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楽しかった一日の終わりに (2)

 帰りの電車の中で、僕はふわふわした気分で吊り革に掴まっていた。

 もう片方の手の中には、買ったばかりのコートが入った大きな紙袋。さっきまで車内が混んでいたから抱えているのが大変だったけど、大きな駅で大勢降りてから今は楽になっている。


 今日は楽しかったなあ。休講が出て、空いた時間に三上さんと映画を観に行って、買い物に付き合ってもらって、コートを買った頃には僕の胃にも余裕ができたから、一緒に食事もして。楽しい一日だったなあ。

 それに、三上さんと今度の約束もしたし。そっちはいつになるかわからないけど、楽しみだなあ。


 今日のことと今度のことを考えてうきうきしていたら、うっかり電車を乗り過ごすところだった。

 慌てて電車を降りて改札に向かう途中で、見慣れた背中を見つけた。

「英人!」

 改札を出たところで追いつくと、英人がびっくりした顔で振り返った。


「今大学から帰ってきたところ? 一緒に帰ろう」

「大地は買い物帰り?」

 隣に並んだ僕が肩から下げている紙袋に、英人がすぐに気がついた。


「冬のコート買ってきたんだ。三上さんに選ぶの手伝ってもらって」

「……へえ」

「映画も一緒に観てきたんだ」

「三上さんと一緒で楽しかった?」

「楽しかったよ。映画もおもしろかったし」

「ふうん」


 簡単なあいづちを打つ英人と暗くなった道を歩く。

 僕はネタバレをしないように気をつけながら、映画がどんな風におもしろかったか英人に話した。

 それと、三上さんとした約束を。


「――でね、僕が男に戻ったら、また一緒に服を買いに行く約束したんだよ。コーディネイトしてくれるって」

「へえ……服を買いにね」

「三上さんがね、男物の服も興味あるけど男兄弟もいなくて機会がないから、僕が戻った時に選んでみたいって」

 三上さんとまた一緒に買い物だとか、しかも服を選んでくれるとか。考えるだけで楽しみすぎて、気分がふわふわしてくる。


「ずいぶん先の話になるね」

「そうだね。でも約束したし」

「大地が男に戻る前に、三上さんに彼氏ができる可能性もあるんじゃない?」

 ぜんぜん考えていなかったことを英人に言われてびっくりした。


 でも、言われてみるとそうかも。

「そうだね、三上さんは社会人になるまで恋人はいらないって言ってたけど、僕が戻るのがいつになるかわからないんだもんね。……そっか、先に三上さんに恋人ができたり、もしかしたら結婚してるぐらいになるのかもしれないんだ」


 その頃には、三上さんが男物の服を選ぶのも満足してるかもしれないんだね。そうしたら僕との約束はなかったことになるのかな? それとも、僕の分は別に選んでくれるのかな。三上さんが選んでくれたら、自分で選ぶよりも少しはかっこよくなれるんじゃないかって楽しみなんだけど。

 今あれこれ考えても、どうなるかわからないけど。


「……大地。やっぱり、早く男に戻りたいよね」

「うん? そうだね」

「そうだよね。三上さんとそんな約束もしたんだし」

 自分で言い出しておいて、英人の方が暗い顔になった。

 なんか、前にも似たような会話をしなかったっけ。前の時はなにからどうしてそういう話になったんだっけ。


「約束はしたけど、三上さんも僕がいつ戻れるかわからない上で言ってくれたから、急いでないよ」

「でも、急がないと、三上さんに彼氏ができちゃうよ」

 なんか、英人の話がずいぶん飛んでいるような。

「それはそれでいいんじゃないの?」

 勉強のために彼氏はいらないって言っていた三上さんが、それでも付き合いたい人だってことだし。


「本当に? 大地はそうなってもいいの?」

「だって、しかたないんじゃない?」

 三上さんが選んで、幸せになれる人ならいいと思う。


 英人は僕の顔をじっと見下ろしたかと思うと、ふっと前を向いた。

「……やっぱり、早く大地を男に戻さないと」

 低く呟いた英人の声に、一瞬ゾクッとした。もう夜もだいぶ寒くなってきているから、気温のせいかもしれないけど。


 ううん、寒気なんてどうでもいいや。それよりも気になるのは、英人の今の言葉。

 英人はまた理一郎おじさんを急かす気なんだ。無理なものはしかたないって、僕は待てるって前に言ったのに。


「英人は疲れない? ずっと僕のことを気にしていて」

「僕も大地に男に戻ってくれないと困るから」

「困るって、僕のことにかまってて、他のことができないから? いいよ、別に。薬ができるまではどうにもならないんだから」

「その言い方だと、僕じゃあ大地のためになにもできないみたいだね」


 そんなつもりはなかったのに、英人にトゲのある受け取り方をされちゃった。

 英人の顔がイライラしてきている。薬のことになると、どうしても理一郎おじさん絡みの話になるし。英人としかできない話なのに英人がすぐに怒り出すのは困るなあ。


「別にそういうことじゃなくて。英人だってやりたいことあるよね? 僕にかまわず夜遊びしたり、夏休みだって、どこかに旅行やイベントに行ったりしたくなかった? 研究室に通わなければ遊べたのに」

「別に」

「彼女とか作りたくない? 僕のこと気にしすぎていたら遊ぶ暇がないよ?」

「いらないよ、彼女なんて。……大地こそ」


「僕?」

「そう」

「僕は……今はほら、この体だから」

 英人の言葉に困って、僕は笑いながら自分の体を見下ろした。

 この体も服もとっくに慣れているけど、かっこよく言われたかったって男の時の気持ちをひきずっている、ずれたままの心と体じゃあ、恋人を作るなんて無理だしね。


「だったら、僕も大地が男に戻るまでは作らない」

 どうしてそんなに頑固なんだろうね。いつもは僕よりしっかりしている英人が、なんだかだだっ子に見えてきたよ。


「僕に気を遣って合わせなくてもいいよ。いつになるかわからないんだから。だから、もし英人が誰か好きな子ができたら、その子と仲良くしてくれて大丈夫……」

「――僕は! そんな相手なんかいらないよ、大地がこのままでいてくれたら……っ」

「だから、いつまでこのままかわからないのに、そんなこと言ってたら……」


 ……って、あれ?

 急に大声になった英人を落ち着かせようとして、僕は首を傾げた。


「僕がこのままでいたら?」

「……!」

「どういう意味?」

 微妙に感じたズレがなんなのかわからなくて見上げたら、英人は目をうろうろさせていた。


「英人?」

 呼びかけて、ようやく僕の方を見てくれた時、英人は今までに見たことがないような、困ったような、泣きそうな顔をしていた。


「大地、僕は……」

 英人が僕の肩を掴んだ。

 そのはずみで、僕の肩から紙袋がすべり落ちそうになった。

 慌てて袋を受け止めようとかがんだら、英人の手は僕から肩からはずれて。


「——ごめん、変なこと言って!」

 僕が顔を上げるより先に、英人が駆け出していた。


「ひで……」

 僕がびっくりしているあいだに、ちょうど目の前まで来ていた信号も赤に変わって、あっというまに英人は遠くなっていった。

 僕は追いかけることもできなくて。

 ただ、車が行き交う赤信号の歩道を見つめながら、英人が言ったことの意味を考えていた。


 僕がこのままでいたら? ……ううん、違う。

 「いてくれたら」って、どういう意味?

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