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僕の決心 (1)

 何度も遊びに来た部屋の前に立った。

 なんだか頭の中が静かだなあ。こんな気分でここに来たのは初めてかも。


「……何の用ー?」

 ドアをノックしたら、向こうから英人のいつもどおりの声が聞こえた。

 声を聞いたのは二週間ぶりぐらいかな。きっと、廊下にいるのはおばさんだと思ってるよね。


 ドアを開けたら、英人が机に置いたノートパソコンでなにかネットを見ていた。

「買い物だったら、今日はちょっと……」

 英人は入り口で立ち止まっていた僕を振り返って、びっくりした顔になった。


「大地っ……!」

「話がしたくて」

 びっくりされるのは予想していたから、僕は落ち着いて声をかけることができた。英人は困って気まずそうな顔をしているけど。

 でも、帰ってとは言ってこない。


「八時からゲーム実況が始まるんだよね。それまでには帰るから」

 今日は、文化祭にも来ていたあの配信者が生放送をするって決まっている日。今なら英人はきっと家にいると思ったから、僕は来たんだ。


 家は近いんだし、来れば英人を捕まえられるってわかってた。絶対にってわかっていたからやめておきたかったんだけど、昨日もあいかわらず既読無視だったから、僕はこんな時間に会いに来たんだ。

 もうこれ以上、英人と話さないままではいられないから。


「……実況はいいよ。大地の気が済むまで話聞くよ」

 英人は急に来た僕を部屋に通してくれた。


 床に座ろうとしたら、クッションを渡された。

 今まで、英人の部屋にはクッションはなかったのに。最近買ったのかな。

 まだきれいだけど、僕が使っていいのかな。悩んでいたら、英人がベッドを背もたれにしてさっさと座っちゃったから、使わせてもらうことにした。床に直接座るとお尻も冷たいし。


「ずっと返事しなくてごめん」

 先に口を開いた英人に、僕は頭を横に振った。

 二週間も既読無視が続いたから、ないのがもう当たり前みたいになってた。

 それに、話がまとまったら英人とは最後に直接話すつもりでいたから、返事が来るようになっていてもいなくても、今日とは関係なかった。


「英人。僕、おばさんと話したよ」

 するっと声が出て、自分でもびっくりした。

 僕自身を追い込むためにもこの時間に来たんだけど、英人の前まで来たら、悩んでしゃべれなくなっちゃうかと自分で思っていたから。


「母さんと? ……なにを?」

 せっかくすんなり話を始められたのに、なんのことかわからないって顔をされて、僕もぽかんってしちゃった。

 そっか。英人には内緒にしていたんだから、ただおばさんって言ったらわからないよね。


「理衣おばさんと話したんだよ」

 名前をつけて言い直したら、英人の口からひゅって音が聞こえた。

 また気まずそうな、不機嫌そうな顔になってる。


 いつから隠していたのかな。ずっと教えてくれないつもりだったのかな。僕が自分で直接連絡取らなかったら、大事なことをずっと知らないままになっていたのかな。


「どうして教えてくれなかったの。理一郎おじさんが名前を変えたことも、結婚することも」

「それは……」

 英人ははっきり言わない。


 目をうろうろさせているのを見ていたら、しぶしぶって顔で口を開いたけど。

「だってさ、大地に教えたら……」

 すぐにまた黙っちゃった。


 もし僕が英人から聞いていたら……やっぱり喜んだよね、理衣おばさんから直接聞いた時みたいに。

 僕を喜ばせたくなかった? ……ううん、英人は反対しているから、僕が喜ぶのがわかっていたから、教えてくれなかったんだね。


 英人はむっとした顔で僕から目をそらしている。叱られている小さな子みたい。


「どうして英人は、理衣おばさんの結婚に反対なの」

「どうしてもなにも、結婚なんてしたら、大地が男に戻るのが遅くなるんだよ? ただでさえ開発にあと何年もかかるって話なのに、大地はそれでいいわけ?」


「理衣おばさんが結婚しても、開発時間と関係ないよ?」

「生活が変わったら時間が減るじゃないか」


「減らないってば。仕事として研究できるようにしたって話だから」

「業務時間なんか関係ないよ。元々趣味で時間外に作っていた薬でこんな状態を招いたんだから、大地を男に戻すまでは、薬ができるまでは寝食を削って開発を進めるべきだよ」


「無茶言わないでよ」

「無茶じゃないよ。叔父さんが今一番優先しないといけないのは、大地を男に戻すために開発を全力で進めることだから。他のことに気を取られてる場合じゃない。それを、年甲斐もなくはしゃいだりしてさ」


「好きな人と結婚できることになったら、何歳になっても嬉しいよきっと」

「あの歳まで独身だったんだし、今更結婚なんかしなくったっていいのにさ」


「何歳だって今更ってことはないよ。ずっと研究一筋だったけど、その結果がきっかけで相手ができたってだけなんだから」

「そのきっかけもろくでもないし」


 話したらこうなるってわかっていたけど、英人と意見が合わない。理衣おばさんのことになると、英人はなんでも反対するから。


「僕からしたら、大地がぜんぜん怒らないことの方が不思議だよ」

 英人は不満そうに僕をにらんでいる。

 この話だけは本当にきりがないね。

 だからって、英人に合わせて僕も嫌いになったりなんてできないけど。


「僕が怒る理由なんてないし」

「めちゃくちゃあるよ。今だって人生狂わされてるのにさ。性別変わったことで苦労してることあるよね?」

「それは……困ったこともあったけど」


「だよね。だから大地を一日でも一秒でも早く戻さないといけないのに、自分は変化した性別になじんで結婚とか、無責任にもほどがあるよ。大地だって早く戻りたいよね?」

 理衣おばさんのことを話していると、英人の顔が歪む。


 笑っているように見えるけど、おもしろいわけじゃないよね。だって、英人にとって楽しい話をしているわけじゃないし。

 無理しているのかな。これでもがまんしてるのかな。本当はもっと……どれくらい怒っているのかな。


「だいたい、大地を女の子にしたままでなにも解決してないのに、自分は変化になじんで結婚までするとかがありえないから」

「だから、別に結婚したって」

「——大地はのんきすぎない!? 大地は叔父さんの研究の犠牲になったんだよ!?」


 とにかく意見が合わないから、同じようなことをお互いにくり返すばかりになっちゃって、いらいらした英人が急に大きな声を上げた。僕が思わず震えちゃったら、はっとしてすぐに落ち着いてくれたけど。

 気がつくところは気づいてくれるのに、犠牲なんて言い方がきついなあ。聞いてて疲れちゃうよ。


 でも、今日は英人とちゃんと話さないと。

 ちゃんと全部、最後まで話して、それで英人がどう思って、こうして話せるのがもし最後になっても、僕は受け入れるんだ。気持ちの準備はしてきたから。

 僕はもう決めたから。


「怒鳴ってごめん」

 まだまだ話すために落ちつこうと深呼吸したら、誤解させたのかな、英人が謝ってきた。

 僕は首を横に振る。


「英人は僕より理衣おばさんに謝って」

「どうして僕が叔父さんに謝ったりしなきゃ……」

「理衣おばさん、だよ」

「……叔母さん」

 声は思いっきり不満そうだけど、一応言ってくれた。


「前に、理衣おばさんに電話ですごく怒ったりしてたよね」

「知ってて……」

 英人が気まずそうな顔になる。

 あんな風に怒ってて、部屋の外に聞こえてないと思うのかな。


「英人はおばさんが僕のことを勝手に実験台にしたって怒ってたけど、英人だって、僕が言ってもいないことで理衣おばさんに怒っていたんだよね。英人だって勝手なことしてるよね」

「僕は大地のためを思って」

「それはわかってるよ。だからって僕の意思を無視していいってことはないよね」

「……ごめん」


「だから、僕にはいいから、理衣おばさんに言って」

「大地にはいくら謝ってもいいよ。でも、叔父さんには謝らない」

 またむっつりした顔になってる。


 僕の言うことはけっこう聞いてくれるのに、理衣おばさんのことになったら英人はまた頑固になる。理衣おばさんの呼び方もすぐに戻る。

 どうして英人はこんなに頑ななのかな。


「だったら、結婚に反対するのだけはやめて。そもそも、親戚だからって甥が反対できることじゃないよ。英人以外には反対していないんだよね」

「僕は大地のために」

「僕がいいって言ってるの。……僕を理由にしないで」

 強めに言ったら、英人が黙った。


 やっぱり、英人の態度が不思議だな。英人の話もわかるけど、お菓子をもらってて性別が変わっちゃったのは僕なのに、英人がここまでこだわって怒ることあるのかな。


 ……僕のことでずっとめんどうをかけて、無理させてるもんね。薬の開発状況チェックなんかで時間を取られたり、道端で転んで歩けなくなったのを、背負って運んでもらったり。

 僕にわずらわされなくなれば、理衣おばさんへの怒りも少しは収めてくれるかな。


 今何分かな。実況の時間までに帰るって言ったのに、たぶんもう始まってる。最後まで迷惑かけちゃった。

 もう、終わらせないと。


「英人、今までありがとう。もう、僕のためにいろいろしてくれなくても大丈夫だから」

「……? なに言い出すの」

 不思議そうな顔をまっすぐに見つめながら。


 英人にこれで清々するって思われても、呆れられてもしょうがない。

 でも、僕は決めたんだ。


「僕ね、このまま……女性として生きていくことに決めたんだ」

「——なに言って……!?」

「今日はそれを伝えに来たんだよ」

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