僕が知らされていなかったこと (3)
「戸籍上は問題ないかもしれないけど、女性同士で結婚するんだね。薬で戻った時のことまで考えて決めたの?」
『——あらやだ! 違うわよ大地ちゃん、私の結婚相手は男の子!』
……えっ。
「おばさんの結婚相手って、男の人なの?」
『そうよ、もうっ。……って言っても、そうね、ややこしいわよね。すっかり当たり前になっていたから忘れてたけど、ちゃんと説明しないとわからないわよね。ごめんね、怒鳴って』
「ううん。僕もちゃんと聞いていなかったのに、てきとうに言ってごめん」
結婚するってことだけでびっくりしたのに、相手が男性なのにはさらにびっくりしたよ。
でも、おばさんは女性になっているんだから、それで男性だった時にはする気のなかった結婚をすることになったんだから、当たり前と言えば当たり前なのかな……?
『相手はね、私より六歳年下で、研究室に入ってからずっと助手をやってくれていた子なのよー』
「一緒に仕事してる人なんだ」
『そう。それもとびっきり優秀な子でね。私が女性になってからは、私生活でもサポートしてくれてるようになってね』
相手のことを話し始めたら、おばさんの声がうっきうきしてきた。理一郎おじ……理衣おばさんらしくなってきた。
「いい人なんだね」
『いい子なのよー。それでね、仕事以外の時間でも会う機会が増えたら、以前は気がつかなかった彼の魅力も見えてくるようになって、トキメキも覚えるようになっちゃって』
しゃべりながら、おばさんがどんどん早口になっていく。
『でも私が彼に気持ちを伝えて、それで研究室の雰囲気がおかしくなったり、助手としての彼を失うことになったらって、助手としての彼だけは絶対に失いたくないからがまんしていたのよ』
「う、うん。つらかったね?」
『この気持ちわかってくれる? もうね、仕事のこともあるけど、私の方が年上だし、しかもただの年上じゃないし、苦しくてつらくてトキメキの行き場に困って悩んで悩んでいたところへの、まさかの彼からのプロポーズだったのよ。女性のままで、この先の人生を俺に預けてくれる気はありませんか……って。いつもはすっごい爽やかで、研究室の雰囲気も盛り上げてくれるような明るい子なのに、その時の彼ってば、研究の最中にも見たことがないくらい真剣な顔でねー。私ったら感動のあまり、その場で座り込んでわんわん泣いちゃったわ。思い出すだけでも恥ずかしいったらもう。しかもオッケー言う前に泣き出しちゃったものだから彼を困らせちゃって。誤解して謝ってくる彼に、泣きながらなんとか返事したら、彼ったら私の肩を優しく抱きしめてくれてね……』
おばさんの話はぜんぜんとまらなくて、その後一時間近く、僕はあいづちも打てないほどの勢いでのろけ話を聞かされていた。
おばさんはすごくいろいろ話していたけど、いろいろ内容がありすぎてもう、同じ職場の人と結婚するってところしか覚えてないよ。
『……で、彼のご両親には忙しくてまだごあいさつに行けてないけど、戸籍や名前の変更は書類を揃えているところなの』
「戸籍も変えるんだ」
『彼と添い遂げるんだもの』
おばさんが電話の向こうでふふって笑ってる。
声だけだけど、本当に幸せそう。研究のことで楽しそうなおじ……おばさんは何度も見たけど、そういう時とはまたちょっと声が違うね。
そっかあ。理一郎おじさんは……理衣おばさんは、もう一生女性のままでいるって決めたんだ。
僕が英人に任せっぱなしにしている間に、おばさんはいろいろあって、いろいろ決めていたんだね。
『研究一筋で墓まで行くつもりだったのに、この歳で結婚することになるとは思っていなかったわー。結婚って勢いね』
本当に話してる勢いがすごかったよ。
……あれ? っていうことは。
「これからは、薬の開発って僕だけのためにするの?」
『それだと開発環境を確保するのが大変っていうこともあって、他の人でも有効な男性化に切り替えたの。戻る薬の場合、稀有な症例でも私がまた成功例になれるならいろいろな方面に活かすこともできたけど、私はもう、彼のために男性に戻る気はないし、大地ちゃんのためだけに研究するのは、そうしたくてもいろいろ難しくてね』
「僕のために無理させてる?」
『だから、男性化の薬なの。これで表向き、世間の悩める人のための研究になるから。私としては大地ちゃんのためだけどね。はっきりとした目標があった方ががんばれるし』
僕のために余計なことをお願いしちゃってるんじゃないかって心配したけど、おばさんはあくまで仕事の開発範囲に収まっているから大丈夫だって言ってくれる。でも。
「他の研究ってしてないの?」
訊いたら、ずっとしゃべりっぱなしだったおばさんがちょっと黙っちゃった。
『……二年前から開発が始まっているのがあるけど、この半年、性転換の研究も並行して進められているから平気よ。彼のサポートもあるし、研究室のみんなもいてくれるから』
「それってやっぱり大変じゃないの?」
僕はこのまま、おばさんに甘えて待っていていいのかな。元々、今の状況はおばさんが仕掛けた薬のせいだけど、人任せにしていて本当にいいのかな。英人みたいに僕が自分で研究するとは言えないけど。
『大変と言えば大変だけど、実験中に想定になかった効果を見つけることもあるから、手間が増えるばかりじゃないのよ。女性化の薬だって、開発目標上にあったものではなかったし』
女性化の薬は、作ろうとして作ったわけじゃないってこと?
そういえば、薬を作った理由を訊いてなかったけど。
「理衣おばさんって、前から女性になりたかったわけじゃないの?」
『考えたこともないわ』
あっさり否定されたけど、そこまでびっくりはしなかった。そういう風に見えたことがなかったし、異性に……女性に興味がないからって、男性に興味があるようにも見えなかったし。
「じゃあどうして、女性になる薬を作って飲んだの?」
『データからできるって結果が導き出されたからよ』
できそうだからで、人生が変わっちゃうような実験に臨んだの。
研究大好きな人だけど、研究することが、性別とか人生を左右することよりも優先なんだね。
『どうしても実際に変化するかが気になって、いつもどおり自分と大地ちゃんでも実験したの。結局、結果が出たのは私達二人だけではあったけど、私のこれまでのデータを分析して実験した結果、私に効果が出たことには間違いないからね。予測どおりの結果が出たことに満足しているわ』
この声だ。研究が大好きで、実験のことを楽しそうに話す理一郎おじさんの声だ。
やっぱり、理一郎おじさんのこういうところが好きだなあ。好きなことに集中して突っ走って、楽しそうにやりこんで、本当に研究することが好きで好きでしかたないってところ。僕も見ていて楽しくなるから、だから僕はおじさんを憎めないんだ。
理衣おばさんはなるべく早く僕を男性に戻すと約束してくれて、電話を終わらせた。
いろいろ話したなあ。のどがカラカラになってる。
英人のおばさんが言っていたのはたぶん、理衣おばさんの結婚のことだったんだね。いつから決まっていたのかな。
……英人、僕ぜんぜん知らなかったよ? 薬のことを英人に任せちゃっていたのは僕だけど、こんな大事なことを教えてくれないでいたなんて思わなかったよ。
なんだか頭の中がいっぱいだなあ。明日は二限目からだけど大学もあるし、寝ないといけないけど、興奮してしばらく寝つけなさそう。
のどが乾いてるし、水でも飲みに行こうかな。
一階のリビングの明かりがまだ点いてると思ったら、台所でお父さんが缶を洗っていた。
「まだ起きてたの?」
「おっ!? ……大地か、びっくりしたなあ」
「ごめん」
「いや、こっちがすまん。……俺は居眠りしてさっき起きたところなんだが、大地はこんな時間にどうしたんだ? 俺になにか話か?」
いつものお父さんだ。一本だけしか飲んでないみたいだし、さっき泣いていたあの酔いはもう残っていないのかな。
「水飲みに来ただけだよ」
「……そうか」
棚からコップを出しながら答えたら、がっかりされちゃった。洗い終わった缶を足でつぶすお父さんの背中が丸くなってる。
うーん。もし話があってもこんな時間だし、ゆっくりとできないしなあ。……って思ったけど。
さっきの理衣おばさんの話を聞いて僕が思ったこと、話してみようかな。すぐにあれこれ結論の出せることじゃないから、少しずつ話していった方がいいと思うし。
「やっぱり、相談があるんだけど」
「——おっ!? なんだ、父さんになんでも言ってみろ」
嬉しそうにお父さんが振り返った。
お父さん。僕が成人したら、一緒にお酒を飲みたいって言ってたね。
お酒を飲むだけなら、体さえ健康だったらいつでも付き合えるよね?
「とりあえず、ちょっと聞いて欲しいんだけど……」