「うがいちゃんッ!これは違うんだッ!この子が空腹で倒れちゃったから助けただけであって――」
「いいや違うね!女の子のほっぺたが触りたくなって誘拐したんだ!ああ、なんてお兄ちゃんを持ってしまったんだうがいは……。頭痛が痛いよ……」
「それを言うなら頭が痛いだろ……。いや、そうじゃなくて!お兄ちゃんを信じてくれよ、うがいちゃん!」
「うるさいうるさい!もうひゃくとーばんに通報しちゃうんだから!」
そう言って、うがいちゃんはリビングのほうにスタスタと走っていってしまった。
これはどう弁明すればいいものやら。
まあ女の子のほっぺたが触りたくなったというのはあながち間違いではないが。
この状態で「この娘を買った」なんて言いだしたらうがいちゃんは卒倒してしまうだろう。
なんとかして隠さないといけない。
伊香賀ちゃんにも話を合わせてもらわないとな……。
そう思い後ろのほうを見ると、先程の喧騒もあってか伊香賀ちゃんは目を覚ましていた。
「お願いです……。はやく、食べ物を……」
伊香賀ちゃんのお腹から再度、轟音が聞こえてきた。
俺は伊香賀ちゃんをおんぶしたままリビングへと向かうのだった。
◇ ◇ ◇
あれからぷんすか怒っていたうがいちゃんに対して,事情を説明することに成功してなんとか伊香賀ちゃんを我が家の食卓につかせることができた。
「お兄ちゃんはうがいを怒らせすぎたのッ!今日はほんとに夜ご飯抜きねッ!」
「えーッ!考え直してくれよお!」
「待たせすぎたお兄ちゃんが悪いもんッ!……伊香賀ちゃん、だったよね?お兄ちゃんの分、全部食べていいからね?ちょっと冷めてるけど……」
うがいちゃんが睨んできたので俺は目を逸らした。
伊香賀ちゃんは頭をクラクラさせながらスプーンを手に取った。
目の前にあるオムライスにはケチャップで「お兄ちゃんのバカ!」と大胆に書かれていた。
俺にとっては胸が熱くなるメッセージを伊香賀ちゃんは全く気にせず、オムライスにスプーンを差し込み口へ運んだ。
すると、伊香賀ちゃんはただでさえ大きい目を丸くした。
「これは、なんですか……?」
「オムライスですけど……。もしかして初めて?」
「はい、初めて食べました」
「へえ、珍しい……」
うがいちゃんがほえー、と言って驚いている中、伊香賀ちゃんはすごいスピードで黙々とオムライスを食べ進めた。
「ケホッ!ケホッ!」
「ほらほら。そんな急いで食べなくて大丈夫だから。はい、水飲んで」
「……ありがとうございます」
伊香賀ちゃんとうがいちゃん、二人がオムライスを食べている姿というのはなんと良い光景なんだろう。
俺は頬杖をついて彼女らを微笑ましく見ていた。
「ごちそうさまでした……」
「もう食べちゃったの!?大丈夫かな、これで足りる?」
「はい、もう大丈夫です。ありがとうございました。あなた方は命の恩人です。感謝してもし切れません」
「いやあ、それほどでもないよお!でもよかったあ。ちゃんと意識が戻って」
「本当にありがとうございます。それもこれも全部あなたが『私を買ってくれたおかげです』ね」
「…………え?」
「あ」
伊香賀ちゃんは俺のほうを向いて、絶対に言ってほしくなかった言葉を平然とした顔で俺に伝えてしまった。
うがいちゃんはまだどういう意味だかわかっていないらしい。
なんとか誤魔化さねば――。
「『私を抱えてくれた』の間違いだよなッ!まだ呂律が回っていないようだぞッ!今日はもうゆっくり休んだほうがいいみたいだな!ハハハハハッ!!!」
「何を言ってるんですか?さっき校門の前で『私を購入する』という契約を交わしたじゃないですか?」
完全に詰んだ。
俺の高笑いもむなしく、ため息に変わってしまう。
もう言い訳できない、完全アウトな発言を伊香賀ちゃんがしてしまった……。
俺は恐る恐る、うがいちゃんのほうに顔を向ける。
「オニイチャン……、ダイハンザイシャ……。ふえええええ……」
うがいちゃんは口の端にケチャップをつけて、白目をむいていた。
驚きのあまりか、完全に魂が抜けている。
「何か私、変なこと言いました?」
「ああ。たった今伊香賀ちゃんの発言のせいで家族崩壊の危機だよ……」
説得する暇もなくカミングアウトするとは全くの計算外だ。
伊香賀ちゃんは真顔のまま、ただただ小首をかしげていた。
「これはどうしたものかな……。ひとまず俺は洗い物するから伊香賀ちゃんは座って待っててくれ」
「…………」
伊香賀ちゃんは無言でコクリと頷いた。
俺は伊香賀ちゃんの使った食器とスプーンを流し場に持って行った。
「それより大丈夫なのか?ほんとに親に連絡しなくて……」
「そのことについては話さないと言ったはずです」
「いや、話してもらわないとこっちが困るんだけどな……」
俺は食器についたケチャップを洗い流しながら言った。
これでほんとに警察にお世話になったらどうしようか。
だからと言って、無理やり親の連絡先を聞き出すわけにもいかないし……。
伊香賀ちゃんは口を一文字に結び、頑なに言わないという意思表示を俺に見せた。
「仕方ない……。とりあえず今日はうちに泊めるけど、近いうちにちゃんと事情を教えてくれよ」
「もちろんです。あなたは私のお客様ですから」
「そ、そうだったな……」
『お客様』と言われるとなんだか違和感があるな。
まあいいだろう。
明日からお客様として、その崇高なほっぺたを堪能させてもらおうじゃないか……。
「俺は明日はやいからそろそろ寝るぞー。……お腹減っているし。伊香賀ちゃんも夜遅いからはやく寝たほうがいいぞ。あ、布団はどうしようかな――」
「ぷはあ――」
俺が長々と伊香賀ちゃんに話しかけていると、白目をむいていたうがいちゃんが海から出てきたような声を出して意識を取り戻した。
「伊香賀ちゃん、もしかして今日ここに泊まる!?」
「はい。そうしていただけると助かります」
そう伝えると、うがいちゃんは伊香賀ちゃんの腕をガシッと掴んだ。
「絶対にお兄ちゃんには近づかないで!特に寝るときは気を付けて!お兄ちゃんが一番変態になる時間だから!危険が危ないから!」
「おいおい!それは明らかに語弊があるだろ!?」
「いえ。それはなんとなく察しています」
「でしょッ!今日はうがいと一緒に寝ようね!伊香賀ちゃんのことは絶対に守るから!あ、布団はお母さんのがあるからそれ使ってね」
そう言って、うがいちゃんは残っていたオムライスを急いで平らげた。
「別に今日は何かしようなんて思ってないからな、うがいちゃん!」
「うるさいッ!とにかくお兄ちゃんは早く寝て!洗い物下手なんだし、そこどいてよねッ!」
うがいちゃんは自分の食器を流し場にガシャンと置いて、俺をグイグイと押して流し場から追い出した。
「今日のうがいちゃんは一層騒がしいな……」
こういうときのうがいちゃんは明日になるまで何も聞き入れてくれない。
俺はしぶしぶ自室に戻り、寝床につくことにした。