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次の日の大学で (1)

「市来崎」

「はい」

「井原」

「はい」

「……井原」

「はい」

「井原大地は男子だったように記憶しているが。誰だ、代わりに返事をしている女子は」

 名簿を見ながら出欠を確認していた教授が、不機嫌そうに講義室を見回した。

 呼ばれている僕は困ってしまって首をすくめた。


 昨日、僕は人生十九年目にして性別が変わってしまった。男から女に。

 でも特に不調もないので、普通に大学に来た。


 高校と違って決められた制服を着なきゃいけないわけじゃないから、服は今までどおり男物を着ている。一人っ子だから服を借りられる姉妹もいないし、女の子の服を揃えても、戻ったら無駄になるし。ただ、ズボンは体にぜんぜん合ってないから履き心地が悪い。ベルトでむりやり絞っているからウエスト周りがゴワゴワしている上に、ベルトの一番内側の穴で留めていてもまだ緩い。ベルトは新調しないと。


 一限目は何事もなく講義を受けられた。

 だけど二限目。この時間の教授は出欠を確認する人だった。

 呼ばれるままに返事をしたけど、教授は僕のどう聞いても女の子な声を聞き流してはくれなかった。

 説明しなきゃダメなのかなあ。高校時代だったらともかく、大学で一々言って回るのとか面倒だし、言っても納得してもらえるかどうか。


 と思っていたら、隣に座る英人が手を上げた。

「先生。彼女が井原大地くんに間違いありません。今は女の子になっていますが」

 室内がざわついて、教授が眉をひそめた。

「……なにか検査を受けてきたのか?」

「僕の叔父が作った薬を飲んでこうなってしまっているんです」

「市来崎博士の薬をか?」

 教授が英人の話に食いついた。


 理一郎おじさんは僕や英人にとっては怪しい薬を作る奇人変人だけど、その道では現役高校生の頃から超有名人だった。……ということを、僕はこの大学に入ってから知った。僕達が生まれる前のことだから当時のことはよくわからないんだけど。英人のことは、あの市来崎博士の親戚が入学してくるとかなんとかで、一部の教授の間では話題になっていたらしい。

 なんだかんだで僕や英人も影響を受けていて、こうして似たような道を目指しているんだけど。


「ちなみに、叔父も同じ薬を飲んで井原くんと同じ状態になっています。研究室のブログを見れば、今の叔父の姿も確認できます」

 それを聞いて、室内であっちこっちで動きがあったと思うと、「おおー」とか「うわぁ……」とかいう声がそこかしこから聞こえてきた。スマホで確認したみたいだ。

 声は電話で聴いていたけど、ブログに女体化後の画像を載せてるなんて知らなかったよ。研究でやらかした姿なんてよく世界に発信できるなあ。……ううん、この場合は成功になるのかな?


 英人のおかげで教授は納得して出欠確認は進んだけど、あちらこちらからチラホラと僕へ向けられる視線はなくならなかった。

 居心地が悪かったので、昼休みの時間になったらすぐに英人と退室した。


 学生食堂に移動すると、昼食を取りながら僕は英人に相談した。

「やっぱり、事務室に申告とか手続きとかしないといけないかな」

「そのうち男に戻るんだから必要ないんじゃない?」

「うーん。でも、レポートの提出とかもあるよね」

「名前が書いてあれば大丈夫でしょ」


 本当に大丈夫かな、取っている全講義でいちいち名乗りたくないなと考えていると、隣の席に誰かが近づいてきた。

「ここ座っていいかな?」

 女の子が三人、トレーを手にして聞いてきた。

 空いている席はまだ他にあるのにと思ったけど、ちゃんと断ってくれているのにダメって言う理由もないから、英人と目で確認して僕は頷いた。


「ねえ、さっきの話本当? 井原くんが女の子になっちゃったって」

 僕達の隣に腰かけると、その中の一人が興味津々という様子で話しかけてきた。

 この子達、同じ講義にいたんだ?


「市来崎くんの隣に知らない子がいるから、誰か気になってたんだよね」

「親戚の子とかじゃないんだね?」

「……本人です……」

 たたみかけられて、僕は俯くしかなかった。やっぱりこの話題からは逃げ切れなかったよ……。


「本当に本当なんだ、市来崎博士ってやっぱりすごいんだね」

 楽しそうな顔で親しげに話しかけてくれるけど、僕には彼女達が誰なのかさっぱりわからない。

「彼女たちは同じクラスの三上さん、永井さん、田口さんだよ」

 僕が困っているのがわかって、英人が教えてくれた。……ぜんぜんわかんない。


「大学始まってもう二ヶ月だよ。井原くんてば、クラスメイトの顔をまだ覚えてないの?」

 女の子達は呆れた顔になる。

 でもクラスメイトが六十人もいて、しかも講義がバラバラだから、覚える時間もないと思うんだけど。逆によく覚えてるねと感心しかできないよ。


「えっと、三上さん」

「はい」

 ちょっとふわっとした感じのニコニコしている子が答えてくれる。

「それから……」

 もう他の二人の名前が出てこない。


 一瞬しか詰まらなかったのに、二人は僕がわからなくなったことにすぐに気がついた。

「私は田口だよ」

「——永井! もう、ちゃんと覚えてよね」

「ごめん」

 初対面の子に怒られてしまって、僕は首を竦めた。……ああ違う、初対面じゃないんだ。僕としてはどこの誰なのか認識したばかりだから初対面の気分だけど、向こうは違うんだ。

 怒った永井さんはしょうがないなあって感じで笑ってるけどね。でも、ちょっとビクッとした。


 とにかく、三人のことを早く覚えないと。

 髪の毛が肩にかかるぐらいで、白黒はっきりさせそうなのが永井さん。

 メガネをかけて髪の毛を結んでいるのが田口さん。

 背中の真ん中ぐらいまで髪が伸びていて、ずっとニコニコしているのが三上さん。

 ……こんな覚え方したら、髪型が変わってもわからなくなるよね……。


「この歳でいきなり性転換だなんて大変だね。頑張ってね」

「お姉さんか妹さんはいる? 女の子として生活するのにわからないことあったら教えてあげるから、なんでも聞いてね」

「できれば、今の井原くんにしかわからないことも教えて欲しいけど」

 三人が次々に僕に言葉をかけてくる。

 複数の女の子に親しげにされるのなんて生まれて初めてだ。男だった時には一緒の委員になった子とぐらいしか話す機会がなかったのに、女の子になった途端に話しかけられるなんて。

 嬉しいことは嬉しいけど、物珍しさもあるだろうから、やっぱり複雑だな。


「一応、男に戻る予定になっているんだけど」

「え……? 戻るんだ……?」

 男になったらまた女の子とは話ができなくなるのかな、なんて考えながら言ったら、急に彼女達が引いた。……あれ? なにも変なこと言ってないよね。


「叔父が勝手に井原くんを実験台にしただけだから、戻す薬を作るという約束はしてあるんだ。いつになるかはわからないけど」

 英人が説明すると、女の子達は理解したんだかそうでないんだか、ふーんとなんだか気のない相槌を打った。

「それって明日だったり、何年もかかったりするかもしれないってこと?」

「そうかもね」

「——そうなの!?」

 田口さんの質問と、それを肯定した英人に驚いて、思わず大きな声が出ちゃった。


「井原くん、自分のことなのに知らなかったの?」

「作るって言ってたから、すぐに作れるのかと……」

「自分の体のことじゃないの。これからの人生もあるんだから、ちゃんと確認しておきなよ。戻れる戻れないって問題があるならなおさらだよ」

 永井さんにちょっとキツめに言われてしまった。でも、そのとおりすぎる。


「井原くんも急に性別が変わっちゃったことでやることもいっぱいあって大変でしょ。一つ一つ対処していけばいいと思うの」

 三上さんが優しく僕をフォローしてくれた。こういう子、いいなあ。


 それにしても、数年後って可能性は考えてなかったなあ。ちょっと楽観視してたかも。女の子になる薬を作れたなら、戻る薬もすぐにできるって。


「昨日、帰ってから叔父さんにもう少し詳しく聞いたんだけど、あの薬は人に飲ませても大丈夫と確信が取れる段階になるまで八年かかっているんだって」

「ということは、これから一から薬を作るなら、男に戻れるのは八年後になるってこと……?」

「あくまで女体化の薬を作る時にかかったのがそれぐらいというだけで、もっと早く作れるかもしれないし、その、……正直、いつになるかまったくわからないんだってさ。関連の薬は叔父さんの趣味で作っていたものだから、本業の合間しか時間が取れないから」


 いつになるかわからない。その可能性は……ちょっと考えてなかった。

 今まではなんらかの症状が出た時も時間が経てば回復したから、今回は戻る薬を作っていると聞いても、時間が経てば元に戻るぐらいの感覚でいた。


「それから、今のところ叔父さんと大地にしか変化が現れていないのは、体質の問題も考えられるけど、共通点として、叔父さんが趣味で作ってきた薬をこれまですべて口にしていたことがあるそうだよ」

 つまり、下地ができていた僕達二人にしか効果がない薬だった可能性が高いらしい。だから、希望した他の被験者には変化が起きなかったと。

 英人も全部じゃないけど、おじさんが作ったお菓子を口にしてる。もし、英人もあのジュースを飲んでいたらどうなっていたんだろう。気になって英人の顔を見たら、目を逸らされた。僕が考えたことがわかった?


 それにしても、男に戻れるのはいつになるかわからないのかあ……。どうしよう。

「大丈夫だよ、大地。僕が必ず叔父さんに薬を作らせるから」

 ショックを受けていると、英人が僕を励ましてくれた。

 やっぱり英人は頼りになるなあ。


「新しく作る薬って戻る薬なの? それとも男になる薬になるの?」

 田口さんが突っ込んだ質問をしてきた。さっきも薬のことを訊いてきたし、かなり興味があるみたい。

「それってどこか違う?」

「大いに違うでしょ。戻るための薬なら、今の井原くんと市来崎博士にしか薬効がないけど、男になる薬だったら、二人以外の女性が飲んでも効き目がある可能性があるんだから」

 なるほど。「戻る」か「なる」かじゃ、ぜんぜん違う問題になるんだ。

 とはいえ、薬についての詳しいことは僕にも英人にもわからないから、彼女の質問には答えようがなかった。

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