白の章07_騒ぎに乗じて逃げ出せばいい
花術練習の翌日、時刻はお昼過ぎ。
私は一人、私の荷物を全て詰め込んだ、インベントリのリュックを持って、書庫に来ていた。
いつ何時、魔族の襲撃があっても大丈夫なように、ちゃんと逃げられるように、準備はして置かなくては。
書庫、窓際に腰掛けると、膝にリュックを置いて、本を読む。
本のタイトルは、『人族の英雄と大罪人』。
英雄と罪人をメインに描かれた歴史書のようなものだ。
初代剣聖レオンハルト・アイゼンブルグが、エルフの導師ぺトム・メルトゥーシュと共に初代魔王を倒した軌跡や、武器御子と呼ばれた花使いラルカ・フェモットが、災厄を退け、人族を救った話。
水氷の二つ名を持ち、魔族に味方した罪人ゼーレ。
鮮血の二つ名を持ち、聖アンブロシア教会を潰そうとした異教徒オリビア・スカーレッド。
などなど、ゲーム内にも出て来た話がちらほらと見受けられる。
歴史には、あまり散花との差異はなさそう。
と言っても、ゲーム内で出て来た歴史なんて、この世界の歴史のほんの一部だが。
ただ少し気になるとすれば、この本に載っている人物の殆どが、花使いばかりである事か。
私は「ふう」と小さく息を吐いて、本を閉じる。
この本はもういいから、次の本を……。
本を元の場所へと戻し、新たな本へと手を伸ばした。
「っっ?!!」
否、伸ばそうとした。
その手は宙を切り、突然聞こえてきた音に、驚愕から肩を跳ね上げる。
何事か、と私は慌てて辺りを見渡し、窓の外へと視線を遣った。
私の行動を遮った音は、何?
何処か遠くから響いてきた、まるで建造物が崩れるような破壊音。
「嘘……何故? なんで、町に……?」
ぽつりと、呟きが零れる。
窓の外を凝視した私の目に映ったのは、複数の盛り上がった土のような壁と、それらに、破壊される城下町。
今だ鼓膜を震わせる音が、嘘ではないと私に伝える。
あれは、魔族の使う魔法じゃないか?
これは、イベント?
多分、私の思うイベントだ。
私が逃げる為に、狙っていたイベント。
序盤のゲームイベントにして、初戦闘、初中ボス戦。
土魔法を操る魔族の貴族による、単身王城襲撃。
これは剣聖の協力を得て、主人公が魂花より、初めて武器を発現して戦う、散花で最初の戦闘、チュートリアル戦だ。
魔族が来るのは分かっていた。知っていた。
けれど、城下町が襲われるなんて事は知らない。記憶にない。
私の記憶が正しければ……あれは、王城、大広間で行われる。
主人公と、花御子達が集まる場で行われる筈の出来事。
いや、今はそんな事考えている暇はない。
逃げよう。早く、逃げよう。
この騒ぎに乗じて。
魔族が城下町を襲った場合、騎士達はそちらに向かわざるを得ない。
王族や貴族の護衛に、向かわなければならない。
ならば、今なら異世界の小娘が一人消えた所で、直ぐには気付かれ難い。
これから、私が目指すべき場所は、王城内にある秘密の抜け道。
王国が何らかの手によって落ちた際、血族を逃がす為に用意された通路。
秘密の抜け道は、ゲーム内での限られたイベントでしか明らかにならないもの。
国王しか知らない秘密の抜け道なんて、誰も確認しない。
何せ、誰も知らないんだから。
私はリュックを背負うと、書庫を後にし、急ぎながらも、ひっそりと隠れつつ、廊下を移動した。
目指すは、秘密の抜け道の入り口――――私達が召喚された部屋だ。
侍女、下男、騎士等の人々が慌ただしく駆けて行く。
その中には、当然異世界人たる花御子の存在もあり、どうやら指示された通りに、動いているらしい。
恐らくだが、念の為、避難と言う形で、何処かに集まるのではなかっただろうか。
私は物陰に身を潜ませながら進む。
今を逃したらもう、ここから逃げるチャンスはないかもしれない。
息を潜め、細心の注意を払い、なるべく人気のない道を選んで歩く。
心臓の音がやけに五月蠅く、鼓動を刻む。
それに呼応するように、口から零れる呼吸音も早くなる。
もう、少し。
後、少し。
早く、早く、早く。
急いで、急いで、急いで。
早足で、けれど足音は立てずに進む。
「ユキノ嬢?」
「っっ?!!」
唐突に背後から、声が掛かる。
それは、今は聞きたくもない聞き知った声だった。
本当なら今頃、魔族の元で主人公と共に対峙している筈の人物。
私は驚愕に目を見開き、思わず身体を硬直させた。
どうして、まだ……城の中に居るの?
いや、元々王城が襲撃されてそれを迎撃するのだから、城に居て当たり前?
私が、浅慮だったのだろうか。
一早く、魔族の排除に向かうのだと思っていた。
ゲームシナリオによる、刷り込み。
彼が赤神くんと共に、魔族と対峙する場面は、今も脳裏にはっきり残っている。
何にせよ、こんなタイミングで私を見付けなくたっていいじゃない。
「こんな所で何をしているのですか?」
後ろも振り返らず、固まる私の肩に手を置き、「他の花御子の方々は、大広間に移動されていますよ?」と彼、剣聖は私に告げた。
「ラルガ、さん……」
私はゆっくりと振り返ると、僅かに震えた声で、名前を呼ぶ。
現実はゲームのように、上手くはいかないなんて分かってる。
この世界は、私をそう易々とシナリオから逃がしてはくれそうにない。
「ああ、人に触れられるのは苦手だとおっしゃっていましたね? 申し訳ありません」
「いえ……」
ラルガさんが、ぱっと私の肩から手を離す。
私は何でもないように、小さく首を振った。
「それで、何をしていらしたのですか? ユキノ嬢」
ラルガさんが、再び問う。
首を傾げて、返答を待つようにじっと私を見つめて。
その目は、酷く冷たかった。
何処か、私を見ているようで、見ていないような。
「ごめんなさい。迷ってしまいました」
「ああ、そうでしたか。では、私が広間にお連れいたしましょう」
この人はきっと、何を言っても、私の言葉を信用しないだろう。
何となく、確信めいた思いが胸中に浮かび、私はありがちな言い訳を口にした。
すると、ラルガさんはまるで私を安心させるように、微笑んで見せる。
けれど、目は笑っていない。
「あの、何かあったのでじょう? ラルガさんは、向かわなくていいのですか」
「城下町には今、王国騎士団が向かっております。ですので、私はここに残ります。この城を守らねばなりませんから」
ラルガさんは、そう私の質問に答えると、「では、行きましょう」と廊下を歩き出す。
私の本来の目的地とは、逆の方向へと。
そういう事。
襲撃が城下町だったせいなのか、剣聖は動かない。
王国騎士団が城下町に向かったなら、剣聖、聖騎士団は城の守りに就かなくてはならない。
もしかしたら、赤神くんが戦う事もないかもしれない。
そうなったら、この先のストーリーはどうなるの?
ラルガさんに付いて行かない訳にもいかず、私は彼の後ろを付いて歩く。
廊下を歩きながら、時折聞こえてくる破壊音に、眉根を寄せる。
私の様子を察してか、ラルガさんが「王国騎士団は優秀ですから、心配ありません」と振り返らずに告げた。
私は「そうですか」と、俯きがちに返す。
ややこしい事になった。
広間に着いたら、先ず逃げられない。
かと言って、今直ぐこの剣聖から逃げる術なんて、私は持ち合わせてはいない。
まるで、運命に「逃げるのを諦めろ」、と言われている気分だ。
暫く歩いて辿り着いた大広間。
ラルガさんに促されるまま入った室内には、あまり人が居なかった。
今日に限って皆、城下町に出掛けていた?
そんな事、ある……?
「雪乃! 何処に行っていたんだ? 大丈夫だったかい? 怪我は? 何処か痛い所は?!」
「ないよ、赤神くん」
室内に入るなり、赤神くんが飛んで来る。
心配、していたらしい。
腐っても幼馴染み、と言った所か。
エリュシオンに召喚されてから、時折、こちらに話し掛けようとしては居たが、避け続けた学生時代(現在進行形)が効いたのか、話し掛けるのを断念していたようだったが、遂に爆発したらしい。
頭から爪先、背中、果ては手を取り指までも、目視で私の安否を入念に確認する。
とても煩わしいが、ここで拒否すると怪我を疑われる可能性がある為、私は取り敢えず大人しく耐えつつ、部屋を見渡した。
え、フェイト王女?
彼女も、この部屋に避難?
室内にはざっと、二十数名程。
中には、フェイト王女に、黄戸くんや青山さん、鳴沢さん、零崎さんも居る。
それに、クラスメイトの女子二人、オタク二人、ギャル一人、後輩の女子二人、生徒会五人、丸井さん、瀬野先生、保護者等の方六人。
「怪我は、ないみたいだね。良かった」
一通り確認を終えた赤神くんが、ほっと安堵の息を吐く。
「ホムラ殿。ユキノ嬢と仲がよろしかったのですね」
「ああ、ラルガさん。雪乃を連れて来て頂いてありがとうございます。ええ、彼女は僕の幼馴染みですから」
「お二人は幼馴染みだったのですか」
僅かに驚いた風なラルガさんに、赤神くんが頭を下げると、笑顔で言う。
それにラルガさんは、納得したように頷いた。
そして、私は赤神くんとラルガさんに中へと促されるままに、他の人も集まる室内、中央に足を進める。
いよいよ、逃げ道がなくなった。
今回はもう、難しいだろうか?
「っっホムラ殿! ユキノ嬢! 私の後ろに!」
下を向き、思考しながら足を動かしていた私と、隣の赤神くんに、唐突に振り返ったラルガさんが叫んだ。
けれど、私も赤神くんも急な事に反応し切れず、ラルガさんが私達の腕を引く形で、背後へと下げさせられる。
丁度その瞬間、私達が通ったばかりの扉が轟音を立てて吹き飛んだ。
突然の事態に、周囲からは悲鳴が上がる。
私は目の前の光景を見つめながら、絶句するように口元を押さえた。
頭は、一瞬で真っ白になってしまった。
「……随分な挨拶じゃないか。魔族」
勢いよく飛んできた扉だった物を、ラルガさんが腰元から引き抜いた剣で斬り落とす。
そして、粉塵の舞う入り口へと怜悧な目を向けると、酷く刺々しい声音で言った。
ああ、どうして。
どうして……?
「お、やはりここか。君等が異世界から召喚された花御子とやらか?」
粉塵の中から、現れたのは一人の男。
背に真っ黒な翼を持ち、頭には羊のような巻き角の生えた男。
なんで、なんで……?
嘘、嘘、嘘っっ……。
「あ、あんた誰よ?!!」
突然現れた男に対して、後ろから青山さんが声を荒らげるのが聞こえる。
それに続くように、フェイト王女が「城内にまで魔族がッ?!」と、驚愕の含んだ声を上げた。
私は、私の目は男から逸らす事も出来ずに、ただ釘付けになる。
「つまらなんな。正直、期待外れだ」
男は室内を見渡し、心底面白くなさそうに言った。
そして、こちらへと歩を進める。
その足音が、現状を否定しようとする私の脳へ、これは現実だと伝えてくる。
どうして、なんで、ここに居るの。
本当なら、こんな序盤に出て来ていいような魔族じゃない。
この男は、後半のボス敵の筈でッ……!
「ふむ、とんだ烏合の衆だ。こんな奴等が王の御前に辿り着く事なんて、万に一つもありはしないな」
男はニヒルに笑い、ラルガさんの目の前で歩みを止める。
直ぐ側まで歩いて来たその男を、ラルガさんと対峙するその魔族を、私はただただ見つめた。
襟足だけ伸ばした艶のある黒髪、長い睫毛に囲われた真っ赤な瞳、色白の肌、何処か中性的で整った顔。
細身のようでありながら、必要な箇所には筋肉の付いた美丈夫。
私は、知っている。
彼を知っている。
忘れるなんて、出来やしない。
脳裏に焼き付いた記憶が、まるで私の末路のようで吐き気がする。
彼は────白崎雪乃の死亡フラグそのものだ。
隣でラルガさんが「やはり、こちらに」と零した呟きが、やけに耳に付いた。
白の章、逃走失敗です。
そして、死亡フラグ登場です。