元婚約者様、貴方の言った通り、真実の愛って素敵ですね
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私は、1年前に婚約者に婚約解消を申し込まれた令嬢として世間を賑わせていたセリーネだ。
無論、私に何か非があったわけではない。私に婚約解消してくれと言った彼の隣には可愛らしい、髪をふわふわと揺らす少女がいた。
彼は言う。「真実の愛を見つけてしまったんだ」と。
私は、学園で彼が一人の女性に心酔するようになってから再三「あまり婚約者ではない女性と親しくすべきではない」「これは家同士の婚約だ」と申し上げてきたのだが、その言葉の真意は彼には上手く伝わらなかったようだ。寧ろ私を恋の障害とし、勝手に燃え上がったのだろう。
我が家は、家族が――特に父が烈火の如く怒り、この婚約解消はすぐに呑まれた。そうして、彼等は私が婚約者に尽くしてきた10年を踏み躙り幸せそうに婚約を結んだ。
そんな彼が、あの婚約解消から1年後の今、私の目の前に現れた。
「セリーネ、俺が間違っていたんだ。あいつは毒婦だった」
開口一番の言葉は、彼の現状を私に伝えるにはあまりにも情報量が少ない。それで伝わると本気で思っているか、それとも焦って言葉にならないのか、どちらだろうと私は思案する。前者ならば末恐ろしい、と嘆息して、私は彼に問いだたした。
「一体、我が家にアポも取らず何用ですか?」
暗に失礼だと伝えてみたが、彼は私が話を聞く気になったと判断したのだろう。彼は破顔して庭で紅茶を飲んでいた私の机に座り込んできた。
「君も知っているだろうが、俺の家は今……その、あれなんだ」
全然彼の家のことなど知らない。
「あれとはなんですか?」
「……っ、分かってるだろう! わざわざ言わせるなんてやっぱりセリーネは意地が悪いな!」
知らん。
紅茶を飲みながら私は無言を返す。彼は苛立たしげに紅茶を飲もうとしたが、自分の分の紅茶が用意されないことに気づいたようだ。
テーブルの近くの席にいるメイドを怒鳴りつける。
「おい、客に茶ぐらいだせ」
「貴方は客ではありませんので」
「なんだと!?」
「――それで、貴方に結局何が起こったのですか?」
私が話を遮ると彼は屈辱だと言わんばかりに顔を歪ませ、小さな声で言った。
「我が家は、今爵位返上の、危機に瀕している」
短く切られた言葉に、私は内心鼻で笑った。
「まぁ。それで我が家に来て何をしようと思いましたの?」
「? 何って、婚約を結びにきたんだ。セリーネもまだ婚約を結んでない、つまりは俺を待っていたんだろ」
心底不思議そうに言う彼に呆れよりも驚きのほうが先に来る。なんの冗談だと。
「それに、あのご令嬢が『毒婦』とはどういう事ですか?」
「あいつは、俺が爵位返上になるかもしれないと言ったら、あっさり夜逃げしやがったんだ! 残っていた宝石なんかが全部持っていかれた!」
あの学園は、魔力があれば誰でも入学出来る。彼女は平民生まれだと言っていたから、金ヅルでは無くなってしまった彼からさっさと逃げたのだろう。いっそ感心してしまう程の強かさだ。
ぼんやりそんな事を考えていると、急に手を握られる。
「今日、セリーネのお義父様はいるのか? すぐに挨拶に行こう」
勝手に話を進めようとする彼から逃れようとするが、意外と強く手を掴まれて逃げ出せない。側にいるメイド達に助けてと視線を送ると、すぐに皆が引き離そうと動いてくれた。
だが、メイド達が私を助けてくれる前に、誰かによって彼の拘束がなくなる。後ろに立っていた誰かに倒れ込むような姿勢になると、硬い壁のような物にぶつかった。
「ご無事ですか、セリーネ」
つむじにかかる声に、私は助けてくれたのが誰なのかがわかる。後ろを振り向くと、私の予想通り義弟のアレンがいた。
彼は、当初私は嫁入りをしてしまう予定だった為、体の弱い母に無理はさせられないと父が孤児院から連れてきた血のつながっていない姉弟だ。
黒い前髪が少しかかった顔は、とても麗しい。元孤児という経歴はあるものの、あの父が太鼓判を押すほどの逸材であり、文武両道な彼はまだ婚約者がいない。アレンが夜会に赴けば、数多の美女が彼を誘うらしいのだが、彼は頑なに断っているらしい。
父が連れてきた女性と結婚するまで、潔癖なままでいようとしているのかは分からない。
だが今は好都合、と私は彼の腕をとった。何故か隣でアレンが固まった様な気がするが無視して話し出す。
「残念ですが、私にはもう好き合った人がいるのです。このアレンですわ」
「なっ、だが彼は君の弟で……」
「義理の、でしょう? 両親を納得させる事がまだ出来ていないだけで、もう結婚まで秒読みだと言っても過言ではありませんわ」
「秒読み……」
「えぇ、本っ当に秒読みです」
彼は俯いて震えたかと思うと、唐突に声を張り上げた。
「お前も、俺を弄んだのか!」
そう言って私に掴みかかろうとするが、アレンに難なくはたき落とされる。
「何を言っているのかが全く分からない。弄んだのは、お前のほうだろう」
無表情がデフォルトのアレンが凄むと、その緊迫感に威勢を無くした彼が屈辱気に唇を噛みしめる。そのまま我が家の騎士に捕らえられた。
「次、私の大切なセリーネに手を出してみろ。お前の家族もろとも殺してやる」
恋人役を完璧に演じてくれるのは嬉しいが、殺すは言い過ぎではないか、と不安に思ったが、まあただの冗談だろうと私は思い直す。
そして、元婚約者の前に立った。
「そういえば、私のお父様やお母様が貴方の所業にとてもお怒りでしたの。だから、貴方の領地経営が傾いたのは、お父様達も一枚噛んでいますわ」
色んな日用品や食料を彼の領地に行かないように規制をかけたり、彼等が何をしたのかを新聞に書いて真実を広めたり、彼等の領地にはいられないと思った領民を引き取ったり。
彼等の自業自得なので可哀想に思うことなどあり得ないが。
私の言葉に青ざめた彼は懇願する。色々とネジの外れた元婚約者だが、その頭は意外と悪くない。だからこそ理解したのだろう。私の父が許さなければ、自分達が立て直すことは不可能だと。
「お、お願いだセリーネ。た、助けてくれよ……」
騎士に阻まれながら必死に私に手を伸ばしてきた。だから私は彼の手を躱し、ニッコリと笑いかけた。
「私、真実の愛を見つけましたの」
これは、1年前に彼に言われた言葉。
「だから、応援してくださいますわよね?」
これも。
違うのは、立場が逆転したという事。
騎士に引きずられて行く彼を、私は無感情に見つめた。暫くそうしていると「セリーネ」という呼び声と共にアレンの顔がドアップで私の視界に映り込む。
「……悲しいですか?」
「いいえ。彼の事は、義務とはいえちゃんと愛していたけど、それももう昔のこと。1年など、気持ちを整理するには十分な時間ですわ。……それよりも! アレン、あぁするしか無かったとはいえ私との結婚は秒読みだなんて嘘をついてごめんなさい。どうしましょう、貴方の結婚に響いたら……」
怯える私を慰める様に背を撫でると、アレンが綺麗な笑みを作った。彼が笑う事は殆どないので、なんだか得した気分になる。
そして彼は美しく口角を上げたまま囁いた。
「いいえ? 秒読みというのは嘘ではありませんよ」
「……え?」
目を真ん丸くする私の足元に、彼が跪く。そして、私の左手を取り手の甲に口づけた。
「ずっとお慕いしていました、セリーネ」
「……え?」
「貴女だけが好きでした。ですが貴女はもう婚約していた」
――だけど、私は婚約解消された。
「それから1年、毎日父上と母上にお願いをしていました。そして今日、セリーネからの許可が降りれば結婚出来ることになったのです」
口をパクパクさせる私に、アレンは囁く。
「父上から許可が降りるまでは貴女にアプローチすることすら許されず、ようやく貴女に愛を囁けると喜んできてみれば貴女は塵に絡まれていて、どれほど腸が煮えくり返ったことか……」
アレンから体を離し、顔を赤くさせたまま私は叫ぶ。
「わ、私が貴方からの求婚を断るとは考えなかったのですか!?」
一瞬、キョトンと言いたげな顔をした後、アレンは花が綻ぶ様な微笑みを浮かべた。
「だってセリーネも、ずっと私が好きだったでしょう?」
呼吸が、止まる。
そうだ、認めよう。私は義弟となった少年に、婚約者がいながらも恋に落ちてしまった。自分を律し続けていたが、彼が私を好きだと言うのなら、求めてくれるなら、私も望んでも良いのだろうか?
心づもりの出来た私も笑顔を作り、アレンに笑いかける。
私は元婚約者に一つ感謝をしよう。素敵な言葉を教えてくれてありがとう、と。
「真実の愛って、とても素敵ですね」
「えぇ、とても」
それから少し経って、質屋に売った宝石によって爵位を返上した元婚約者の彼に居場所がバレたあの少女は、彼とつかみ合いの喧嘩をしたらしい。
路上、という事もあってその光景は多くの人に見られた。そして警察を呼ばれた事によって、少女の余罪も発覚し、牢獄送りになったとか。元婚約者の彼はあれから自分を騙した少女を見つける事だけに執念を燃やしていたようで、彼女が牢屋送りになってからは抜け殻の様に過ごしているらしい。
そして、私は真っ白なウエディングドレスに身を包んでいる。今日は、アレンとの結婚式だ。
横に並びあった私とアレンに、神父様は問う。
「真実の愛を誓いますか?」
――答えはもう、決まっている。
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