表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

30/50

僕が知らされていなかったこと (2)

 また英人のおばさんにかけちゃったのかとも思って、すぐにこれが今のおじさんの声だって気がついた。しゃべり方が変わってるけど、明るくて弾んでるこの調子は、理一郎おじさんだ。

 おばさんが言っていた、僕とお母さんの声が電話だとそっくりでっていうのは、こんな感じだったのかな。


『もしもしー?』

 あれこれ考えている場合じゃなかった。とにかく話さないと、迷惑電話だと思われておじさんに切られちゃう。


「理一郎おじさん! あの、僕、……井原大地です」

『おじ……? ——ああ! 大地ちゃん!』

 ……大地、「ちゃん」?


『久しぶりね、元気してた? その後、体調におかしなところとか出てない? 私がピンピンしてるから大地ちゃんも平気かなーっとは思っていたけど、英くんってば、大地ちゃんのことを聞いてもろくに教えてくれないし』

 英人は英くんなんだ。


「心配ないよ。女性の体になったこと以外は、体調も前と変わってる感じもないし」

『それならよかったわー。でも心配あったら、言ってくれれば精密検査フルコース用意するからね? ところで今日はどうしたの、大地ちゃんから私に電話なんて。やっぱり薬のこと? そうよね、ごめんねー、待たせてるよね。やってはいるの。でもつい最近まで就業時間外しかできなかったこともあって、なかなか進まなくて』

 僕がなにもしゃべっていないのに、おじさんの話がどんどん進んでいくよ。


『英くんもずっと熱心に催促してきてるけどね。特にここ一週間ぐらいはすっごいし』

 ここ一週間? 英人が僕と顔を合わせなくなってからのこと?

『もういっそ、自分が開発するから今すぐ研究室勤務で採用できないかなんて言い出すし。そんなの無理なのに』

 ……英人。あまりおじさんに無理言わないでって前に言ったのに。


 でも、僕のことは無視するようになっても、おじさんには連絡を取っていたんだね。まだ僕を投げ出すつもりじゃなかったんだ。早く僕とのつながりをすっきり終わらせたいだけかもしれないけど。


『このままじゃ、大地ちゃんが男に戻るまで顔を合わせられないとも言ってるし』

「……え? それってどういう……」

『私の方が聞きたいわよーっ』

「ごっ、ごめんなさい」

『待って、違うの、大地ちゃんを怒ったんじゃなくて。……最近、顔合わせてないの?』

 ここ最近の英人の様子をつらつら話していたおじさんに、急に心配そうな声で訊かれて、すぐに言葉が出てこなかった。

 おじさんに言い訳するようなことはなにも考えてなかったよ。


「……ちょっと忙しくて」

『二人とも大学生だもんね。家が近所で同じ大学に通っていても、なかなか会えなくなるものかもね。……それにしても、英くんは昔から難しい子だったけど、最近ますますわからなくなって。英くんも大人になったってことかしらね』

 ため息がスピーカーの向こうから聞こえた。

 嘘で納得してくれてほっとしたけど、同時にちょっと胸が痛い。


 英人も気にしてくれているなら、ひと言でいいから返事をくれれば、こんな風にもやもやしないでいいのに。

 英人は僕が女性だと会えない、男性なら顔を合わせられるって思ってるの? 英人は僕が男性に戻るまで何年、顔を合わせないつもりなのかな。……ちょっと違うかな。会いたいとは思ってくれているから、おじさんに催促しているんだ。


 ……本当にそうなのかな。最後にした会話が、英人が本当はなにを言いたかったのか、よくわからないままだし。

 無視されたままじゃなにもわからないよ、英人。


「おじさん。薬の開発には時間がかかるってわかってるよ。僕は待てるから、英人に催促されてるからって無理しないでね」

『でも、好きな子がいるのよね? 早く男性に戻りたいわよね』

「好きな人なんていないよ。いても、今の僕に告白されても相手は困るよね」

『あきらめるのは困らせてからでいいじゃない』

「困らせるのはあまり……」

『訊いてみないと相手がどう思ってるかわからないのに』

「それはそうかもしれないけど」

『というわけで、当たって砕けちゃえっ』

「だからいないってば」


 話し方がすっかり女性らしくなっているけど、言ってることはやっぱり理一郎おじさんだ。

 お互いに女性になってから一度も会ってないけど、おじさんって今はどんな見た目になっているのかな。


『ところでね、大地ちゃん。さっきから私のことをあいかわらずおじさんって呼んでるけど、これからはおばさんって呼んでくれる? 今の私におじさんじゃ違和感きついしね?』

 そっか。おじさんまでを含めて名前みたいに呼んでいたから、今話していても僕は別におかしく思わなかったけど、言われてみるとそうかも。


「……理一郎おばさん?」

『あっ、名前もね、今は理衣って名乗ってるの。まだ正式には手続きしてないんだけどね。理衣ちゃんって呼んでくれてもいいわよー』

「リエ……おばさん」


『大地ちゃんも名前変えないの? 正直、大地ちゃんて言いづらいわ。でも大地ちゃんの名前だと、字を生かすか響きを生かすか難しいところね』

「僕は……別にこのままで」

 名前を変えるとか考えたことなかった。お……ばさんはこの声としゃべり方で理一郎って名乗ったら違和感がひどいから、その方がいいかもしれないけど。


『そうそう、大事なことを伝えないとね。薬の開発状況だけど、少し前から考え方を変えて、元の性別に戻る薬じゃなくて、男性になる薬を女性になる薬と並行しての開発を始めたの』

「男性になる薬、なんだ」

『今のところ私と大地ちゃんにしか用途のない薬より、より広く効果の出る薬にした方が、需要もあるし、研究時間と資金も取れるから』

 男性になる薬かあ。今さらだけど、僕は今、女性なんだね。


『何度も性転換を繰り返すと、ホルモンバランスが崩れておかしな症状が出る可能性もあるけど、既に一部結果が出ている女性化の薬と並行して応用すれば、開発期間もぐっと短縮できる可能性があるからね。と言っても、結局、開発できた時にならないと、開発期間なんてはっきりしないんだけど』

「うん、わかってる」

『まだまだ待たせちゃうけど、ごめんねー』


「わかってるから無理しないでね。それじゃあ、おやすみなさい」

『——待って、大地ちゃん!』

 薬の開発状況のことを直接くわしく聞けたし、最近の理衣おばさんの様子もわかったし、これで電話を切ろうとしたら、慌てた声で呼びとめられた。


『あのね』

 急におばさんの声が小さくなった。

『大地ちゃんにも伝えておかないといけない、すっごく大切なお話があるの』

 こんなもじもじしながらおばさんが話を切り出そうとしてくるのなんて、初めてだよ。どうしたのかな。薬のことじゃないんだよね?


 なにを言うのかなって耳をすませた僕に、おばさんはそっと打ち明けてきた。

『私ね、結婚することにしたの』

 ……ケッコン? おじ……おばさんが結婚するの?


 びっくりした。理衣おばさんが結婚なんて。おばさんは十代の頃からひたすら勉強と研究ばっかりで、異性に興味も持たないからって、英人のおばさんはおじさんに婿に来てもらったって聞いていたのに。なのに、小学生の頃から遊んでくれていたあの理一郎おじ……理衣おばさんが結婚するなんてびっくりした。


 でもそうだよね、おばさんは有名人で、田口さんみたいにファンもいるんだから、その気になれば相手のひとりやふたりはいたよね。

 おばさんが結婚するって、女性になったままでってことでいいの? 今決めてるってことは、薬の開発を待たないってことだよね。


『プロポーズされてね。私ももうアラフォーだし、即決しちゃったの』

 本当にびっくりだけど、きっと相手は、研究一筋だったおばさんに結婚したいって思わせたぐらいにすてきな人なんだね。

「おめでとう、理衣おばさん」

『——大地ちゃん! 祝ってくれるの!?』

 すごくびっくりした声が聞こえて、その声の大きさにびっくりした。


「だって、おばさんが結婚するなんておめでたいし」

『本当? 本当に私、結婚していいの!?』

「反対なんてしないよ。ずっと研究ばかりだったおじ……おばさんが結婚することになったのはびっくりしたけど」

『本当に反対じゃないの?』

 おばさんのこんな自信のなさそうな、不安そうな声なんて、初めて聞くよ。


「反対なんかしないって。どうしてそんなに訊くの?」

『だってね、英くんには、大地ちゃんが男性に戻るまでそんなの絶対に許さないって言われてて……』

 ……英人。なんてこと言うの。


『英くんの主張もわかるのよ。でも、私も歳が歳だから今しかないって気持ちもあるし。だからって、研究を疎かにする気はないの』

「研究大好きだもんね」

『そうよ、研究は私の人生よ。私生活が変わるからって研究をやめる気はないし、研究をやめないといけないような結婚だったらする気はなかったわ。……大地ちゃんも英くんと同じように考えてるのかしらって、悩んでいたんだけど』

「おばさんの結婚のことは、今初めて知ったよ」


『さっきから話してて、もしかして知らないのかしらって思ってたけど……そっか、英くん、伝えてなかったんだ』

「うん。僕は心からお祝いするよ、理衣おばさん。おめでとう」

『嬉しい……。ありがとう、大地ちゃん。私、絶対に幸せになるわ』

 おばさんの声が涙声になってる。

 きっと、英人はきつく反対したんだね。あの時の電話の声を思い出すよ。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ