カルテ3 吸血少女は棺桶で眠る
「姉さん!」
ドアフォンの前で立ち尽くす渚を押しのけて、サクラが画面に食らいつく。
「・・・どういうことだ、おいおい」
棺桶を携えた女性が夜中に俺のアパートの部屋の前にずっと立っている。
そんな異様な光景、誰にも見られたくなくて、渚はサクラの姉という女性を渋々部屋に引き入れた。
「どうも、妹がお世話になったようで」
お姉さんは妹とは違って、物腰柔らかで、サクラの美が鋭いナイフの刃先を思わせるのと比べると、彼女は日向でくつろぐ猫のような優しさだった。
「サクラの使い魔から連絡をもらい伺いました。私、黒崎猫と申します。サクラとは父親違いの姉妹ですの」
そして彼女は「吸血鬼 黒崎 猫」と書かれた名刺を取り出し、渚に丁寧に渡した。
名刺なんぞ持っていてどう使う場面があるのか全く分からなかったが。
「そ、そうですか・・・俺は、九重渚。医者です」
「お医者様だとは伺っておりました。私たち吸血鬼に理解のある方で大変嬉しいですわ。サクラは少し病弱なところがあるので、助かります」
「精神科医ですけどね」
一応の礼儀としてこちらも名刺を返して、姉をリビングのソファに腰掛けさせる。
時刻は3時を過ぎていて、何故にこんな時間まで起きていないといけないのか分からない。
「で、何のご用事ですか」
お茶を差し出して渚が問う。
「いえ、サクラの使い魔から、あなた、渚さんのところにお世話になるという連絡をもらいまして。寝床の棺桶が必要だろうとお届けに伺いましたの」
「そ、そうですか」
「はい」
笑顔で。はい、と言われてしまうと返す言葉が止まってしまう。「お世話になる」ってこの吸血鬼は「ずっと」とでも連絡したのか。そもそも使い魔で連絡なんて、聞いてない。
「お前、使い魔なんていたのか」
「ええ、いるわよ」
「ていうか、ずっと俺ん家に居候する気なのか」
「そうだけど?」
何でだよ!
その言葉を抑えて、抑えた代わりに行き場を失った言葉が、渚にガリガリと頭をかかせた。
「お姉さん。あなたのところへ、帰った方がいいと俺は思うんですが」
「はい、もちろん、迷惑をおかけするだろうことは承知の上です。しかし、妹はどうしても山から出て外の暮らしがしてみたいと・・・ずっと、ずっと願っておりました」
それは、いつからのことだったでしょうか。
猫は優しい瞳で、過去を語り出した。
そもそも、吸血鬼になる儀式は成人してから行う。なぜなら、成長しない彼らがひとところに居ると、周囲から恐れられるからだ。ところが、猫と言う異例の若い吸血鬼が寂しさ故に友人を求めた。結果、サクラ・エインズワーズと言う妹ができた。
サクラはつい50年ほど前までロンドンで暮らしていたのだと言う。そして今日までしばらく、姉の猫と共に日本の吸血鬼では当たり前とされて居る山暮らしを続けてきた。しかし、都会で暮らしていた彼女に山籠りはこたえたらしい。街で暮らしたいと願うこと2、30年。
今に、至った。
「お前、ロンドンで暮らしてたのか」
「そうよ」
「じゃあ、英語はできるのか」
「ええ」
ふーむ、と渚は唸る。そうまでして街で暮らしたい吸血鬼と、俺の利害関係。
九重渚は、英語が非常に苦手だ。
大学入試でも英語でつまづき、大学に入ってからも英語につまづき、医者になってからも英語に苦しめられてきた。
与えられる課題論文は英語だったり、学会発表は英語が要求されたりと、悩みは尽きない。
それなら、相利共生ができるかもしれない。
「分かった。サクラがここで暮らす代わりに、俺の英語の手伝いをしろ。それが条件だ」
「本当ですか、九重さん」
嬉しそうに姉の猫が微笑んで、渚の両手を握る。
「ありがとう、妹の願いを叶えてくれて。それと、たまに、私も遊びにきて良いかしら」
「あ、ああ・・・」
正直、男、九重渚としては、サクラの美貌が部屋にあると言うことが悪くないように思えたし、姉のそのたわわな胸を押し付けられて手まで握られては、嫌とは言えないのだ。男だから。男だし。独身だし。
「話はまとまったわね。じゃあ、私は失礼するわ。サクラをよろしくお願いします、九重さん」
そうして彼女が去っていって30分ほど。
シャワーを浴びたサクラが棺桶に入る。
彼女がこの200年間ずっと愛用してきた「ベッド」と言うことだった。非常にカビ臭い。古いものの匂いがする。
「お前、それで寝るのか」
「ええ、ここが一番落ち着けるのよ」
リビングのテーブルと平行に置かれた棺桶。テレビの前を陣取って、絶妙な大きさで非常に邪魔になる。
「じゃ、おやすみなさい」
薄いネグリジェーー荷物も、姉が持ってきたらしいーーをまとってサクラは棺桶を閉めた。
「ったく」
自分勝手にもほどがある、と思いながらも。
吸血鬼が過ごしてきた何十年もの孤独を思わされると、その危うい美貌に同情したくなる。
「俺が嫁さん見つけたらでてってもらうからな」
小さく呟いて、でも、サクラと言う存在に一つ動かされた心を自覚しないまま、九重渚は眠りについた。
続く
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バンパイアものは幼い頃からの憧れで、吸血鬼になって空を飛んでみたいと思っていました。
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