第二話 危険な幼女はいかがですか?
「ううッ……、今日は寒いな」
もうとっくに春だというのに、鳥肌が立つくらい冷たい風が吹いていた。
俺はその風を浴びながら、ひたすら走った。
「いますぐ行くからな、うさちゃんたちッ……!」
こんな寒い中、お腹を空かせてしまったんだ。
飼育係として一刻もはやく行かなければならない。
五分も経たないうちに俺は校舎にたどり着いた。
校門を抜け、校舎手前にあるうさぎ小屋へと向かった。
「ああああ!!!ごめんよお、俺のかわいいうさちゃんたちぃぃぃ!!!寒かったよね!つらかったよね!今すぐ餌準備するから、もうちょっとだけ待っててな!」
俺は人気のない校舎の前で泣き叫びながら、餌の準備をした。
二つの皿にペレットと水をそれぞれ入れる。
「ほら、餌だぞー。いっぱいお食べー!」
小屋の扉を開け、餌の入った皿を置くや否や三匹のうさぎが一斉にペレットに群がった。
「そうだよな!お腹空いてたよな!ごめんよお!!!でも水も飲むんだぞお!!!」
そう言って俺はペレットに夢中のうさぎの頬を撫でた。
ふむ……、うさちゃんたちも相変わらず良いほっぺたを持っていらっしゃる。
「じゃあ俺は始業式で明日朝はやいからもう行くよ。もう絶対餌やり忘れないから」
俺は三匹のうさぎの頭をそれぞれ撫でてから小屋のカギを閉めた。
「よおし!俺の今日の晩ごはんは何かなあー!」
俺は鼻歌を歌いながら校門のほうへ向かうと――。
「やっと来た……」
「……ん?」
校門のほうからか細い声が聞こえてきた。
そして次の瞬間、入口から小さな影が姿を現した。
「おんな……のこ?」
目を細めて見てみるが、明らかに初対面の少女がそこに立っていた。
「あれ?どこかで会ったことありましたっけ……?って、おい――!?」
俺は彼女の右手にあるものを見て、背筋が凍った。
彼女の手に握られていたのは、――包丁だった。
刃先が街灯の光に反射してギラリと輝いていた。
◇ ◇ ◇
「いいい一旦落ち着こうか!その右手にあるものは危ないものだからッ!ねッ!」
「……………」
「なんで返事してくれないんだよッ!?余計怖いよッ!」
「……………」
彼女は包丁を持ったまま無言でジリジリと俺に近寄ってくる。
人形のように精巧な顔立ち。
腰まで伸ばした髪の毛がボサボサとなって枝分かれしている。
見たところ小学校中~高学年といったところだろうか。
相手はガチだ……。
しかし、こんないかれた幼女は初めて見た。
もう最終手段に出るしかなさそうだな……。
俺は拳を胸の前に突き出し、構えた。
そして――。
「すみませんでしたあああ!命だけは勘弁してくださあああい!なんでもしますからあああ!」
彼女の前で涙を流し、勢いよくスライディング土下座を決めたのだった。
普段からうがいちゃんに土下座をしているため、体勢の美しさには自信がある。
ありがとう、うがいちゃん!うがいちゃんのおかげでお兄ちゃんの命は助かるよ!
そんなことを考えていると、頭上からか細い声が聞こえてくる。
「じゃあ……」
俺は泣き止み、地に付けていた頭を上げて彼女の顔を覗き見た。
「私のことを、買ってください」
「……………へ?」
「私、伊香賀凪咲っていいます。私のことを買ってください。買ってくれなきゃ刺します。以上です。」
伊香賀凪咲と名乗った彼女は、アスファルトの道に正座でいる俺の顔に詰め寄って来た。
「ちょちょちょ、ちょっと待て!!!伊香賀……ちゃんだっけ?全然状況が呑み込めてないんだが!?まず『かう』っていうのはどういう意味なんだ……?」
「購入する、という意味です」
「一番怪しい単語来たぞッ!?人身売買じゃねーかそれ!」
「そんな怪しいものではありません」
伊香賀ちゃんは表情をピクリとも変えず、淡々と話していた。
こんな平和な日本で売られる側が懇願する人身売買とか、聞いたことねーぞ……。
「購入するってことは俺が金を払って君をもらうっていうことなのか」
「簡単にいえばそうです。詳細を話すと、『月額料金を払って私をお世話できる』というプランになっております。月額一万円です」
「サブスクかよッ!?」
「安心してください。初回は一か月無料体験がありますよ」
「より一層サブスクじゃねーかッ!?」
そもそもお世話できるプランってなんなんだよ……。
逆にお金をもらう側じゃねーのかよ。
しかし、こんな可愛い娘の世話ができるというのはなかなか需要があるのかもしれない。
危険な商売をしていらっしゃる。
そんなことより俺には気になっていることが一つあった。
「なあ伊香賀ちゃん。両親はどうしたんだ?ただの迷子か?」
「それには答えられません」
「でも、このまま事情を聞かずに預かったら俺、犯罪者だぞ?まずは両親に連絡して――」
「答えられないって言ってるじゃないですか。刺しますよ?」
「ヒィッ!!!」
伊香賀ちゃんは包丁を俺の鼻先に近づけた。
そうだった……、相手はいかれた幼女だったんだ。
法律で裁かれない立場だからといって完全に舐めてやがる……。
「とにかくその包丁をしまってくれ!お願いだから!いやお願いですから!!!」
「大丈夫です。この包丁は日本の職人さんがつくった世界で最も切れ味の良いと呼ばれている一級品ですから」
「どこが大丈夫なのか説明してくれッ!より死亡確率が上がったわッ!」
伊香賀ちゃんは一切引く気がないようだ。
どうやら本気らしい……。
それでも、「幼女を購入する」という行為をしてしまったら、いくら俺が未成年だからといって日本の警察が黙っていないだろう。
俺は意を決して口を開いた。
「それでも俺の立場じゃ、伊香賀ちゃんを買うことなんてできないんだッ!それだけはわかってくれッ!」
「知ってました?包丁って刃を横向きにして持つとあばら骨を貫通して心臓を一突きできる確率が一気に跳ね上がるんですよ?」
そう言って、伊香賀ちゃんは刃を横向きにして俺の胸の前で包丁を構えた。
「ちょちょちょ、ちょっとだけジョーク言っただけじゃないですかあ!やだなもう、本気になっちゃって!」
「じゃあ、私を買ってくれるんですね?」
「それは――」
ここで、初めて俺は伊香賀ちゃんと目が合った。
その瞬間、衝撃が走った。
うがいちゃんにも負けないくらい大きな目。
そして――。
「わかった。伊香賀ちゃんを買うことにするよ」
「やっとわかってくれましたか……」
「ただし、ひとつ条件がある――」
「なんで、しょうか……?」
伊香賀ちゃんは小首をかしげた。
俺は息を思いっきり吸い込んだ後、こう応えた。
「その素晴らしいほっぺたを好きなだけ触らせてくれ!!!」
「……………」
俺の言葉に初めて伊香賀ちゃんの表情が歪んだ。
ただ、俺レベルのほっぺたフェチになるとわかるのだ。
頬骨から顎にかけてのほっぺたの曲線。
現代アートとも呼んでいい、まさに一級品だったのだ。
これはもしかすると、うがいちゃんをも超える逸材かもしれない……。
最近うがいちゃんのほっぺたを全然触れていなかったから、これは俺にとってとても好都合な話かもしれない。
「ほっぺたを触るだけだ!他のところを触る気は一切ない!なッ、いいだろ?」
「……。じゃ、じゃあ二万円に引き上げます……」
「二万かあー!!!でもこのほっぺたにはそれくらいの価値が全然あるな……。うん、いける!!!」
「まさか購入者がとんだ変態さんだったとは……」
伊香賀ちゃんはため息をついた。
一方、俺はほっぺたを触れるということで頭がいっぱいになり、立ち上がって喜んでいた。
「でもひとまず今日から一か月間は無料体験という名目だよな?とりあえず金は払わなくて大丈夫だよな?」
「そう、ですね――」
「――ッて、おい!!!」
そう返答した伊香賀ちゃんは突然、ひざをつきその場に倒れこんだ。
ずっと握られていた包丁も伊香賀ちゃんの手からこぼれ落ちてしまった。
「どうした!?大丈夫か!?」
そう言って俺は伊香賀ちゃんの肩を揺らすと。
グウウウウウウウウウウウウ――。
伊香賀ちゃんのお腹から壮大な音が鳴り響いた。
「伊香賀ちゃん、お腹空いているのか……?」
「……………」
伊香賀ちゃんは倒れたままコクリと頷き、そのまま目を瞑ったのだった。