英人の本心 (1)
英人はまっすぐに僕を見つめてきた。
「大地。女性として生きていくって決めたってことは、ただ体がそうなっているってだけじゃなくて、この先の人生を女性として過ごすつもり?」
「うん。一応、就職だけじゃなくて、結婚のことも考えてはいるけど」
「……」
「お父さん達には子供の頃からいろいろ心配かけてきたし、今回のことでもきっと悩ませたからなおさら、孫の顔は見せてあげたいって思ってるよ」
そうすると、僕の結婚相手は男の人ってことになるんだよね。
二十年近く男として生きてきたのに、結婚は男の人とって考えると変な感じだし、怖いけど、それでも自分で決めたことだから。
理衣おばさんみたいにこの人はって相手に出会うのは難しいかもしれないけど、出会えたらいいなあ。
「……それで、三上さんはないとして、僕のことは……?」
「え?」
英人がすごく緊張した顔で、不安そうな目で僕を見てる。
どうして英人が不安になるかな。
「英人も友達だよ? 英人こそ、僕がこの先女性のまま側にいたら迷惑だとか、薬のことがなくなれば僕に付き合う理由がなくなるとか考えたり……」
「そんなこと思うはずないって!」
英人の知らないところで決めたから、どう思われてもしかたないつもりだったけど、別れを力いっぱい否定してくれた。
よかった、この先も英人と一緒にいられるんだ。理衣おばさんと連絡取っていても、英人とは縁がないなんてなるのは寂しかったから。
喜ぼうとしたら、英人がまた微妙な顔しているから、僕は不安になった。
やっぱり本当は嫌なのに、僕のために無理してるの?
「大地。あのさ……、僕があの時言ったことはどう思ってる?」
「どの時のこと?」
「このあいだの、……大地が三上さんと遊んで来た日の帰りに、少し話ししたよね……?」
「ああ、あれ?」
あれから英人が僕を避けるようになって、だから僕は自分で理衣おばさんに連絡を取って、結婚の話を聞いて僕も将来のことを考えて……って、最近は頭がいっぱいいっぱいになってて忘れてた。
あの時のことは思い出したけど、どう思ってるって言われても、そもそも。
「英人はなんて言ってたの?」
「……えっ」
「よく聞こえてなかったんだけど」
「聞こえてなかった……?」
どうしてそこでびっくりするかな。だからメッセージで何回も訊いたのに。
「聞こえなかったっていうか、聞き間違いしちゃってて。なのに英人が既読無視するから困ったんだよ」
「何回も訊いてきたのは本当にわかってなかったってこと? 僕にはっきり言わせたいとかじゃなくて」
「うん。大学でも避けるから、もう僕のことは付き合いきれなくなったのかなって。だったら、せめてなんて言ったのかだけ教えて欲しかったのに、やっぱり既読無視で」
「――ごめん! 僕はただ、だから大地を早く男に戻さないとって……」
だからって話にどこからなるのかわからないけど、あれから理衣おばさんの方に催促がきつくなってたんだっけ。
あの時、本当はなんて言われてたのか、ますますわからないよ。
「……聞こえてなかったんだ……」
がっくりして英人が頭を抱えちゃった。
だから、どういう話だったか教えてってば。
英人は小さく唸りながら髪の毛をくしゃくしゃしていたけど、ふっと顔を上げた。
「聞き間違いって、どんな風に聞こえたの?」
あれ。僕が訊かれる方なの?
「言いにくいんだけど」
「具体的にどう聞こえたのか教えて欲しいんだけど」
僕がどう聞き間違ってたのか確認するより、英人がなんて言っていたのか教えてくれた方が話が早いのに。
「その、英人がなんか今の……女性の僕のことを……みたいな」
恥ずかしくてはっきり言えなかったけど、僕が言いたいことはわかるよね?
英人が大きくため息を吐いた。
あきれられてるなあ。聞き間違うにしても内容がひどいよね、恥ずかしいな。どうしてこんな風に聞こえちゃったのかな。
「それ……聞き間違いじゃないよ」
聞き間違いじゃない? 英人が今の僕をす、好……みたい聞こえたのが?
でも僕って、英人の好みのタイプじゃないよね?
「英人って胸が大きい女性が好きなんじゃないの?」
「………………どこからそんな話が出てきたの」
意味がわからないって顔と低い声で訊かれて、本棚のあの写真集が入っていた辺りを見た。ちらっとだけだから、今も並んでいるか探せなかったけど。
「ちょっと待って、そこにあるってなんで知ってて……って中見たわけ!?」
「大丈夫だよ。僕も男だったからそういうのわかるから」
あわてる英人をフォローしたけど、怒ったような、気まずそうな顔になっちゃってる。
持ってるのを知らないところで知られるのは嫌だよね。見ちゃってごめん。
「ちょっと想像してみて欲しいんだけどさ」
「う、うん」
顔は気まずそうなままだけど、声が真剣になったから、僕はつられて背筋を伸ばした。
「異性として気になるようになってきた子に、ひさしぶりに会おうとするんだよ。それで、その子の家まで訪ねに行くんだ」
「うん」
「そうしたらその子の部屋に、すっかり雰囲気が変わった、……いい感じに変わったその子がいるんだよ」
「うん……?」
「いい雰囲気に変わって、僕に向かって笑いかけてくるんだよ。無防備な寝間着姿で。……そんな子が、会いに行った方にはどんな風に見えると思う?」
「……うーんと……」
英人の話は進んでいたけど、僕は最初のところで想像がとまってた。
異性として気になる人。今の僕にとって、異性として気になる人って……? ここのところ、そういうこと考えられる状態じゃなかったし。
僕にとっての誰かは想像できないけど、ただ、英人は今、僕の話をしているんだよね?
部屋に寝間着でいたって、夏休みの終わりに英人が来た時のことだよね。今の話は、あの時、英人に僕がどういう風に見えていたかっていう話でいいのかな?
本当に、英人が今の僕を好……きってことでいいの?
あの時、聞き間違いかなにかしたと思ったから、なんの話だったかわからなくなっちゃって困ってたけど、最初に聞こえた通りでよかったの?
「目開けたまま寝てない?」
僕がなかなかなにも言わないでいたら、英人がじりじりしてきた。
英人はこんな嘘とか冗談を言ったりしないとは思うけど……やっぱり、英人の話のままとは思えないかな。
「夏休みに家に来てくれた時のことなら、英人ってなんか怒ってなかった?」
「あれは……勘違いもして」
「勘違い?」
「なんでもない。あの時は勝手に怒ってごめん」
どんな勘違いをしたのか聞きたかったけど、英人は首を横に振って、教えてくれる気はないみたい。
「あの時だけじゃないね、何度も変な態度を取って、そのたびに大地に嫌な思いをさせて悪かったよ。ただ、大地のことは最初から女の子だって意識してた」
「……嘘」
「嘘じゃないよ。まあ、最初はあくまで異性になっているってだけだったけど」
「だって、英人は僕を男だって」
「最初はすぐに戻せると思ったし、大地をそういう目で見るわけにいかないしさ。現状に慣れすぎたら戻った時に苦労するかもしれないから、本当は男なんだって意識させていた方がいいって考えていたんだよ」
そっか。時々きつかったけど、僕のことを考えて言ってくれてたんだ。
「それでも大地があまりにも自覚がなくて無防備だったから、変なことでも起こる前に早く戻さないとって思っていたんだけど……」
もごもご言いながら髪をくしゃくしゃにした英人が、パッと顔を上げて僕を見た。
あれ。この目って、僕を注意する時の目みたい。
「……大地はさ、体に慣れていろいろ変えていこうとしていたけど、僕に対してはなにも変えてなかったよね?」
「英人に対して?」
「自分が女の子だって自覚はあっても、僕とは異性になっているんだって意識はまったくなかったよね?」
英人と異性になった意識?
そんなこと言われても、本当は男なんだからって言われ続けたから、英人が僕を異性として見ていたなんて思わなかったし、だから僕も異性として意識しなかったのに。
なのに、英人は不満そうに僕を見てる。
「自分も男だったからわかるって言うくせに、無防備にしててさ」
「僕、英人相手になにかした?」
「それ、僕の口から聞きたい?」
「うん。……あ、やっぱりいいです……」
今一瞬、英人の顔がすごい顔になってた。
そんなところで英人に迷惑かけていたんだね。……そうだね、英人と僕は異性になったんだね。
「女兄弟もいない、同級生の女子ともたいして仲良くなったことがなかったのに、急にできた距離なし無自覚の女友達相手にどうすればいいのかって……」
「ごめん、なにも考えてなくて」
「悩んだのもこっちの勝手だったけどさ」
ふーって大きく息を吐いて、英人が俯いた。
英人がそんな風に悩んでいたなんて、ぜんぜん思わなかったよ。