白の章02_強制終了された文化祭
本日は、土曜日。
私立桜花学園高等部、文化祭、当日。
小中学と無事に義務教育を終えた私は、只今高校二年生。
ゲームならば、異世界召喚される年だ。
私の記憶が確かならば、の話だが。
散花の記憶が蘇り、直ぐ様、顔を隠すように前髪を伸ばし、後ろ髪の長さはセミロングに固定。
周囲とは極力関わらず、無口で人見知りな、大人しい女の子のように振る舞った。
その為、僅かな話し相手は赤神くんくらいのもので、他の人とは必要以上に会話をしなかった。
部活には入らず、殆どの時間を護身術の習い事と読書に使い、今や赤神くんとも、さして会話をしていない。
そんな学生生活を、今日まで送って来た。
目立たず、ひっそりと。
結果、私は「ああ、そんな人居たっけ?」と言われるレベルに、身を潜める事に成功していた。
これで、もし異世界召喚が現実のものとなったとしても、主人公の隣のヒロインと言う、フラグ乱立のポジションからは外して貰えた、筈。
少なくとも、私に頼ろうなんて人は居なくなっただろう。無能を演じる限りは。
異世界召喚後、不遇を強いられる可能性については、その場の状況に応じて対応するとして、問題はやはり敵に殺されるタイプの死亡フラグか。
自分より強い相手、どうあっても覆せないような実力差をどうするか。
どう埋めるか。
そもそも、ゲーム内に置いて、白崎雪乃は完全なる非戦闘要員であった。戦闘能力を持たず、武器も持たない。
故に、戦う以前の問題。
けれど、今の白崎雪乃はゲームの白崎雪乃と違う。
これが、今後にどんな影響を齎すかは、正直分からない。
「ふぅ……」私は誰にも気付かれないように、小さく息を吐きだすと、買ったばかりのチョコバナナを口に運んだ。
今年度の文化祭、私のクラスはお化け屋敷をやる事となった。それに伴い、私に割り当てられたのはお化け役。
白い着物、俗に言う死に装束に袖を通し、ネットで調べたホラー系フルメイク。
前髪は元々長いから、髪を態とぼさぼさにするだけで、立派なお化けの完成。
午前中いっぱい、お化け役に精を出し(と、言っても、ほぼ突っ立て居るだけだったが)、只今正午。
私は休憩時間となり、代役とお化け役を交代の後、ふらふらと色んなクラス、屋台を巡って行き、最終的にはお昼ご飯を食べる為に、一年生の教室に来ていた。
ああ、勿論、目立たないようにお化け役の衣装から、制服に着替えているし、髪も整え、メイクも落とし済みだ。
本当は同じクラスの女子生徒、鳴沢優子さんに、お化け屋敷の宣伝も兼ねて、お化け役のまま文化祭を回って欲しい、とお願いされたのだが、丁重にお断りして置いた。
お化けルックで歩いていたら、目立って仕方ないし、生徒に怖がられたり、子供に泣かれる可能性があるから。
そう伝えたら、鳴沢さんも「確かに……!」と頷いていたので、遠慮なく制服に着替えたのだ。
そうして無事にお化けから、地味子に変貌を遂げた私は、飲食スペースで昼食タイム。
一年生の教室での購入品はたこ焼き、チョコバナナ、フルーツ飴で、他のクラスではお菓子袋、ポップコーン、ブラウニー、タピオカドリンク抹茶味。
勿論、チョコバナナ以降はドリンク以外お持ち帰り用だ。
流石に、そんなには食べられない。
そして私は、買った物に対して、明らかに多い買い物袋をテーブルや床に置くと、たこ焼きを咀嚼し、デザートにチョコバナナを食べ始めた。
今正に、その真最中なのである。
長ったらしい前髪にぶつからないよう、私は慣れた動きで一口、二口とチョコバナナを口に運んでいく。
後輩の入学式も、授業参観も、スポーツ大会も無事に終わった。
今年、保護者が居るだろう学校行事は残す所、本日の文化祭と保護者懇談会のみ。
ゲームに置いて、異世界召喚されるタイミングは私が記憶している限りでは、保護者が学校に来ている時。
即ち、今日か、二月先の保護者懇談会か、である。
私的にどちらかと言うと、今日の可能性が高いように思う。
ならば、備えはして置くべきだろう。
買い物品以外の買い物袋を見ながら、私は思考する。
文化祭で購入した食べ物は二袋分。 手元にある袋は全部で五袋。
内、三袋は私の学校への持ち込み品になる。
中身は携帯食、乾電池数本と針金、虫眼鏡、アウトドア手袋、包帯、テーピングテープ、絆創膏、ガーゼ、消毒液、鎮痛剤、解熱剤、ウェットティッシュ、エマージェンシーシート、レインコート、懐中電灯、催涙スプレー、ヘアスプレーと野宿するのか、山登りするのか、無人島にでも行くのか、私以外よく分からない内容になっている。
先生に見付かったら不審がられて、没収されるだろう中身だが、文化祭の買い物品に隠すように持ち歩いていた所、それらは誰にも見咎められる事はなかった。
誰も、どの生徒が何を買ったかに興味などないだろうし、荷物は二年に上がって直ぐに、早朝、人目を忍んで物置きと化していた空き教室に隠して置き、今日のように必要になりそうな時は、それとなく回収していたから。
今日のように荷物を持ち歩いて不審じゃない時なんて、今まではなく、そういう場合は荷物を予め保健室に移動し、体調不良と偽って、一日中保健室に居た。
今まで、異世界召喚に当たらなかったから、まあ、無意味な事をしていただけなんだけど。
今回は、どうだか。
これが私のただの被害妄想で、異世界召喚なんて起こらなければ一番なのに……。
私はまた一口、チョコバナナを齧った。
「……!」
教室内の喧騒に耳を傾けながら、ふと視線を動かすと、見知った顔が映った。
私は目を瞬かせて、悟られぬように相手の様子を窺う。
肩上で切られたアシンメトリーの黒髪に、赤茶色の三白眼が特徴的な、クラスメイトたる男子生徒――黒磐暗夜が確かにそこに居た。
彼は本来、散花に置いて、今の私のように前髪を伸ばし、人の目を見るのが嫌いだという理由から、伊達眼鏡を掛けた、根暗ないじめられっ子。
脇役から闇堕ちして悪役となり、主人公と敵対する—―筈なんだけど。
どうにも目の前の黒磐くんを見る限り、そんな風になるとは思えない。
今の彼はいじめられてもいなければ、根暗でもないし、赤神くんと敵対しそうにもない。
故意的に影を薄くしている私より、よっぽど人間関係を築けているだろう。
ゲームとかけ離れたキャラの筆頭だ。
まあ、他にも大分変わっちゃっている人も居るから、これも現実故の差異と言うやつなのかもしれない。
私がゲームの黒磐暗夜について思考していると、見据える視界の先で、黒磐くんが恐らく昼食だろう食べ物を購入していた。
どうやら彼も、今日は私と同様にぼっちらしい。
購入した物を持ち、一人で飲食スペースであるこちらに歩いて来る。
こちらにちらりと視線を向けていた事から、彼は私の存在に気づいてはいるだろうが、特に話をするような間柄でもない為、声を掛けられる事はなかった。
「おはよう」とたまに挨拶する程度の仲で、話す事なんて何もないだろう。
私は黒磐くんから視線を外すと、チョコバナナの最後の一口を口に入れた。
美味しい。
お祭りの定番と言えばチョコバナナ。
何でか食べたくなるんだよね。
ごくり、と口内のチョコバナナを嚥下し、ただの棒になった割り箸を、右手で遊ばせる。
「あ……」
それは不意の出来事だった。
そう、本当に不意打ちだった。
思わず、手からぽろりと一本だけの割り箸が零れ落ち、乾いた音を立てる。
ああ、やっぱり、こうなるのか。
杞憂だったら、良かったのに。
一瞬で周囲に発現した異常事態に、頭がやけに冷静そうに思考する。
私から少し離れた席に座ろうとしていた、黒磐くんが驚愕の悲鳴を上げるのを聞きながら、人知れず唇を噛み、私はテーブルや床に置いていた荷物を全て、手元へと手繰り寄せた。
唐突に訪れ、現在進行系で進む異常事態。
恐らく、校庭をも含む、学校の敷地内全域を走るように、足元に展開された召喚陣。それは眩い光を発し、適正者を選定する。
眼前に広がる、ゲームをプレイする際、画面越しで見た光景と全く同じ光景。
私達を異世界へと召喚する為の式陣。
神の御業。
私達を死へと誘う死神の所業。
確か、この陣は……適正者以外には見えていない筈だ。
故に、騒ぎにはならず、集団失踪が発覚するのが遅れる。
私達は、公衆の面前で誰にも気付かれる事なく、異世界へと誘拐されるのだ。
魔王を殺す勇者のように、都合の良い救世主として。
光が広がる。
一層力を増して。
それから逃げる術など知らない私は、否、私達は抗う事すら許されずに、呑み込まれる。
「黒磐くん……」
ふと、眩しさに細めた目を向けた先で、彼と目が合った気がした。
多分、気のせい。
前髪と伊達眼鏡に隠れた、私の目と合うなんて事、きっとない。
「……嫌。異世界なんて、嫌」
ぽつり、呟いた言葉は誰の耳に届く事もなく、虚空に消えた。
学校の生徒達数十人と、教師数人、保護者数人、見物客数人と共に。
白い世界は全てを塗り替え、望まない物語が始まりを告げる。
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