1品目『ヒト喰いのいる街』
ヒト喰いの女の子たちや人間の女の子たちが、食べたり食べられたり、殺したり殺されたりします。
更新がんばります。よろしくお願いします。
木製帆船の上、波に揺られる麻袋の群れの中で、もぞもぞと人影がうごめいた。
それは細い手足を持ち、白く長い髪を後ろで結っていて、簡素なワンピースを身につけている。まだ幼さの残る年頃の少女である。
まぶたを閉じたまま、規則的な寝息をたてながら、その少女は寝返りをうった。
麻袋から漂うサトウキビの独特な匂いに囲まれ、帆船を揺籃代わりに、彼女は眠っていた。
しかしある時、ふと目を覚ますと、まぶたをこすりながら起き上がろうとする。
「……あれ、私、寝ちゃってた?」
当然、人間の少女など、貨物船の荷物の中に混じっていていいものではない。この船の人間が人攫いというわけでもないし、それ以前に船長は彼女が乗っていることをまったく知らされていない。
彼女は自分の意思で、勝手に船に潜り込んで、密航を行おうとしている最中だった。
運搬中のサトウキビの中に隠れ、寝転がっているうちに、眠ってしまっていたのだ。
少女は荷物の隙間から顔を出し、海原を確認する。向かう先に都市が見えるとわかると、琥珀色の瞳を輝かせ、思わず声を出した。
「あれが……ティーセット王国!」
ティーセット王国──現在は女王によって治められている、いわゆる大国のひとつだ。
これから船が向かう先は、そのティーセット王国でも最大級の港町。人や物資の行き来が多く、昨日まで少女の暮らしていた離島とは大違いであった。
「人もいっぱい、建物もいっぱい。きっと、あそこなら!」
あれだけ大きな街は、離島から出たことのない少女にとっては初めて見る光景だった。
島にも聖堂ならいくつか建っていたものの、人の出入りはこの都市に比べれば無いに等しい。
よって、これなら、少女は己の目的が果たせるだろうと喜んでいた。
その時にあげた声で、ついに船の主に気が付かれてしまったが。
「その声……シュガーか!? なんでそんなとこにいやがる!」
響いてくる中年の男性の声に、少女──シュガーは肩を震わせ驚いた。
シュガーは勝手にこの船に紛れ込んだ。船長にも、保護者にも、全く告げないままにだ。見つかったらまずいのに、つい大きな声を出してしまった。
迂闊だったと反省し、続けて彼に話しかけることを選ぶ。
「ごめんなさい、おじさん! でも……どうしても、大きな街に行かなくちゃいけなくて」
小さな島の住人であるがゆえ、シュガーは船長を知っているし、船長もシュガーのことを小さい頃から知っている。
「まさかお前、まだ親の行方を知りたいとか言うんじゃねえだろうな」
「……うん。知りたいんだ。お父さんとお母さんのこと」
以前、船長だけでなく、島の大人たちには話したことがある。
シュガーの両親は物心ついた時にはもうどこにもいなかった。だから、どうなったのか、島じゅう探して回った。
けれど、何度聞いてもはぐらかされてしまった。少なくとも島に墓はないだとか、そのうち帰ってくるだとか。
そしてそれが続くこと10年ほど。14歳になったシュガーは、こうして強硬手段に出たのだった。
「やめとけ、大陸は子供が1人で生きていけるような場所じゃねえ」
「もう子供じゃないもん。お料理だって勉強したし、背も伸びたもん!」
「そういうところが子供なんだよ! 金はあるのか? 向こうに信頼出来る知り合いは? だいたい、叔父さんがどう思うか考えてみろ!」
痛いところを突かれた。
今しかないと衝動的に飛び出してきたから、シュガーの所持品は、両親へとつながる唯一の手がかりである母のペンダントくらいだ。
島の外に出たこともなかったのに、知人などいるはずがない。
なによりも、親代わりになってくれた叔父さんへの申し訳ない気持ちは考えないようにしていたのに。
改めて指摘されると、罪悪感を意識してしまう。
「う……で、でも……」
拳を強く握り、シュガーはなにか言い返そうとしたが、言葉が思いつく前に船長が帆の向きを変え始め、会話は途切れた。
気がつくと、すでに帆船は桟橋に到着しており、船長の取引相手である大人たちが陸で待っている。
またしても訪れた、今しかないタイミング。逃すわけにはいくまい。
麻袋の中から抜け出して、お嬢ちゃんと声をかけられるのも無視して、シュガーは桟橋に飛び乗った。そして、脇目もふらず、乗ってきた船から逃げ出した。
「あっ、ま、待てーッ! みんな、悪いがあの子供を追ってくれ!」
後ろからそんな船長の声がしたけれど、港は人通りが多く、シュガーは通行人の脇をすり抜け、彼らを撒くまで、10分と少し走り続けた。
「そろそろ、見失ってるよね」
周囲を見回しても、なにかを追いかけていそうな輩は見つからない。というか、人の疎らな寂れた通りにまでやって来てしまったらしい。
走るのはここまでにして、ひとまず適当な建物の壁に寄りかかって、少しだけ休憩することにした。
「……これからどうしよう」
深く呼吸したことで、少し頭が冷えてきた。そしてそのおかげで、あることに気づく。
家からここに来るまで、シュガーはずっと衝動的に行動しているではないか。
肝心の両親への手がかりはペンダントしかなく、土地勘も、寝床の宛も、食べ物もお金もない。ないものだらけである。
まだ見ぬお父さんもお母さんも、一刻も早く会いたいけれど、少し無鉄砲すぎただろうか。
「せめてサトウキビの何本か盗んできたら、少しはお金になったかもしれないけど……ううん、泥棒はだめ。
人のもの取るなって、叔父さんにいつも言われてるもん」
まずはいろんな人に当たって、情報を集めよう。いつか何かに行きあたるだろう。
それに時刻はまだ朝だ。暗くなる前に港に戻れば、もしかしたらまた島に向かう船があるかもしれない。きっとあるはずだ。
そんな希望的観測だらけの見通しをして、シュガーは休憩を終わりにして行動を開始した。
行き交う人の多い通りに行き、通りすがる相手に声をかけてみる。
「あ、あのっ!」
けれど、その女性はシュガーの頭から口元、それから足元を見ただけで、なにも答えないまま去っていってしまう。
引き止めても意味はなく、なら別の人をとまた話しかけるが、同じように無視された。
これを何度も繰り返していると、さすがのシュガーも勢いを削がれる。
「都会の人って……冷たいなあ」
ため息混じりに吐き捨てて、人気のない路地に戻る。闇雲にやって駄目なら、作戦を考えないと。
「のう、おぬし。難しい顔して、どうかしたのじゃ?」
すると眉間に皺をよせているシュガーに、話しかけてくれる女性が現れた。路地の奥から、シュガーを見かねてやって来たのだろうか。
そのにこやかな笑顔に応えるため、シュガーもできるだけ明るく返す。
「私、お父さんとお母さんを探してて」
「ほう、両親を。はぐれてしまったんじゃな。かわいそうに」
「あはは、なんというか、はぐれたのは10年以上前なんですけど」
「子供がひとりでいるわけにもいくまい、わしが一緒に探してやろうか?」
右手でベージュ色の長い髪を耳にかけながら、左手を差し伸べてくれるお姉さん。少し話をしただけなのに、なんと手伝ってくれるという。
都会にも優しい人がいるものだと、シュガーは嬉しくなって、差し伸べられた手に喜んで自分の指を重ねた。
「本当ですか!? ありがとうございます!」
お礼を言いながら握ったお姉さんの手は不思議と冷たく、向けられる視線はシュガーの目ではなく、全身を舐めまわすように這い回っている。
「……? どうかしましたか?」
「なんのことじゃ?」
そう言いながらも、お姉さんはそれとなく周りを見回して確認し、続けて握ったシュガーの手を引いて歩き出す。それも、先程までシュガーがいた人の多い通りとは逆方向に。
「あ、あの、お姉さん?」
「そう心配せんでよい。わしの知り合いには詳しい者がおるからの」
さすがのシュガーでも、この態度には疑いを抱いてしまう。非力そうな見た目からは想像できないような力で掴まれており、シュガーを決して逃がすまいという意思が感じられる。
こういう状況は、シュガーにとってはまったく未体験であり、どうしていいかわからない。とりあえず逃げるべきなのだろうか。
考えているうちに連れてこられたのは壁に囲まれた行き止まりだった。やっと引っ張られなくなって、立ち止まる。
見ると、ぴちゃぴちゃと水音を立てながら、なにかを食べているらしいシュガーと同年代の女の子がそこにいた。
「……あの人、ですか?」
「うむ。エクレア、連れて来たぞ」
エクレアと言うらしい少女は顔を上げる。彼女の口元は赤く染まっていて、ピンク色のひも状のものを咀嚼しているようだった。
そこで、シュガーはふと、エクレアの足元を目を向けてしまう。彼女の傍らには、口元と同様の赤い液体で染められた二本の出刃包丁と、彼女の食べ残しが転がっていた。
その瞬間、シュガーは食べ残しと目が合ってしまう。
「っ、あ、あれって、人間──!?」
それは年端もゆかぬ少女の切り離された首だ。その光の失われた瞳に、シュガーはエクレアの食べていたものが、生首を失った胴体だと理解してしまった。
──もしかして、私、食べられる?
脳裏を過ぎった可能性に、咄嗟にお姉さんの手を振り払い、逃げ出そうとするシュガー。
しかし目の前で血塗れの出刃包丁が振り上げられ、無理やり脚に力を込めブレーキをかけた。片方は空を切り、片方の刃はシュガーの頬を傷つける。
傷からは血がこぼれ、脳には痛みが焼き付いた。あと一歩踏み込んでいたら、首をやられていただろう。
エクレアは今の一瞬のうちに包丁を掴み、シュガーへと振るったらしい。シュガーの頬を、少しの流血とともに冷や汗が伝う。
「あれ? 解体、できてない?」
「気づかれたようじゃな。エクレアの動きが派手すぎたのではないか」
「そんなぁ! ま、でも今から解体すれば変わんないよね、マドレーヌ!」
包丁を手にした少女──エクレアは、頭頂部に備わった獣耳をぴこぴこ動かして、飢えた獣のような金色の眼でシュガーを見る。そして、長い舌で唇を濡らし、両手の凶器を構えた。
「……これが目的で声をかけたんですか」
「もちろんじゃ。おぬしのような警戒心のない人間は格好のエサじゃからな」
マドレーヌはそう答えながら、エクレアの足元に転がる脂肪組織を拾い、わざとらしく一口で呑み込んでみせた。
眼前で行われる食人行為に対し、脳が危険信号を出している。このまま黙っていれば殺される。
だとしたら、やるべきことはこれしかない。
シュガーは楽観的な脳みそを全力で回し、少しだけ思考して、すぐさま行動に移す。
唇を噛んで震える自分を抑え込んで、もう一度後方に跳ぶ。エクレアの振り下ろす包丁が空を切り、シュガーら着地と共に振り向き、通りの方へと駆け出す。
こういう時は逃げるしかない。生きていなければ、両親の顔は見られない。
けれど振り返った先で、視界にはマドレーヌの姿が映った。
「おっと、そう簡単には逃がさぬぞ」
──怯むな、止まるな。死にたくないだろ、私。
駆け出す勢いを止めようとする脚で地面を蹴って、マドレーヌの顔目掛けた拳を繰り出す。彼女には首を逸らすだけで簡単に避けられるが、隙が出来ただけで上々だ。
背後でエクレアが再び構える布の音を聴きながら、シュガーはマドレーヌの脇をすり抜けて、路地から抜け出そうと走る。
「っ、足の速いガキじゃな……エクレア!」
「往来で解体してもいい?」
「殺すだけにしておけ! 女王の犬どもに嗅ぎつけられたら面倒じゃ!」
通りの方へと駆け出して、行き交う通行人の中に飛び込んだ。人と人の間を縫うように逃げ続けていればいずれ撒けるかもしれない。
それが甘い見立てだったことは、このすぐ後に思い知らされることになった。
「やっと捕まえた!」
そう言って、人混みの中でシュガーの腕を掴んだのは、マドレーヌでもエクレアでもなく船長であった。
彼はいまだにシュガーを探し、連れ戻そうとしていた。
それは優しさから来る行動なのかもしれないが、今の状況では最悪の出来事だ。振り払おうにも、成人男性の膂力に齢14の少女が勝てるわけがない。
「おい、あいつ、包丁持ってるぞ!」
群衆の中の誰かが叫んだ。ざわめく声と足音の中で、金属が擦れる音がする。シュガーはそれはエクレアがすぐ近くにいる証拠だと理解する。
凶器を手に笑顔を浮かべ、血まみれの口元に唾液を垂れ流す少女が、1歩、また1歩と迫り来る。
シュガーは死にたくないと思った。そして身を屈め、せめて自分だけは助かろうとした。
その結果──代わりにエクレアの振るう包丁を受けたのは、シュガーを掴んでいた船長の方だった。
噴き出す血液。シュガーの腕を掴んでいた手が切り落とされ、少女は自由を取り戻す。
けれどすぐには動けなかった。目の前の景色がスローモーションに見えて、首を撥ねられ崩れ落ちる、自分を気にかけてくれた男を、呆然と見つめていた。
「あ、やべ、間違えちった。ま、でも食べ物が増えただけだから関係ないか!」
殺人者は改めてシュガーに狙いを定めてくる。悲鳴をあげている暇も泣いている暇もない。
頬を叩き、なんとかまた走り出す。人混みだけじゃダメだ。どこか、建物に入れてもらわなきゃ。
シュガーは真っ先に目に入った、飲食店らしき建物に向かって走り出した。
周囲の人々が悲鳴をあげて、逃げ惑いはじめる。エクレアは包丁に付着した血を振り落としながら、その中にいるシュガーという獲物を探し回る。
それはたった数メートルほどの追いかけっこだったけれど、シュガーには、長い長い時間を走っているように思えた。
やっと木の扉に辿り着き、なりふり構わず乱暴に開け放ち、屋内へと滑り込む。慌てて扉を閉じて、エクレアが入ってこられないように押さえた。
店内には1人、女性の姿が見えて、彼女はシュガーに気がつくなり、優しい声で微笑みかける。
「おや……いらっしゃいませ。ご注文は?」
「た、助けて、ください」
女性は微笑んだまま答えた。
「ご注文、承ったのだわ」