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文章という繋がり

顔をじりじりと鉄板の上で焼かれているような熱を感じて、私は目を覚ました。全身がだるく、左側頭部の反応が嫌に鈍くなっているのが気になって、昨日の記憶を手繰り寄せてみる。確か、母と何かで言い合いになって、その後嫌な事をいろいろ思い出したため、冷蔵庫の中にあった焼酎を一、二杯飲んでいたのだった。一夜明けてもなお残る気だるさとこの妙な感覚は、おそらく体がアルコールを拒否している証拠だろう。深酒をしたつもりはないのだが、体質的に飲めない体は飲みたいと言う気持ちに付いてきてはくれない。食卓ではなく、ベッドの上で朝を迎えられたのがある意味奇跡だ。

頭痛を感じつつも体を起して適当に手足を振る。服が昨日の朝選んだもののままだったので、風呂には入っていないようだった。今は何時くらいだろうかと時計に目をやると、まだ朝の八時だった。これから風呂に入って着替えて食事の支度をしても、妹が起きてくる時間には余裕で間に合う。寧ろ早すぎるくらいだ。

シャワーを浴びて着替えをすませた後、朝食の準備をする前に新聞をとっておこうと、玄関を出た。夏休みだと言うのに、朝も早くから母の車はなかった。たぶん部活の監督のためだろう。近々合宿があるとか聞いたような気がする。車庫に付属する郵便受けを見ると、いつものように新聞が灰色の肌を朝日にさらしていた。その頭をひょい、と掴んで中身の広告ごと引き抜くと、重なり合うチラシとチラシの間から、一枚のハガキが顔を覗かせた。こんな時期だから暑中見舞いか何かだろうか、しかし誰から、と思い、ハガキの差出人を確認した。単身赴任中の父からだった。

父は私が大学に合格したのをきっかけに、会社の海外進出に便乗して上海に転勤した。どこで習ったのかは知らないが、五十代にして北京語と上海語が話せるため、中国に拠点を構えるなら、責任者はあの人しかいない、と会社では言われていたそうだ。父としても、子供が大きくなったしそろそろ自分が家を離れても大丈夫だろうと考えたらしく、転勤の話を意気揚々と家内に持ち込んできた。もともと父は家にいない事の方が多かったから、私としても母としても特に引き止める理由はなかった。話を持ち込んでから数ヵ月で準備をすませ、父は中国に旅立っていった。

以来連絡をよこしてくることは頻繁にあったが、向こうでの仕事が忙しいのか帰国したことはまだ一度もなかった。だから今回も連絡だけだろうと思ったが、裏面に所狭しと並べられた字をよくよく読んでみると、八月の頭くらいに一週間だけ帰国できるという旨が書かれていた。あまりの唐突の報告に、思わず息が止まった。

私は回収した新聞と広告、それにハガキを持って家の中へ駆け込んだ。すぐにでも誰かに報告したい気分だったが、妹は起きてこないし、今母に電話をしても繋がらない上に仕事の邪魔にしかならない。行き場のない高揚感が私を捉えて無駄に体が動いてしまい、妙に落ち着かない。このままだと、今日は何にも手がつかなくなってしまいそうだった。

そのときふと、視界の端にノートパソコンが映った。私は昨日サイト巡りをしていて見つけた巨大掲示板のことを思い出した。皆がどうでもいいことをどうでもよく書き込む場所。他人にとっては有益なことなど何一つないが、この気持ちを吐きだすのには、ああいう雑多な場所が丁度いい。

私は迷わずパソコンの電源を入れた。ブラウザを起動して、昨日の表示履歴を漁ると、すぐさま掲示板のアドレスが見つかる。それをクリックし、とある「板」に行くと、青文字で書かれた膨大な「スレッド」のタイトルが一瞬のうちに目に飛び込んでくる。家族のことを書き込んでもさし障りのなさそうなタイトルを適当に選んで、押し寄せてくる高揚感をそのままに、中国に勤めている父から、三年ぶりに帰国の知らせが届いた! とタイピングした。書き込みボタンを押すと、高まっていた気分が少し落ち着いたような気がした。

何とか乱れた気分を一時的に収めて、私は朝食の準備に戻ろうとした。一度深呼吸をしてから、パソコンをシャットダウンさせるためにディスプレイを見る。液晶画面の中には先ほど書き込みをしたばかりの掲示板が右側に、昨日見た履歴の山が左側に映し出されている。履歴は、wwwから続くサイトのアドレスが、アルファベット順に並べられており、昨日半日かけて巡った跡が克明に記録されていた。具体的には覚えてないが、そういえば他にも面白いサイトがあったような気がした私は、その履歴を一番上から順に漁ってみることにした。空腹も感じていないから、食事は後回しでいい。一番上のaから始まるサイトのアドレスを、何を考えるでもなくクリックした。最初に目に入ったのは色彩を少し調節した青空の写真だった。ブログのテンプレートであるらしく下にはやたらと文字が小さくて改行が多い記事が連なっている。しかし私はそれを見て突然の不信感に襲われた。昨日、こんなブログを見た覚えはなかった。

思わず履歴の曜日を再確認した。木曜日、間違えなく昨日の曜日だ。少しでも見覚えがあれば,これだけ印象的な青空の写真を忘れるはずがない。酒で消えた記憶も疑ったが、嫌なことしか思い出さなかったのだからパソコンを開く暇もなかったはずだ。

薄気味悪くなってブラウザを閉じようかとも思ったが、単に写真を忘れているだけかも知れないと思い直し、載せられた記事の内容を読んでみる。最新記事は、丁度昨日だ。だが、今日も一日無駄だった、もうこんな自分に嫌気がさす、という二行しか書かれていなかった。次の記事は一昨日。これもまた、今日も特に何もしなかった、何だかいろいろめんどくさくなって来た、の二行で終わっている。もう一つ前の記事はその一日前。何やら自作のポエムらしきものが載っている。しかし言葉が整ってない上に、内容もピエロがどうとか、花火がどうとかと支離滅裂で、全く頭に入ってこない。

そうして見て行くと、どうやらここの管理人は短文のようなものをメインにブログを更新していることがわかった。特に、ここ一週間に限っては、管理人が暇なのか妙に記事の更新率が高い。しかしそれらは一律に、書いている意味があるのかどうか怪しくなるような密度の薄く日本語が崩壊した文章ばかりで、そのためなのかブログのコメント数はどれもゼロのままだった。国語の教師を目指している私からすれば、こいつ、きっと幼少時代に碌な本を読んでなかったんだろうなと断定したくなるようなレベルだった。そしてそれに思い当ってようやく、私はこのブログの正体がわかった。

せっかく掲示板に書き込みをして落ち着いていた気分が、また一気に高まっていくのが酷く恐ろしかった。

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