登校拒否初日という波乱
妹が引きこもりになったのは今年の夏休み少し前からだった。一学期もあとわずかで終了という七月第二週目の火曜日。妹は母に「明日からもう、学校には行かないから」と高らかに宣言して、自室に籠った。
不登校になる子供が親に対して学校に行かないなどと宣言することは、一般的に言ってほとんどない。ありがちなパターンとしてはまず朝起きるときに「今日はお腹の調子が悪いから」と体調不良を装って初日を欠席、以降も仮病を使って悉く登校を避ける。三日か四日を過ぎたあたりで親や教師から怪しまれ始め、「もしかして学校に行きたくないのか」と尋ねられ、初めて不登校の意を露わにする。
中学校教諭である母も、三〇年と言う長い経験で裏打ちされたその一般論を信じて疑わなかった。母は妹のこの発言には露骨に顔をしかめ、「どうしてそんなこと言うの」と妹の部屋に詰め寄り扉を拳で叩いて説明を求めた。しかしその日、遂に妹が自室から出てくることはなかった。
翌朝、授業が二時限目からあった私は、ちょうど八時くらいに目を覚ました。すると何やら部屋の外から叫び声と唸り声が聞こえてきた。それはどうやら妹の部屋の辺りから発せられているようだった。自室の扉から向かい側にある妹の部屋の様子を静かに伺うと、学校に行けと大声を出す母に対して、妹が罵詈雑言を浴びせながら暴れ回っているのが見えた。
今出て行くと巻き込まれそうだと思った私は暫くその場で待っていたが、二人の声は一向に収まらなかった。仕舞いには子供か猿の兄弟喧嘩なのではないかと思うほどに喧しく無意味な叫びがあがり、物が投げられて壁に当たる音まで聞こえてきた。母に殴られ、妹が叫ぶ。妹に蹴られて母が物を投げる。髪の毛を引っ張って、痛い痛いと、奇声があがる。今の声はどっちだろう。うるさかったので扉を閉じてみたが、妹の部屋が見えなくなっても声のせいで内部の様子はよくわかった。母は怒っているのに、妹はそれを逆に冷やかしていた。そうすると余計に母は怒った。さらに妹が冷やかすという悪循環。いつまで経ってもお互いに全く妥協しなかった。もうこうなっては不登校も何も全て水かけ論と化してしまっていた。
初日の動乱が収まったのは、それから約十五分後、妹ではなく、母が遅刻しそうになったからだった。母の勤務する中学は自宅からそう遠くないが、騒ぎのせいで朝の職員会議に出席できなかった上、一時間目の授業にも姿を現さないのはまずいと考えたらしかった。母は妹に「もう行くよ」と叫んでから部屋を出て、今度は私の部屋に入って来た。そして寝たふりをしてベッドに横たわっていた私に、妹をどうにかして学校に連れて行くようにと言い付けた。私は朝から騒がしいのに滅入ったのと正直言って自分が巻き添えを食らいたくなかったので何も返事をしなかったが、母はそれを勝手に肯定とみなしたらしく、早々に朝の支度を済ませて家を出て行ってしまった。
母の車が完全に家から離れたのをエンジン音の大小で確認して、私はゆるゆるとベッドから起き上がった。母が去った後の隣の部屋は数分前までの喧騒が嘘だったかのように静まり返っていた。あれだけ殴ったり蹴ったり殴られたり蹴られたりしたはずなのに、妹は取り残された部屋で泣き声の一つも上げていなかった。私は逆にそれが恐ろしく感じたが、母から言われたことは一応守るべきか、と思い、とりあえず妹と話をしてみることにした。
「どした」
部屋に入った私はできる限り感情を込めない声で言った。この年頃の子どもは必要以上に接近されることを嫌うと、大学の授業で習ったからだった。
だが妹は私の呼びかけに何の反応も示さなかった。ただ教科書やらノートやらが散らかった部屋の真ん中で、呆然と首を垂れているだけだった。今度は逆に私が反応に困った。
「そんなに学校行きたくないのか」
妹は答えない。何をするのもかったるいのか、首すら振らない。私はさらに反応に困る。
「そもそも理由は何? 昨日何かあったのか?」
少し距離を詰めて話したが、やはり妹は体を硬直させたままだった。学校に行くのが嫌なら、はっきり理由を述べれば母も納得するかもしれないのに、と私は続けたが、沈黙を保ち続ける妹は反論も同意もしない。こういうところが母のカンに障るのだろうか。
「もう、反抗するのがめんどくさいんだったら、学校行けばいいのに」
そう私が言った瞬間、目の前に飛んでくるティッシュボックスの底が見えた。反射的に体を逸らしたおかげで直撃は免れたが、耳に箱の角が触れたせいで少々皮膚が痛んだ。妹が、手元にあったティッシュを、私に投げつけたのだった。
「黙れ、リア充」
妹は立ちあがっていた。先ほどまでの静かな佇まいが嘘のように、意味のわからない単語を使って私を怒鳴りつけた。激情のあまりティッシュを投げつけた手が震え、顔が真っ赤になっている。私は痛む耳のことも忘れて呆然と妹を見た。
「どうせ私はお前とは違って頭も悪いし、顔も悪いし、トロいし、根性もないし努力もできませんよー」
他人を馬鹿にするときによく男子が使う軽薄な口調でそんなことを言いながら笑う。怒ったかと思えば突然笑い出したり、自虐したりで何を考えているのか全く分からない。こういう意味不明なところも、母のカンに障るのかもしれない。
「じゃあ、今日は学校行かないわけか」
最早分かりきった答えをあえて口にして私は諦めて部屋の扉に手を掛けた。妹は何を思ったのかもう一度背中にティッシュボックスを投げつけ、死ねだの、カスだのと私を罵った。私は怒る気力もなく、何も言い返さずに部屋から出た。
その日帰宅した母に妹がこっぴどく叱られたのは言うまでもないが、監督責任を怠ったと言われてなぜか私まで叱られた。だがこれに味をしめた妹は本当に翌日からも学校に行かなくなってしまい、毎朝十五分の格闘の後に部屋に引きこもり、ゲームをやったりパソコンをしたり、テレビを見たりという自堕落生活を開始した。私がそれを知っているのは、たまにこっそり部屋を覗き見るときに、妹がしているのがそれしかないからだ。
幸いなことに休み始めたのが七月の第二週からだったため、期末テストは終わっていた。終業式には出なかったものの一学期の通知表は担任からクラスメイトを経由して貰っていたし、その後はそのまま夏休みに突入してしまったから、実質的な登校拒否の期間は一週間と少しとなる。しかし、学校に行っていないためにテスト後の部活動には参加していないし、このまま休み癖がついてしまえば二学期からは完全に不登校になってしまう。夏休み中に何とかしたいと母が言っていたような気がするが、自身も部活の監督で忙しい母がどこまで本気でそれを言っているのかはわからない。