英人の本心 (2)
「相談できる女の子の友達ができた時はほっとしたよ。戻るまでは僕じゃ付き合えないこともあるだろうからさ。……なのにさ、大地が三上さん達と仲良くすればするほど、僕の知っている大地がいなくなりそうで嫌で、僕の知らないところで変わった大地も許せなくて」
知らないところで? 英人とはしょっちゅう顔を合わせていたのに、そんな時間あったかな。気になるけど、訊いてもきっと教えてくれないね。
「変わって欲しくなかったのに、大地がこんなことになったのは僕のせいなのに、戻さなきゃいけないって思うのにそのくせ、今のままで……女の子のままでいて欲しいって、大地をこんな風に思うなんて僕はおかしいって……」
英人が両手で顔を覆って、もっと背中を丸めた。
しゃべってる口も見えなくなっちゃった。
「ごめん」
「ううん、気にしないで。このままでいるって、僕が自分で決めたことだから」
「違う、……もっと根本的なことが」
根本的なこと?
「大地。僕はね、叔父さんのことは嫌いだよ。大地にどれだけ言われても」
英人がまた理衣おばさんのことをおじさんって呼んでる。
気になるけど、後にした方がいいよね。
「大嫌いだよ。あの人はさ、僕が小さい頃からいろんなものを見せて僕を驚かせてくれたよ。それで、びっくりする僕を見て喜んでいたんだ。……笑ってたんだよ」
想像できるなあ、実験が成功して喜ぶ昔の理衣おばさんの顔。
お互いに女性になってから一度も会ってないけど、今はどんな顔してるのかな。
「本当に小さい時はなにが起きているかもわからなくて、わけもわからずただただびっくりさせられていたけど、そのうち、おかしな現象を起こして僕を驚かせているのは叔父さんなんだって気がついた。気がついてからは、子供をからかっておもしろがる、なんて嫌な大人だろうって思っていたよ。だから僕は、叔父さんと遊ばなくなった。……なのに、小学校で仲良くなった友達のうちの一人が、叔父さんに懐いたんだ」
それって僕のことだよね。他の友達は、変なおじさんだっておもしろがっていても、懐いてはいなかったし。
英人は顔を隠したまま話し続ける。
「嫌な大人だから、危ないから近づいたらダメだって言っても、お菓子をくれるからって大地は喜んで近づいてたよね。僕がいくら止めても」
英人がなんだか嫌ってるのは最初から知っていたのに、僕はおじさんに遊んでもらっていたね。英人とは学校で毎日会えたけど、おじさんにはたまにしか会えなかったから、遊びに来た時にいると嬉しくて。
中学から英人と学校が別々になっても、英人に誘われた時におじさんもいると、ついおじさんの所に行ってたけど。
「あの人が並外れた頭脳を持っているんだってわかるようになってからは、だったら僕の方が頭がよくなって偉くなれば、おじさんからからかわれることはなくなって、大地も僕の言うことを聞いてくれるようになるかなって考えていた。でも、何歳ぐらいでだったっけか、どれだけ僕が努力しても敵うレベルの人じゃないって理解して、絶望したよ」
「英人だって頭いいのに」
「叔父さんとは比べものにならない」
「歳が違うよ」
「十代の頃の叔父さんはそんなこと言われなかったはずだよ」
「それは……」
僕達が生まれる前のことだから実際のところはわからないけど、たぶん英人の言うとおり、おじさんは才能に関しては十代でも年齢関係なくなっていたよね。
「……そうだよ、敵わないってわかってる。それでもなにか、なんでもいいから、大地に叔父さんよりも僕の言うことを聞かせて、僕の方がすごいって言わせたかった。……敵うところなんかなにもないから無理なのにさ」
背中は丸めたまま、ちょっとだけ顔を上げた英人の目が指のすきまに見えた。
「大地。僕はさ、叔父さんに勝つために……大地に僕を認めさせたかったんだよ」
目が合って、英人が目を細めた。
目しか見えないからどんな表情をしているのかちゃんと見えないけど、泣きそうなような……笑っているみたいにも見えた。
認めるって言われても、英人は友達で、理一郎おじさんはお菓子をくれる人で、世間的にも有名な偉い人で、僕の将来の夢に影響を与えた人で。
どっちが優れているとか、僕にとって比べられるような関係じゃないのに。
「その挙句こんなことになって、大地にも叔父さんにも呆れたし、……後悔したよ。僕がこんな事態を招いたんだって。どっちも止められなかった。いっそ、大地のことも嫌いになってさっさと友人なんかやめてれば、大地だけでもこんなことにならなかったのに……」
また顔を隠した英人の肩が震えた。
「僕は叔父さんに勝てず、その上、僕が大地をそんな姿にしたんだよ」
「違うよ。僕が不注意だっただけで、英人のせいじゃないよ」
「大地を家に呼んでなかったら……あんなあからさまに怪しい液体なんて捨ててれば」
「——英人のせいじゃないってば!」
英人がずっとそんなことを考えていたなんて、そんなに悩んでいたって知らなかった。
思わず叫んだけど、英人は聞こえていないみたいに反応しなかった。聞こえていても、僕も英人も自分のせいだって思っているから、きっときりがないけど。
「せめて早く戻さないとって思っていたのに、焦れば焦るほど今の大地が惜しくなって」
惜しいって、僕がこのままだったらって言ったこと?
「……そっか、伝わってなかったんだ……。なのに僕は、見当違いなことぱかりして、くだらないことで悩んで、その間に大地が決めていたなんて……」
英人の肩が震えている。
「ごめん、大地」
声も震えてる。
「やらかしたのも、決めたのも僕だよ」
「ごめん、大地。ごめん……」
英人が何回もごめんごめんって繰り返している。
手を伸ばしかけて、僕は動けなくなった。
僕はこの手でどうしたいんだろう。慰めるために触るのも、どこに、どうやって? 友達だけど、英人は僕のことを好きなのに。そんな相手にどんな風に触れたらいいの?
悩んだけど、結局手を引っ込めるしかできなかった。
「英人は僕を男に戻そうとがんばってくれたのに、待てなくてごめんね」
英人は首を横に振る。
もしかしたら、この先何年かかっても、男に戻れるのを待つ方がよかったのかもしれないけど、違う人生をどっちがどうなるかなんて同時に比べることはできないから、僕はどっちかのうちの、待たずにこのまま女性として生きていく方を選んだんだ。
でも、英人とはこれから先、どうなるのかな。
呆れられてもしょうがないって思いながら来たのに、ここまで僕を思ってくれていた英人と……別れたくない。
「英人。僕たち、これからも友達だよね……?」
おそるおそる訊いてみたら、英人はうなずいてくれた。……顔は隠したままで。
「ありがとう。……これからもよろしくね」
ほっとしても、体は動かなくて。
何度もうなずいている英人を、僕はただ見つめていた。
結局、予定より長く話しして、帰る時間が遅くなっちゃったから、落ちついた英人が家まで送ってくれた。
並んで歩いていても、お互いに無言だったけど。
「……実況見れなかったね、ごめん」
「アーカイブで見られるから平気」
家がすぐそこまで来た頃にやっと話しかけたけど、さっきから英人の肩とか、胸ばかりが見える。僕が下ばかり見てるから。
ちゃんと顔を見ないとって思って顔を上げたら、英人が泣きそうな顔で僕を見ていた。
……引きずられたらダメ。僕が泣く理由はないんだから。
「送ってくれてありがとう」
「ん」
「……もう、無視しないでね」
「しないよ、もう」
僕は無理に笑いながら、なのに意地悪なことを言っちゃって、すぐに後悔したけど、英人はこんな言葉にもそのままうなずいてくれた。
またねって見送って、自分の部屋に戻るまではがまんできたけど、ドアを閉めたら涙が出てきた。
とめたいのにどうにもできない。うつむいたら、つま先に雫が落ちた。
僕に泣きたい理由なんてないのに。これからのことは全部自分で決めたんだし、英人はこれからも友達でいてくれるって言ったのに。
ただ、お父さん達と相談した時よりも、理衣おばさんに連絡した時よりもずっと強く、僕はもう昔には……子供の頃には戻れないんだって、どうしようもなく感じていた。
その場でしゃがみこんでひざを抱えて、声を出さずに僕は泣き続けた。