その239 逸識
通常の人間なら変態の名を背負うことが大怪我になることもあるだろうが、私くらいボロボロの人間だともはやちょっとのそっとの傷は目立たないのである。
むしろ名誉の負傷とすら言えた。
「大丈夫! ちょっと致命傷なだけだから」
「大丈夫な要素がねぇな……まあ、その分、いい結果が得られることを期待しようぜ」
変態とのトレードで伝達することの出来たこの情報、果たして役に立つのかどうか、それはイブン次第だ。
なので結局、信じて待つことしか出来ないのだけど……驚くことに待つ必要すらなかった。
イブンはものの数分で起き上がり、こちらに歩いてきたからだ。
ひらひらと手を振りながらやってきたイブンは本当にトラコさんの目を覚まさせることもない。
驚くべき隠密スキルだった。
「やあ、へんた……じゃなくてお姉さん」
「今、お姉さんのことを変態って呼ぼうとした?」
「ジョークだよ、ジョーク。メイドジョーク」
「心を読んだ影響でメイドジョークが移っている!?」
少し会話しただけでトラコさんの影響を感じられるのは心が読めた証拠であり、私としては安心できる要素である。
それはともかくとして、天使の様なイブンから変態と言われることに興奮してしまう自分もいた。
雪原に足跡を残すような下卑た快感! たまんねぇ~!
静かな月に派手派手な旗を突き立てたアメリカの人もこんな気持ちだったんだろうなー!
……とか思い始めたら言い逃れの出来ない変態すぎるので全力で反省する。
「イブン、どうやら成果はあったようだな」
「うん、お姉さんのおかげで心が瞬時に通じ合った」
「マジで女装で行けるのかよ」
「お兄さんもするといい」
「勘弁してくれ……それでどうだったよ」
本当に女装仲間が効果的に働いたことに驚きつつも、私はトラコさんの犯行動機を知ったであろうイブンも言葉を待つ。
しかしその言葉はあまりのも予想外のものだった。
「分かったけど、分からなかった」
「ん? どういうことだ?」
「急に禅問答?」
矛盾した理解に戸惑う私たちだけど、イブンも同じように戸惑っているらしく、どう話せばいいか迷うように視線を動かしていた。
「暴れる意思なんてなかった」
「暴れる意思がない……? だが実際暴れてんだろ」
「そう、だからよく分からない。行動と考えが一致していない」
トラコさんの意思は分かった。それは無害なものだった。
けれど行動はそれに即しておらず、よく分からなくなった……イブンの話はそういうことらしい。
そしてそれを聞いた私たちもまたよく分からなくなる。
トラコさんに動機はないということ……?
動機を探っていたのにそれ自体が存在していないとなると困ってしまう。
トラコさんは暴れたくて暴れているわけではない。
では今暴れている状態は、トラコさんじゃない意思でやっていることになる。
その意思とは……一体、何?
「……ドラゴンになったら勝手に暴れちゃうとか、かな?」
とりあえず私見を述べてみる。
ドラゴンと言えば大暴れ!なんてまるで子供の様な考えだけど、絶対にあり得ないほどではない。
「なくはなさそうだが、それだとドラゴンに変身した理由が分からなくなる。イブン、その辺はどうだ」
「今の姿になる気もなかったのだと思う」
「変身すらトラコさんの意思じゃないんだ……」




