8品目『国家直属対食人者部隊』
マドレーヌたちの襲撃を受け負傷したシュガー。彼女は現在、ティーセット王国軍の拠点の一室で、衛生兵に治療を受けていた。
ここにいろと連れ込まれたこの部屋は、空いている会議室かなにかだろう。開け放たれた扉の向こうには、軍服の人達が行き交う廊下が見えた。
そんな落ち着かない状況で、椅子に座らされて、怪我をした左手に丁寧に処置を施されている。
「ちょっとじっとしててくださいね」
衛生兵の少女が取り出したのは、不思議な匂いがする軟膏だ。彼女曰く、このあたりにはない植物やキノコを使った特製のものらしい。
それが傷口に塗られ、さらにその上に包帯をぐるぐる巻かれるのを、シュガーはぼんやり眺めていた。
さすがは本職。手早く作業がこなされていくのは、見ていてちょっと面白い。
「よいしょ……っと。もう大丈夫ですよ。しばらくの間は、激しく動かさないようにしてくださいね」
「はい、ありがとうございます」
幸いにも傷はそれほど深くなく、重大な治療を行わなくてもやがて治る程度だったようだ。
よかったと思いつつも、彼女は──マドレーヌはこうは行かないんだろうなと脳裏によぎって、シュガーは胸を撫で下ろすことはなかった。代わりに出たのはため息だけだ。
そこへ、カフェとカスタードが姿を見せる。
「終わったか?」
「はい! ばっちりですよ!」
「みたいだな。お疲れ様だ」
少女に優しく声をかけるカスタード。そこへ、シュガーは気になって仕方がないことを思わず尋ねる。
「あっ、あの、マドレーヌさんは」
「しばらく再起不能だろうが、命に別状はないよ。今は経過観察のため隔離中だ」
死亡してはいない、と聞いて、シュガーはやっと安心できた。
彼女を傷つけたのは確かに自分なのだ。殺してしまっていたらどうしよう、なんてもやもやが、ずっと頭の中に居座っていた。
それが小さくなってくれた気がして、シュガーは包帯の巻かれた左手をそっと撫でたのだった。
「自分を襲った相手を心配するなんて、お人好しだな」
お人好し……とは、違うと思う。シュガーはただ、自分勝手な気持ちで彼女を傷つけて、そのうえで死なれたら困ると考えてしまった。それだけだった。
「カスタードせんぱい、カスタードせんぱいっ! 私ももっと褒めてください!」
「あ? 別に今の褒め言葉じゃないんだが……ちゃんと仕事できて偉いぞ」
「私、偉いんですか!? やったぁ!」
嬉しそうにぴょんぴょん跳ねる、シュガーを担当してくれた衛生兵の女の子。先輩と呼んでいることから、彼女がカスタードの後輩だとわかる。
処置してくれている時の優しい雰囲気とはうってかわって、子供みたいにはしゃいでいるが、カスタードも嫌ではなさそうだった。
──しかし、喫茶店に駆けつけてくれた時からわかってはいたが、カスタードの所属はこの少女と同じ。つまり軍人だ。
知り合いが実は、街の治安を守る正義の味方だったとは。改めて考えてみると、不思議な感覚だった。
「そういえば、カスタードさんのお仕事って軍人さんだったんですね」
「言ってないんだったか? ま、説明も面倒だしな……せっかくだ、今から話すよ。カフェ、少し時間を貰うよ」
「えぇ、いずれ話さなきゃならないことだもの」
カスタードはシュガーの目の前の椅子に腰掛け、カフェはシュガーから見て隣にやってくる。後輩の女の子は斜め向かいだ。
シュガーが彼女のことをじっと見ていると、カフェがその視線に気づき、耳打ちしてくれる。
「あの子はキャラメルちゃん。カスタードの補助を担当してる子ね。
ちなみにだけど、たぶんシュガーより胸大きいわ」
「そ、そうなんですか」
胸の話はともかく、衛生兵の少女はキャラメルというらしい。今後もお世話になってしまう可能性もあるし、覚えておこう。
言われて見てみると、シュガーも発育がいい方のはずだが、確かに軍服の上からでも一回り大きいような気がする。少しだけ敗北感があった。
そんなこんなで、カフェの耳打ちが終わったとみて、カスタードの目線がキャラメルの方に向いた。
するとキャラメルは自分自身を指差して首を傾げ、カスタードが頷くのを確認し、それから咳払いをして話を始める。
「こほん。えっと、私達は国家直属対食人者部隊──アンチ・カニバリスト・バレット。略してACBって組織です。
国家に仕える弾丸として、無辜の民を捕食する食人者を許さない! 誇り高き特殊部隊です!」
「……食人者は人間よりも身体能力も高いし、中にはカフェみたいな赦肉能力者までいる。
そいつらの相手をするのが私達の仕事って訳だ」
治安維持を担当する国軍の中でも、選りすぐりの対食人者部隊。シュガーのような追われる側の人間にとっては、とても頼もしい存在だ。
思えば、カスタードが去ってから喫茶店にあの襲撃者たちが集まってきていたのは、彼女がこの部隊の所属だとわかっていたからだったのかもしれない。
シュガーが1人で納得して頷いていると、ふと、先程の話の中に引っかかる単語を発見する。シュガーの知らない、離島では欠片も聞かなかった言葉。
「……あれ? 赦肉能力、ってなんですか?」
シュガーが首を傾げ、同時にカスタードの目が今度はカフェの方に向いた。
「これも説明してないのか」
「仕方ないじゃない、そんな暇なかったんだもの」
アズキが率いていた者達にマスケット銃を向けられ、発砲されて初めてシュガーはカフェのその能力を知ったのだ。あれからマドレーヌの襲撃もあり、話している暇なんてまったく無かった。
確か、あの時はシュガーを守るための超能力だとか言っていたような気がする。
「私のこれは『赦肉能力』って呼ばれるもの。ごく一部の食人者だけが発現する、物体への干渉能力ってところかしら」
「干渉能力、ですか」
「えぇ。例えば、手のひらで触れた空気をコーヒーに変えて操るだとかね」
カフェのあれは、空気をコーヒーに書き換えるなんて芸当だったらしい。
シュガーにはそれがどんな原理なのかまったく想像がつかないが、目の前て起こっていたことは事実だ。
とりあえず、そういう道理を無視するのが赦肉能力、というふうに認識しておく。
「でも、どうして赦肉なんて名前なんですか? 素直に超能力じゃ駄目なんですかね」
「神話に則った結果ですね。詳しくはもっと専門的な方に聞かないとわかりませんが、女神様と食人にまつわる話に赦肉という言葉が登場するんだとか」
名前の方の疑問にはキャラメルが答えてくれるが、明確な答えは分からずじまいだった。
肉を赦す、それとも肉に赦される、という意味だろうか。どちらにせよ、なんの事だかさっぱりわからない。
「……わからなくていいのよ、今は」
そんなカフェの囁きは、まるで彼女が答えを知っているかのようだった。
◇
「──は?」
マドレーヌが国軍に捕まったと聞かされて、マカロンの脳は一瞬、理解を拒んだ。
「う、嘘だ、私は騙されないぞ」
「申し訳ないけどなぁ、本当なんよ」
報告してきたのは、マドレーヌに言われるがまま金で雇った人材の1人、アズキだった。
彼女の他にも30人近くを同行させたはず。しかし、なんと逃げ延びたのは彼女だけで、他は駆けつけたACBに確保されたのだという。
マカロンはそれを聞かされるだけで卒倒しそうだった。
確かに、あれらは一夜で掻き集めた烏合の衆だ。それでも、マドレーヌの要望に応えるため、貴重な銃を買い与えるまでした。そのうえで、失敗したというのか。
「この失敗はうちの落ち度でもある。報酬はいらん」
「……ッ、当然だろ、雇い主の身の安全すら守れない能無しめ……!」
「おっと、うちにそないなこと言われても、何の解決にもならへんで」
そんなことはわかっている。客人に八つ当たりなど貴族として有り得ないということも。
だが、わかっていても、怒らずにはいられない。あのまだ気絶している役立たずといい、どうしてこうもマカロンの思い通りにいかないのだろう。
「あぁ、でもなぁ。どこに収容されたのかは、知っとるで」
「……っ、本当!?」
「意味ない嘘つかへんよ、うちは。それに雇い主の件にはうちも責任感じとるし……案内したろか?」
居場所がわかれば、少なくとも会いには行ける。マカロンが当主であるムラング家はそこまで大きくないが、家系は古い。ACBだろうが、強く口出しはできないはずだ。
あわよくば、金を払えばこの件も揉み消せるだろう。マカロンの力で、マドレーヌを助け出せるかもしれない。
出費は多少痛くても、どうせある程度人体を売り捌けば元が取れる。
そこまで考えると、躊躇わずに頷いた。
「ほな、決まりやな」
アズキの返事を聞くや否や、マカロンはすぐに外出の支度を開始する。
大事な大事なマドレーヌさんを、私が助けなきゃ。
彼女の頭の中はそんな使命感でいっぱいになっていた。
その様を眺めるアズキが、軽い罪悪感からくる苦笑いを浮かべていることには、まったく気がついていなかった。