その289 ドアは優しく開けましょう
トラコさんは視線を下に向けながら、ぽつぽつと心の内を話し出した。
「人として生きて行こうと心に決めた私でしたが、ドラゴンとしての自分にも未練があり、捨てきることが出来ませんでした。丁度ドラゴンとして認識もされなかったので、それに甘えてしまったのです。結果として酷く曖昧な存在になってしまい、『信じる魔法』の効果をもろに受けることになってしまいました。私が確固とした人であればこんなことは起きなかったはずなのです」
「……つまりもう魔法の効果を受けない為にドラゴンを捨てたということですか?」
『信じる魔法』と言えども、その認識で他者そのものをそう簡単に変えてしまうものではないことは、何となく分かっていた。
この魔法が本当に神の如き万能な魔法なら、妹様の周囲はもっと混沌としてないとおかしいからだ。
あくまでその効果は自分だけに及ぶはず……けれど、今回のトラコさんの事件ではトラコさんにまで効果が及んだ。
何故そんなことが起きたのか、それはドラゴンが曖昧な存在なことに理由があった。
この世界から廃絶された存在であるドラゴンは、曖昧であるが故に妹様という外部の認識によって、『信じる魔法』によって、まるで粘土細工のように容易に形を定められてしまい、『悪しき竜』という歪んだ形を持ってしまったのだ。
全ては不幸な事故だと私は思うけれど、トラコさんはその事故を無くすべくドラゴンの姿を完全に捨てたらしい。
責任を取った……と言えばそうなのだろうけれど、しかし壮絶な責任の取り方だと言わざるを得ない。
辞職するならまだしも、辞種族するとは……!
いや、むしろ辞職だけはしたくないからこその方法なのかも。
トラコさんにとってメイドだけは、絶対なものだから。
「いえ、ただ曖昧なままでいた自分を許せなくなっただけです。何もかも中途半端な私なのですから、ドラゴンか人かくらいは定まっていないとおかしかったんです」
「中途半端ですかなるほど──」
中途半端とそう言われてみれば、トラコさんはなるほど何もかも定まっていない不思議な人だ。
人ではないがドラゴンと認識もされず、男性だが女性装をしており、その性格は飄々としており風に吹かれる木の葉の如く捉えどころがない。
ただ、それがトラコさんの魅力なのである。
「──でも、そういうところがトラコさんの良いところだと思いますし、それに全部が全部曖昧なわけでもないと思いますよ」
「……そうですか?」
「ええ、トラコさんにはメイドという確固たる信念がありますから。しっかりと自分を持っています。素敵なことです。推せます。好きです」
「は、はい!? な、何故急に大胆な告白を?」
「えっ? ……あっ、いや、そういう意味ではなく! すいません! 好きの意味を人よりも豊富に持ち合わせている人種なものでして!!!!」
ごく自然に話しているつもりが隙あらば好きが漏れ出してしまっていた!
珍しくトラコさんもなんか気まずそうに視線を反らしているし、明らかに呆れられている! 阿呆すぎて!
「いやぁ……あの……本当にごめんなさい!」
「いえ、大丈夫ですので……」
私の顔面も赤くなったところで、互いに微妙な空気の沈黙が生まれる。
くっ、オタクが一番苦手な空気……誰か打破してくれる人はいないのか!
そう思いながらモジモジしていたところで、ドアがバターンどころかバゴーンと音をたてて勢いよく開く。
「トーラーコー!」
「げぇ! ジェーン……様!?」




