番外編 旅の前日(ジェーン視点)
私は睡眠というものが苦手だった。
子供の頃からずっとずっと、寝るのが嫌いで、グズっては母に怒られていた。
だから子供の頃の私はすぐに眠れる魔法を作った。
通称『おやすみ魔法』
やがて体が慣れてきたのか、私は魔法なしでもベッドに入るとすぐに寝入る体になったのだけど……今でもやっぱり寝るのは苦手で、嫌いで、乗り気じゃない。
理由はいつも何か気掛かりな夢を見るから。
絶対に記憶できないけれど、大切なことを忘れているような、そんな気持ちにさせてくれる夢。
そんな夢を見た朝は、決まって憂鬱だった。
けれど、最近は睡眠が嫌いじゃない。
むしろ好きかもしれない。
急激に私の中で睡眠の地位が向上したのは、とっても単純で、そして劇的な理由がある。
今は隣にラウラ様がいるからだ。
とは言っても、同じベッドというわけではない。
初日こそ同じベッドで眠りはしたものの、さすがに毎日は申し訳ないので、今は二つベッドを並べて寝ている。
ローザも同じようにすればいいのに、恥ずかしいのか罪の意識からなのか、それともメイド精神が芽生えたのか、使用人室の古いベッドで彼女は寝ていた。
それは少し残念。
でも、ラウラ様と一緒に睡眠という時間を共有するだけで、その時間は楽しみなものになった。
小さな明かりをつけて、ラウラ様が寝入るまでおしゃべりすることもしょっちゅうだ。
寝る前の会話というのはどうしてこんなに楽しいのだろうか。
それはルームメイトが出来て、初めて分かるときめきだった。
問題があるとすれば……起きた時にはいつもラウラ様がいないということ。
ラウラ様は朝はランニングに励んでいるので、私よりも早く起きて颯爽と出掛けてしまうのだ。
それは旅行日の朝も同じで……。
★
開かれるカーテンのシャーという音と、眩しく広がる太陽の光で私は目を覚ます。
起き上がると、ローザがカーテンを開けているところだった。
「さあ、起きてくださいましジェーン。とっくにラウラ様は目を覚まして出掛けてしまいましたわよ」
「おはようローザ……私、朝、弱過ぎるかも」
「ええ、それは間違いなく。それが可愛いところでもあるのですがががが! い、いえ! かわ、可愛いというか、ま、まあ、可愛いですわよ!?」
「う、うん、ありがとうローザ」
素直な気持ちが漏れ出したローザは、羞恥心から顔を真っ赤っかにして手に持っていた布巾を握りつぶす。
可哀想だけど可愛い光景だった。
『真実の魔法』を弱化させた『素直の魔法』というのをローザは罰としてかけられていて、そのせいで気高い彼女の本音が漏れ続ける日々だった。
かなり辛そうだけれど、罪の重さを考えるとこれでも軽過ぎる罰なのだから、頑張ってもらわないと困る。
ラウラ様がお優しいからこそ許されているけれど、普通なら処刑か追放の二択のはず。
この点に関しては、ラウラ様の気持ちを汲み取った学院長にも感謝しないといけない。
……すごく胡散臭い人だけど、悪い人ではないんだよね。
「ラウラ様はその足でジョセフ様を迎えにいくと言っていましたから、ジェーンも早く集合場所に急いだほうが良いと思いますわよ」
「あっ、そうだよね。今日から旅行なんだよね」
寝ぼけた頭で少し記憶が飛んでいたけれど、今は旅行当日の朝で、のんびりしている時間はないはずだ。
しかも、その旅行先は私の地元だったりするから、とんでもない話だ。
ああ、お母さん、恥ずかしいこと言うんだろうなぁ……。
少し憂鬱になりながらも、それでもラウラ様とジョセフ様と旅行できることは嬉しくて嬉しくて、そして嬉しいことだから、私はやや軽い足取りで身支度を整え始める。
こんなに心躍る朝はいつ以来だろう。
一人で寝ている頃には考えられないほどに、私は浮かれていた。
★
「おはようジェーン! いい天気で本当に良かったね! やっぱり雨だと憂鬱になるっていうか……雨に濡れる顔の良い人たちの姿は好きなんだけどさ! 水も滴るいい男って言葉もあるけど、雨の張り付きって女子より男子の方が私好きかもしれない! ほら、筋肉がよく見えるし! ムワッと感も良きだから! 胸筋とか特に……そ、そんな話したいわけじゃないよね! ごめん! ついついその、筋肉が好きで……だから、えっと、私が雨を被るともう髪がすごいことになるから、苦手なの! ワカメみたいになっちゃうっ!」
「おはようございますラウラ様! 私も、はい、雨に濡れる男性は好きです」
「えっ、本当?」
「それに、ラウラ様も雨が似合うと思いますよ」
「それはないと思う……」
いつも通りラウラ様は楽しげに、そして滑らかに自分の好きなものを口にする。
その純心な姿が私は好きだった。
もちろん、『真実の魔法』が消えて嘘がつけるようになったからといって、ラウラ様の魅力が減るとは思わないけれど……。
「俺もかなりワカメになるほうだな」
「お兄様はいいんですよ似合いますし!」
「同じ髪質だろう?」
「似て非なるものです! 髪が長いとベットリ感が増しますし、お兄様の場合はこう濡れた髪をオールバックにしたりすると滅茶苦茶のくちゃくちゃにかっこいいですから! フェロモンむんむん!」」
ラウラ様の言う通り、ラウラ様のお兄様……ジョセフ様は大変な美男子だ。
けれど、それを分かっているのに、ラウラ様は己の容姿にあまり自信を持たれてはいなかった。
似た兄妹なのに、不思議な話だ。
正確にいうと、ラウラ様は自分が優れた容姿をもっていると思いつつも、自分という人間がそれを台無しにしていると思っているらしい。
そんなこと絶対にないのに。
小柄で華奢な矮躯と、それに反して大きな瞳。
ラウラ様はまるで妖精のように愛らしいと私は思う。
そして一番素敵なのは……真っ黒な黒髪と真っ黒な瞳!
まるで黒い真珠のように輝く髪質は、誰もが息を呑む美しさだと思う!
わ、私が黒が好きだからっていうのもあるけれど……。
「予定より早く揃ったな。全員真面目なものだ」
「お兄様が一番真面目ですから。私のは、その、なんちゃってな真面目です」
「謙遜は美徳だが過ぎたるは良くないな」
「いえいえいえいえ! これは事実ですよ!」
仲良く会話するメーリアン兄妹の姿は、朝靄の中でも一際輝いて見える。
同じ髪の色をしてとてもよく似ている二人、
しかし、大柄なジョセフ様と小柄なラウラ様で大きな違いがあって、だからこそ二人並ぶとより互いの魅力が引き出されて、威圧感すらある美しさを生み出していた。
見た目だけじゃなくて、成績も抜群の優秀さを誇る学院でも有名な兄妹。
なのに二人は家柄のせいで、悪い噂は絶えず続いている。
そのせいで自己評価もびっくりするくらい低いから、本当に不憫……。
二人と一緒にいると、私は非現実を生きているような錯覚を覚える。
ふわふわしているというか、そう、夢のようというか。
とにかく、現実感のない美しい兄妹、それがメーリアン兄妹だった。
私はこの学院に入学して、初めて二人を知った時からずっと、二人を尊敬し続けていた。
最初は成績優良者の鑑として、私はラウラ様を目標にしていた。
自然と意識するようになって、ラウラ様を目で追うようになると……すごいことに気付いた。
ラウラ様は誰とも会話する気配がなかったのだ。
しかしそれでも、どこか楽しそうなラウラ様は、よく庭の一本木を眺めては無邪気な顔で微笑むのだった。
最初、友達のいない姿に私は勝手に共感を覚えた。
そして、ずっと見ているうちに、それは尊敬に変わった。
ラウラ様は世界を愛しているかのように、何もない空間でもじっと見つめては微笑んでみせる。
まるで天使のような笑顔を……。
私もああなりたいと、遠くからラウラ様を眺めながらよく思っていた。
私の心は、良くないものを気にしてしまうから。
「ジェーン? ジェーン! 虚空を睨んでどうしたの? もしかしてグレンがどこかの木に登ってるとか!?」
「あっ……あの、いえ、ちょっと考え事をしてました」
心底心配といった表情で私の顔を覗き込むラウラ様。
そのお顔はいつも通りどこか赤い。
やはり愛らしくて愛らしいのだけど、どうしたらそこに自覚的になってくれるのだろう。
それは私の密かな悩みだった。
「馬車もどうやら早く来たらしい。馬も真面目なのかもしれない」
「でしたら私たちにピッタリということですね」
ガラガラと車輪の音を響かせながら、予定していた馬車が到着する。
楽しい時間はあっという間だけど、これから馬車の中で、そして旅行の最中に、いっぱい話せるのだから、とてもありがたい話だった。
でも、きっと、どれだけ時間があっても一瞬なんだろうな。
「ジェーンとラウラで並んで座るといい。今度は横に学院長が来ないようにな」
「それだとお兄様の横にナナっさんが来ちゃいますね」
「さ、さすがに馬車の中からいきなり現れたりは……」
しないとは言い切れないのが、あの学院長の恐ろしいところで、私は少し身震いする。
本当に煙のようにどこにでも現れる人だから、そのうち夢にも出てきそう。
私たちは馬車に乗り込み、旅は始まる。
まるで帰省のような気分だけど、歴とした『真実の魔法』調査の旅であり、楽しんでばかりもいられない。
私は気を引き締めて、自分の顔を軽く叩く。
けれど、にやついた顔が戻ることはなかった。
次回からは通常営業で本編の続きとなります。
他視点が好きすぎて一度書いてみたかったんです! 満足!




