58)8歳 6月25日 木綿
昨日遅くサヒットがボウアへの届け物だと言って原綿を持ってきた。
「俺、これ上手くやれているのか」
小声で喋る。
「まあまあよ、ゆっくりなら問題ないでしょ」
妻も小声で返す。
綿繰り機についてるハンドルを俺が回して、ボウアが綿花の種と綿を分けている。まあ、どうせお昼ご飯の後の食後休憩の時間だからな。その間こういうのをするのは別にいい。それにチビたちが寝ている。たったの六十日で生まれたときと比べて大きくなったわ。まあ、毎日おっぱい飲んで、寝るだけの生活だな。そりゃ大きくなるか。
なにイラついてんだヤマト。え? コットンジンはこれよりももっといいのがある? でもお前は形は覚えていても作り方はわからないんだろ? 内部構造が複雑? うーん、俺にはよくわからん。でもこの綿繰り機があるんだから、いいんじゃないか? え、本来なら一人で出来るはず? まあしょうがないだろお前が覚えてるのはギザギザの付いてる樽みたいなのが二個あったという形状だけだんだから。
「ふふふ、真剣ね」
「え、ああ、まあな。初めてだしねえ」
「そんなに気を張らなくてもいいのに、これは気楽にやるものよ」
「そうなのか?」
「そ、この種を取るのと毛をそろえるのは本当は弟子が最初に習うことだから子供でもできるのよ。この時期内職として家庭でしてる人たちもいるしね。」
「ふーん」
だからそんなに自分を責めるな。わからないならしょうがないだろ。あー、気持ちはなんとなくわかるぞ、子供でもできることの改良版を知ってるはずなのに出来ないってのはちょっとな。そうそれ、自尊心が傷つくよな。
「はい。これで今日はお終い。ありがとね。あとはこの子たちが寝てる間に一人で出来るだけ糸にするわ」
「機織りはしなくもいいの?」
「あれ、音が大きいじゃない。だからね」
手を東向きの部屋へ振りながら妻が言った。
それもそうだな、と思い俺は家をまた出た。そろそろ雨の降る日も多くなるし、来月からは本気で雨がまた降りだすからな。しかもこれで田んぼから水を抜く実験もできた。なんか干上がって、稲がやられる前に水を戻しただけなんだかこれって意味があったのかな? あとは今の内に出来るだけ棚田を作っておきたい。と、こんな事を思いながら棚田を作り、ポチとボンとアヒル達を連れて田んぼに行き、雑草を抜いたり食べさせているとヤマトがこれなら出来る! と頭の中で叫んだ。
うおい、頭の中で叫ばないでくれ。何が出来る? あ、コットンジンは無理だって前そう言ってただろ。え、違うの。ほうドラムカーディングってのか。なんだそれ? 似てるな。そうだな、おおこっちの構造は簡単だな。二つのドラムに細い小さい釘を沢山打ち受けてそれを合わせて回すだけか。確かにここでも出来るな。うーん、アヴィンとのことがあったからなコーラさんとは微妙な付き合いになってしまってるしな。いや俺に実害はないし、あの人無口だけど、仕事はちゃんとしてるし。うーん、ドラムカーディングってどうしても今必要か? まあそうだよな、恐らく必要ではないよな。まあ、わかった考えてみよう。それよりもだな、俺はお前の世界の梅雨みたいなのが来る前にこの棚田を完成させたいんだよ。
とまあこの月とその次の月をこんな感じで過ごした。七月に入り雨が四日に一回と言うすごい頻度で降ってきて日光が足りなくなるかと思ったが、まあなんとかなった。七月の終わりには収穫できた。他の農家だったら九月とか十月収穫だからな。ここはペースがかなり早い。ただ問題は雨だった。雨が多かったから前回みたく刈った稲を直に地面に置くわけにはいかない。一週間に一回の雨から一週間に二回か三回だからな。これ雨に敏感になってないと気づかなかったわ。あん? 日記を付けろ? うーん、紙は高いからな、ま、考えておくよ。
雨がいつ降るかわからないのでヤマトの言ってた乾かす装置を作って五メートルの幅のある棚田の畔に南北においた。これなら午前と午後でまんべんなく稲を乾かせるからな。竹を切って組み合わせることで簡単に出来たんだが、コイツにはさらに簡易の屋根を乗っけることもできる。だから雨の時には田んぼに走りに行って屋根を乗っけて、日が出れば屋根を外す、そして寝る前にも屋根を乗っける。これが地味に面倒だったな。
そして乾燥した稲は早速千歯扱きで脱穀した。これは凄いわ。教科書にも載るわけだ作業効率だ段違いだ。なので、雨の降ってる暇な時とかは俺は妻を助けることが出来た。感謝しかない。子供が二人だとやることが本当に多い。
あとどうも水を抜いた田んぼの方が収穫が多いみたいだ。水の入れ替えをすることがいいのかな? しかしそれだと、最大一町の広さの土地でしか水田は出来ないな。まあ、親方の見立て通りだな。それにしても水を一旦抜くと収穫量が上がるって一体どういう原理なんだ?
田んぼの水を一旦抜くのは昭和になってから広まった方式らしいですね。なんでもこうすると稲が新しい茎を作らなくなり、お米を作る方に専念するので収穫量が上がるらしいですね。
耕地整理・正条植・堆肥・稲架などを使うことにより江戸時代後期には一反当りの収穫量が180キロくらいになりました。現在いわゆる有機農法で栽培すると大体一反当り200キロの収穫になるらしいので、化学肥料や農薬無しではこれが限界ではないでしょうか。
英語の動画ですが、綿のカーディングから飛び杼を使っての機織りまで全工程をイギリスの昔ながらの方法で再現している動画があります。興味がある方はどうぞ見て下さい。
Youtubeで Spinning Jenny Carding Manchester と検索すると一番最初にでる動画です。