おかしな夢と上書きされる記憶
次の日の昼すぎに、僕は約束通りに英人の家に遊びに行った。
「進んでる?」
英人の部屋に入ると、テレビには仁王立ちでゆらゆら揺れるキャラクターと、細かい文字が並んでいた。ステータス画面だね。
武器や防具はクエストをクリアして手に入るアイテムで作るんだけど、今装備しているのは見た目がさっぱりしてる。今までのシリーズだと装備の見た目が段々ゴツくなっていくのと比べると、まだ序盤な感じが出てる。
「まあまあ。……あれ?」
僕が隣に座ると、コントローラーを握った英人がすんって鼻を鳴らした。
「香水つけてきた……わけないよね?」
「つけてないよ?」
「だよね。でもなんか……いいにおい、がする」
英人はまだなにか気にしてる。でも、香水なんかつけてないし。
あ、そっか。
「朝風呂したから、シャンプーのにおいかも」
毛先を鼻の前まで持ってきたら、はっきりとシャンプーのにおいがした。自分じゃわからないけど、まわりにはけっこうにおうのかも。
「朝からお風呂?」
「昨日、お風呂入る前に寝ちゃって」
週末で疲れてて、体力がもたなかったんだよね。
「それにしたって……ずいぶん甘いにおいだね」
「髪もそこそこ長くなってきたし、シャンプーもちょっといいのに替えてみたんだ。三上さんと同じメーカーのなんだけど」
「……三上さんと同じのなんだ、それ」
「うん。髪質は三上さんと違うらしいから、シャンプーまで同じじゃないんだけどね」
伸びてきた髪の毛をくるくる指に絡めてみせる。
僕が髪の毛を跳ねさせまくっていたから、三上さんがドライヤーの使い方を丁寧に教えてくれたんだ。その時に、さりげないふりして三上さんが使っているシャンプーを訊いたのは、自分でもがんばったと思う。
あれから髪をちゃんと乾かすようになって、鏡を見るのも慣れてきたかな。どっちにしても、男に戻るまで鏡を見ないでいるのも無理だったんだし。
「触ってみる? サラサラだよ」
「……っ、いいよ別に」
僕が頭を傾けたら、英人が慌ててコントローラーを握り直した。
てっきり、触りたくて手を伸ばしてきていたのかと思ったんだけど、そういうわけじゃなかったのかな。
そのあとは隣でゲームを眺めていたけど、英人のプレイがなんだかおかしかった。
レーダーにも映っていた敵に横から吹っ飛ばされたり、変な所で崖から落ちたり、画面端に映っていたアイテムボックスを見落としたり、今ここで? っていうタイミングで戦闘不能になったり。とにかく凡ミスをいろいろやらかしていた。
「ゲームのやりすぎで疲れてるの?」
「……そうかも」
あんまりおかしいから心配したら、英人もまぶたの辺りをグリグリ押して疲れをほぐそうとする。
ステータスの画面でに映るプレイ時間だと、昨日の今日でもう五時間以上やってるし、いくらおもしろくても集中力も続かなくなるよね。
「大地もやってみる?」
「いいの? やるやる」
英人がコントローラーを渡してれたから、僕は喜んでうなずいた。
新規で作ってくれたセーブデータで最初から始める。オープニングで巨大モンスターが画面にドアップになって吠えるところからもうかっこよくて、ワクワクした。
「その座り方って足痛くないの?」
僕がチュートリアルからプレイするのを見ていた英人が、ぽつりとそんなことを訊いてきた。
僕は今、正座を崩して、お尻が床にぺたんとつく座り方をしていた。
「痛くないよ」
女性の体の作りだからできる座り方。座っていて楽なのはこれかあぐらだけど、猫背になっちゃうあぐらは最近はあまりしないようにしてるから、その分、この座り方をすることが多くなったかな。
「そういうのクセになってるとさ、男に戻った時に困るんじゃないの?」
「大丈夫じゃないかなあ。少しずつ慣れてきているだけだし。男に戻ったら元に戻るよ」
「ならいいけど……」
英人の顔は納得してなさそうだったけど、それ以上言ってこなかった。
僕は下手なりに戦闘を楽しんでいたけど、不意に画面にゲームとは関係ない警告が表示された。
コントローラーのバッテリーが切れかけてるんだ。
「英人。これ、電池が」
振り返ったら、英人がベッドに寄りかかって目を閉じていた。
さっきからなにも言わないなって思ってたけど、やっぱり疲れてたんだ。充電コードがどこにあるかわからないし、わざわざ起こして頼むほどやりたいわけじゃないから、このまま寝かせておいてあげよう。
僕はゲームはここまでにして、英人が起きるまでの暇つぶしに本棚におもしろい本でもないか探して、背表紙が奥向きになっている雑誌を見つけた。
それを棚から出したのは、直しておいてあげようっていうただの親切心だったんだけど。
……って、これは……。
僕は引っぱり出した雑誌を手に固まっちゃった。
うん……英人も健康的な男子だもんね、こういう写真のお世話になったりするよね。見なかったことにしておこう……。僕も前はこういうの興味があったけど、今はなんか恥ずかしいし、スタイルの良さが眩しいしで見られないや。
僕は雑誌を元に戻して、代わりに適当な漫画を引っぱり出した。
何冊目かを読んでいた時に、急に後ろで大きな音がした。
振り返ったら、目を覚ました英人がびっくりした顔で僕を見ていた。
「どうしたの?」
びっくりした顔のままでいるから近づいてみたら、英人が顔を逸らした。
「昔の夢を見ていた……と思う」
「どんな夢?」
「一緒に川遊びをしていて」
「小学校で夏キャンプに参加した時の?」
「たぶん。……でも」
手で口をふさいで、なにか考えてる。
「……でも、子供の時の大地のはずなのに、一緒に遊んでいたのは……今の大地だった……」
「そうなんだ?」
夢ならいろいろ状況が混ざるのもよくあることだよね。
でも、英人はまだ考えこんでいる。顔色が悪そうだし、そんなにショック受けるような夢だったのかな。
「今の僕なのに、男子用の水着でも履いてた?」
あのキャンプには学校指定の水着を持っていってたけど、もし夢の中で今の僕があの時の格好をしていたなら、上半身はどうなっていたのかな。
どんな夢だったのか想像しながら訊いてみたら、英人は目を見開いて、ぶんぶんと首を横に振った。
「――ない! それはなかった!」
顔をまっ赤にして、大きな声で男子用水着を否定された。
「はっきり覚えてないけど、服のまま遊んでいた気がする。川の中でも」
「なあんだ」
そんなに変な夢でもなさそうなのに、英人はなにをあんなに考えこんでいたんだろ。
「夢ならそんなものじゃないの? 最近の記憶の方がどうしたってはっきりしてるから、上書きされたんじゃないかな。僕が男に戻ったら、今度は逆の夢を見ることもあるかもね」
「……そういうものかな」
「そういうもんだよ、たぶん」
「だったらいいけど。……そういえば、ゲームは?」
夢がおかしくてもおかしくないことにやっと納得した英人が、テレビの画面がまっ黒なことに気がついた。
「コントローラーのバッテリーが切れちゃったみたいだから、終わりにしたよ」
「バッテリー切れた!? ごめん! 起こしてくれればよかったのに」
慌ててコントローラーにコードをつないでくれたけど、時間ももう遅くなっていたし、キリがいいから僕はこれで帰ることにした。英人は寝ちゃってごめんって申し訳なさそうな顔で、玄関まで見送りについてきてくれた。
「——寒っ!」
暗くなった外はすっかり冷えていて、僕は七分袖の腕を抱いて震えた。
「上着着てこなかったの? もう十月半ばなのに」
「昼間はあたたかったから」
「上着貸そうか。ちょっと待ってて、取ってくるから」
「待って。貸してくれるならそれでいいよ」
家の中に戻ろうとした英人を僕は呼びとめた。
「どれ?」
「それ」
聞き返されて、僕は英人が着ているパーカーを指差した。
「……これ?」
「英人はすぐに中に戻るから脱いでも平気だよね?」
「平気、だけど……」
僕は英人がのろのろと脱いだパーカーを受け取ると、さっそく上に着た。
「あったかい」
体を包んでくれる温かさにホッとしながら、長すぎる袖を折る。
「そりゃあ……今まで僕が着てたからね?」
「そうだね。じゃあバイバイ、ゲームがんばってねー」
ダボダボの袖を振りながら帰る僕に、シンプルな長袖シャツ姿の英人は、こわばった顔で手を振り返してくれていた。
すぐ家に入れるからと思ったけど、やっぱり寒かったかな?