表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
9/11

サイダーという宣告

その日は高揚した気分を引きずって何とか家事を済ませた以外は、頭が真っ白になって、ほとんど何も手に付かなかった。今更卒論以外手につけるほどのものがないというのもそうだが、それを上回って、液晶画面を凝視するより他に何もやる気が沸かなかった。しかも、そのうちの大半はあの青空をテンプレートにしたブログの監視をしていた。

最近の記事を見たときは短文ばかり載せていると思ったブログだったが、昔の記事を見て行くとどうやらそうでもないらしいことが、長い時間ブログを読み漁ってようやくわかった。寧ろ過去の記事は、改行や句読点がほとんどなく、一文がやたらと長い文章ばかりだった。どの記事も相変わらず日本語が崩壊し、無駄も多かったが、一番多いときだとワードの文字カウント換算で一万字近くも一つの記事に載せていた。一番文字数が多かったその日の日記は、今から二週間前のものだった。内容は読者が途中まで読んでブラウザのバックボタンを押したくなるような痛ましいものだった。管理人が一万字も書かなくてはいけない理由、ここ一週間短い文ばかり投稿していた理由が、ようやく分かった。


管理人には仲のよかった幼馴染がいた。その子とは小学校時代からの付き合いで、家も近く、時々遊びに行っては食事を出してもらったことが何度もあるようなほど、親しい間柄だったそうだ。昔から何かにつけて冗談を言って笑い合い、たまにケンカもしたがすぐに仲直りできた。管理人は中学生になってもその仲の良さは変わらないと思っていた。いつも一緒に遊んでいたのだから、お互いのことは何でも分かりあえると信じていた。

しかし、中学二年生になった途端、その幼馴染は何の話し合いもなく、管理人とは別の友人を作った。管理人は突然増えた友人に戸惑ったものの、最初はその新たな友人とも仲よくやっていたらしい。だが幼馴染は、それから一月後、その輪の中にまた別の人物も誘い込んだ。その一ヶ月後にさらにもう一人。中学一年まで二人だけだった管理人と幼馴染の輪は、二年の一学期が終わる七月前までに、計五人にまで広がった。

期末テストが終了した七月第一週目の金曜日、早帰りだった管理人と友人たち四人は、管理人の幼馴染から、家で遊んで行かないかという提案を受けた。幼馴染曰く、両親が遅くまで帰ってこないからだそうだ。その日、同じく家族が不在で夕食にありつける見込みがなかった管理人は、出来れば食事も貰えると助かるのだが、と少々虫のいいことを考えつつ、その提案に賛成した。残りの三人も、八時までなら、と時間制限付きで同意した。

事件はその日の夜に起きた。

ひとしきりゲームなどをして盛り上がった管理人とその友人たちは、夕食後に花火をすることになった。時期はまだ七月だったが、夏に入りかけと言うこともあり、一足先に風物詩を楽しもうという考えからだった。これも幼馴染の提案だった。

花火は、近場のスーパーに売っているような安っぽくて大して量がないものを使用した。お母さんに黙って買っちゃったんだ、こういう日に皆とやろうと思って、と幼馴染は説明した。父親の部屋に忍び込んでくすねたというライターで付属のロウソクに火をつけ、一本目の花火のヒラヒラした部分を軽く炙った。ほどなくして、炎が火薬に燃え移り、青白く透明な光がサイダーのように吹き出して夜の闇に浮かび上がる。おぉっ、とその場にいた幼馴染以外の三人から歓声を挙がり、皆は次々に小分けされたビニール袋を破いて、花火に手を付け始めた。赤、黄、緑、色とりどりの光が闇の中に現れては、数十秒後に儚く消えてゆく。管理人も、見ているだけではな、と思って花火の入った袋に近づいた。だがその直後、友人の一人が持っていた花火が、突然管理人の足元に当たった。短パンしか穿いてなかった管理人は、火花を直に皮膚に受けてしまい、あっ、とその場で声を挙げた。ところが友人たちは花火に夢中らしく、管理人のその声には誰一人気付いていない様子だった。もう一度、花火を取ろうとしたところ、今度は運悪く花火を取りに来た別の友人にぶつかってしまった。さすがに謝られたが、自分が花火に近寄る度に何かが起こるのを不審に思った管理人は、その後は皆が楽しそうにはしゃぐのを離れた所からぼんやり眺めるだけにした。

暗い闇の中で、一人光がある方を眺めていた管理人は、幼馴染たちが全ての花火を消費しきるのをずっと待っていた。三十分経過した頃に、ようやく友人たちは線香花火以外の最後の一本に行きついた。管理人はホッとしてその様子を見ていた。そしてもう二度と花火は御免だ、と思った。だがそこで、思いもかけないことが起きた。

「ねえ、こっちおいで」

この期に及んで、幼馴染が管理人に声を掛けて来たのだ。すっかり安心しきっていた管理人は、その突然の声に体を強張らせた。だがニコニコしている幼馴染の顔を見ると、何だかこれからいいことが起きるんじゃないかという期待がふと脳裏を掠め、放置されていた内心の孤独感も相まって、どうしたの? と笑い混じりに答えざるを得なかった。いいから、いいから。幼馴染は管理人を立たせて背中を押した。あまりにも楽しげな様子に、管理人は先ほどまでの不安が一気に頭から飛んだ。そして心から安心しきったその矢先、幼馴染はありったけの力で管理人を後ろから突き飛ばした。

何事かと思った瞬間にはもう遅かった。前のめりに崩れた管理人が頭を上げると、目の前には先ほどまで花火を見てはしゃいでいた友人三人が立ちはだかっていた。思考が状況の理解に追いつかないうちに、三人がそれぞれ、管理人の両手と頭、それに体を掴んだ。アハハハハ、皆が笑うのが聞こえた。凄い、いい格好、よくこんな案思いついたね――管理人は皆が何を言っているのか全く分からない。だが力で自分を押さえている三人の他に、もう一人いることだけは忘れていなかった。まあね、あたし天才だから! またまたー、と明るい声。あれだけ信じて、ずっと側にいると思っていた幼馴染だった。絶望的な予感と夜の気配が、管理人の脳裏を浸食していった。明るい声が聞こえる中で、自分だけがただ沈黙していた。なんで、どうして、こんなことになってるの、管理人は訳が分からない。やがてその言葉は無意識のうちに口をついて飛び出してきた。なんでどうしてこんなことするの、皆おかしいよ、間違ってるよ、怖いよ、離して! だがその叫びは幼馴染の次の一言に一蹴された。

「だって、あんたのこと、前から嫌いだったんだもん!」

 ずっとずっと、もうずぅっと前から。ここに呼んだ皆もそうだし。管理人は目の前が真っ白になった。人んちに勝手に上がり込んでさ、人んちのご飯食べてさ、親が何とも思わないとでも思ってるの? 怒られないとでも思ってるの? だとしたら、あんたって最低、ホント馬鹿で無神経。こっちが気を利かせてるってのも知らずにノコノコ付いてきやがって。幼馴染は管理人の背中を靴のまま思い切り蹴り上げた。弾力のあるプラスチック製の靴底が激しく肉を抉って体に食い込んだ。声を上げる前にさらにもう一発。絶望に打ちひしがれて泣きそうになるまでにもう一発。三発蹴られて、やっと管理人は自分がどういう状況にいるのか理解した。幼馴染は最初から自分を騙すつもりだった。何度も親に叱られ、それでも遊びを断り切れなかった腹いせに、自分を最悪の形で裏切って傷めつければいいと考えたに違いなかった。体を押さえている子たちは友人なんかじゃない。この日、何カ月も前から用意してきた計画を実行するための悪友、共謀者。大方、自分のことが無条件に嫌いな人間を集めて、怪しまれないようわざわざ一月に一人増やすと言う真似をしたのだろう。どうしてそんなことに気付かなかったのだろうか。

皆の恐ろしい画策に落ちたことを思って、管理人は焦った。これから一体どうされるというのだろうか、まさか――そのまさかだった。幼馴染は管理人の背後で最後の花火に火を付けていた。火薬に炎が燃え移り、パチパチと火の粉が飛び散る音がした。嫌、止めて、ごめんなさい、ごめんなさい! 管理人は叫んだ。しかし幼馴染はそんな声をものともせず、花火が燃えて行くのを淡々と見ていた。自分を押さえ付けている共謀者たちが、手の力を緩める気配はまるでなかった。それどころか、逆に力が強くなり、掴まれているあちこちが痛いくらいだ。管理人はいよいよ何もかもが目の前から消えて行くような気がした。暗かった夜の闇がより一層暗くなった気がした。現実を受け入れることを頭が拒否し始め、背後に迫る花火なんて、全て夢のように遠く虚ろな存在感しか持っていない。掴まれている場所ばかりが、ただただ痛く、こいつら全員、きっとずっと前からこうして体を傷めつけたくて仕方がなかったんだ、と考えた。背中に張り付いていた上着をペラリと捲る感覚があった。何かが壊れて行く漠然とした恐怖。自分がなくなっていくような陰鬱とした不安。そして温かい煙のようなものが背筋を伝わって流れてくる、と思った刹那、皮膚を捻じ曲げて内皮に入り込み、その先の神経まで焼き切ろうかとする強烈な熱が、管理人の背中を襲ったのだった。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ