カルテ2 吸血少女は鮮血がお好き
「その、食事は毎日とるのか?」
サン・デグジュペリのごとく夜間飛行を楽しんだーーいや、渚にとっては恐怖体験でしかなかったがーー二人は夜中の二時にアパートの屋根に着地した。
カビ臭いマントは羽織るとたんぽぽの綿毛のような軽さで、ジャンプすると空中に浮かぶことができるという代物だった。
冷たい夜風の中で、サクラの腰まである黒髪が怪しげに揺らぐ。羽織ったマントをはためかせる姿、妖しく艶やかに闇の中で輝く赤い瞳は、まさしくヴァンパイアだった。
「当たり前でしょ?明日もあのパック頂戴」
さわさわと目の前を揺れる髪を耳にかけて、少女は答える。
「それがなあ。そんなに簡単に手に入るもんじゃないんだ」
輸血オーダーで出した血液だったが、流石に毎日輸血を頼むわけにはいかない。どんな患者を抱えているのかと怪しまれるし、そもそも彼女に戸籍も国民保険もないだろうから、病院としてサクラを患者に仕立てることはできないのだ。
「さっきトマトジュース飲んでたろ、あれじゃあダメなのか」
「ダメよ、ダメ」
「そうかぁ・・・」
「それなら、あなたが供給してちょうだいよ」
鮮やかに、屋根から二階の、渚の部屋につながるベランダに着地して、ことも無げにサクラは言った。
「俺が!?」
「ええ。何か問題でも?ああ、もちろん、量は加減してあげるわ」
いや、量とかそういう問題じゃなくて。渚はマント飛行の不慣れさも加わってずるりとベランダにへたり込んだ。
「血を吸われたら俺が吸血鬼になっちまうだろうが」
はーぁ、と頭を抱えて渚は髪をかく。
「ならないわよ」
「・・・そうなのか」
「ええ、ならない。吸血鬼が吸血鬼を創る時は、ただ血を吸うだけじゃダメ。特別な儀式が必要なの。さっきも言ってたでしょ?山では動物から血を分けてもらってた、って。もし、私が血を吸うことで吸血鬼になってしまうなら、山は吸血イノシシや鹿ばかりよ」
ふふっ、と何がおかしいのか、想像でもしたのかサクラは笑う。
「ちょうど小腹が空いてたの。少し、いただけるかしら?」
見上げる彼女の顔は残忍な鬼。そのスカートの絶対領域の魅惑に反して。
「い、いいい、いただくって、お前、な」
じり、と後ずさった渚にかがんで来たサクラが迫る。
長い髪先が渚の鼻を掠めた。つ、と伸ばされた指先は渚の顎をクイと掴んで持ち上げ、頚動脈をするりとなで下げられる。
絶対零度の指先はそのまま渚の肩を露出させて。厭にエロティックで、渚は戸惑いを隠せない。
「いただき・・・まーす」
ふぅ、と少女の吐息が肩にかかって、その犬歯がプツリと不思議なほど静かで、しかし響き渡るような音で皮膚を裂いた。
「っ・・・!」
流れたあつい血を彼女が舌で舐め上げようとしたその矢先。
ピーンポーン・・・
間抜けなインターホンの音がなる。
良いタイミングだった。渚は襟元をガバッと掴んで立ち上がり、ドアフォンに駆け寄る。こんな夜中に来客なんておかしいということも忘れて。
「ど、どなたですか?」
咳き込むように放った声に返って来たのは、間延びした柔らかい声。
「あのぉ〜、妹が〜」
妹!?
そう思いながらドアフォンの画面に目を移せば、棺桶を携えた女性が立っていたのだった。