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4品目『ハンド・ドリップ』

 ここはティーセット王国の港街に建つ大きな屋敷。主である貴族──マカロン・ムラングは、癇癪のまま床を蹴りつける。大理石にヒールがぶつかり、衝撃音が響いた。


「おまえさ。何やったかわかってんの?」


 怒りの矛先は、目の前にいる獣耳の少女──エクレアだ。彼女はみすぼらしい身なりで、とても煌びやかな屋敷には似つかわしくない。

 傍らに立つマドレーヌの衣服は、マカロンの衣服に近い綺麗なものであり、余計その差が際立っていた。


 マカロンに(なじ)られ、縮み上がっているエクレア。目線は定まらず、マカロンの恫喝に対してうまく返事ができないでいる。


「わかってんのか、って言ってるんだよ」

「う、で、でも、間違えちゃっただけで」

「言い訳が聞きたいんじゃないんだよ、わかるかって聞いてるんだよ!

 先生に怒られるのが誰だと思ってるんだ、私だぞ!?」


 マカロンはいつもこうだ。エクレアが失敗するたび、こんなふうに怒りを向けてくる。自分を拾ってくれたことには感謝しているが、この一面だけは好きになれない。

 こういう時は、彼女の欲しそうな受け答えをするしかない。


「……わ、わかる」

「はぁ? お前がわかってないからこうやってさあ! だいたい、なんで貴族の私が食人者のおまえなんか庇わなくちゃならないんだよ!」

「はいはい、そこまでじゃ。あやつが往来にまで逃げるのを許したわしの責任でもあるからの」


 さすがに見ていられなくなったのか、マドレーヌが止めに入ってくれた。


 彼女はエクレアとは違って気に入られている。衣服も貴族のそれを与えられ、彼女の言うことなら、マカロンも素直に聞く。


「……マドレーヌさんがそう言うなら、私もそれ以上言わないけど。

 ちゃんと覚えとけよ! この犬っころが!」


 マカロンはそう吐き捨てると、やっとエクレアへの攻撃をやめ、大股で自室へ戻っていく。


 なにをあんなに怒っていたかと言うと、昨日の件だ。

 エクレアはマドレーヌが見定めた獲物の少女を取り逃したうえ、往来で目標ではない人間を殺した。

 死体はバラして食糧と売却用に分けたが、現場の目撃者は多く、軍に嗅ぎ付かれてしまった。


「そりゃ私だって間違えたのはまずかったと思うけどさ……あぁもう、むかつく!

 せっかく美味しそうなのに逃げたあいつも、私を蹴ったあいつも!」

「そうじゃな。あのシュガーとかいう娘、捕まえれば高く売れること間違いなしじゃからな」


 エクレア、マドレーヌ、共に初めての感覚であったが、シュガーの肉体は五感のどれをとっても美味そうだと思える。恐らく他の食人者もそう感じているだろう。

 シュガー・スイートは特別だ。あの娘の肉体を口にするためなら、金を惜しまない者もいるに違いない。


「そしたら大儲けじゃ。儲けたらもっと色んな道具を買って、人間をバラせるぞ」

「ホント!? やったぁ!」


 先程までの萎縮はどこへやら、エクレアはすっかり明るい表情になっていた。

 彼女の殺意がシュガーへと向いたのなら、マドレーヌもそれでいい。


「そのためには……あのヴァンパイアが邪魔じゃな」


 無邪気な笑みと、私欲に満ちた笑みを浮かべ、食人者たちは再び少女に狙いを定めるのだった。


 ◇


 シュガーは指を切りそうになったり、フライパンで火傷しそうになりながらサンドイッチを見事完成させた。

 さらに、なにもないところでつまづきそうになりながらカスタードの元へ届けることにも成功した。

 カフェの特製ブレンドの隣に、シュガーの作った料理が並ぶ。


「お待たせしました! ご注文の品です!」


 中身はベーコンとレタスとトマト。お馴染みのトリオだ。かぶりつくカスタードを見ていると、こっちもお腹が減ってくる。


「ふむ……なるほど。美味いな。

 こういう料理は一見単純だが、ベーコンの焼き加減、レタスの量、トマトの大きさ……様々な要素が折り重なっているものだ。

 初めてにしちゃよくやったもんだ。危なっかしいが、料理の腕はなかなかだ」

「あ、ありがとうございます」


 サンドイッチにはなにかしらのこだわりがあるのか、カスタードはかなり褒めちぎってくれる。

 それがとっても嬉しくなって、元気に礼を言うと、同時にぎゅるるとお腹が鳴った。


「……何だ、もしかして朝飯食ってないのか?」


 シュガーが頷くと、彼女の視線はカフェに向く。いきなり見られた彼女は首を傾げ、少し考えて、やっと思い出したようだった。


「あら。忘れてたわ、吸血鬼だから」

「えぇ!?」


 2人揃って目が丸くなる。カフェにとって習慣ではないのだから仕方がない……のだろうか。


「ごめんなさい、忘れていたのは本当よ。なにか作りましょうか?」

「い、いいんですか?」

「もちろん。そうね、じゃあ私流のサンドイッチ、食べさせてあげようかしら」


 カフェがキッチンへと向かい、代わりにシュガーがカウンターに立たされる。どうしても、慣れない視点で緊張してしまう。サンドイッチを頬張るカスタードを眺め、カフェの料理を楽しみにしながら待っていた。


 しかし、少しして現れたカフェの手に料理はなく、申し訳なさそうに話すのであった。


「丁度トマトを切らしてしまって。外の倉庫に取りに行かないと、作れないの。ちょっと待っててくれる?」

「はい!」


 元気よく返事をして、シュガーは彼女を見送った。


 ◇


 店舗の外へ出たカフェは、まばらに人々が行き交う通りに背を向け、店横の路地裏へ歩き出す。

 倉庫は家の裏にあり、このまま歩けばすぐの場所だ。シュガーも腹をすかせて待っている。


 しかしながら、カフェは歩みを止めた。そして振り返らぬまま、冷たい声を響かせた。


「そろそろ出てきなさい」

「おや、バレとったか」


 姿を現す長髪の女。シュガーを尾け回していた奴の片割れだ。

 もう片方の包丁女は姿を見せないが、上方に食人者の気配がある。恐らくは屋根の上か。


「昨日のこと、忘れたとは言わせぬぞ。わしは確かに、あの獲物は渡さないと言った。言葉通り取り返しに来たのじゃ」


 彼女たちの狙いはシュガーだ。その邪魔になるカフェを先に殺してしまおうとでも考えているのだろう。


「なら、さっさと殺しに来ればいいのだわ。こうしてわざわざ1人になってあげたんだから」

「……自信満々じゃな。それともわしらを舐めておるのか?」

「さあ、どうでしょうね」


 カフェの曖昧な微笑みに神経を逆撫でされ、女の表情が歪む。彼女は懐から2枚の鉄扇を抜き、駆け出し、声を張り上げた。


「ならば望み通りにしてやる! エクレア、やれぃ!」

「やっと出番! 解体だねェッ!」


 頭上から包丁を手に襲い来る小さな人影。カフェは少し体を逸らすだけでそれを避け、着地した彼女がそのまま凶器を振り上げてくるのもまた躱してみせる。

 続く上段への横薙ぎには屈み、振り下ろしには跳躍し、エクレアががむしゃらに振り回す刃は届かない。


「うぅ、避けないでよっ、この……もうっ、マドレーヌ!」

「呼ばれずともわかっておるわ!」


 呼び声に応じ、今度はマドレーヌが鉄扇を両手に開き、斬撃武器として仕掛けてくる。

 対するカフェは上方へ飛び上がって避け、そこへ飛来するマドレーヌに投げつけられた扇に対しては壁を蹴って移動し、一通りの回避の後に今度はカフェが上から仕掛けていく。

 繰り出された回し蹴りがエクレアに突き刺さり、昨日と同じように吹っ飛ばされた。

 だが今度はマドレーヌが彼女を受け止めると、エクレアはマドレーヌを蹴りつけて再びカフェへと向かってくる。


 鋭い扇と包丁の絶え間ない攻撃に、狭い路地裏では回避に限界があるだろう。エクレアもマドレーヌも、そのつもりで攻撃の手を緩めようとしない。

 無理に徒手空拳のまま戦おうとすれば、差し入れた四肢がズタズタにされることは明白だ。


 カフェは一度大きく後方へ跳び距離をとる。そして、大きなため息をつくと、両手の拳を強く握る。


「……はぁ。仕方ないのだわ。特別に1人1杯サービスしてあげる」


 そう告げるカフェのもとへ、愚直に突っ込んでくるエクレア。彼女の突進に合わせ拳を前に突き出して、包丁と接触するその寸前に、掌は開かれる。


 次の瞬間、エクレアを襲うのは、拳の衝突による衝撃ではない。カフェの掌が引き起こすのは液体の錬成だ。ダークブラウンの水流が迸り、瞬く間に渦を作り、彼女を飲み込み押し流す。


 エクレアはわけのわからないまま数メートルを押し戻され、その時点で彼女を包む濁流はほどけて消えていく。

 そして、気を失った少女と手を離れた包丁が地面に崩れ落ち、周囲には静寂と、コーヒーの香りが立ち込めた。


「っ!? ど、どういうことじゃ!? 人間の掌から水が出るなど、そんな馬鹿げた話が!」

「これがほんとの『ハンド・ドリップ』──なんてね」


 今度はマドレーヌへと掌が向けられ、彼女は命の危機を感じ取る。そのまま大慌てでエクレアを背負うと、またしても一目散に路地裏から逃れていく。

 今度は捨て台詞を吐く余裕もなく、生存本能だけで走っているらしい。


 カフェはそれを追うことはなく、ただ見送った。


「……さて。トマトを取りに行かなくちゃ」


 そして、改めて食材の置いてある倉庫への道を歩き出すのであった。

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