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僕が知らされていなかったこと (1)

 風呂上がりの濡れた髪に、ドライヤーの熱風を当てる。

 髪の毛もだいぶ伸びてきたなあ。乾かすのにも時間がかかるようになったし、たまに髪の毛がドライヤーに引き込まれるし。初めて髪が引っ張られた時はびっくりして、幽霊でも出たのかと思ったよ。


 髪の毛はほっといても……って言うか、ほっとけば伸びるんだけど。

 僕はドライヤーを動かしながら、自分の胸を見下ろす。


 胸はあいかわらずなんだよね。ブラジャーらしいブラジャーを着けても似合うような体型になってみたいけど、僕は無理なのかな。英人の部屋にあった雑誌の女性みたいな体型になれたら、どんな下着でも水着でも楽しく着られそうなのに。

 昼休みに田口さんに抱きつかれた時は、ドキドキもしたけど、女の子らしいやわらかさがうらやましかったなあ。


 十分ぐらいかけて髪を乾かし終えてから、スマホをチェックする。

 英人からのメッセージはやっぱりない。今日は目が合ったから、もしかしたらって思ったんだけど。


 そろそろ本気で考えないとダメだよね。英人とのつながりが切れてからのことを。

 ……そうだ。理一郎おじさんとも、僕が自分で連絡取れるようにならないと。元々僕が当事者なんだし、いちいち英人を通すのは英人だって大変だったよね。


 スマホを持って一階に下りると、お母さんはリビングでテレビを見ていた。

「お母さん。英人の家の電話番号か、おばさんの番号知ってる?」

「そんなことなら英人くんに訊けば早いんじゃないか?」

 姿が見えないお父さんの声が聞こえてびっくりしたら、台所からお父さんが缶ビールを持って出てきた。


「誰かを一回介するなら、私でも英人くんでも一緒でしょ。ちょっと待って、大地。スマホが台所だから」

「気安いのは親より友人だろ」

「友人に訊けないこともたまにはあるでしょ」

 ドキッとした。最近の英人とのことをお母さんは気づいているの?


「おいおい。長年の友人に言えないことってなんだよ……」

「適当に言っただけだから真に受けないで」

 本当に思いつきで言っただけみたいで、お母さんの顔は普通だけど、入れ替わりにソファに座ったお父さんが難しい顔になって考えこんじゃった。


 お母さんは冷蔵庫の扉に貼りつけたホルダーからスマホを外して、電話帳を見せてくれた。

「これが市来崎さんのケータイ番号だけど、……ああ、このまま私のスマホでかけちゃいなさい」

「お母さんので?」

「そうよ。大地のスマホじゃ、市来崎さんも知らない番号からかかって来られても困るかもしれないし」

 元々電話をかけるつもりでいたけど、お母さんのでかけて、ややこしいことにならないよね? 電話の機能そのものをめったに使ったことないから、緊張するなあ。


「一応訊いておくけど、どんな用事でかけるの?」

「理一郎おじさんの電話番号を教えてもらおうと思って」

「理一郎さんの?」

「自分でも直接連絡取れるようになった方がいいかなって」

「……そうね、大地も連絡先は知っておいた方がいいでしょうね」

 お母さんはうなずいている。英人に訊かないことはおかしく思われずに済んだみたい。下手にごまかそうとしたらきっと変なこと言っちゃうから、納得してくれてよかった。


 僕はお母さんのスマホを借りて部屋に戻ると、決心が鈍くなる前に受話器のマークを押した。

 電話はすぐにつながった。


『——はいもしもし。井原さん、何かありましたか?』

「おばさん、わた……僕です。大地です」

 お母さんだと思って出たおばさんに名乗ろうとして、うっかり「私」って言っちゃった。うっかりしちゃった。夏休みにバイトしてから、よそ行きを意識してしゃべろうとすると、自然に口から出てきちゃうんだよね。


『え? ……あら、大地くんだったの。どうしたの、わざわざ私に電話なんて』

「理一郎おじさんの電話番号を教えてもらえますか?」

『あの子の番号なら、英人も知ってるわよ?』

「おばさんの方が間違いないかと思って」

 おばさん向けの言い訳は前もって考えておいたんだけど、これでおかしく思わないでくれるかな。


『確かに、今の英人はあの子のことになるとまともに話ができないかもね……』

 おかしく思われなかったみたいでほっとしたけど、番号を教えてくれるおばさんのつらそうな声には、胸が痛くなった。


 せめて僕がジュースに引っかからなかったら、英人はあの電話していた時ぐらいまではきつくはならなかったかな。これから先、僕のことを気にすることもなくなれば、英人も落ち着くのかな。

 おばさんは弟と息子の板挟みになってて本当に大変そう。


『あの子には、言いたいことはなんでもぶつけていいからね。大地くんには文句を言う権利があるから。反論してきたら私に言ってね。後で叱っておくから』

「文句なんて」

『ただね、あの子にもあの子なりの人生を送る権利はあると思うの。それは許してあげて』


 なんか、おばさんの声がずいぶん必死な感じがする。

 僕は別に、おじさんには今日明日にも薬を完成させて欲しいとか、英人みたいな無茶ぶりをする気はないのに。


「時間がかかるのはわかってますから、無理に研究の時間を割いたり、それで体調崩したりとかは僕もして欲しくないです」

『研究のことじゃなくて、あの子の……』

 おばさんはなにか言いかけて、ちょっと黙った。


『……大地くん。英人から話を聞いて、あの子と直接連絡を取りたいんじゃないの?』

「違います……けど」

 危なかった。うっかり、英人とは最近話せていないことを言いそうになっちゃった。


『そう……、英人から聞いてないのね』

「おばさん?」

『これからあの子に電話するのよね? 本人から直接聞いて。あなたと話ができれば、あの子もきっと喜ぶわ』

「……はい」

 なにか会った時のために番号だけ訊いておこうと思ったのに、理一郎おじさんにも電話をかけなきゃいけない流れになっちゃったよ。


『それにしても、女の子になってから声がお母様にそっくりね。電話を通して聞くと余計にそう聞こえるわ』

「そうですか?」

『ええ。お母様の電話からかけてきたから、最初は混乱したわよ』

 さっきまでつらそうだったおばさんの声が、今は嬉しそうに聞こえる。

 よくわからないけどほめられているのかな。


 おばさんとの通話を終えて、もう一度リビングに行ったら、ソファにはさっきのままお父さんが座っていた。

 そのお父さんがビール缶片手にポロポロ涙をこぼしていたから、びっくりした。

 てっきりテレビで泣ける番組でもやってるのかと思ったけど、画面に映っているのは大勢の芸能人がスタジオに並んでいるバラエティ番組で、スピーカーから笑い声も聞こえてくる。

 お父さんって泣き上戸だったの?


 台所で冷蔵庫内の整理をしていたお母さんにスマホを返しながら、そっと訊いてみた。

「ねえ、お父さんどうしたの?」

「さっきのがドツボにはまっちゃったみたいよ。そっとしておいてあげて」


 さっきのって、秘密がどうとかって話? お父さんは友達じゃないから関係ないのに。そもそもお母さんが適当に言った話だったのに、考え込んじゃったの?

 静かに泣いているお父さんは気になるけど、これからまた電話しなくちゃいけないから、お母さんの言うとおりにこっそりリビングを出た。


 自室に戻ると、英人のおばさんに教えてもらった番号を今度は自分のスマホに入力して、ひと呼吸してから通話ボタンを押した。

 スピーカーの向こうからコール音が聞こえる。理一郎おじさんには、こんな時間に知らない番号からかけることになったけど、出てくれるかな。

 おばさんが聞いて欲しいおじさんの話ってなにかな。研究とは関係ないことって言っていたけど。


 待つこと十コール目で電話がつながった。

『——はーい、どちら様ー? 間違い電話だったら、忙しいからさっさと切るわよー?』

 ……あれ?

 さっきまで聞いていたのとそっくりの声が聞こえてきて、混乱して言葉が出なかった。

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