今はまだ決められないこと (2)
お父さんが運転する車でショッピングモールへ向かう。
外は陽が落ちてもムワッとして暑苦しいままだけど、クーラーを効かせた車内は涼しくて気持ちいい。
「大地。女の子になってからもなんとかやれているようだが、なにか困っていることはないか。父さんにできることはないか」
「なんとかやれてるよ。大丈夫」
「……そうか」
安心してもらおうと思ったのに、ハンドルを握るお父さんの声はがっかりしていた。
うーん。なにか頼りにして欲しいみたいだけど……。
「今度なにかあったら、お父さんにも相談するから」
「お、おお。任せておけ。遠慮なく言うんだぞ」
今は特に思いつかないけど、そのうち体と関係ないことならお父さんに頼ることもあるかも。そう思って一応言うと、お父さんが元気になった。
お父さんに相談しなきゃいけないような困ったことかあ。でも特に引っかかりもなく二ヶ月これたし、大きく環境が変わることがなかったらこのままで過ごせるんじゃないかな。
どうしても引っかかりそうなぐらい環境が変わるのは……就職する時?
でもそれって何年後? その頃もまだ僕は女の子のまま? また履歴書や職場の環境に悩むことになるのかな……?
「大地はいつ戻るかなあ」
まるで僕の考えていることが聞こえたみたいに、お父さんがつぶやいた。
「市来崎さん次第でしょうね」
「まあなあ……」
「焦ってもしかたないわよ。とりあえず今の大地は健康だし、それだけでも私は落ち着いて待っていられるから」
「まあな、なんとかなるだろう。……大地が二十歳になるまでには戻るといいだがなあ」
「どうして二十歳? 成人式があるから?」
「そういえば成人式もあるなあ」
「そういえばって、……あなた」
のんびりしたお父さんの声に、お母さんの声が尖った。
「いやいや、成人式を忘れていたとかいうわけじゃなくてだな、大人になった大地と酒を酌み交わすのを楽しみにしていたんだ」
「娘とだってお酒は飲めるでしょ」
「女の子をベロンベロンに酔わせるわけにはいかないじゃないか」
「前後不覚になるまで飲ませないで」
そっかあ。お父さんは僕とお酒を飲みたいんだ。
付き合ってあげたいけど、ビールのにおいって苦手なんだよね。大人になったらおいしく飲めるようになるのかな。どうせなら甘いのがいいんだけど、お父さんはそれでもいいって言ってくれるかな。
「それまでに戻っていれば問題はないんだけど。成人式はどうしましょう。このままじゃ予約ができないわ」
「まだ一年半も先だよ?」
「もし振り袖になるなら、好みの色柄を選ぶ都合があるし、美容院の予約が遅くなると大変よ。夜明け前から着替えることになるから」
「そんなに早いの?」
「近所の青木さん家のお嬢さん、今年成人式だったけど、予約が遅かったから朝の五時から着付けしたんですって。その時間でも先に始めてる子がいたそうよ」
「それってもう、徹夜した方が早いんじゃないの?」
「寝てないと体力がもたないわよ」
うーん。夜明け前からは嫌だけど。
……そもそも、振り袖着るのかな、僕は。
「後々のことを考えると、袴姿の写真を残したいけどね……」
お母さんが声は最後の方は小さくなっていた。
一年半後に僕がどうなっているかなんて、なんとも言えない。
男に戻る薬の研究はどれくらい進んでいるんだろう。いつから手がけているかわからないけど、英人の話だとほとんどできてない印象だった。通常の薬がどれくらいの時間をかけて人間に投与できるものになるかを考えると、一年半後は……。
英人が夏休みの間に研究室へ通うことは、お父さん達には話していない。英人が見に行ったからって一ヶ月でどうにかなるとは思えないから、余計な期待は持たせないように、夏休みが終わった時にがっかりさせないように。
「予約はもう少し待ちましょうか」
お母さんの言葉を最後に、車内は静かになった。
僕が男に戻れるのは、薬が完成した時。ただそれだけ。
考えても、いつまでなんて答えを出せる人はいない。きっと理一郎おじさんも。
そのままショッピングモールに到着するまで、誰もなにもしゃべらなかった。