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女の子の必需品 (1)

 夕方の駅のホームは、学校や仕事を終えて家に帰ろうとする人でいっぱいだった。

 そして、駅に到着した電車もやっぱり乗客でいっぱいで。

 僕は英人と一緒に、パーソナルスペースなんてないぎゅうぎゅう詰めの車内をさらにぎゅうぎゅう詰めにするために乗り込んだ。

 電車が走り出した瞬間、大きく揺れた車内にはどこにまだそんな余裕があったのかというような隙間ができて流されかけたけど、なんとか英人とはぐれずに済んだ。


 ぎゅうぎゅう詰めながらも立ち位置が落ち着いた車内で、両手でリュックをぶら下げている僕の両腕の間に、横向きに立つ英人の腕を挟む形になった。

 英人の肩が目の前のちょうどいい位置にある。


「大地。くすぐったい」

 つい顎を載せたら、英人に嫌がられた。

 うん。僕も変なことしたと思った。

 顎をどけたら、今度は英人が腕をもぞもぞと動かし始めた。

 胸の前で震える二の腕がくすぐったいというか痛いというか。


「どうしたの、英人」

「体の向きを変えたくて」

「この混雑じゃ無理だよ。それに、ヒジがぶつかって痛いから動かないでくれる?」

「ごめん」


 英人は腕を動かすのはやめてくれたけど、混雑で姿勢に無理があるのか、腕の緊張が触れる胸に伝わってくる。共通の講義についてのことを話していても、目の前の肩が時々ピクリと震えていた。

 その後も、開くドアが反対側だったり、降りる人がいても僕達の周囲は動かなかったりで、結局、電車から降りるまで僕と英人の位置関係はそのままだった。


「——ねえ、大地。もしかして」

 駅を降りてしばらくして、英人がなにか言いかけた。

 でもその先をなかなか言わない。

「なに?」

「えっと……」

 促しても、僕の顔を見たり、明後日の方を見たり。ウロウロと視線をさまよわせてばかりで。


「……ごめん、やっぱりなんでもない」

 結局、用件を言わなかった。

 なんでもないって言うなら、僕もそれ以上聞くことをしない。

 だから、別れる時までお互いに無言だった。


「じゃあね、大地。また明日」

 最後に見た英人の顔はまだなにか言いたげで、少し赤くなっていた。






「ねえ、井原さん。……もしかしなくてもノーブラだよね?」

 永井さんに講義室の端っこまで追い詰められたと思ったら、声を潜めてびっくりするようなことを訊かれた。

 その後ろには三上さんと田口さん。三人とも僕より小さくても、ずらっと並んでいると立派な壁になって迫力がある。

 ……こんな状況で女の子の下着の話なんて……。


 彼女達と仲良くなって一週間。女の子になってしまったことについてあれこれ訊かれたのは初日だけで、その後は特にこれといって触れられていなかった。

 他の学生から物珍しそうな視線を感じることはあるけど、よくも悪くも大学は学生間のコミュニケーションが希薄になっていて、気軽に声をかけられない。僕が女の子になった話を直接聞きに来たのは永井さん達だけだった。教授陣に対しては、説明しなきゃいけない空気になった時だけ、英人のあの言葉をそのまま借りて納得してもらえた。

 このまま、男に戻るまでひっそりとやっていけるかなと思っていたところへの、永井さんからの突っ込んだ質問だった。


 確かにブ……ブラジャーは着けてないけど、どうしてわかったんだろう。——あ、男物の服をそのまま着てるから、下着もどうせ新しく買ったりしてないだろうとかそういう推測かな?

「もしかして、当てずっぽうで言ってると思ってる? 見てわかるから言ってるんだよ。いつも市来崎くんと一緒だからなかなか言えなかっただけで」

 答えられずにいたら、永井さんにたたみかけられた。

 見てわかるとか冗談としか思えない。だって、自分でもわからないのに。


「井原さんのお母さんはなにも言わないの?」

 下着の話なんて女の子とどうやってすればいいのかわからなくて貝になってたら、三上さんが違うことを訊いてくれて、なんだかほっとした。

「言って来ないよ」

 さらっと返事が口から出てくる。

 やっぱり、三上さん相手だと喋りやすい。


「本当に? 必要な物があったら買ってくれるとか言ってないの?」

「……最近、夕飯の後に一緒に買い物に行こうとは言われるけど」

「それだよ、それ! お母さんは今の井原さんに必要な物を一緒に買いに行こうと誘ってるんだよ」

 永井さんがガシッと僕の腕を掴んできた。永井さんの勢いに腰が引けて、腕が痛いとすら言えない。


「……でもやっぱり、僕には必要ないと思うんだけど……」

 目の前の永井さんにすら聞こえるか怪しい小声でぼそぼそと言い訳をする。

 今の僕の胸はちっぱいどころじゃない。本当にない。

 毎日、入浴時に観察しているけど、この一週間で変化は見られない。もしかしたら、日に日に薬の効き目が強くなってより女性らしい体つきになるのかもと最初は考えたけど、たぶん、僕の体は男に戻るまでこのまま変わらない。


「小さくてもつけるべきなの。言ったでしょ、見てわかるって。これからもっと薄着になるんだよ? ……浮くよ?」

 浮く? 女の子ががみんな着けているのに僕だけ着けていないと周囲から浮いちゃう? でも、直接見えなかったら浮くも浮かないもないよね……?


「井原さん、男子だった頃とあまり変わってないと思ってるみたいだけど、ぜんぜん違うからね?」

 それまで黙っていた田口さんも、僕にブラジャーを着けさせるために説得にかかってきた。

「肩のラインだって、男子と女子じゃ違うよ。これからもっと薄着になったら、もっと違いがはっきり見えてくるからね」


 そういえば、英人は気絶している僕を見て女の子になっていると気がついたし、彼女達は英人が説明するまでは僕のことを知らない女の子だと思ったんだっけ。自分で鏡を見ても本当にどこが変わったかわからないけど……変化は、しているんだ。

 それにしても、ブラジャーかあ……。


「……やっぱり、着けなきゃダメなのかな……?」

「ダメ」

 永井さんがきっぱりと言った。永井さんからはそれ以外の返事は聞けないってわかってたけどね……。

「でも、いつ戻るかわからないし」

「いつまで使うかわからないからこそさっさと着けるべきだから。生活必需品だよ?」

 確かに、女の子には必需品なんだろうけど。


 派手な刺繍のブラジャーを身に着けた僕を想像して、自分のことだけどドン引きした。おかしい。絶対におかしいって。

 でもなにが一番おかしいって、想像した物は、ネットかどこかで見たことのあるナイスバディーな誰かの下着姿に、首だけ僕の顔にすげ替えたコラージュになっていたこと。おかしいなんてレベルじゃない。気持ちが悪いものだった。

 僕の気持ちは完全に萎えてしまった。


「あんまり、女の子らしい物を身に着ける勇気はないな……」

「だったら、いいのがあるよ」

 まったく乗り気じゃない僕に、三上さんは格安衣料チェーン店に無地のデザインの物が売ってると教えてくれた。

「こんな感じだよ」

 検索したスマホの画像を見せてくれる。形がすっきりして、色も落ち着いているのが揃っている。こういうのなら平気かも。


「こういうシンプルなものもあるんだね。休日用?」

「別にそんなことないよ。普段から着けている人もいると思うよ」

「普段から? 女の子ってみんな可愛い物がいいんじゃないの?」

「人によるよ。選択肢が多い方が気分で選べていいしね」

 人によるんだ。キラキラ刺繍が苦手な僕はやっぱり男だなって思ってたけど、案外そういうのは関係ないのかも。


「ワイヤーも入ってないから楽みたいだよ」

「そうなんだ?」

 言われるままに頷いたけど、ワイヤーが入ってないから楽とか意味がわからない。わからないけど、三上さんが勧めてくれているからいいんだろうな……なんて考えていたら、田口さんから大胆な告白が来た。


「私が着けてるのそれだよ」

 びっくりした。下着情報を打ち明けられたこともだけど、なんというか……つまらないデザインのを着けているんだなって。見た目が堅そうな子が服の下に派手な下着を着けたりしていたら、ギャップ萌えとかしそうなのに。


「やっぱり着けてて楽?」

「うん。締め付け感もないし、初心者にはいいと思うよ」

 三上さんと田口さんが真面目に僕のことを考えてくれている横で、僕の頭の中が邪な色に染まりかけている。健全な画像とはいえ、ブラジャーの着衣姿なんて見てしまったばっかりに。


「そういう話を僕にしていいの?」

「男に戻ったら忘れてね」

「……はい」

 一瞬、田口さんからものすごい圧力を感じた。

 だったら言わなければいいのに……という思いは胸にしまっておいた。


「じゃあ、今日中に買いに行くんだよ。明日チェックするからね」

 永井さんから厳命が下った。

 今日中かあ……。今はまだ午前中。今日の講義が終わる頃には疲れてる。お店までは行けても、きっとレジまでブラジャーを持って行く気力はない。


「今度の休みにゆっくり買いに行くから……」

「ダメ」

 本当に厳しいよ、永井さん。

 今日中にサッと行ってサッと買うなんてできるかな。


「じゃあ一緒に買いに行こうか? 私、付き合うよ」

 悩んでいたら、三上さんが助け船を出してくれた。

「ひとりで下着を見るのは、やっぱり少し恥ずかしいよね?」

「……うん」

 小学生か幼稚園児みたいで情けないなと思いつつ、三上さんの心遣いに頷く。


「それじゃあよろしくお願いします、三上さん」

「私も付き合うよ」

「――あ、ごめん! 私、今日はパス!」

 田口さんも付き合ってくれることになって、当然、永井さんも一緒かと思ったら、慌てた様子で首を振られた。ここまで厳しいのにお店まではついてきてくれないのは意外だったけど、用事があるということだから、仕方ないみたいだ。


「一緒には行けないけど、明日チェックするからね。絶対に着けてくるんだよ」

 永井さんは最後に念を押すのを忘れなかった。

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