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僕はまだまだ女の子のまま (2)

 僕は今、女の子になっている。それはもちろん受け入れている。自分の体を無視した生活なんてできないから。


 ただ、最近、鏡を見ることができなくなった。——壁に下げてあるあの服を試しに着てみた日から。


 メリハリの乏しい僕の体。男物の服を着て体のラインをごまかせば、服の上からなら子供っぽくなっただけみたいにも見えていた。

 でも、女物の服を着た僕は、ただの女性だった。


 鏡に映るそこら辺にいる女子とあまりにも変わらない姿に、僕は自分の姿を正面から見られなくなった。

 あれからまともに鏡を見られない。髪を乾かす時も見ない。このあいだの美容院でも、ずっと下を見ていた。さっき英人が僕なのかと訊いてきた今の姿も、どんな風に見えていのか自分じゃぜんぜんわからない。


 女の子になっても魅力の乏しい自分の体にがっかりしたけど、この体だったから、薬が当分できないと——男に戻れないとわかっても、僕は僕の意識を持ち続けていられたのかもしれない。


 僕はいつまで女の子として生活するんだろう。


 誰の前でも僕は僕のまましゃべりたい。

 気に入っていた男物の服を着て出かけたい。

 ドライヤーで髪を乾かすのがめんどくさい。

 シーツまで汚したことに朝から落ち込みたくない。

 女の子とはどうせなら異性として仲良くなりたかった。


 僕はいつまで今の生活を続けるんだろう。

 今の僕はなにもかも中途半端で。こんな悩みとまともに向き合っていたらおかしくなりそう。


 戻れるものなら今すぐ戻りたい。そうすれば……英人にいろいろ言われることもなくなるのに。

 女性になってから一番つらいのは、英人に今の僕を拒否するようなことを言われることかもしれない。

 心配してくれてるのはわかるけど、それでも今日みたいのはきついよ。


「英人がなんて言おうと、どう思っても、これが今の僕だよ……」

 見下ろしていた英人の顔が急にぼやけて見えなくなったと思ったら、僕の目から涙があふれてヒザに落ちた。


「……ごめん、大地。ひどいこと言った」

 英人の顔がよく見えない。


 でも、声でわかる。なにか誤解して怒っていた英人はもういない。

「ううん。英人は僕を心配してくれてるのはわかってるし」


 涙がとまらないから、僕はタオルケットを引き寄せて顔に押しつけた。

 僕がしゃべれなくなって、英人もなにも言わないから、部屋が静かになる。


 なんとか涙をとめると、僕は口を開いた。

「今の僕、おかしくて気持ち悪いかもしれないけど……戻るまでは、前と変わらず友達付き合いしてくれると嬉しいんだけど」

「気持ち悪いなんて思ってないって」


 スウェットを握っている方の僕の手に、英人の手が重なってきた。

 触ってきたのは、気持ち悪くないからってことかな。顔はそっぽ向いてるけど。

 なんとなく握り返したら、手が一瞬離れようとしたけど、すぐに握り返してくれた。


 本当は男同士なのにこんなことやってておかしいけど、握りたい気分だから遠慮なく握らせてもらう。夏だからか少し汗ばんでいる英人の手が、大きくて暖かくてなんだか落ち着く。


 社会人になれば男だって「私」って使う必要もある。

 服は今は女物の方が体に合ってて着心地がいい。

 女の子だからって髪の毛を伸ばし始めたのは僕の趣味。

 毎月の悩みは僕だけが経験しているものじゃない。

 後期が始まったら三上さん達に会えるのが楽しみ。


 今は今なりに僕は生活できている。だから大丈夫。

 ……せめて、もう少し胸が欲しかったとは思うけどね。おじさんが作った薬にはそこに効き目はなかったのかなあ。


「僕は待てるから、英人もあまり理一郎おじさんのこと怒らないでよ」

「まだ叔父さんを庇うわけ?」

 また英人の声が苛立って、握り返される力が強くなった。


「それもあるけど……英人の怒ってる声を聞いているのもきついんだよ」

「……ごめん」

 謝られたのと同時に、握られる力が弱くなった。


「大好きなおじさんのことを英人が怒ってるの見てるのもきついし」

「これだけ大迷惑かけられてもそれ? 理解できないよ」

「だって……嫌いになんてなれないし」


 初めて会った時ににっこにこの笑顔で頭を撫でながら、お菓子をくれた理一郎おじさん。刷り込みも入ってる気もするけど、それでも印象が変わらないんだからしかたないよ。


「……本当にわからないよ。どれだけ食い意地張ってるの」

「別に、お菓子だけが理由じゃないよ。一緒に遊んでくれたし、おもしろかったし優しかったし」

「どうせ僕は優しくないよ」

 あ、とうとう手を離されちゃった。


「英人も優しいよ? 僕がなにやらかしても心配してくれるし、夏休みまで僕のためにつぶしてくれたじゃない」

「それは……こうなったのは僕にも責任があるから」

 英人の首筋がみるみる真っ赤になっていく。あまり焼けてないから変化がよくわかるね。


「いつもありがと」

「いや……うん、叔父さんの所で、なんだかんだで実地経験させてもらえていろいろ勉強になったし、インターンみたいなものだと思えば別に……。だから、大地のためにつぶれたってわけでもないし」

 英人が赤くなった首を掻いてる。


 照れているのがおもしろくて思わず笑ったら、「どうかした?」って怪しそうに訊かれたけど、なんでもないよとごまかした。


「兄弟でもないのに迷惑かけてばかりでごめんね。そのうちなにかお礼するから」

「いらないよ、礼なんて。前にも言ったはずだけど、やらかしたのは僕の叔父さんで、僕もこうなる可能性は考えていたのに止められなかったんだから。大地が男に戻って元通りになれなら、それが一番だから」


 元通り、かあ。

 いつ頃かなとか、その頃には持ち物や人間関係はどうなっているかなとか考えてもわからないから、僕は将来を考えないでおく。


「とにかく、どれくらいかかっても僕が必ず大地を男に戻すから。大地もあきらめないで待ってて」

 英人が待っててって言うから、僕は今はただ待っている。


 薬を作るのは理一郎おじさん。英人が僕を戻すと言うことは、英人がおじさんに働きかけるということで。夏前の英人の言い方のこともあるから、そこは心配になる。

「おじさんにあまり無理言わないでよ?」

「……わかったよ」

 僕が念を押したら、英人は不本意そうだけどうなずいてくれた。




 英人が帰ってから、僕はようやく着替えて一階に降りた。


「お母さん、おはよう」

 台所に立つお母さんに声をかけると、カウンター越しに向けられた顔は呆れ返っていた。


「もうお昼よ。そろそろ体を慣らしておかないと、大学が始まっても起きられないわよ」

「始まったら起きるよ」

「まったく……。お昼ご飯がもうすぐできるけど、先に英人くんが持ってきてくれたお団子食べてる?」

「食べる」


 お母さんが食器棚から取り出してくれたお皿を受け取って、僕はテーブルの上に置いてあるパックから大きめの団子を二つ取り分けた。

 味付けにきなことあんこを添えて、まずひと口。……うん、やっぱりこの味と歯ごたえ。これを食べると秋が来たんだなーって思う。


「お母さん」

 フライパンで野菜を炒めているお母さんに話しかける。

 僕の口の中は甘いのに、鼻のほうは野菜の味付けの塩胡椒でツンとする。


「僕はまだしばらく男に戻れないみたい。薬はまだまだできそうにないって、英人が話してたよ」

「そうみたいね。英人くんが来てすぐに教えてくれたわ」

 お母さんはちょっとだけ顔を上げて、またすぐにフライパンに向き直った。


「英人くんの方がよほど真剣に大地の将来を考えてくれていて、こっちが申し訳ないわ。人様の家でやらかしたのは大地なのに」

 うっ……。団子が喉に詰まりそうになっちゃった。


 英人がああ言ってくれていたけど、やっぱり僕自身が原因だってことは僕もわかっている。


「大地」

 忙しく菜箸を動かしながら、お母さんが僕を呼んだ。


「お母さん達はあなたの意思を尊重するからね」

 僕が顔を上げても、フライパンを見つめたままで。

 あの野菜、いつから炒めてるんだろ。


「……わかった」

 うなずいて、僕は団子をもくもく食べながら考えた。


 僕の意思かあ。英人が待っててって言うから僕は待つつもりだけど。

 もしかしたら、副作用とか無視しておじさんの研究に張りついていたら、ずっと早く戻れたりするのかもしれない。でもそんなのは無理で、これから何年も表向きは女性として生活することはもうわかってる。


 ……わかってはいるんだけど……。

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