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3品目『ウェイトレスデビュー』

 朝。シュガーは慣れないベッドの上で目を覚ました。


 ティーセット王国にやってきて、そこで知り合った女性・カフェの喫茶店に住まわせてもらえることになってから一夜。

 シュガーには、2階の居住スペースにある、少し埃をかぶった空き部屋が与えられていた。


 昨日はというと、午後はその掃除に費やし、日が沈むとすぐ眠ってしまったため、翌日はすぐに訪れた感覚だ。

 寝ぼけたまま布団から這い出して、シュガーは1階の喫茶店へと向かう。


 ──今日から、シュガーはここで働くのだ。まずは寝坊しなくてよかったが、ここからも下手なことをしないよう気をつけないと。


「おはよう、シュガー」

「あっ、おはようございます」


 降りてきたシュガーを見るなりにこやかに挨拶してくれるカフェ。長いまつ毛と銀色の瞳が、朝日を受けてきらきら輝いている。

 彼女はすでに寝間着からブラウスとエプロンの店員姿に着替えており、キッチンの準備もあらかた終わっていた。

 どうやら、カフェは早起きのようだ。


「制服、これよ。少し大きいサイズかもしれないけど、我慢して」

「はい!」


 渡されたのは、カフェの着ているものと同じ制服だ。白のブラウスにコーヒー色のエプロン、スカートで構成されている。

 彼女のものの予備だろうか。だとすると、少し胸のあたりに不安がある。カフェはすらっとした流線型の体をしているが、シュガーはそうではない。


 しかし、入り切るだろうか、なんて一抹の不安はすぐに解消される。

 着替えてみたところ、胸のところがキツいということはなく、しっかり全部入りきってくれたからだ。


 安心とともに、いつの間にこんなサイズを用意したのだろうと思う。カフェのブラウスを見ても、布が余っている様子はないのだが。


「……? 私の胸元なんて見て、どうかしたの?」

「えっ! いや、その、そういえば、カフェさん、吸血鬼なのに太陽平気なんですね」

「ふふ、そうね。好きではないのは確かだけれど、忌み嫌うほどでもないのだわ」


 胸を見ていたのを誤魔化すため、咄嗟に出した言葉だったけれど、改めて考えるとなるほどと思った。


 なんとなく、吸血鬼は夜に活動するもので、昼間は日光を嫌い眠っているものだとイメージしていたけれど、それだったら喫茶店も夜中だけ営業しているだろう。でも、ここはそうじゃない。


 そりゃそうだよねと納得して、シュガーは胸元のリボンの形を整えた。

 すると、カフェはシュガーが着替え終わったかを短く確認した後、カウンター席に座るよう促してくる。いったい何が始まるのか、シュガーは首を傾げた。


「あの、これは?」

「開店まではまだ時間があるし、新人研修よ。

 仕事の中身はただ物を運んだりお皿を洗ったりだけれど……なによりも、食人者について教えなきゃいけないのだわ。

 ちょっと長い説明になるけど、頑張って覚えて」


 働く以前に、この街で生きていくうえで必要な知識がシュガーには欠けている。

 また食人者に騙され、あんな目に遭わないために、まず相手のことを知っておく必要があるのだ。

 シュガーは深く頷き、カフェの目を見た。


「まずだけど、食人者は女しかいないわ。

 これは神話において女神の肉体から生まれてきたからだって言われてるけど……とにかく、男性の食人者はまだ見つかってないらしいわ」


 最初から有益な情報だ。これは覚えておかないと。

 食人者が女性しかいないのなら、女性を相手にする時はある程度警戒した方がいい。


 とはいっても、男性にしたって、シュガーのような年頃の女の子にとっては食人者でなくとも危険だけど。


「食人者はその特徴と食性によって6つに分けられるの。

 それぞれ食べなきゃいけない人体の部位が決まってて、見分け方も違ってくるわ」


 カフェが開いた手に人差し指を当てて6を表し、ひとつひとつ指折り数えながら言い連ねていく。


 ヒトの筋肉を喰らい、脚に蹄を持つ『グール』。


 ヒトの脂肪を啜り、体温が異常に低い『ウェンディゴ』。


 ヒトの白骨を(ねぶ)り、頭部に角の生えた『オーガ』。


 ヒトの内臓を貪り、獣の耳や牙を備えた『ジェヴォーダン』。


 ヒトの皮膚を啄み、3本以上の腕を持った『ラクシャーサ』。


「そして──ヒトの血液を飲み、鋭い牙と蝙蝠の翼を持つ『ヴァンパイア』。これは私ね」


「えっと、足が違うのがグール、冷たいのがウェンディゴ、角があるのが……オーガ?

 獣耳なのはジェ……あれ、なんでしたっけ? ジェロニモン?」

「ジェヴォーダンね。

 まぁ、無理に一度に覚えようとしなくても大丈夫だわ。どうせ、そのうち出会うことになるでしょうから」


 それは放っておけば色々な相手がシュガーを襲ってくる、ということなのか、喫茶店のお客様として現れるのか、どっちの意味だろう。後者出会って欲しかった。


 カフェに言われたことを脳内で反芻しながら、シュガーは出会った食人者を振り返る。

 握った手が冷たかったマドレーヌはウェンディゴで、包丁で襲ってきたエクレアの獣耳はジェヴォーダンの特徴だったのだろうと予測がつく。


 そしてカフェ。彼女の犬歯は鋭く、蝙蝠のそれに近いものとなっている。


「あれ、ってことはカフェさん翼あるんですか?」

「あるけど……見たいの?」

「見たいです!」

「駄目よ、スケベ」


 カフェによるデコピンをくらって、シュガーはあう、と情けない声を出したのだった。


「さて、と。そろそろお店を開ける時間だわ。

 そうだわ、少しテストしましょうか。うちに来るお客様がどの種類か当てるの」


 カフェの提案を頷いて受け入れる。

 話だけ聞いたところで、実際に応用できなければ意味が無い。それに実践してみた方が、早く覚えられそうだ。


 その後、ルールの相談を重ね、さすがにお客様の目の前で回答を言うのは失礼なので、注文をとった後からこっそりカフェに耳打ちする形式に決まった。


 訪れる開店時間。入口の鍵を開け、準備中の看板を営業中と入れ替えて、ついにシュガーの勤務初日がやってくる。

 緊張しつつも、お客さんが来るのが楽しみで、胸がどきどきする。


 そして、喫茶店の扉がゆっくりと開くその瞬間が訪れた。


「いらっしゃいませ」

「いっ、いらっしゃいませっ!」


 現れたのは金髪の女性客だ。カフェも結構高身長だが、彼女はさらに長身である。シュガーより頭1つ分大きい。


 さて。女性、ということは、食人者である可能性がある。獣耳や角は見られず、腕の数も2本。となると、半分まで絞れるわけだが。


「えっと、お席まで案内しますね!」

「……? あ、あぁ。よろしく頼む」


 シュガーはお客様に手を差し出し、さりげなく体温をチェックするのに成功した。

 お客様の手は暖かい。今度はウェンディゴである可能性が潰れた。


「こちらの席へどうぞ!」

「……どうも」


 次はヴァンパイアか確認したかったが、あまり喋らない人なのか、喋る瞬間を注視しても犬歯がよく見えない。

 そこでもう1つの特徴である背中の翼を確かめるため、それとなく背面を観察する。カフェにしてもそうだが、服の上からだとわかりにくい。いっそのこと、触ってしまった方がいいだろうか。


 呼吸を整え、思い切ってまさぐる覚悟を決める。


「……ごめんなさい、失礼します!」

「っ!? お、おい、カフェ! なんなんだこいつは!?」


 驚くお客様。その様を見て笑いを堪えるカフェ。シュガーは翼を見つけられず、残ったのは1つ──『グール』だけ。それを確認するためには、足先がどうなっているか見なければならないが。


「あの。すみませんがお履物を脱いでいただいても?」


 すると、今度はお客様からの返事がない。さすがに背中をまさぐるのはやりすぎだったか。

 少しの沈黙の後に勢いよく振り返ったその表情は、怒りというよりも呆れであった。


「お前……食人者を警戒するならもっとやり方があるだろ」


 完璧にバレてしまった。うまくやっていたと思ったのに。


「おいカフェ、この子はなんなんだ?」

「シュガーよ。昨日雇ったばかりの新人。あと、普通の人間」


 カフェにそう言われると、彼女は大きなため息をついて、お前は人をからかうのが好きだなとこぼすと、シュガーのことを指さした。


「私の名前はカスタード。いいか、人間だ。

 疑うのはいいが、さっきの私みたいに素直に触らせてくれるような奴はまずいない」

「そ、そうですよね、ごめんなさい」

「謝らなくていい。だが、死にたくないなら、無理はしない方がいい」


 なんだか助言を貰ってしまったが、カフェと知り合いであるかのような口振りだ。常連客なのだろうか。


「……注文、取らないのか?」

「あっ、そ、そうでした! ご注文は?」

「特製ブレンド、それとサンドイッチを頼む」

「はい!」


 メニューを確認する間もなく注文され、シュガーは慌ててカウンターの内側に戻った。カフェに指示をもらって、すぐさまサンドイッチのためのパンを引っ張り出し、トマトを切りベーコンを焼く作業に入っていく。


 その間、どうやらカスタードは、特製ブレンドを淹れるカフェとなにやら話しているらしかった。


 ◇


 カフェとカスタードは昔からの知り合いだ。


 互いに人付き合いのいい人物ではないが、カフェが喫茶店を始めてからというもの、カスタードはかなりの頻度でモーニングコーヒーのため来店している。そのくらいには仲がいい。


 そんなカスタードは、いつも通りのコーヒーを待ちながら、ぎこちなくサンドイッチ作りに励むシュガーを眺めて、旧友に話しかける。


「見てて不安になる奴を拾ったんだな、お前」

「そうかしら。可愛いでしょ?」

「……世話が存分に焼けそうだな」


 カスタードは他人の性癖に口出しするつもりはない。カフェがそうしたいのなら、それ以上はなにも言うことはなかった。


「ってことは、もう私の血を吸うのは卒業か」

「そうなるのだわ。シュガーは美味しいし、貴女のは美味しくないもの」

「いつもお前のコーヒー飲んでるのに、不思議なもんだな」


 軽い冗談を交わしながら、微笑みを崩さず作業を続けるカフェ。

 カスタードはコーヒーを待つ間、彼女の顔をずっと見つめていた。

 流れるのは静かな時間。カスタードが仕事へ赴く日に、必ず過ごしに来る時間だった。


「……カフェ。昨日、すぐそこの通りで人殺しがあったのは知ってるか?」

「もちろん。犯人、うちに押し入ってきたもの。追い返したけれど」


 カスタードが心配からかけた言葉に、返ってくる答えは斜め上のものだった。

 だが、カスタードの不安の種は、カフェが犯人に傷つけられるなんてことではない。


「あぁ、お前の心配はしなくてよさそうだな。でも、シュガーのことはちゃんと見とけよ」

「言われなくてもそのつもりだわ」


 問題は危なっかしいあの新人だ。カフェは彼女を気に入っているようだが、それだけに彼女が傷ついた時悲しむことになる。

 食人者が数千人も潜伏し、人殺しでさえ当たり前のこの腐った街で、シュガーはうまくやっていけるだろうか。


「……あんな後悔なんて、2度と繰り返させるものですか」


 カフェの静かな呟きに、カスタードはなにも言わず、ただ視線をカウンターテーブルへと落とした。

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