次の日の大学で (2)
その後も女の子達にいろんなことを聞かれて、いろいろ話した。どうしておじさんの親戚の英人じゃなくて僕の方に薬が使われたのかとか、名簿順をきっかけに英人とは小学生の頃から仲が良かったとか、高校はどこだったかとか。
だいたい英人も知っていることだから会話を任せて黙ろうとすると、三上さんが僕にも話を振ってくれて、なんだかんだとずっと喋っていた。委員会とかグループ活動以外で女の子とこんなに喋る機会はなかったから、緊張してすごい疲れた。
でも、女の子の友達ができたのは嬉しいな。女の子になってちょっとよかったかも。
「井原くん、次は私達と同じ講義だよね。一緒に行こうよ」
食堂を出た所で、僕は永井さんと三上さんに誘われた。
さっきまで彼女達の顔を覚えていなかった僕は、当然のことながら次に同じ講義を取っていたことも知らなかったけど、余計なことは言わずに頷いた。
「市来崎くんは私と同じだね。私達も一緒に行こうか?」
「ああ……。じゃあ大地。また後で」
英人は田口さんと一緒に別棟に向かう。
「ねえ、市来崎博士のこともっと教えてくれる?」
「そういうのはちょっと」
「あ……ごめんなさい」
去り際の二人の会話が少し聞こえた。田口さん、おじさんのファンなんだね。
でも、英人からおじさんのことを聞こうとしても何も出てこないよ。おじさんは研究者として有名でも、企業の研究室に勤めているから仕事の話はしないし、趣味で作っている薬にしても、英人は変な薬のことなんて知りたくもないっていつも言ってたし。普段は英人から連絡を取ることはなくて、昨日は僕のことがあったから本当に特別だったんだ。
僕は女の子二人と並んで講義室へ向かう。ちょっと……なんて言えないぐらいドキドキしてる。
「ねえ。井原さんて呼んでいい? くん付けだと違和感あるから」
「え? ……うん。いいよ」
緊張しすぎて頭がガンガンしていたところへ訊かれて、考えるより先に答えていた。
「じゃあ、井原さんが男の子に戻るまではこう呼ばせてもらうね」
顔を上げると、訊いてきたのは三上さんで、ほんわかと笑ってた。
つられて笑ったら、緊張がやわらいだ気がする。
いいなあ、可愛いなあ、三上さん。優しいし、ずっとニコニコしてるし。ぼーっと眺めていたい。
ぼーっと三上さんに見惚れているうちに、講義室がすぐそこまで来ていた。
でも、僕にはその前に行っておきたい場所があった。
「二人とも、ちょっと先に行っててくれる?」
「どこ行くの? もう時間ないよ」
「うん、ちょっと」
時間がないからこそ急いでいて、でもどこかは口に出しにくいから、僕はさっさと用事を済ませにそこへ向かおうとしたんだけど。
「——ちょっと待って! どこに入ろうとしてるの!」
慌てた永井さんに僕は引き止められてしまった。
どこへと言われても。
「なんで男子トイレに入ろうとしてるの」
永井さんは僕の腕を掴んで見上げてくる。
なんでと言われても。
「だって、僕は男だし」
「今の井原さんが?」
「……こ、心は……」
迫る永井さんが怖い。
正直、永井さんにここまで引き留められる理由がわからない。だって、心が男の僕が男子トイレを利用しようとしているだけなのに。
実は朝に一度、女子トイレを利用してる。
悩んだんだ。トイレに入る直前まで悩んだんだ。でも心は男だからと男子トイレに踏み込もうとしたら、ちょうど廊下を向かいから歩いてきた男子学生が僕を見てぎょっとしたから、うっかりしていたふりをして女子トイレに入り直したんだ。僕も、もし自分が男だった時に男子トイレに女子が入ってきたら、きっと変な子だとしか思わない。
とはいえ、僕の事情を知っている女の子の前で女子トイレに入るのは迷う。
「それに、僕って見た目もあまり女の子っぽくないよね?」
自分で言って、自分で傷つく。どうして、もっと女性ホルモン全開みたいな体つきにならなかったんだろう。男でも女の子になっても、僕の体はこうだ。
……あれ? でも、朝の男子学生は僕が女の子だとわかったからびっくりしていたはずで。あれ? もしかして違うことに反応してた? ……よくわからなくなってきた。
「確かに、見た目は男の子と見間違えられることもあるかもね。背が高いし髪の毛が短いし、肩が薄いし。そのままでコートを着たらもっとわからないかも」
背が高いなんて生まれて初めて言われた。言葉の響きは嬉しい。響きだけは。
ふと、三上さんの方を見た。
目が合ったらニコッと微笑んでくれた三上さんの視線の高さはほとんど変わらない。背高いんだね、三上さん。
「井原さん、聞いてる?」
僕の意識が他に向いていたことがバレたみたいで、厳しい声が飛んできた。
永井さんは難しい顔で僕を見上げている。永井さんは小さいな。
流れで、男子トイレの前に三人で立ち止まって話をしている。……邪魔だよね、ここ。
「あくまでわかりにくいかもってだけで、井原さんが今の体で男子トイレに入ろうとする方が問題だよ。三上さんはどう思う?」
「私も、今の井原さんは女子トイレを利用するべきだと思う。……大丈夫だよ、女子トイレは個室しかないからそんなに気にしなくても」
「でも……」
本当にいいのかな。とっくに利用しておいてなんだけど。
「むしろ、自分は女の子ですーって堂々と入るのが正解だから。こそこそしてたら不審者扱いされるかも」
女子トイレに入る女性が……不審者?
「女装していると思われるとか?」
「そういうケースもあるかもしれないけど、普通に犯罪とか」
女子トイレに入る女性が普通の犯罪者……? どうしよう、永井さんが言っていることがさっぱりわからない。
困っていたら、永井さんが表情をやわらげた。
「……まあ、立ち話でするような話題じゃないからまた今度ね。もう時間がないから行っておいで。ここで待っててあげる」
ここでって、トイレの前?
「先に行ってていいよ」
「いいのいいの、女子のトイレは金魚のふんなの」
「だから一緒に行こうね、井原さん」
金魚のふん。小学生のころにたまに聞いたっけ。
本当に時間がなくなりそうだったので、僕は永井さんに背中を押された勢いで女子トイレに入った。
まだ慣れていない自分の体とおそるおそる付き合いながら用を済ませたら、出迎えてくれたのは「それでいいのよ」と言わんばかりの永井さんの満足そうな顔だった。
「ごめん、お待たせ」
「——ほら、シャキッとして!」
気恥ずかしくて早足で講義室に向かおうとしたら、永井さんに背中を叩かれた。
三上さんは笑いながら痛む場所を撫でてくれた。