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僕を避ける英人

「もうすぐ文化祭だけど、みんなはなにかやるの?」

 学食からの移動中、永井さんが通りかかった掲示板に貼られているポスターを見上げた。


 今度の土日に、大学の文化祭がある。

 ここ最近、準備で忙しそうな人達を構内のあっちこっちで見かけていた。でも、僕はなにも参加していないから、どこか別世界で起きる出来事みたいに見えた。


「僕はなにも。大学にも来ないかも」

「私もパスかな。興味のある出し物もないし」

「いいなー。私、ゼミの方で出ないといけないんだよ。出席つけるんだって」

 文化祭に来る予定のない僕と三上さんの返事を聞いて、永井さんがうらやましがる。


 僕が取った講義の中に、文化祭と単位を絡めてくる教授がいなくてよかった。絶対に高校の時よりきつくて大変だから、強制参加だったらついていけなかったよ。


「私は高校の時の友達と来るよ。この人のトークショー見て、他にも一緒に回るつもり」

 田口さんがポスターを指差した。


 ポスターには開催日時以外にも、文化祭で行われる特別企画が紹介されている。その中に、有名動画配信者のトークショーの案内があった。

 最初にトークショーのことを知った時はなんとも思わなかったけど、他の大学のポスターを見かけたら、ゲストはお笑い芸人とかアーティストとか俳優とかばかりで、動画配信者は他にいなかった。人気の割りにはまだ珍しいみたいで、ちょっと意外。


「名前は知ってるけど、どんな動画上げてる人?」

「主に商品レビュー系だね。それと……」

「週一でゲームの実況もしてるよね」

「井原さん、知ってるの?」

 つい永井さんと田口さんの話に入ったら、びっくりした顔をされた。


 余計なこと言っちゃったかな。僕が好きでチェックしているわけじゃないんだけど、知っていたから、つい。

「英人がゲーム実況だけチェックしてて、だから」

「……そっか、市来崎くんが」

「じゃあさ、市来崎くんと一緒に観に行ったりはしないの?」

 どうして知ってたか説明すると、永井さんはすぐに納得してくれたけど、田口さんが突っ込んで訊いてきた。


 うーん、いつもだったら一緒に行っていたかもしれないけど……。

「英人は行くかもしれないけど、僕はそこまでこの人の動画観てるわけじゃないから」

 言ってから、僕は首を傾げた。

 英人もどうなんだろ。文化祭のトークショーでゲーム実況はしないよね? だったら、英人も行かないかも。


「一緒に行く予定はないんだ?」

「うん」

 田口さんにもう一度訊かれて、僕はうなずいた。

 文化祭の話はそれで終わりになって、四人で次の講義室に向かった。






 その日の帰り道、駅に向かって歩いていたら、「井原さん!」て僕を呼ぶ声と同時に肩を叩かれた。

 振り返ったら田口さんがいた。

「一緒に帰ろ?」

 にこにこしてて、学校帰りなのに元気だなあ。僕なんか、週末が近いからそろそろ体が重くなって来ているのに。


「最近、市来崎くんと一緒にいないよね。ケンカでもした?」

 田口さんは僕の隣に並びながら英人のことを振ってきた。

 僕はすぐには答えられなくて、なんとなく下を向いた。


 三上さんと遊んだ帰りに偶然英人と一緒になって、会話の途中で英人が急に帰っちゃってから一週間。あれから英人は僕を避けている。

 あの日の夜は、家に帰って落ち着いてからメッセージを送ってみた。


『どうして先に帰ったの』

『ごめん』

『最後よく聞こえなかったんだけど、何て言ってたの?』

『ごめん』

 返事が来たのは最初だけ。あとはスマホの画面には僕からのメッセージばかりが並んで、既読マークが付くだけ。


 大学で話をしたくても、一緒に取っている講義は時間ギリギリまで英人の姿は見えなくて、遅刻するのかなって思っていたら、いつのまにか離れた所に座っている。講義が終わったあともすぐに教室を出ていっちゃって、ぜんぜん話ができない。大学は広くて、それ以外の時間には英人の姿が見つからない。


 前は五人で食事したり、並んで講義を受けることもあったから、英人がぜんぜん合流して来ないのをみんなに気にされているのはわかってはいても、僕から言えることもなかったからなにも言わないでいたんだけど。


「……ケンカじゃないと思う」

 とりあえずこれしか言えない僕に、田口さんは最初からわかっていたみたいにうなずいた。

「だよね。井原さんがケンカしたり、怒るところとか想像もつかないもんね」

「そうかなあ……、僕も怒る時は怒ると思うんだけど」

「たとえば?」

 言われてみると、なにも思いつかない。英人相手だと僕が怒られるようなことしかないし。


 やっぱり、僕が怒らせたのかなあ。恋人作ったらとか、やりたいことやっていいよとか、英人がやりたいって言ったわけじゃないことを僕が勧めたりしたから。

 でも……。

「なにかはあったんだよね?」

「たぶん」

「たぶん?」


「僕もよくわからないんだよね。なにがきっかけだったのか」

「急に市来崎くんが避けるようになったの?」

「このあいだ、話の途中で英人が帰っちゃって、それから」

「どんな話してたの?」

「どんなって……」

 考えてみたけど、言葉が出て来なかった。


「よかったら話聞くよ? 話したら頭の整理ができるかもよ?」

 田口さんの親切に、僕は首を横に振った。

 もう一週間悩んでわからないでいるし。駅までの残りの距離で整理ができるなんて思えない。


 ただ、英人が僕に「変なこと」を言っちゃったから、あれから僕を避けているんだよね。あの時、英人はなんて言ってたんだっけ。


 あの場では「このままでいてくれたら」って聞こえたけど、それだと僕に女性のままでいて欲しいみたいに聞こえるから、ありえないし。僕を男に戻したくて夏休みまでつぶしてがんばってくれている英人がそんな風に考えるわけないから、僕は聞き間違いか、勘違いしたんだ。


 あの時、英人は本当はなんて言っていたのか、他になにが悪かったのかいろいろ考えてみたんだけど、日も経ってよく思い出せなくなってきてる。

 だから、なにがおかしくてこうなったのか、どんどんわからなくなってきてる。


「メッセージのやりとりもしてないの?」

「僕からは送ってるんだけど、返事がなくて」

「読まれてもいない?」

「既読は付くんだけど」

「……なんだ」

 田口さんは気が抜けた声を出した。


「なにがあったかはわからないけど、完全に無視されているわけじゃないなら、市来崎くんからも話すきっかけが掴めなくなっているだけじゃないかな。市来崎くんは博士と井原さんを取り次がなきゃいけないんだから、ずっとこのままってことにはならないでしょ」

 そっか。英人は僕が男に戻るまで、薬の開発状況を理一郎おじさんに確認取らなきゃいけないんだ。


「それって、薬が完成した時に連絡くれればいいだけだよね」

「……待って待って、落ち着いて」

 英人とはやっぱりこれで終わるんだって気持ちが強くなったら、田口さんが肩をバンバン強めに叩いてきた。


「井原さんが女の子になってから知り合ったならともかく、ずっと友達だったのに、急にそんな極端な関係に変わったりする?」

「でも、実際に避けられているし。めんどうが増えすぎて、いい加減に嫌になったのかも」

「だから待ってって。市来崎くんと最後に話した時、そういう話になってたわけ?」

 田口さんに言われて、もう一度、最後に会った時のことを思い出してみた。


 三上さんと遊んで帰ってきた僕に、英人は早く男に戻りたいよねってまた言い出して。僕が、僕にかまわず英人はもっと自分のやりたいことをやってていいって言ったら、英人は。

 英人は、なんて言ってたんだっけ。

 ああもう、頭の中がごちゃごちゃしてわけわかんない。


 でも。

「……なってなかった」

 なにを話したか正確に思い出せないけど、英人が僕のことを嫌になったなんて言っていないことだけは思い出して、僕は頭を振った。


 田口さんは僕の背中を撫でながらうなずいた。

「だったら、やっぱり考えすぎだよ。いっそ付き合いやめたいなんて相手に、人前であんな大胆なことする人はいないって」

「あんな?」

「井原さんが転んだ時に、背負って運んだことだよ」

 言われて思い出して、僕は顔が熱くなった。


 あれは恥ずかしかったなあ。あのまま大学構内突き抜けて保健室まで行くんだもん。下ろしてって言っても聞いてくれなかったし。あれだけの距離を僕を背負ってもぜんぜんふらふらしてなかったのはすごかったけど。

 ……って、あれ?


「田口さん、大胆だって思うようなことさせてたの?」

「え? ……あはは、だって市来崎くんがやりたがってたし。手伝ってあげなきゃって」

 田口さんは笑えても、僕は笑えないんだけど。

 あれって親切で付き添ってくれたんじゃなくて、おもしろがってたってこと? 田口さんってやっぱりいじわるなところがあるなあ。


「とにかくね、確実に目立つことが予想できるのに、学校内を女の子背負って突き抜けるとか、よっぽどの相手じゃないとできないって。ね、市来崎くんはそこまでできる相手の井原さんとこのまま別れる気は絶対にないから。だから元気出して」

「……ありがとう」

 力強い言葉に、なんだかほっとできた。どうして田口さんがそこまで言い切れるのか不思議だったけど。


 まだ、英人とは元に戻れるかな?

 なにか新しくわかったことがあるわけじゃないけど、いろいろ話せたからかな、駅に着く頃には少し気分が軽くなっていた。


「話を聞いてくれてありがとう」

「どういたしまして。……そうだ」

 改札口に入ったところで別れようとしたら、田口さんが僕を呼び止めた。


「井原さんは文化祭に来ないんだね?」

「一人じゃつまんないし」

「高校や中学の友達を誘ったりもしない?」

「そこまでして来たいとも思えないし……」

「そっか、ありがとう。——またねっ」

 なんだか念入りに確認されてるなあと思っているうちに、向かいのホームに電車が入ってきて、田口さんはそれに乗るために階段を駆け上がっていった。




 寝る前に、僕はまた英人にメッセージを送った。

『文化祭は行くの? トークショーに行く?』

 こんなメッセージを送ってる場合じゃない気もするけど、あの時のことは何度も聞いても返事が来なかったし。だから、あの時のこととは関係ないメッセージばかり送るようになったんだけど、それでも返事は来ない。

 既読はすぐつくんだよね。リアルで避けられているから意味ないけど。


 どうしたら返事をくれるんだろう。

 僕から訊くんじゃなくて、僕が英人に返せることがあるのなら、返事も来るのかな。……そんなことわかってたら、とっくに違うメッセージも送れているんだけど。


 もし、……もしも「いてくれたら」が僕の聞き間違いじゃなかったなら、僕がこのままで……女性のままでいることは、英人にとってどんな意味があるんだろう。


 とりあえず、英人が理一郎おじさんと連絡を取らなきゃいけない手間は減るかな? おじさんと親戚付き合い以外の関わりが減ったら、英人は気楽になれるのかな。


 英人はやっぱり、おじさんのことが嫌い……なんだよね? 小学生の頃からおじさんが関わっている分野の勉強をしていて、進路も選択したから、なんだかんだいってもおじさんの影響を受けて、尊敬しているのかなって思っていたんだけど。

 やっぱり、直接関わるのは嫌なのかな。


 文化祭に誘うメッセージをもう一回送ってみようかなって画面を開いてみたら、もう既読マークが付いていた。

 メッセージそのものを無視されているんじゃないなら、田口さんが言っていたみたいに、英人も僕と話すタイミングがわからなくなっているだけなのかな。


 なんとか話だけでもするために英人を捕まえる方法はなくないけど、あの時のことがよくわかっていないままむりやり話し合いをしようとしても、やっぱりごめんって言われるだけになりそうで。

 どうなんだろう。もうこのまま、英人との友情も終わるのかな。


 そもそも、よくここまで付き合いが続いてきたよね。英人ってけっこう気難しいし、実の叔父さんにも怒ったりするぐらい厳しいから、クラスメイトはしっかりして真面目なタイプとしか友達になれてなかったっけ。僕なんか危なっかしいタイプなのに、よく友達になれたよね。


 やっぱり、僕との付き合いが続いてきたことそのものがおかしかったのかなあ。

 もう少しがんばってみて、それでも返事が来なかったら、その時は……。

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