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女の子の必需品 (2)

 講義を受けながら、僕は夕方のことを悩んでいた。三上さん達にただついていくだけでいいのかなとか、ブラジャーを選ぶ時に不審人物にならないかなとか、でも永井さんは堂々と利用するように言っていたなとか。

 いろいろ考えていたら、英人に意外なことを言われた。


「今日の大地、なんだか機嫌がいいね」

 その言葉で、夕方を心待ちにしている自分に気がついた。

 よくよく考えてみると、きっかけや目的は別として、買い物は楽しみかもしれない。……だって、三上さんと大学の外まで一緒にいられるんだし。田口さんも一緒だけどね。むしろ田口さんもいなかったら、緊張しすぎてまた頭痛が起きていたかもしれない。


 三上さんのことを考えると、なんだかふわふわした気分になる。永井さんに怒られても、三上さんとふと目が合うとほっとする。女の子にならなかったら声をかけられることもなくて、僕は顔も覚えなかった可能性が高いから、知り合いになるきっかけをくれた理一郎おじさんに感謝かな。

 彼女達との買い物が楽しみだな。永井さんにも感謝しないと。


「今日の帰りに三上さん達と買い物に行くんだ」

「……三上さん達と?」

 英人がすごくびっくりした。

 びっくりするよね、僕が女の子と買い物に行くなんて。僕自身も数時間前まで想像もできなかったし、すごい環境の変化だよね。


「どこへ行くの?」

「えっと……ちょっとね」

 行き先を訊かれて困ってしまった。

 下着を買いに行くなんて、さすがに英人相手でも言えないよね……?

 英人が首を傾げている。英人相手にこんな誤魔化すような言い方なんて普段しないから、怪しまれているのかも。

 でも、やっぱり言えないし。


「大地ひとりで大丈夫なの」

「ひとりじゃないって。三上さんと田口さんと一緒だから」

「だから、僕が付き添わなくても女の子と一緒に行けるの?」

 あんまり英人が心配するから、僕は笑ってしまった。

「小学生じゃないんだから大丈夫だよ」

 買い物にも一人で行けない人間のセリフじゃないけどね。


「わかった。気をつけて行ってきて、あまり遅くなったらダメだよ」

 まるで若い女の子に向かって言うようなセリフに、僕は笑ってしまった。






 夕方。それぞれ取っている講義が終わった後、三人で合流して目的の店がある大きな駅へ。

 ブラジャーは二人がサクッと見つくろってくれたから、サクッと買えた。

 なのに店に長居してしまったのは、僕が女物の服に目移りしたせいだった。


 正直なところ、男物の服は着られなくはないけど微妙に着心地が悪い。このチェーン店は以前の僕も利用していた店なので、女物のデザインも僕の好みからそう遠くないから、もしも今着るならこんな感じかななんて横目で見ていたら、気がついた二人がアレコレ勧めてくれた。こういうデザインだとスタイルがよく見えるよとか、せっかくだから身長を活かした服装をとか。僕に似合う物をと言っても、やっぱりそれぞれの好みが入っているのが見て取れてちょっと面白かった。


 特にズボンは丁寧に見てくれて、今のサイズがまったくわからない僕のために合う物を探し出してくれた。

 実際に試着してみて、履き心地の違いにすごく驚いた。緩い物よりも、体に合ったサイズのぴったりしたデザインの物の方が驚くほど動きやすかった。デザインが違うっていうことはこんなに大きな要素なんだ。


 着心地の違いに感心した僕だったけど、結局、ズボンも服も買わなかった。

「本当に買わないの?」

「うん。そのうち買うかもしれないけど、今日はいいよ」

 棚にスボンを戻した僕に、三上さんが本当に残念そうに訊いたけど、いつ男に戻れるかわからないからね。今着てるので間に合ってるから、僕はこのままでいいよ。






 そのまま夕飯も一緒に食べに行こうという話になって、夕飯の店ぐらいは買い物でお世話になったお礼に僕が案内してあげないといけないかなと考えたんだけど。

「私、ここがいいな」

「私もここでいいいよ。井原さんは?」

「……ここでいいです」

 ブラジャーをサクッと選んでくれた二人は、駅ビルのレストランフロアでも入る店をサクッと決めてくれた。

 もし僕に選択権があったら、あと十分はウロウロしていた自信があるから、余計な気を回さなくてよかったのかもしれない。


「今日は付き合ってくれてありがとう」

 注文を済ませてどことなく落ち着いた後、僕は向かいに座る二人に深々とお礼を言った。


「気にしないで。困った時はお互い様だから」

「人に合う物を考えるのも面白かったしね」

 三上さんも田口さんもこう言ってくれるから、僕の胸は軽くなる。重さなんてないけどね。……って、すぐに思考がそっちに……。


「おかげで明日、永井さんに怒られずに済むよ」

 厳命された時の顔を思い出すと神妙な気持ちになる。

 肩をすぼませた僕に、「怒られるとか大げさだよ」と三上さんが笑った。

「永井さんはね、井原さんのことを心配してるだけだから」

「そうそう。井原さんに声をかけようって言い出したのは永井さんだし」

 一緒に笑っている田口さんの言葉にびっくりした。


「そうだったの?」

「うん。謎の女の子が井原さんだってわかってから、あの子大丈夫かなって心配してたんだよ」

 そうだったんだ。てっきり、三人が声をかけてきたのは好奇心かと。


 ほっとした僕に、田口さんが少し厳しい指摘をした。

「井原さん、永井さんになにか言われるとビクビクしてるでしょ? 確かに、横で聞いていても言い方がきついなと思うことがあるけど、永井さんは井原さんのことを心配して言っているからね。意地悪しているわけじゃないことだけはわかっててあげてよ?」


 僕はなにも言えなかった。

 意地悪されているとは思っていなかったけど、怖がっているのは態度に出ちゃってるんだ。永井さんも気づいてたかな。……気づいてるよね。心配してくれているのに悪かったな。

 でもそっか。心配してもらってるんだ……。


「明日はきっと褒めてくれるよ」

 褒めるとか、永井さんはお母さんじゃないのに。三上さんの言葉がおかしかったけど、頭の中でずっと厳しい顔の永井さんが「それでいいのよ」と笑うところが想像できて嬉しくなった。


「——ところでさ、お礼にってわけじゃないけど、市来崎博士についてなにか知ってることがあったら教えてくれない?」

 急に、田口さんが勢いをつけて僕に訊いてきた。

 田口さんが僕に親切にしてくれるのはそのためだったんだ。別にいいけどね。おじさんのファンなのは知ってたし。


「おじさんについて僕が英人よりも知っていることはないよ」

「そっかあ。せっかく市来崎博士の知り合いと仲良くなれたと思ったのに」

「ごめんね。お菓子をもらった時以外、本当に大して会ってないんだ」

「んーん、あわよくばって言ってみただけだから。市来崎くんに断られた時に多少諦めていたけどね。……お菓子って薬入りだったヤツ?」

「たぶん」

「いいなあ。そのお菓子、私がもらいたかった」

 田口さんが危険なことを言ってる。下手したら劇薬になっていたかもしれないって英人は怒ってたのに。本当にファンなんだ。

 でもごめんね、本当に話せるようなことはないや。


「半分冗談だから」

 田口さんが食べていたら今頃男になっていたかもねと慣れない冗談を言ってみたら、笑って手を振られた。……半分本気なんだ。

 そもそも、僕が僕だったから今回のことは起こったんだよね。


「田口さんが僕だったら、怪しいジュースを飲んじゃうこともなかっただろうし、英人も苦労しなかっただろうにね」

「……苦労ってなに?」

 小さく聞き返してきた田口さんの声は、なんだか不機嫌だった。


「薬入りのジュースを飲んじゃったこともそうだけど、僕がぼんやりしているせいで英人によく迷惑かけてきたから……」

「嫌ならとっくに付き合いやめてるもんじゃない? そんな気にしなくていいと思うよ」

「このあいだも、自分でちゃんと説明できなくて」

「あれは博士の親戚の市来崎くんが説明したから説得力があったわけで。井原さんが自分で説明できても、教授は納得しなかったと思うよ」

 おじさんファンの田口さんの声に力が入っている。


 あんまり僕がぐだぐだ言っているせいか、三上さんの表情までよくない感じになってきた。

「井原さん、さすがに気にしすぎ。本当に迷惑だと思っていたら、親戚でも話聞いたりしないって。市来崎くんは本当に井原さんのことを考えているから、あんなに詳しく聞いてきてくれたんだよ」


 今後の僕がどうなるかという話は、食堂で彼女達も聞いていた。

 女の子になった日。戻る薬を作っていると聞いて安心してさっさと寝てしまった僕の代わりに、家に帰った英人は遅い時間にも関わらずおじさんから話を聞いておいてくれた。

 いつもそうだった。僕が考えていないから、代わりに英人がしっかりしてくれるんだ。友達というよりもう兄弟だよね。面倒見のいい兄とぼんやりした弟。僕と英人が兄弟なら、同い年の兄弟になるけどね。


「でも……」

「いいじゃないの。仲よきことは美しきかなだよ。——私、弟が二人いるんだけど、あいつらなんかすっごい仲が悪いよ」

 田口さんの口が急に悪くなった。目つきも険しくなってる。


「このあいだなんか、あいつらのケンカでメガネ壊されたし。あの時はホント頭きたから久しぶりに殴ったよ」

 思い出しながら握られた拳がフルフルと震えている。

 ギャップ萌えどころか、怖いお姉さんだった。

 物を壊すケンカってすごいね。僕は英人とも誰ともケンカなんてしたことがないから、どんな状況になるのか想像ができないや。


「殴ったのは二人が小学生以来なんだけどさ、あいつらももう体が大きいし、私の拳なんて避けようと思えば避けられるんだよね。おとなしく殴られてくれるぐらいなら、その前に物壊さないで欲しいよ」

 やれやれと言った様子で田口さんは嘆いた。

 僕や英人が一人っ子だから兄弟に憧れているけど、兄弟がいるのもそれはそれで大変なんだ。

 ……三上さんはどうなんだろ。兄弟はいるのかな。


「妹が一人ね」

 できるだけさりげなく、でも三上さんのことを知ることができるかもとドキドキしながら聞いたら、緊張している自分が恥ずかしくなるぐらいあっさり教えてくれた。

 妹ありと聞いて、僕の頭の中にふわっとしたイメージが広がる。……もしかしたら、田口さんみたいに家では激しい可能性もあるけど。


「妹さんも三上さんみたいにほんわかしてるの?」

「ほんわかって……やだ、井原さんには私のことそう見えるの? 確かに妹には、おねーちゃんもっとしっかりしてよってよく言われるけど」

 三上さんは困りつつも笑っているから、僕もつられて笑う。


「井原さんも大して変わらないよね。ほんわか度合いは」

 田口さんに意外なことを指摘された。

「……そう?」

「そうだよー。私から見れば、よっぽど井原さんの方がほんわかしてるよー」

 三上さんも一緒になって僕をほんわかしていると言う。そうは思えないと首を傾げる僕に、二人はやっぱり井原さんの方が上だよと言うから、僕はもう、認めることしかできなかった。

 二人といろいろ話すことができた、本当に楽しい夕食だった。

 後で気づいたことだけど、この日帰る頃には、僕は二人相手には緊張しなくなっていた。






 家に帰ると、僕はお母さんにビニール袋から取り出した物を差し出した。

 ブラジャーには必須と言われて百均で買った洗濯ネット。

「これ、どこに置いておけばい?」

 出してから、これって部屋で脱いでから洗濯機に入れればよかったんじゃないかと気がついた。でも、出しちゃったからにはお母さんの答えを待つ。

 言いづらいというか恥ずかしいというか。世の中の女の子達は初めてブラジャーを買った時はどうしているんだろう。


「……自分で買ってきたの?」

 お母さんは洗濯ネットを見ただけでどういうことかわかっていた。以前の僕だったら形を見ても使用用途が絶対にわからなかったこれも、女性には当たり前のアイテムなんだ。


「うん、友達に付き合ってもらって」

「女の子のお友達?」

「うん」

「……そう」

 洗濯ネットを受け取ったお母さんはホッとした顔をしていた。僕がわかっていなかっただけで、三上さん達が言っていた通り、やっぱり気にしていたみたいだ。


「必要な物は遠慮せずに買ってきていいんだからね? 男の子と女の子じゃ必要な物が違うんだから」

 ブラジャー以外の女の子の必需品が思いつかないまま、僕はお母さんの言葉に頷いた。

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