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家庭訪問という茶番

妹が休み始めて三日後の、七月第二週目金曜日。担任が我が家に初めて家庭訪問に来た。その日は丁度、妹の中学の終業式があった。だが本来家族ぐるみで話をするはずの家庭訪問に立ち会ったのは、最も話を聞くべきはずの相手である両親でも、また当の本人でもなく、私だった。

前日夜遅くに教師と電話をしていた母は、その日の出勤間際に家庭訪問があることを私に告げた。それから担任の先生が来るのだからしっかり掃除をしておくように、と命じた。毎日家にいる上、毎日掃除をしているのであるから、家が汚れるはずなどなかったが、それでもその日は念入りに埃が落ちていないか、視界に入る屑などはないかをチェックした。しかし特に目に付くゴミは何もなかった。

妹の担任が訪れたのは午後三時ごろだった。もっと早く来るのかと思っていたが、考えてみれば中学の終業式の後、掃除やらホームルームやらをしているのであるからそんなに早く来るはずもない。寧ろ部活の監督をしないで(部活の活動日でないのかもしれないが)妹の家庭訪問を優先してくれただけ熱意があると考えるべきなのかもしれない。母だったらどちらを取るのかな、という考えが頭を過ぎった。

妹の担任は社会人五年目の男性教諭だった。バレーボールでもやっていたのか肩幅が異様に広く、身長の方もジャンプをすれば我が家の天井に届いてしまうのではないかと思うほどの高さであった。彼はスーツをビシッと着こんでやってきた。事前に来ると知っていなかったら、どこぞの企業のサラリーマンが営業で何かを売りつけに来たのではないか、と勘違いしたかもしれない。

 居間に通すと担任は礼儀正しく一礼して、無駄のない動きでソファーに腰掛けた。持っていた黒い仕事鞄を足元に置き、膝の上で手を組む。私がリビングから用意していたお菓子と緑茶を出すと、ありがとうございますと律儀に会釈をしてそれに手を付けた。ゆっくりと、それでいながらどこか緊張した動作で茶をすすり、一口で茶碗の半分くらいまで飲み干してから受け皿の上に戻す。彼は向かい側に座った私を何やら不思議そうな目をして見つめていた。数秒間沈黙していたが、私がその視線に気づいて「どうかしましたか」と尋ねると、彼は部屋に入ってくるときと同じ真剣な顔つきに戻って、口を開いた。

「あの、すみませんが、ご両親は」

 私は虚を突かれて、え? と返してしまった。教師の立場からすれば家庭訪問に来て、親ではない者に対応されたらその反応は当然なのかもしれなかっただが、てっきり私は母が対応を私に任せると教師に説明しているものかと思っていた。

「両親は、不在ですけど。母は学校で、父は単身赴任中です」

「ああ、そうでしたか」

 担任は受け皿においた茶碗を持ち直してもう一度口に付けた。半分残っていた中身がさらに少なくなって、全体の五分の一程度にまでなってしまう。

「まあ、見ての通り両親は多忙で家にいないことの方が多いですから、家庭のことは私が一任しているのです。最近はずっと家に居りますので、多分、妹のことも母親より知っているのではないかと」

 担任はふむ、といった様子で私の話を聞き、前のめりになって足元の鞄からクリアファイルを取りだした。中には生徒の個人情報と思しき書類が大量に詰められており、彼はそれをペラペラめくってその中の一枚を引き抜いて、机の上においた。だがその紙には何も書かれていなかった。どうやらメモをとるようだ。

「本当のことを言うと、家庭訪問はご両親のどちらかからお話を聞かなくてはならないのですが……このようにされてしまうと、こちらも打つ手がありません」

 このままお話をお聞かせ願えますか、と担任は全く表情を崩さない緊張した様子で手元の紙に視線を落とす。それしかありませんからね、と私が言うと、ご尤も、と彼も反応する。

「では最近、妹さんの動向に、変わった点はありませんでしたか」

 おそらく家庭訪問にやってきた教員がまず尋ねるであろう言葉のうち、最も使用率が高そうな発言で担任は話を始めた。私は特に心当たりがなかったので、いえ何も、と答えた。ただ、妹が引きこもりを開始すると宣言したことは伝え、寧ろこちらが学校での妹の動向に何かあったのか疑っていたところなのだと尋ね返した。

「もしかしたら、成績のことで悩んでいるのでしょうか」

担任は先ほどのクリアファイルを再び指でめくって何かを探し始めた。部屋のクーラー音の中で、ページをめくる音だけが静かに響く。数秒後に、ああ、これだ、と一枚の紙を取り出した。それにはエクセルで作られた枠の中に、一から三までの数字が縦列にびっしり並べられている。妹の通知表だった。

「五段階評価ですが、全く提出物を出さなかった理科と数学は一、残りの教科は各担当がテストに応じて付けた、と言っていました」

「ひどいですね」

 私は見たままを思ったままに口に出した。担任が紙に落としていた視線を一瞬だけこちらに向けた気がしたが、それが何を意図しているのかには気付かないふりをして淡々と話を続ける。

「ああ、もちろん別に先生が酷いと言っているわけではないですよ。うちの妹が提出物も出さないでやる気を見せないのが悪いんです。よく母から、中学は提出物をしっかり出して出席していれば二より下は付けない、と聞いておりますので。たぶん妹も知ってるんじゃないかな」

 はっきりそれと分かるように外の方を見る。普段引きこもっているはずの妹は、今日に限って外出していた。どこに行ったのかは知らないが、担任の家庭訪問に付き合うのが嫌なのだろうとは簡単に想像がついた。たぶん、という言葉で、担任も何となくそれを察したらしく、妹は同席しないのか、とは聞いて来なかった。

「成績について、妹さんに問い詰めたことはありますか」

 担任は話を続ける。

「いえ、全く。私から妹に何かいうことはほとんどありませんから。ただ、そういうのは母の方が厳しいですね」

「お母さんですか」

 不意を突かれて担任の表情がパッと変わる。

「ええ、母が。何と言いますか、教員であるためか人一倍成績に関してはうるさいような気がします。しかしただ単に相対的な評価を気にするわけではないんです。その子が全力を出して物事に取り組んでいるかっていうのを見る、絶対評価型なんですよ」

 担任はなるほど、と頷く。つまるところ妹は成績が低くて怒られたわけではなく、全力を出していないために怒られているということだ。これには担任も共感するところがあるのか、確かに学校においてはその子なりに頑張ることが一番重要ですからね、と私が伝えた母の意見に同意した。

「でも、このまま叱り続けるのは、妹さんを学校に復帰させるためには得策ではありませんよね。逆効果です」

 はい、と私は頷く。

「どうにかして、お母さんが妹さんを叱りつけるのを止めるよう仕向けられませんか」

「それができたら苦労はしませんよ」

 珍しく即答だった。私の気迫が変化したのを敏感に察知して、担任は肩を強張らせた。体格は一回りも二回りも大きいはずなのに、年が近いせいかなぜかそれほど怖いという印象がない。しかし怒らせてしまっては話し合いに支障が出る。私は落ち着け、と自分に言い聞かせて、緊張する担任と目を合わせた。

「それが出来たら苦労はしないんです。母は、そういう人ですから」

 触れてはいけない事に触れたのがわかったのか、非常に曖昧な返答にも担任はそうですか、と言ってそれ以上追及してこなかった。少しの間、私たちに気まずい沈黙が流れた。まるで会議室で会議をしているのに何も案が浮かばない会社員みたいだった。

「そういえば、学校に妹の友達らしき人はいましたか」

 その空気に先に耐えられなくなったのは私だった。担任はちらりと目配せすると、またクリアファイルに目を落とした。中学の教員は、自分が担任しているクラス以外でも同じ学年の授業を受け持たなくてはならない。誰が誰と関係を持っているかなど、紙を見なければ把握しきれないのだろう。担任は、該当する用紙を数秒で見つけ出すと、そうですね、と前置きした。

「それらしい生徒は何人かいるようです。少なくとも、ずっと一人でいる、というわけではなさそうですけど」

 話によれば、妹には給食を一緒に食べたり、休み時間に一緒に喋ったりするくらいの友人はいるらしい。担任が小耳に挟んだ情報では、どこかに遊びに行くほど仲のいい友達もいたのだそうだ。だからこそ、担任は妹が引きこもる理由は成績のことしか思い当らなかったらしい。

「本当に、どうしてこうなったんでしょうね」

 担任は茶碗に残っていた緑茶を一気に呷った。受け皿に茶碗を戻すと、水分どころかお茶っ葉までもが空になっていた。それを見て、私も自分用に用意しておいた茶碗に触れてみたが、熱湯を注いで淹れたお茶はまだ熱く、とても飲み干せるような温度ではなかった。自分で淹れておいて思うのも何だが、こんなものを平然と飲んでいる担任の気が知れない。

「さあ。そのあたりは妹に直接尋ねてみた方がいいかもしれませんね。やはり当事者がいないことには分かるものも分かりません」

「まあ、それもそうでしょう」

 妹のことは母より私の方が知っているかもしれないと、つい数分前に言ったばかりなのに、私はもう妹の担任への興味を失っていた。そのときは妹が救われようと救われまいとどうせ私には関係ないと思っていた。私はソファーから腰を上げた。担任がそれに続いて、茶碗を持って立った。そして何の打開策も出ず、何の方向性も提案されないまま、家庭訪問は終了した。

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