5品目『狙われる少女』
「お、お席こちらになりますっ!」
野菜を取りに行ったカフェをしばらく待っている間も、喫茶店には何組か新たにお客さんがやって来る。
シュガーは心臓をばくばくさせながら、島にあった飲食店を思い出しながら接客していた。
注文は店主もトマトも不在であるためとれないが、そのことを説明したうえで待っていてもらうのだ。
それを繰り返して3組目。今は、グール種だというお姉さんを席に案内したところだ。
「すみません。今、カフェさんがお野菜の方を取りに行っていて……ご注文の方はしばらくお待ちいただくことになります」
「そう。わかったよ」
幸いなことに、お客さんたちはすんなりとこの事実を受け入れてくれる。
カフェが不在なことそのものは珍しくないのか、むしろシュガーを雇っていることに驚くお客さんもいた。
けれど、3組目にして、シュガーの想定外の反応が飛んでくることになる。
「私は店員さんと話したいから、ラッキーかも」
「え?」
「だから、私はあなたに興味があるなって」
「えっ、えと、それはその」
「駄目かな。しばらくオーダーも取れないなら、店員さんも時間空いてるでしょ?」
店主がヴァンパイアであるがゆえか、来店する食人者は多い。そして、シュガーはその食人者たちにやたらと人気だった。
中にはごちそうを眺めるような熱視線を向けてくる人もいる。今、シュガーを誘っているお姉さんがそうだ。シュガーは内心、少し怯えていた。
「その……もうすぐ戻ってくると思いますし……」
やんわり断ろうと努力しつつ、助けを求める視線をカスタードに送る。すると、コーヒー片手にシュガーたちを眺めている彼女から、面倒臭そうに返答があった。
「まあその、なんだ。頑張れよ」
「そんなぁ……」
「ここに来た経緯でも話してやればいいだろ。きっとウケがいいぞ」
カスタードのそれは投げやりな一言だったが、おかげで思い出すことがあった。
元々ここにいる理由は両親の情報を得るためだ。お店で下手なことはしないだろうし、ここは話しておくべきかもしれない。
シュガーは若干抵抗を覚えつつ、女性とテーブルを挟んで向かい合わせの席につく。
そこから話すのは、名前がシュガー・スイートであることと、今この店で働いている理由。両親の行方を知らないかと尋ね、お姉さんには首を横に振って答えられた。
「スイートさんなんて人、私の知り合いにはいないかな」
「そうですか……ありがとうございます」
「どういたしまして。それにしてもシュガーちゃん、美味しそうな名前だねぁ」
二言目に飛び出すのは不穏な言葉。向けられるのは昨日のエクレアやマドレーヌと同じ、肉食動物が獲物を見る目だった。お客様が、いつ噛み付いてくるかわからない大型の獣に見えてきて、背筋が凍る。
「色んなところが真っ白で、本当、お砂糖みたい」
お客様の手がシュガーの手に触れようとする。そのやけに繊細な手つきに、触れられるたびぞわっとする。思わずぎゅっと瞼を閉じて、耐えぬこうと思い決める。
「あら、お触りは厳禁よ。この子はうちの従業員なんだから」
その瞬間に聞こえてきたのは、今のシュガーが一番聞きたい声だった。
目を開き、その暗い茶髪と銀の目が視界に入って、やっと安心する。
「カフェさん!」
「ごめんなさいね、少し手間取ってしまって」
その手には、いくつかのトマトが盛られた籠が提げてある。シュガーは空腹を思い出し、胸を撫で下ろすよりも、今にも虫の鳴きそうなお腹を撫でた。
「なんだ。もう帰って来ちゃうなんて」
「シュガーに手を出すお客様は出禁よ」
「はいはい、諦めますよ」
カフェの冗談めかした声色の脅しに、彼女もまた軽い口調で受け入れる。シュガーを見る視線はやはり身の危険を感じさせるものだが、カフェがいるだけでも少し安心出来る。
「朝食、今から作るわね。少し待っていて。お客様の注文はその後で聞くわ」
そう言ってキッチンへと向かうカフェとすれ違った時、彼女の淹れる特製ブレンドの香りがふわりと鼻腔に届き、シュガーはこれがカフェの匂いなんだと、どこか嬉しくなった。
一方、カスタードの近くを通る時にも、彼女たちはいくつかの言葉を交わす。
「……お前、使ったのか」
「えぇ。でもきっと、これで懲りるはずよ。相当な馬鹿でもない限り」
「だといいがな。私も仕事が減る」
「そうじゃなかったら……もしかしたら、シュガーのせいで馬鹿になっちゃったのかもね。私も、あの子たちも」
聴こえてきたそんな会話の意味は、いまいちわからなかった。
◇
──またしても、マドレーヌはあのヴァンパイアから逃げ帰ってきた。昨日と全く同じだった。
どれだけ殺そうとしてもうまくいかず、エクレアが気絶させられて、マドレーヌは彼女を背負って逃げ出す。全くの繰り返しだ。
現在の住居である屋敷の廊下を、苛立ちながら歩く。背中の少女は軽いけれど、足取りは重たい。
「一体……なんなのじゃ、あの女は! 人を蹴りひとつで気絶させ、手から水は出す!
ヴァンパイア種だからといって、そんな力があるものなのか……?」
今までマドレーヌもエクレアもこんなことになったことはなかった。
路上生活の中で出会ってからずっと、釣れそうな奴を釣って、バラバラにして、それを売って金にして、そうやって生きてきた。それは後から、マカロンという後ろ盾を手に入れても変わらなかった。
殺した中にはヴァンパイアだっていたし、他の食人者も同じ食い物に過ぎなかった。
つまり──あの女が、あのヴァンパイアだけが特別におかしい。
あいつさえいなければ、とうにシュガーの肉体はマドレーヌたちのものになっていたはずなのに。全部、あいつが悪い。
あいつのせいで、シュガーを手に入れられない。
「どうにか……あの女を排除できないものか……」
ぶつぶつと呟き、しかし名案は浮かばないまま赤絨毯を踏む。次に顔を上げたのは、後ろからマカロンに声をかけられたからだった。
「やあ、マドレーヌさん。どうしたの、そんなお荷物背負って」
「……少しな」
「ふぅん。私はまさに、そこのお荷物が起こした人殺しの尻拭いを終えてきたところなんだけどさ」
エクレアの意識がないにも関わらず、わざわざ彼女に対する嫌味をたっぷりに話すマカロン。いつものことであるがゆえ、マドレーヌは聞き流し、それよりもと話題を変える。
「のう、マカロンよ。人間が掌から水を出せると思うか?」
「えぇ? なに言い出すかと思えば……マドレーヌさん、そんなの無理に決まってるでしょ?」
マカロンもなにかを知っているわけではなさそうだ。マカロンやマドレーヌの持つ情報網では、調べさせても時間の無駄かもしれない。
だとしたら考えない方がいい。考えるならシュガーのことだ。
カフェと直接対面するのは避けるべきだとわかった以上、どうにかして、シュガーだけを連れてこなければ。
背負っているエクレアを片腕で支え、もう片方の腕でマカロンの肩を掴み、顔を近づける。マカロンの頬はみるみるうちに赤くなり、目を逸らしがちになった。
「まっ、まだ、なにかあるの……ってか、近いよ、マドレーヌさんてば」
「わしはどうしてもシュガー・スイートを手に入れたい」
頬を紅潮させ照れている様子だったマカロンは、その名前を聞くと、一気に視線が下に落ちていく。
「前も聞いた名前……そんなに、シュガーって女がいいの?」
「食人者でないぬしにはわからんだろうが、奴は特別なのじゃ」
「……そっか。いや、なんでもないよ、マドレーヌさんがそう言うなら、そうなんだと思うし」
「ならば奴を捕らえるため、人員を出してもらえるかの? 適当なやつを、金で雇ってくれればいい」
「え、まぁ、うん、わかったけど……わかった、けどさ」
マカロンはマドレーヌの言うことなら聞いてくれる。都合がよくてありがたい。
「ありがとうなのじゃ! やはり、持つべきものは良いパートナーじゃのう」
「パ、パートナーだなんてそんな」
この女がわかりやすく、扱いやすい人種で助かった。
使えるものは使って当然だ。今度こそはうまくやってみせる。そして、シュガー・スイートだけは、絶対に手に入れる。
──そう決意するマドレーヌは、なぜシュガーを狙っていたのか、とうに目的など忘れてしまっていた。